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日本史世界史問いません。
歴史上ハンサム、美男子、二枚目、男前・・・とされているのは誰ですか?
(ペリクレスが美男だったそうですけど、塩野七生さんの著書では、頭の形が悪かったとか・・・)

ちなみに美女でも構いません(^^)

A 回答 (43件中11~20件)

No8です。


蘭陵王の件、正史に載っているのは「退却して城に入る際、かぶとを脱いで顔をさらし、敵と間違われないようにした」という逸話です。それが「脱いで顔をさらした」→「いつもは隠していた」というように変化して仮面の伝説ができたのではないかと思います。
イスマーイールは15~16世紀の、ペルシャ(イラン)の人ですね。いまいちマイナー地域ですが。


隋の煬帝も「上美姿儀」と書かれている美形ですね。頭もいいし詩才もあるし、君主としてはともかく個人としては魅力的だったと思われます。

いわゆる美形ではないのにモテモテだったのはローマのカエサル。
「市民たちよ女房を隠せ、はげの女たらしのお出ましだ!」
後継者のアウグストゥスは美形ですが、逆に性格的に面白みに欠けるところがありますね。

それからNo7の方のヌルハチやバケタモンの話で思い出しましたが、15世紀後半、ルネサンス期のフィレンツェで最も美しいとされた女性の名は「シモネッタ」でした。シモネッタ・ヴェスプッチ。ボッティチェリやダ・ヴィンチも彼女をモデルに絵を描いています。
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この回答へのお礼

イスマーイールについて、ありがとうございました!
隋の煬帝、美形だったのですか!?
実は大学の卒論がカエサル前後のローマと原始キリスト教なので、
この時代は大好きです。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」は私のバイブルです。
よってイタリアのルネサンス期も、芋づる式に(塩野先生絡みで)好きなのです。
ルクレツィア・ボルジアがドラマチックで好きです。
シモネッタはアメリゴ・ヴェスプッチの姪でしたっけ?
小さな胸が好まれた時代の美女だそうで、確かにこの時代の肖像画や神話がモチーフの絵には
華奢な胸の美人が多いですよね。
美人薄命というのは、まさにシモネッタですよね?

どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/03/14 19:55

おお~♪面白いですね(^^)今更ですが参加させてください☆



夏目漱石は男前だと思います!松中時代の漱石・・・凛々しいです。
http://www.lib.ehime-u.ac.jp/KUHI/JAP/natume.html

ちなみに沖田総司ですが肖像画を見る限りはあまり美男子ではないような?イメージと違う~(^^; これは美化されていない肖像画です(笑)
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumat …

イメージと違うといえば斉藤一さんも・・・
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumat …

ご質問の趣旨からそれてしまいました。


「幕末写真館」は文字通り幕末の有名人の写真が見れます。
美男子を探してみて下さい(^^)
  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumat …
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この回答へのお礼

>「幕末写真館」は文字通り幕末の有名人の写真が見れます。
こんなサイトがあったんですね~~!!
教えていただいてありがとうございます。
坂本竜馬もそうですけど、新撰組もその時々で色々なキャストがありますね。
数年前のTV東京の10時間ドラマ「壬生義士伝」では、竹中直人が斉藤一でした。
沖田総司より年下なのに!!

沖田総司が美男子でなかったのは有名です。
土方歳三は、女性にモテて、京からお姉さんに出した手紙にはご婦人にモテて仕方がない、
というような感じのものがあるそうです。
伊藤甲子太郎も美男子だったとか。

漱石先生は端正ですよね。
屈折していない暗くもない感じのお顔です。
(芥川先生の方が好きなのですけど、ちょっと暗め)

どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/03/14 19:49

私の独断と偏見ですが、世界史に登場する「ファン・デン・ボス」がかっこいいですよ。

クラスの女子の間で、資料集を見ては「この人カッコイイよね」と結構盛り上がってました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます(^^)
ファン・デン・ボスって誰ですか??

お礼日時:2006/03/14 19:42

23,24です。


あれから、中国史のほうの男前にについて考えていました(汗)。質問者様は女性かと思いますが、昼日中から歴史上の二枚目を考えてる自分(男)って・・。

あ、それと、悲劇の女性は美化されませんか?とのことでしたが、そうですね。ていうか、実際、男にはそう見える場合も多いかもしれません。守ってあげたくなるというか、そういうのも出てきます。女性同士もそうですね。昔、「女ののど自慢」という素人歌番組がありました。あれは不幸な女性しか出てはいけないという内規があったと見て間違いないでしょう。デビ夫人や叶姉妹が、億する宝石をして出てきた日にゃ、殴ってますね^^。でもガラシャは実際そこそこはあったような気がいたします。

で、長くなったので本題はさらっと。

漢王朝の軍師・張良は、文弱タイプではあったようですが、きれいなタイプだったみたいです。絵がないのがなんですが。咳き込みながら学問する明治の文士みたいな感じなのかもしれません。

三蔵法師こと玄奘は、中国の高僧の中ではぴかいちの二枚目だったようです。一般的に伝奇はほめて書くので、図像のない時代ですし、差し引いて考える必要があります。しかし、玄奘の伝記の場合、僧侶の伝記で他の高僧の容貌は美醜の意味では、さほどほめていないことや、詳しくほめている点から、実際にそうであったと思って良いと思います。
唐の皇帝では、玄宗も二枚目だったようですが、皇帝になってくると、そのへんは疑う要素が増えてしまいます。音楽に詳しく芸術に優れているので、優雅ではあったと思いますが。

ちなみに、玄奘さんは中国の坊さんですが、インドまで含めると、お釈迦様の弟子で阿難(アーナンダ)という人が大変二枚目だったと言われています。もちろん絵はないのですが、女性にずいぶん言い寄られて、修行できなかったと書かれているそうです。←えーと、ちょっとむかつく話かもしれません(汗)
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この回答へのお礼

>あれから、中国史のほうの男前にについて考えていました
それは、どうもありがとうございます!

>質問者様は女性かと思いますが、昼日中から歴史上の二枚目を考えてる自分(男)って・・。
爆笑してしまいました。(お察しの通り、女性です^^)

漢王朝の軍師・張良は知りませんでしたけど、刀を振り回す武人よりも軍師の方が
白皙の美青年というのはありそうですね~(^^)
玄奘は、日本では女性が演じる傾向になっていますけど、美男だったということは関係ないでしょうね。
阿難(アーナンダ)有名ですけど、お母さんが地獄に落ちた方でしたっけ?
あとで調べてみます。
でも、女性に言い寄られて修行が出来なかったなんて、可哀相なのか幸せなのか分かりませんね!!

詳しくどうもありがとうございました!

お礼日時:2006/03/14 18:15

サンジェルマン伯爵(1710年? - 1784年)錬金術師


かなりのハンサムだったようです。

ジル・ド・レイ(1404年 - 1440年10月26日)
ジャンヌ・ダルクと行動をともにした救国の英雄。
美男子だったと何かで読んだ記憶があります。

ラファエロ
http://www.geocities.jp/yumeututuyakata/raphael. …
結構美男子だと思う。

マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ
(1876年8月7日 - 1917年10月15日)
芸名マタ・ハリ
美人だと思います。
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この回答へのお礼

検索しましたら、ウィキペディアにありました。
サンジェルマン伯爵、ミステリアスな人ですね~!

ジル・ド・レ(青髭のモデル)ですよね??
そういえば、サド侯爵も若い頃は美青年だったと聞いたことがあります。
ラファエロはパン屋の娘か何かを描いた絵「ラ・何とか」が好きです。(ラ・フォルナリーナ)
ラファエロも女性にモテたでしょうね。
ダ・ヴィンチは同性愛者だったそうですけど、若い頃は力持ちだけど手指の美しい美青年だった
と聞いたことがあるように思います(^^)

どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/03/14 17:41

ナポレオン!


教科書に載っている写真は
すごくりりしくカッコイイですよ☆

背が低かったらしいですが‥σ(^_^;)
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この回答へのお礼

ナポレオンのカッコいい肖像は、ジョゼフィーヌがパリ市民の人気取りの為に
美化して描かせたとTVでやっていました。
ダヴィッドの描いたものでしょうか?
馬ではなく、本当はラバ(ロバだったかもしれません)に乗っていたそうです。
背も低くて、中年以降はお腹も出てきて、禿げていたそうですよね。

美化した肖像画って怖いですよね?
どうもありがとうございました(^^)

お礼日時:2006/03/14 17:28

三国志で有名な、呉の周瑜公瑾でしょうか。


その風貌から美周郎とも言われていたそうです。

ちなみに三国志演義の周瑜は諸葛亮を引き立てる為に狭量な人物として描かれていますが、正史では軍略は諸葛亮にも勝るだろうと言われている度量の大きい人物として描かれています。
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この回答へのお礼

三国志、全く分からないのですよね…。
生涯かけても読めないでしょうし、せめて「三国志演義」位は読んでおこうと思うのですけど…。

美周郎と呼ばれていたくらいですから、美男子だったのでしょうね!
諸葛孔明くらいは分かるのですけど、マンガ三国志でも読めば分かるかもしれませんね!

どうもありがとうございました(^^)

お礼日時:2006/03/14 17:33

土方歳三がいいと思います。



写真を見てもめっちゃかっこいいですよ
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この回答へのお礼

やっぱりそうですよね~~(^^)
それがきっかけで、山本耕二さんも好きになってしまったくらいで…。
新春の五稜郭が舞台のドラマも面白くて最高でした!!

お礼日時:2006/03/14 16:38

度々お邪魔してすいません。


実は私「大正天皇」の隠れファンなので

>頭の中身の方には少々問題がおありだったそうですが

に関して一言。
天皇は健康に恵まれず、学習院も休みがちのため留年されて、結局退学していますが、成績は15人中9番目で、これもある程度のレベルの子供を集めた学校での成績ですから、世間で言われるような、頭の悪い方ではなかったようです。
勉学は理数系は苦手だったようですが、文系は得意で、自発的に朝鮮語も学ばれ、会話も出来たそうです。
私が大正天皇が好きなのは、帝が気さくな性格で、皇太子時代に全国を回っていたときに、お付とはぐれ、庶民の家に入り込んでお茶を飲まれたとか、各県の知事と親しく話をされたとか、少なくとも即位される前は溌剌とした方だったようです。
即位後は健康を害され、脳膜炎の後遺症もあって誤解される行動もあったようですが、私は現在の雅子さまのご様子を見るに、自由闊達な性格ですから、天皇として規律正しい行動を要求されたことにより適応障害が出て、心身が壊れてしまったのではないかと考えています。

余分なことですいません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/upload/b/bf/Yoshihito.jpg
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この回答へのお礼

再度お寄りいただきまして、ありがとうございます。
明治時代と昭和の間ですけど、時代は華やかだったはずですよね。
お気の毒な方だと思います。
たいへん詳しくありがとうございました(^^)

お礼日時:2006/03/14 15:53

23です。


編集していたら、途中が抜けて意味不明になっていました。細川ガラシャと、明智光秀は親子ですので、美人の誉れが高い娘と、なかなか二枚目の父と、つじつまが合うと書きたかったのです。

ガラシャの画像、残されていたように思いましたが、記憶違いなのか、でてきません。
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この回答へのお礼

ガラシャは悲劇の聖女としてヨーロッパに紹介され、「GRATIA(スペル違うかも)」グラーティアというオペラにされたそうです。
おたあジュリアももう少し有名でもいいと思うのですけど。
どうもありがとうございました(^^)

お礼日時:2006/03/14 15:50

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