【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

誹謗中傷やいじめの話になると必ずいくつか出てくるのが

『生き物である以上他人を制圧するという事は人間の持って生まれた本能だからしょうがない』
というコメントがかならずありますが、これを正論と信じ込んでいる人々が結構いるようですが果たしてそうでしょうか?
人間である以上理性があるはずですよね。理性があるからこそ、本能通りには逆らい、感情を抑制しながらある程度他人の立場やその場の状況を考慮してこそだと思うのですが。

人ってそこまで本能をたてにして行動や言動を正当化してしまってよろしいのでしょうか。本能重視よりも理性重視の方が人としてのあるべき生き方と自分は思いますがその辺のところはいかがでしょうか。

A 回答 (6件)

そもそも「どこまでが本能かどうか」なんてのは人間が簡単に判断できるものではありません。


例えばラーメンが食べたいと思った時、それが純粋な本能の呼び声なのか?それとも周囲の情報の影響でそうなったのか?判別が難しいからです。

確かにに自分の考えを「本能だからしょうがない」と正当化する人がいますが、それが今まで刷り込まれてきた偏見や先入観ではないという根拠はありませんし、仮に本能であったとしても理性をガン無視して従うのであれば猿とか変わりません。

しかしながら理性と言うものはおのずと限界が来るものです。
日常であれほど誹謗中傷やいじめや犯罪が良くないと言われているのに一向になくならないのがその証拠です。

「理性を超えた抑止力」がなければ根本的な解決は不可能でしょう。
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そんなコメント見たことないのでわかりませんが、


しょうがないってことはないですね

理性の方が本能よりも新しいですよね、使っている脳としては
それが関係あるのかどうかわかりませんが、
他人を制圧する本能なんてものは存在しないと思います
コメントがポンコツなんでしょうね
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本能は肉体的な欲求から生じ


理性は、心から生じる
と考えればよろしいでしょう
ところで、人間の生命の構成を深く考えてみると
自己本体は命そのもの(俗な言葉で言えば霊魂という氣)であり、自己本体の活動を現象界で行うための道具が、自分の心と体だという事に行き着きます
(体は新陳代謝で細胞が入れ替わります、生まれた時に体を構成していた細胞は新陳代謝により大人になる頃には全て入れ替わります
それでも私は私で変わる事がありません
心も幼い頃のものと大人なってからのものを比べると、まるで別人のようにその内容が異なります
それでも私は私のままで変わりません
この、私を変わらない私たらしめているものを指して、自己本体と呼びます)
心と体は変化して絶対的なものではない以上、これに由来する本能や理性も絶対的ではありません!
そこで何を重視すべきかと言うと
それは自己本体(霊魂)由来の霊性です
言い換えると(肉体的な本能とは別の意味の本能で)人間誰しもが生まれながらに持っている最高本能
これを重視すべきなのです
最高本能はどのようなものかというと、一例として、人の世のためになにか貢献しよう、というそのようなものです
霊性に目覚めた、聖人や哲人達の言葉によると、霊性に従っていきると、煩わしく感じる事が少なくなり、心身ともに満たされた絶対的幸福な人生が得られるそうです
参考まで
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イジメが発生する構造的要因としての「本能説」は、確かにそういう理屈があってもおかしくはないと思います。


しかし、それが正論であってやむを得ないとか防ぎようがないという考え方に繋がっているとすれば、それは逆に社会的正義の観点からは糾弾されるべき問題と存じます。

理性とは正しく社会的正義のことではないかと理解しますので、ご質問者の主張には大賛成です。
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あなたの意見には共感できるものがあります



人間は確かに本能を持ち、理性や倫理観をも持つことができる唯一の哺乳動物であり、他の生物・動物とは異なります

理性があるから、私たちは他人の感情や立場を考慮し、社会的なルールや道徳を守ることができるのです

誹謗中傷・いじめを本能として正当化は、社会的な問題を解決しません

悪化させるでしょう、理性を重視・他人を尊重することにより、良い社会を築いていくでしょう

感情を抑制・他人の立場・状況を考慮は、
人間としてのあるべき生き方です

理性を持って行動することは、他人との関係もより良くなり、社会全体がより調和の取れた人間社会になるのではなあいでしょうか

世界の戦争はこのループのどこかに、ひずみが生じたりひずみを生み出す特異な人間が出てくることによります

簡単に言ってしまえば、原始共存社会がまさにそれですが

この社会自体を崩してきたのも人間です

人間は常に一歩退き協調しあう世界い出ないと、収まりません

ということは、争いは大きい小さいに関係なく起きるということです

身近なことでは、遺産相続問題です
会社・学校等の上下関係・首相や知事・市長などとその取り巻きと省庁の関係がまさにそうなのです。
彼らはほぼ仕事しません、省庁や市役所などの重要ポストの集まりで決まったことをしゃべっているだけです

首相や知事・市長など役所は国民。市民をコントロールできず、逆にコントロールされているのです。

首相や知事・市長などは人気投票で選ばれただけなのです
行動しているふりし・そんなに知識もないのです。頼らざるを得ないのですが、完全に頼ってしまっているのが現状です

余計なこと書きすぎました。
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理性は本能である感情の上に理論構築されていくから、いじめが発生する構造であって、


理性で本能を抑制し逆らったところで、その理論を心から受け入れらないので、ある程度までしか抑制効果がなく、完全にはいじめがなくなりません。馬の耳に念仏
そして本能重視よりも理性重視の方が利害関係で人を切りますので、他者を考慮することがなくなり、相応にいじめが増える原因となります。
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