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知り合いから聞いたんですが、早期終了を天皇が
自分の延命策のために拒んだって本当ですか?
またそのための時間稼ぎとして沖縄戦をむやみに
続けたんですか?

だとしたら今まで聞いてきた、天皇はやめたかったが
軍部がやめようとはしなかった、が嘘になります。
何が本当なのか分からなくなってきました。

詳しい方、何が本当か教えてください。

A 回答 (4件)

こんにちは。


恐らく、この事ですね。(参考URL)

この時、天皇陛下が何を考えてこう言ったのかはわかりかねますが、沖縄戦を目の前にして、間違えなく「戦争続行」という意思を表明した事は記録に残っている事実です。
この言葉をどう受け止めるかは質問者さんご自身でお考えになるといいでしょう。

参考URL:http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap01/sec00/ …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど、天皇が戦争の早期終結を願った
という今まで信じていた事はどうやら間違いだったようです。
「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラデナイト中々話ハ難シイト思フ」
この発言からも天皇は、前線の兵士や民間人、空爆に曝されている町の事等これっぽっちも考えていなかった事ははっきり分かりました。

お礼日時:2006/02/06 22:53

まるっきり事実と違いますね。


戦争終結は天皇の強い意志がなければ実現できませんでした。
そのために内閣も改造されました。
陸軍は、本土決戦を行うつもりでした。
沖縄戦が長引いたのは,沖縄守備軍の参謀が優秀だったからです。
陸軍は,はやく万歳突撃をして玉砕せよと命令を出し続けていました。

沖縄守備群は,沖縄が本土空襲の基地になることを遅らせることを重視し,大本営は沖縄が長引くと,米軍の上陸が九州ではなく千葉になることを恐れていました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
天皇が絶対的決定権を持っていたのは事実のようですね。
沖縄の守備軍の参謀が優秀だった事は初耳で、今度
その辺を調べてみます。

お礼日時:2006/02/06 23:01

昭和天皇が、所謂「一撃講和論」に傾いていたと考えられる根拠としては、No.1の方が入れた参考URLにある近衛上奏文に対する反応が、よくとりあげられます。

これに関しては、「一撃講和論を支持していたのではない」とする考え方もあるようです。
http://wont-be-long.cocolog-nifty.com/blog/2005/ …

しかし、「昭和天皇独白録」(文藝春秋)とあわせて考えると、それ以前から「一撃講和論」を持っていた、のは間違いないと思われます。
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/f …
(「1.被爆地・ヒロシマについて改めて考えること」の「避けることができた沖縄戦と広島・長崎に対する原爆投下」をご覧下さい。)

尚、「昭和天皇独白録」については、終戦直後にGHQが宮内省御用掛・寺崎英成に接触した結果として記録されたというその事情から、GHQの方針に沿って、「戦争責任がなかったように見せるバイアスがかかっている」という見方もかなりありますが、この問題については、最悪そういうバイアスがかかっていたと仮定しても、天皇は少なくとも「一撃講和論」は持っていた、という風に考える事ができます。(この独白録は文春文庫にもなっていますので、ご興味があればご自身でご確認下さい。)

「自分の延命策の為」と迄言うかどうかは別として、天皇自身も「国体護持」に拘っていたのは、近衛上奏文への反応からもわかります。

沖縄戦は、当時の指導部の主観としては、「時間稼ぎ」というよりは、むしろ、(実は成算は無いにも関わらず)、「激しく抵抗すれば、多少はましな条件で講和が出来るかも知れない」と試してみた、というところではないでしょうか。肝腎の一撃が全く出来ないままずるずると後退していった結果として、沖縄戦まで至ったのに、最後の駄目押しのように試す為に死んで行った沖縄県民や日本軍兵士からすれば、ひどい話ではありますが。)

無条件降伏を受け入れる際に、昭和天皇が大きな役割を果たしたのは事実ですが、誰でも状況の変化に従って、対応を変えていくのは当然なので、それ以前に「講和or降伏を先延ばししようとした」という事を否定する材料にはならず、元々の天皇の考え方がどうだったかについては、近衛上奏文への反応や独白録から考えた方がよい、と私は思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
天皇が戦争早期終結を願っていたというのが間違いだった事は分かりました。
言えば天皇が無謀な沖縄防衛戦、原爆を招いたと言っても過言ではないという事ですよね。
しかもその事についてのお悔やみ(?)のような言葉
もなかった・・・。
昭和天皇が三国志の劉禅と一緒に思えてきました(最後まで粘ったのは正反対ですが)

僕の今までの考えとかなり変わってきました。

お礼日時:2006/02/06 23:13

長くなりますが、補足しておきます。



何事も程度問題で、「天皇が戦争を早くやめようとしていたのに、その意思を軍部などが無視して、沖縄戦や原爆に至った」と言ったらおそらく言い過ぎで、一方、「天皇が、沖縄戦、原爆を招いた」(ニュアンスとしては、「主な責任がある」)と言ってしまったら、これも言い過ぎで、真実はその間のどこかにあると思います。

ポツダム宣言受諾時に天皇の果たした役割は大きいのは事実ですが、それを強調すればするほど、「戦争を早期終結させる」力が天皇にはあった(しかし、それを中々行使しなかった)という事になってしまうので、戦争責任論を惹起します。(ポツダム宣言受諾のみならず、2.26事件などを見ても、天皇は非常に高い権威を持っていたと考えるべきだと、私は思っていますが…)
「平和指向」の天皇というイメージの方がより強く広まったのには、戦争責任論は回避しつつ、天皇の権威を利用して占領統治を行なったGHQの影響がかなりあると思います。
その後、色々な資料が見つかってくると、話はそんなに単純ではなかった、って事になったのですが…。

>その事についてのお悔やみ(?)のような言葉もなかった・・・。
う~ん、これも程度問題ですよね。新憲法下では政治的な発言が出来ないので、自らの戦争責任を認める様な事は決していえず、どうしても曖昧な言い方になってしまうのですが、戦没者全体に対する「哀悼の意」みたいなものは、わりとよく言ってます。

>昭和天皇が三国志の劉禅と一緒に思えてきました。
敗戦直後には「自分が退位する事で、臣下が東京裁判で裁かれる事を止められないか」と側近に語ったり、マッカーサー回想録によれば「自分が全責任を負うので、自分の処遇は任せる」と言った事になっているので、劉禅に比べれば責任の意識はあると思いますが、控えめにいっても、「自らの権威をフルに使って、戦争の早期終結に努力した」のではない事は、確実だと思います。

いずれにせよ、昭和天皇は、敗戦前後で全く違う立場にあった訳で、前回の回答にも書いたように、天皇の発言や行動は、その前後の状況とあわせて考えられるべきものと思います。

尚、昭和天皇崩御後に、高松宮が「昭和天皇は、戦争を止めようとすれば止められはずだ」といった発言を、評論家の加瀬英明にしていた、という話を聞いた記憶があるのですが、確認できないので、ご興味があれば調べてみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
昭和天皇が戦後マッカーサーに「私はどうなってもいい、国民は助けてやりたい」といいマッカーサーが心を打たれたとあるようですがそれは作られた発言のような気がします。
何故ならもしその様な考えが昭和天皇にあったなら敗戦必至の沖縄戦や、原爆の小説にするのもむご過ぎる
被害は避ける事が出来たのではないかと思うからです。

今回この質問をして皆様にご回答を頂きある事を思いました。

それはさまざまな意図を持った人たち毎の様々な意見(証言、証拠)が存在するという事です。

東条英機の遺言に
>今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。(~抜粋引用~)

とあります。
まさに彼が予言した通り、邪説や、ともすれば捏造が真っ当なものとして世に出ている事があるのではないでしょうか。

皆さん貴重なご意見ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/02/07 21:58

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