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本当に昭和天皇は戦争責任を感じていたのか?

よく言われる昭和天皇エピソード。
マッカーサーに「自分の命は構わないから、国民を助けてくれ」として、マッカーサーを感動させたという話。

このように、昭和天皇は国民を守る素晴らしい方のように喧伝されてきました。

本当でしょうか?

というのも、こんな動画もあるのです。



昭和天皇は、「自身の戦争責任を言われるのは辛い」などと、無責任なことを言い、馬鹿な侍従も「戦争は過去の話。今はこんなに復興し気にしなくて良い」と慰めたという。

ふざけるなよ!ではないでしょうか?
明治憲法下、全責任が昭和天皇にあったのは間違いありません。

社長が「俺がやったことじゃない」と逃げられないのと同じことです。

こんなこと無責任なことを言う昭和天皇が、本当に終戦時にマッカーサーにそんなことを言うでしょうか?

戦後の天皇の権威づけのための作り話な気がします。

尊王派には悪いですが、昭和天皇は「原爆投下をやむ得ない」としたり、しかもその時長崎には触れなかった、など、私はあまり好感を覚えません。

A 回答 (5件)

昭和天皇が何を考えて何を発言したか真偽の程は判りません。


しかし、多くの日本人が「天皇陛下万歳」ということで戦死したのは事実と思います。
昭和天皇に戦争責任があったのは明らかで、おめおめと生きながられたことは自分の美学には反します。
勿論、平成天皇や令和天皇に責を問うモノではありませんが、昭和天皇には最高責任者としての戦争責任があると思います。
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本当に昭和天皇は戦争責任を感じていたのか?


  ↑
そんなこと、解るはずありません。



本当でしょうか?
 ↑
政治ですからね。
事の真偽は闇の中です。

もしかしたら、米国と、予め
打ち合わせた芝居かもしれません。



ふざけるなよ!ではないでしょうか?
明治憲法下、全責任が昭和天皇にあったのは間違いありません。
社長が「俺がやったことじゃない」と逃げられないのと同じことです。
 ↑
国際上、ああした君主は、責任を問われない
ことになっています。
the King can do no wrong 王は悪を成し得ず
という原則があります。



こんなこと無責任なことを言う昭和天皇が、本当に終戦時に
マッカーサーにそんなことを言うでしょうか?
  ↑
米国は、日本統治の技術として、及び
社会主義に対する防波堤として天皇を
利用することを考えていました。
だから、言ったことにしたのかもしれません。



戦後の天皇の権威づけのための作り話な気がします。
  ↑
ワタシもそんな感じはしますが
それはあくまでも、個人的感想に過ぎません。



尊王派には悪いですが、昭和天皇は「原爆投下をやむ得ない」としたり、
しかもその時長崎には触れなかった、など、
私はあまり好感を覚えません。
 ↑
あの人は、戦争を始めたのは軍部で
止めたのは俺だ、なんてことも言っていますね。
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>本当に終戦時にマッカーサーにそんなことを言うでしょうか?



はい、本当です。発現自体はGHQ側やアメリカ公文書、それに#2の方が出している動画などアメリカ人側の記録や証言として残っています。
なので「自分の命は構わないから、国民を助けてくれ」という発言自体は事実だと確信できます。

もう一つの問題は、それを聞いたマッカーサーが感激したかどうか?ですが、これも事実だと私は考えています。

なぜなら「マッカーサーには、天皇の言葉に感激する下地があったから」です。マッカーサーは第一次世界大戦の後、戦後処理のためにドイツを訪れ、当時の皇帝ヴィルヘルムに会っています。これも記録で確認できます。

で、その時にヴィルヘルムは敗戦の責任を全く認めなかったらしく、アメリカという君主を持たない国から来た若い将校だったマッカーサーは「君主なんてこんな程度なのか・・」とがっかりしたのです。

だから、東洋の猿の王なんてもっとひどいだろう、と思って迎えにも来ず、ソファに座ったまま天皇と対面したマッカーサーは、天皇の最初の言葉が「自分の命は構わないから、国民を助けてくれ」だったことにひどく驚いたのです。

マッカーサーはもちろん日本に赴任する前に、天皇機関説のレクチャーを受け「実際的な政治権限が天皇にはない」ということを知っていたので、それでも「戦争の責任はすべて私にある」と《実際には無いはずの責任すら引き受ける道徳心》に感銘を受けたのです。

>「自身の戦争責任を言われるのは辛い」
実際、天皇には戦争責任はない、ので言われるのが辛いのは当然です。これを天皇機関説といい、大正時代の美濃部達吉などによって主張され、議会制民主主義の根幹とされていたものです。

これを破ったのは軍部ですが、軍部の暴走はたとえば戦後、天皇に「戦争を終わらせることはできなかったのか?」と聞いた人がいて、昭和天皇は「もし私が終わらせようとすれば、軍部は私の代わりを天皇にして戦争を継続しただろう」と発言したように、昭和天皇個人の問題ではなかったのです。

ほかにも、玉音放送の原盤を簒奪して戦争継続しようとした陸軍の一部の動きがあったように「天皇」という機関と「昭和天皇」という個人は同じものではないのです。

この辺りを理解できていない人は「天皇ヒロヒトの戦争責任」という認識を持ちやすいのですが、天皇は機関である、ということを理解している人は「昭和天皇御自身に戦争責任は無い」ということを分かっているわけです。

もちろん昭和天皇自身は機関説を良く認識していて、だからこそ「ご聖断」は226事件と終戦の詔の2回しか出していません。明治天皇から現在の天皇まで「天皇は機関である」ということを認識しているからです。
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>このように、昭和天皇は国民を守る素晴らしい方のように


>喧伝されてきました。

>本当でしょうか?

本当です。
「マッカーサー回想記」
マッカーサーの少年のころから
陸軍士官学校時代、第一次世界大戦、太平洋戦争、日本占領、朝鮮戦争まで
かかれているものです。

これによると
1945年 9月27日にマッカーサーとの会見に臨んだ。
陛下は
「「私は、国民が戦争遂行にあたって行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決に委ねるためお訪ねした」と挨拶。

これに対してマッカーサーの感想
「私は大きい感動にゆさぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした」と書いてある。

マッカーサーが書いたのだから間違いあるまい。

また、アメリカ側の通訳パワーズ少佐も証言している。
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陸海軍を統帥する大元帥でありながら、軍の暴走を止められなかったのですから、当時の天皇に一体どれだけの権力権限があったのかよく分かりません。



「この頃は下克上をやって困る」などの発言もあります。
この場合、「上」は天皇自身です。
絶対不可侵はずの天皇が、「下克上されて困る」と嘆くってなんなのですか?

中国大陸で関東軍が戦争を始めた時、それを上奏した首相に「お前の顔は見たくない」と言って、総辞職させることくらいしかできなかった。

東京裁判で戦犯とされた人達は「自分は戦争反対だったが当時は言える空気ではなかった」と弁解しましたが、大元帥の天皇も同じことを言ってるのです。
じゃあ、当時日本の実権を握っていたのは誰だったのか?

明治天皇制は徳川の将軍体制を踏襲しています。
将軍は政策について発言しない。
老中達の協議で政策決定し、将軍はそれを承認するだけ。
マズいことが起きたら老中が切腹して責任を取る。
将軍は責任をとらない。
社会体制を崩壊させないためにはなかなか巧妙な仕組みです。
さすが徳川家康。

その仕組みを明治天皇制は受け継いだので、最高権力者、大元帥といいながら責任は負わない仕組み。
日本伝統の責任者曖昧体制です。

ちなみにマッカーサーには、「しかし国民は私を大好きなので、何が起きるか分からない」と言ったという話もあります。
その一方で「退位したい」と侍従に言ったという話もあります。
「だから戦争広げるなといったのに」という気持ちだったのでは。

日本の帝王学には「本心を言ってはいけない」というのもあるそうなので天皇の本心はヤブの中です。

そういう意味では本心をベラベラしゃべってしまう秋篠宮は天皇の資格はないということになります。
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