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江戸三大祭について調べています。

山王祭、神田祭、深川神幸祭、三社祭、根津権現祭と場所によってどれを三大祭と言うか異なっていることまで調べてわかったのですが、どういった基準(神輿の数、神社の規模、参加する人数等)で3つ選ばれているのかわかる方がいましたら是非教えてください。

A 回答 (4件)

 神田祭と山王祭は将軍の台覧があり、天下祭といわれていましたので、かならずこれの二つを入れるのが古式であるといわれています。

あとは数あわせでひとつ加えただけらしいので、諸説があるようです(たいてい地元のものを入れる)。
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はじめまして。



私は鳥越神社の氏子ですので、三大祭と聞かれたら「鳥越例大祭」を1番にあげます。
一応、東京一の千貫神輿(東京一と言うのが本当なのか定かじゃないですが)と呼ばれてますし…。(いろんな場所で千貫の神輿があるのも確かです)
で他の2つは…三社、神田、深川のどれか。
本当言うと下谷も入れたりしちゃいます。
曽祖父の時代から住んでいるので、親戚や友達が多いんです。で、いろいろな所に担ぎに行くので、三大祭の話が出たときにはお呼ばれしている神社を1つ入れます。

ずいぶん前になりますが、永六輔さん(生まれが元浅草3丁目で鳥越神社・永住の氏子)が、江戸三大祭についてのお話をしていたことがあります。

東京の三大祭りと言うのは聞く人、聞かれた人によってずいぶん答えが違ってくる。
違いが出たら出たで、また揉めたりなんかする。
という話。

で結局のところ
>江戸三大祭は「日枝神社山王祭・神田明神神田祭り・富岡八幡宮深川八幡祭り」
だったと思いますが、

永六輔さん曰く、江戸っ子が自分で好きな祭を勝手に選んだのが三大祭でいいじゃないか。
自分の氏神様が1番で構わない。
三大祭のうち1つを削って、自分のとこの祭を入れれば、それが三大祭だ。
負けん気の強い江戸っ子らしくていいじゃないか。と言うお話で、私はその意見に同感です。

ちなみに永六輔さんが選ぶ三大祭は「三社、鳥越、神田」だそうです。

いい加減かもしれませんが
>「地元びいき」
でいいんじゃないでしょうか?

私も地元の祭は譲れませんからね…。

参考URL:http://www004.upp.so-net.ne.jp/kab_ra/TORI1.HTM
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 ark-bird さん こんばんは



 赤坂日枝神社は 皇城の鎮・東都鎮護の社として将軍家世嗣・諸大名が国家事ある毎に必ず祈祷されていた神社でした。叉神田明神は、江戸の総鎮守の神社です。そう言う意味も有って、江戸時代は隔年(交互)に行なわれる祭りの神幸祭の行列が江戸場内に入り、将軍様が御上覧拝謁する祭りとして「天下祭り」と言われています。
 深川八幡祭りは,寛永20年「徳川家綱の世嗣祝賀を執り行なった祭り」最初で翌年から町内神輿の渡御が行なわれる様になりました。叉今でも落語や講談等に語り継がれている通り、大勢の観客の為永代橋が落橋すると言う事件が起きる位、江戸時代から流行人気が有った祭りなんです。
 以上より、江戸場内に神幸祭の行列が入り上覧拝謁する祭り・徳川家綱の世嗣祝賀を執り行なった祭り等徳川将軍が関与している祭りであり、規模的にも大きな祭りとして江戸時代より「江戸三大祭りは、日枝神社山王祭・神田明神神田祭り・富岡八幡宮深川八幡祭り」と言われています。

 ところでどんな人でも「地元びいき」と言う所がありますよね。色々な人に「どこの祭りが1番??」と聞くと誰しも地元の神社の祭りと言うと思います。それも小さな小さな村単位で行なう村祭り的な小さな祭りではなくて、観光案内本に一回でも紹介されたような祭りだったら、地元の祭りが1番と言うと思います。
 江戸時代から言われている江戸三大祭は将軍様が上覧拝謁する祭りだったり徳川家綱の世嗣祝賀を執り行なった祭り等徳川将軍様がに関係のある祭りと言う事なんです。ところで根津神社は、五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座したと言う歴史があり、元々6代将軍・徳川家宣が生まれた地(元々は徳川綱重の下屋敷)であるので、社地内に徳川綱重の産湯を使った井戸等が残っている。以上より根津神社も徳川将軍家との関係が深い神社であり、規模的にも問題が無いであろうと言う事で、根津神社の地元の人々は、深川八幡祭りの代わりに根津神社根津権現祭りを三大祭りに含めているようです。

 近年盛んになった三社祭ですが、元々は江戸時代の神仏一体の時代には浅草寺の祭りとして行なわれていたようです。明治になり神仏分離令により今の浅草神社が分離確立し,それからの祭りとして発展してきて現在ある祭りです。したがって荒神輿の祭りとしてニュースでも「東京に初夏を告げる祭り」と言われ、多くの担ぎ手が集まり多くの神輿が担がれる規模の大きな祭りでは有るが、「江戸の三大祭」の江戸と言う部分からは外れると私は思います。これも根津権現祭り同様、地元を愛するが故に地元の祭り1番と言う感覚で言われている事だと思います。

 江戸時代から言われている江戸の祭りを表した狂歌に「神輿深川 山車神田 だっだ広いは山王様(または 山王祭り」があります。これからも解る通り、江戸三大祭は「日枝神社山王祭・神田明神神田祭り・富岡八幡宮深川八幡祭り」が正しいんだと思います。
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございます!!地元びいきが原因で三大祭が増えてしまうって言うのは面白いですね。とても参考になりました、ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/10 22:13

うる覚えですが回答してみます。

補足していただける方、どしどしどうぞ。

江戸の祭りは、神田神社(神田明神)の神田祭、日枝神社の山王祭が交代交代・隔年で行なわれていて、それ以来、天下祭りと呼ばれています。

その2つに(ないし、その年開催がある1つに)、三社祭や深川祭などをいれて"呼称"されている。

と記憶があるんですが。
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