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「ジーコは日本サッカーに多大な貢献をしてくれた」
「ジーコは日本サッカーの地位向上に努めてくれた」
そういう意見を聞くことがたびたびあります。だけど具体的にどのようにジーコが日本サッカーに貢献してくれたのかわかりません。
そこでどなたか具体的に教えてください。
「ジーコは日本サッカーにどのように貢献してくれたのか?」

例えば、「アントラーズの基礎を気づいたのは宮本征勝氏なのかジーコなのか?」

「選手として、ストイコビッチ、リトバルスキー、ディアスなどと比較して、どの点でジーコの貢献が光っているのか?」

「クラブの指導的役割として、アルディレスやオシム、ベンゲル、ニカノール、岡田、バクスター、ブッフバルトなどと比較してどの点が優れているのか?」

また「アントラーズを強くしてきたのは歴代監督なのかジーコなのか?」
どなたかよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

川渕三郎キャプテンと直に話をする機会がありジーコのことについて話していたことを記載します。


Jリーグ構想が出始めた頃、当時2部の住友金属をJリーグ入りさせたくなかったJリーグはスタジアム問題を出せば99.99%諦めるだろうと思っていたそうです。しかし鹿島側がその条件をクリアしビッグネームであるジーコを連れてきたので参加を認めざるをえなかったそうです。
知ってのとおり鹿島は初代チャンピオンとなり地域に密着した強いチームとなりました。で、今の鹿島があるのはジーコが大きく影響しているからだ。と言っていました。
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日本代表監督としての手腕はまだ意見が分かれるところですが、選手時代に日本サッカーに貢献したことは間違いありません。


Jリーグ最初のハットトリック達成者で、最年長ゴールの記録も保持しています。

まず、JSL2部だった住友金属サッカー部が初年度からのJリーグ加盟を許されたのには、ジーコの存在が大きく働きました。
初代監督だった宮本征勝氏は、その前に本田技研の監督を勤めていたため、長谷川祥之、黒崎比差支、本田泰人など本田技研にいた選手を多く連れてきました。
一方でジーコはアルシンドを連れてきたり、ブラジル人脈を活かした外国籍選手の招聘に力を発揮しました。
また日本人選手でも「あのジーコがいるクラブだから」と入団を決めた選手がいるようです。
アントラーズの基礎を築いたのはどちらか一方だけでなく、宮本氏とジーコの相乗効果といえると思います。

選手としての大きな貢献は、日本に来た時期の早さ、それに来日前からの知名度の高さにあると思います。
ジーコが来日したのは91年、まだJSLの頃。
しかもJSLの2部で、実際に試合にも出ています。
これが「あのジーコがいるリーグなら」と、他のクラブによる外国籍選手招聘にもプラスに働いたことは間違いありません。
そしてリネカーなどと違い、Jリーグが始まってからも試合で中心的活躍をすることで、アントラーズだけでなくリーグ全体を盛り上げていきました。
恥ずかしながら、私はJリーグが始まってからサッカーファンになったので、リトバルスキーやディアス、ストイコビッチなどの名前は来日するまで知りませんでした。
そういうサッカー無知な人間にも名前が知られていて、アピール効果があった、そんな選手はジーコ以外にいないと思います。

ジーコが現役引退してからも、アントラーズへの影響力はずっと残っています。
日本代表監督になるまでずっとテクニカルアドバイザーを勤め、昨季までのトニーニョ・セレーゾ監督や実兄のエドゥーをはじめブラジル人の選手・スタッフ招聘にも大きな役割を果たしています。
ジーコの作ったブラジルのクラブチーム「CFZ・ド・リオ」には鈴木隆行や野沢拓也、池内友彦(現コンサドーレ)などの選手が所属したことがあり、若手育成にも寄与しました。
アントラーズの強化にジーコの力が大きく作用したのは疑いようもありませんが、しかし一個人の力だけでチーム全体が強くなることはありません。
歴代の監督やコーチ、経営スタッフの努力も大きいでしょう。

最後にクラブの指導的役割ですが・・・ジーコにはクラブチームの監督の経験はありません。
無尽蔵に有力選手を連れて来れる代表監督と、限られた所属選手で1年を戦うクラブの監督では、起用や戦術、指導法など一様に比較はできないでしょう。

以上には私の憶測も含まれていますので、参考URLの情報もぜひご覧ください。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%BC% …
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