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強迫性障害で一日中強迫行為に苛まれています。
一日の生活が寝ているか食事しているか強迫行為をやっているかのどれかしかなくなってしまい何もすることができません。
食事をしながらYouTubeを観ることが唯一の娯楽でしたが、最近スマホを観ながら食事をすると気持ち悪くなったりイヤホンしながら観ているのでちゃんと味がしない、息苦しくなったりするので観られなくなってしまいました。
パソコンだとYouTubeの画面を好きな大きさに変えられるのでまだいいのですがスマホだと画面の大きさが変えられないため、目からの距離が画面のサイズが合っていないのか、観ながら食べるとすごく体力を持っていかれるし食べた後具合が悪くなります(イヤホンしていることも大きいと思いますが)
昼食は自室で食べているためパソコンでならまだ観られるのですが、夕食はリビングで食べているため観るならスマホで観るしかありません。
家族と時間をずらして摂っているため観ること自体は自由ですがリビングで音を出すと家族に迷惑がかかるし内容を見られたくないためイヤホンするしかありません。
スマホだと画面も小さく疲れるのですが…
ここ1週間くらい夕食のときに動画を観るのをやめ何もせずに何も観ずに黙々と食べるようになったのですが葬式のような気分というか病気のことや将来のこと自分の現状などを深々と考えてしまい動画を観ていた頃より病むようになりました。
希死念慮も増したように思います。
毎日常に強迫行為をし続けてそれが終わったら動画を観ながら食事というのを繰り返していたので自分の向き合う時間や物事を考える暇すらなく慌ただしかったので、清々しやっとゆっくりできたという気持ちもないわけではないのですが、食べる直前まで強迫行為をやり食べ終わったらまたやらなければならず、そんな中黙々と食事をするだけというのが苦痛でたまりません。
何のために生きているのか益々わからなくなり死にたくなります。
今まで嫌な気持ちを紛らわすために必死に画面に張り付いていたのだと再認識しました。
別に動画を観る時間を取ることができれば食事中に根詰めることはなくなりますがとてもではないけれどそのような時間は取れないのでこういうことになってしまいます。
様々なジャンルの動画を観てきて得られたことがとても多いですがわざわざ動画を観るために時間を費やすのは勿体無いと感じます(取りたくても取れませんが)
でもそう感じるということは本当は動画なんてその程度で自分にとってそれほど重要ではなかったのかなとか思う自分もいます。
矛盾していますが…
何もせずに食べることで以前より味を感じたり満腹感が出て少量で済むようになったり全くメリットがないわけではありません。
ただ唯一の娯楽がなくなり以前より鬱々として今後どう生きていこうとか死にたいとか常に考えるようになってしまいました。
強迫行為を頑張ったら動画を観られる!と騙し騙しで生きていたので…
本来なら強迫行為を減らし娯楽を増やしたいのにその逆へ向かってしまい辛いです。
自分の本心に従って生きることができません。
食事中にラジオや音楽を流すという手もありますがどちらも煩わしく感じてしまい自分にはYouTubeが合っているようです。
イヤホンなしだと家族にも迷惑がかかるし内容も聞かれたくありません。
他にハマれるような趣味があればYouTubeに頼らなくてもやっていけると思いますがそのような物が見つからないし時間も取れません。
ながら食べをやめ気づけたことも多かったけれどこの生活を続けることがとても辛いです。
本当は食に集中すべきだとは思いますが…
食事中の雑念や鬱々とした気分とどう向き合っていったらいいでしょうか?
ただ黙々と独りぼっちで強迫行為を熟す毎日で死にたくなります。

A 回答 (4件)

神経症を克服した経験が有る者です、もう治ってから44年程経過しています。

強迫性障害を克服したいとお考えのようですので、少し書いてみます。

神経症はどの症状であったとしても、症状別な治療方法は存在していない様です、神経症に対しての治療方法は症状を受け入れるまで続くと云った特徴があります。

吃音であってもその他の症状であったとしても、症状を受け入れるまで続くための治療方法は、症状に対して固く口を閉ざして、口にしないと云った『不問』という方法です、馬鹿の一つ覚えのように、固く口を閉ざして『症状の事を口にしない生活を守って下さい。』

何時しかこう云った生活を守る生活態度が出来上がる様になると、症状が何処にいったのかという日が来るようになっています。そうなったらもう少しで治る事を意味します。

症状が出たとしても、出なかったとしても余り気になったり、苦になったりしなくなっています。そうした中でも『症状が無くなったとしても、嬉しくなくなっています。』此処まで来た時を完治したと云います。

症状として嫌っていた事が症状にまでしていた事が分かる事を意味します。症状を追い出したいがために、意識をして追い出しを図っていた事が症状として固く心に固定していた事が分かります。

症状を受容出来た事によって、もう症状としては成立しなくなっています。是が神経症の完治です。
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>食事中の雑念や鬱々とした気分とどう向き合っていったらいいでしょうか?


強迫性障害と診断を下した主治医としっかり相談して下さい。
希死観念に苛まれるようならばもうとっくに
入院レベルではないでしようか。
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あなたのこの悩みは他人には変えてあげることができません。


あなた自身が自分の信念を持ってしっかりと自分自身を変えようと思わないとどうにもなりませんよ。
ここで質問しても何も答えは得られません。

ご飯食べながらスマートフォンをいじるとか最近の若者らしいんですね。
これは1番いけないことです。
まず自分で集中することを学んでみたほうがいいと思います、この内容からしてあなたはまだ社会人じゃないですね?
高校生かなもっと若いのかな?

正直言って社会人になったらそんなんじゃすみません。

仕事は集中して仕事だけやらないといけません。
それができない人はどこも雇ってもらえないしお金がもらえない、お金がもらえないと言う事は生活ができないと言うことです。

あなたの今の考え方でいると生活ができないと言う事は生きていかれないと言うことです。

真剣に自分自身を変えることを考えましょう。

世の中にはそういったことを治すためのあらゆることがありますが精神科医に行ったり薬を飲んだりするのは絶対やめましょう。
そんなことで治るものではありません、薬をたくさん買って欲しい医者の陰謀にはまるだけです。

瞑想や座禅そういったものもあります。

スマートフォンをいじらないようにする方法など自分で模索して自分の行動を変えていきましょう。

さもないとあなたの人生はダメになりますよ。
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運動しましょう。

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