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生物学よりも心理学の問題ではないかと思いこのカテゴリーで質問します。
ムカデ、ミミズ、蛇など大概の人は気持ち悪がりますが、
何故なんでしょう?以前何かで読んだんですが、細長いものを気持ち悪がり、丸目のものを好感を感じると。そう言えば子犬やパンダ、コアラなんか可愛くて抱きしめたくなりますよね。人間の赤ちゃんも丸い顔に丸い目だとますます可愛く見えるし、成長して顔も体も長くなって行くに従って可愛く見える度合いは減って行きます。

でもチンパンジーでも普通はムカデやミミズを気味悪がらないと思います。この感覚は人間独特のものだと思いますが、何故こういう感覚を人間は持っているのでしょうか?
人間でも子供はこの感覚が薄いように思います。大人になると何故濃くなるのでしょうか?またこの感覚は万人共通なんでしょうか?つまり、民族による違いはあるのかということですが。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

 


次の参考URLでの質問に対する回答のなかで、カール・ユングの提唱した、「元型・古態型(アルヒェテュープ)」や、「感情複合(コンプレックス)」の例として、蛇や爬虫類などに「気味悪さ・不気味さ・恐怖」を感じる心理が、経験による学習ではなく、遺伝的に伝達され構成されている、「深層心理的な観念・感情複合」であるという説明を記しました。

>No.885346 質問:コンプレックスとい言葉の使われ方についての疑問>回答 No.6
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=885346

人間の感覚器官において、痛みとか熱さというのは、何故痛いのかとか、何故熱いのか、というのは意味がない質問にもなります。「赤い色が、何故、見えているような赤い色」なのかについて、理由がないのもこれと同じです。

マクドゥーガルなどが、昔、「本能説」というものを唱え、何でも「本能」であると主張しましたが、それはさすがに否定されました。例えば、「戦争本能」などと言うものがあるのかというと、それは複合観念であり、欲望の発動の一つの形ではあっても、もっと単純な欲動・本能の複合として理解すべきものだという考えが妥当とされます。

(感覚所与としての、色の認識の直覚性や先天性、間主観性については、次の質問の回答を見てください。たいへん込み入った問題でもあるのですが):

>No.641749 質問:赤い林檎について
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=641749

人間の子供の心は、生まれたときは白紙であって、経験によって、この白紙の上に、色々な認識や知覚や観念が構成されるというのは、タブラ・ラーサ(Tabula rasa)の考え方ですが、実際はそうではなく、ある種の観念連合や認識統覚は、受精卵の分割と発生の過程で、自然的に芽生えて来るということは確認されています。

哺乳類の成獣は一般に、幼獣を可愛いと感じるような先天的認識の枠組があります。これは考えてみると、哺乳類の場合、誕生してすぐに自活できるようにはなっておらず、親または成獣の支援によって、或る程度成長し、学習して初めて自活できるようになっているので、成獣側に、幼獣を「保護」しようという行動の機構が先天的に、つまり本能的にあるということになります。

これに対応して、幼獣の側にも、経験学習した訳でもないのに、成獣に対し、保護を求めるような行動をするという機構があります。生まれたばかりの新生児は、すでに母親の顔や声を識別する心理機構を備えています。また、女性の乳房部分のパターンを認識して、それを求めるような行動の図式が、経験学習以前に備わっています。

蛇や爬虫類、百足のような昆虫が「気持ち悪い・怖い」というのは、個人によって差があり、その感情や認識の働き方にもヴァリエーションがあるとしても、ユングが考えたように、先天的な「枠組認識」だとしか考えられません。

蛇などをペットにしている人は、蛇が腕に絡まって来ても、不気味だとか、怖いという感覚・感情は希薄なようですが、これは逆に、蛇は怖くない・むしろ可愛い、という経験学習の結果だとも言えます。

ムカデなどは、動きや形状、特に「色と模様」からして、不気味で怖いのです。大体、毒をもった動物は、派手で気持ち悪い色や模様を持っています。毒蛇は、派手な色や模様を持っています。

>人間でも子供はこの感覚が薄いように思います。大人になると何故濃くなるのでしょうか?

経験学習によって、大人の方が希薄な感覚になる場合と、大人の方がより敏感になる場合と、両方がありえます。(ムカデなどは、子供だと色がカラフルだと思うかも知れませんが、もし、ムカデが肌の上を走れば、「気持ち悪い感覚」や炎症が実際に起こるので、それ以降は、気持ち悪く、怖くなります。うなぎや蛸を見て、気持ち悪くない日本人は、文化の学習の結果です。犬や牛を自宅で捌いて食べる習慣のある文化では、犬や牛を見て、「美味しそう」とかいう感覚があるようですが、日本人には、そういう感覚がありません)。

>またこの感覚は万人共通なんでしょうか?つまり、民族による違いはあるのかということですが。

蛇や爬虫類や毒虫などに対する感覚は、先天的認識で、文化や社会で規定されたものではないので、民族(つまり文化)による違いはありません。ただし、文化によって、蛇を食べる習慣などがあれば、後天的学習で、「うまそうな蛇」という感覚が起こるでしょう。蛸や烏賊についての日本人と欧米人の受け取りの違いは、文化による学習の結果です)。
 

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=885346
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この回答へのお礼

心理学者か哲学者が考察しているはずだと思っていましたが、ユングが先天的な「枠組認識」だとしか考えたんですね。とすると、下の人が言われたモデリングではないのですかね?
参考URLもじっくり読んで、もうちょっと考えたいと思います。

お礼日時:2004/07/22 21:08

#4さんと同じ意見です。


人間にとって害のある生物を本能的にみわける、そういう能力もあると思います。
それと同時に自分と違うもの、異質のものを恐れる、いやがるという側面が人間にはあります。

「人間」というものは、その仲間はこういうものだ、という認識が出来るにしたがって、そこから外れたもの、形や特徴が遠ければ遠いほど嫌う傾向があると思います。
動物図鑑の「無脊椎動物」というところに勘弁してくれ!というようなおぞましいものがたくさんあります。私の嫌いな生き物は
・脊椎、骨がない
・足がない、もしくは短い足がたくさん
・目がない、または極端にちいさい
・表面が粘膜質、やわらかい、薄い
人間と離れていればいるほど気持わるいです。
一番人間の反対側にいるような生き物は無条件に嫌われます。
自分と違うものを恐れる。
それは生き延びるための生物としての本能でしょうが、やっかいですね。
いじめや差別も根をただせば異質なものを恐れる気持が引き起こしているような気がしませんか?

人間は仲間を見分け、生き延びるために、自分とは異質の存在だと思うものに恐怖や嫌悪感情をもつように出来ているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

一理ある考えです。ユングがこう言ったとそれで終わってしまっては自分に脳がないのと同じですね。でも、先にも書きましたがちょっと矛盾点もあるような気がします。

お礼日時:2004/07/22 21:11

形状、大きさ、毒の有無の可能性、この3要素の度合いで恐怖度が変わると考えます。

大きさと毒の有無の可能性の2つについては、大きければ大きいほど怖いと思いますが、別にこれは、長いにょろにょろ系に限ったことではありません。

もっとも大きな問題は形状であり、そのポイントは「人間とかけ離れていること」だと考えます。
 
私は以前、蛇は嫌いなのに、なぜうなぎは平気なのか?を疑問に思ったことがあります。結果、うなぎにはヒレがあり、この一点でヒレが人間の手にあたる印象があって大丈夫なのではないかと思い至りました。

そういう意味では、質問者さんの挙げられた3つは、足がたくさんあったり、全然なかったり、皮膚に毛がなくてつるつるである、頭、胴といった部位の区別がつきにくい、という様々な点で、鳥類、哺乳類などに比べて人間とかけ離れています。この形状こそが、人間に恐怖を与えるのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
形状に関してですが、例えば、人間の大人より、丸々とした子犬を、かっわいい~と感じるのは何故なんでしょう?
人間の大人の形状は人間そのもので、子犬より愛着を感じていい筈になりますが・・・

お礼日時:2004/07/22 20:58

ムカデを見て「きゃー!」といったり、気持ち悪がっている周りの人間(母親とか友達とか)と見て、そして自分もそれからは気持ち悪がる・・・このような学習を「モデリング」といいます。

例えば、マンガを読んだりドラマも見たりして、自分の実生活でその登場してくる役柄と同じような考えを持ったり、話し方をしてしまったり等、実生活に影響がでることってありますよね?そういった「周りの行動を見て、それに行動が影響される」といったものが、特に子どもは強いのです。最近よく「子どもが凶悪な事件を起こすのは、えぐいマンガやドラマやゲームが無制限で配信・出版されているからではないか」といわれたりします。こうして、価値観や習慣は世代を越え、伝えられていくのかもしれません(ムカデが気持ち悪いっていう伝統、というとなんか嫌ですが・・・)

まるいもの、やわらかいものが好きというお話しについてですが、動物が持つ気質であるとして、さまざまな実験がなされています。赤ん坊のサルの目の前に、金網で作ってミルクの入っている哺乳敏を差している模型と、哺乳瓶は無いがふわふわぬいぐるみ状にした模型を用意したとします。そうすると、最初は前者の方に行ってしまいますが、少し経つと、ずっとそのサルは後者の方に抱きついたままでいるのです。ミルクのでる金網の模型よりも、そちらの方が安心を感じ、そして母親に近いと感じるのでしょう。
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この回答へのお礼

「モデリング」ということがあるんですね。でも、長いものより丸いものが可愛く見える、感じる理由というのが解らないですね。

お礼日時:2004/07/22 20:53

あくまで憶測の域を出ないのですが、長くてにょろにょろしたものが駄目な人っていますよね?


ミミズやムカデもそういうものの延長として嫌悪されると考えると、元を正せば蛇などの生命にかかわってくるような生物を人間の本能が拒絶・回避しようとさせるのではないでしょうか?
この推測でいくと子供がこの感覚が薄いと言うことが矛盾なく考えられます。
チンパンジーなどはどうなのかわかりませんが、私的には嫌がりそうな気がします。少なくとも何も考えず、いきなり掴んだりはしないような。

世界的に見て、蛇やムカデを食料にしている国もあるので万国共通というわけでは無いように思います。
(魚を食べるときいちいち怖がったりする人がほとんどいないように)
ある意味そういう習慣を持っている人たちは本能的なものを克服し、牛や魚と同じ扱いが出来ていると言えますね。
ですから、環境により、人間の本能はフレキシブルに反応できるのではないでしょうか?

なんだか偏りのある意見ですみません。
でもとっても面白い命題だなぁと思います。
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この回答へのお礼

遅くなって申し訳ありません。
<環境により、人間の本能はフレキシブルに反応できるのではないでしょうか?
>--そうですね。これからも考え続けたいです。

お礼日時:2004/07/22 20:50

私も子どものころはミミズなんか平気で触っていましたが、今はちょっと・・・



動物の子どもが丸顔なのは、かわいいと感じさせて親の愛情を注がせるためと聞いたことがあります。ですから丸顔をかわいいと感じるのは人間だけではないようです。

ミミズやムカデを気持ち悪いと感じるのは、成長とともにいろんな情報を受けるからではないでしょうか。映画などでも「気持ち悪い存在」「悪の存在」として描かれることが多いですから、知らず知らずのうちに気持ち悪いものとしてのイメージがインプットされてしまうのかも・・・。

この感覚は万人共通ではないと思います。地域によってはミミズやイモムシを食べる所もありますし、タコやイカを気持ち悪がって食べない所も多いです。日本ではタコ・イカは好まれていますが・・・

この回答への補足

ミミズやイモムシを食べるというのは、多分未開人か中国人ではないのでしょうか?また白人がタコを気持ち悪がるということも聞きました。
忘れていましたが、人間が気持ち悪く感じることの条件で、あの独特の「くねくねとした動き」があると思います。タコやミミズがそうです。
<ミミズやムカデを気持ち悪いと感じるのは、成長とともにいろんな情報を受けるからではないでしょうか>---そうですね。でも大人社会に何故そういう情報が蓄積固定されているのでしょうか?少なくとも欧米人は日本人と同じく、ミミズやムカデを気持ち悪く感じているようです。文明化がもたらす人間の対虫感情の変化というのがあるのかも?
私の知り合いの日本女性は、ある時釣りえさのゴカイの群れがクネクネと動くのを目撃してしまい、強烈に気持ち悪くなって1週間ほどご飯がノドを通らなかったそうです。
この例も、<成長とともにいろんな情報を受けたから>でしょうか? 本来大人の人間が、あの「くねくねの動き」に生理的に嫌悪感を持つということはないでしょうか?釣や食料にするという馴れの経験がその感覚を消すのではないでしょうか?何故そう思うかと言うと、くねくね動物に対する嫌悪感が民族を問わず余りに一般的だからです。

補足日時:2004/06/13 17:04
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