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また、会衆(協会)として虐待を推奨していますか。

誹謗中傷では無く、事実を教えてください。

A 回答 (80件中71~80件)

随分古いスレだったんですが、思わず回答します。


質問の件ですが、現役信者はそう思っていないです。加えて、懲らしめの鞭に参加しない若い主婦の姉妹を、年配の姉妹が上手に××します。むしろ、児童虐待より、こっちの方が問題は深刻です。(モラルハラスメント・パワーハラスメント・ネグレクト)
現実をよく観察しましょう。被害者の声に耳を傾けてください。
http://www.alles.or.jp/~philip/jw%20child.html
http://www.jwic.com/home_j.htm
http://www.d2.dion.ne.jp/~majinbuu/index.htm
http://yosh.exjw.org/
http://fadeoutjw.web.fc2.com/

数年前に、アメリカで、児童×××をしている現役長老を、TV番組で暴露した現役信者が、「中傷」で排斥(エホバの証人を懲戒免職になる事)されました。(児童×××をしていた現役長老はおとがめ無し)
http://www.d2.dion.ne.jp/~majinbuu/nbc.htm
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何を持って独特とするかはむずかしいところですね。


家によって教えることは違うでしょうし。

推奨はしていません。機関誌であるものみの塔は一般の人にも広く読まれていますから明らかですが、虐待はおろか暴力によって子供を躾けるようにとは1度も書かれていませんよ。

私自身70年代にエホバの証人の親に育てられ躾けられましたが虐待されたとは思っていませんし、そのような事実もないです。

特に最近は教え諭すことに重きを置いていますし、鞭をしているところを見ることもありませんね。(世間一般の尺度で見ても躾が甘すぎると思える親も結構多いですね。ある意味自由放任のような・・・。)
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私は中部地方のJW家族です。


私には子どもが3人います。
悪い事をした時など(以下に程度の例えを記します。)は放任するのではなく罰をあたえる事があります。
例)私の前で兄弟喧嘩をしました。下の子のおもちゃを下の子が遊んでいるところに上の子が貸してほしいと言ったところ、下の子は「いやだ」と言い切って喧嘩が始まりました。最初は当人らで解決出来れば思っていた所、次の瞬間に上の子がいきなり下の子を押して倒してしまい下の子が後ろに倒れて頭を打って怪我をしたのです。
私はそのとき、先ずは下の子供の治療を優先しました。そして落ち着いてから上の子を呼んで叱りました。この時に上の子は下の子の怪我をひどく気にしており後悔していたので私はこうなった原因は譲り合いがなかった事と暴力がいけない事だと出来るだけ子供にも分かるように時間をかけて説明しました。
例2)親の言う事を全く聞かずに、何度も同じ過ちを繰り返す事があった時には、お尻を私は自分の手で叩いた事があります。子供は泣きましたが私は子供にとって必要だと思ったのでおしりを叩きました。しかし虐待が目的ではありません、懲らしめを怠るといけない時に子を想う親として判断しました。間違ってもアザが生じるほどのものではありません。
・・・こうして文章にしてみると状況を説明する事が本当に難しくおもいます。
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私は昔(と言っても、抜けたのは7・8年前です)やっていました。


母に連れられて、物心つく前から15・16歳くらいまで聖書のある暮らしをしてきました。
ある程度になって、自分から止めました。

結論からいうと、私のいた会衆では躾が厳しいと思われる家庭がほとんどでした。
言い聞かせる事がメインで、めったに手をあげないお母さんは影で、「甘い」と言われていたのも事実です。
家は母子家庭だったので、その辺の苦労も手伝ってか特に我が家は今で言う虐待と思われるような暴力も日常的でした。

会衆から去ったのは、聖書には親を敬うようにと子どもに向けての言葉があったのですが、とてもじゃないけれど、尊敬に値するような親ではないと思い始めたのと、周りもそれが当たり前の空気だったからです。

あまりにも厳しく躾けられたからなのか、私と同じ世代から3・4歳年上くらいまでの2世と言われる親から学んだ子どもたちは、私が止めようと思った時期に次から次へとボロボロ止めていきました。
毎週、集会で断絶や排斥の伝えがありましたよ。
私は、ある日を境に親から逃げるように突然家を出たので、それっきりになっています。(母とは和解しています)

現在は、地元を遠く離れた都会暮らしで、普通に一般人と結婚し子どももおります。
たまたま、家へこちらのエホバの証人が来られて、少しお話した事がありました。
そこで、びっくりした事があり・・・
都会だからなのか?謎ですが、私のいた会衆の色とは全く違う感じでした。
私のいた所では、流行の服を着るだけで「悪」とみなされるのが当たり前でした。
ですが、こちらは普通に可愛いおしゃれな格好しているんですよね。

つまりは、場所によって大きく違うのでしょうね(^^;;
他にも差と思われる事が沢山ありましたが、最初からこちらにいれば私の人生ももっと違ったのかな?と思う時もあります。

だからといって、もう、一度ついた不信感は拭えないので戻ることはせずにお断りしましたが(笑)

私のいたド田舎の会衆では、躾と称する暴力は集会中でも、日常でも当たり前だったのは事実です。
それを親が、誰からか止められる事もありませんでした。
おかげさまで、厳しく育てられた分、年相応以上の精神年齢になっていたと思いますよ。特に、思春期にはそれが強く思われました。
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#1&#3です。



正直いいますと、私も会衆に所属していたことがあります。親は今も現役です。
1970年代に私は参加していましたが、質問者様が書いておられるような「強制的」なことはなかったです。

そのころに比べると、言論の自由や、男女平等、宗教の自由などをおおっぴらに出来るようになったので、目立っただけかと思います。

どうしても親のやり方が嫌な子供は 中学・高校くらいになると会衆から抜けています。虐待・体罰のようなやり方だったとしても(そういう事実はないと断言しますが)、本人が理解して納得していれば続けています。

私が小学生だった頃は~わざわざ「国旗に向かってXXできない」とわ言わずに、「XXしているふり」をすれば良いことでした。お葬式でも(現在でも)焼香はしないけど写真に向かっての一礼くらいはしますよ?


お正月、お節句、七夕、クリスマス等の禁止…それはその宗教の教えですから… 他の神様のやってることに参加するのは意味ないと思います。
エホバの証人以外でも、自分が信じる神様がイチバンだと信念を持っている人なら、他の神様には見向きもしないと思いますが どうでしょうか?

私は今はエホバの証人ではないし(ちょっと勉強しただけ)、今も特別何かの宗教をやっているわけではないですが、今の日本人の 教会で結婚式をして、クリスマスをやって、七五三をして、葬式はお坊さんというのは節操がなさ過ぎだと思います。

私のまわりでは実際にそういう(虐待のような躾の)事実はありません。断言します。

※どこか他の会衆ではあるのかもしれないですが~金銭が絡むような指導はされていないはずなのに、寄付を(結果として)強制するような勘違いをしている長老も居るようです。これも事実。やっぱり人間ですから・・
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回答に対する補足への返信で書いております。

このように返信していいのか分からないのですが、間違っていたらすみません。

さて、いくつかご回答させていただきます。
私は現役のJWです。信者になって23年です。私の人生のライフスタイルとしてJWの活動を楽しんでいます。ちなみに社会的には普通の人です。小さな会社の経営しており、妻が居て、猫が好きな男性です。

>児童虐待に当るような躾を行っている親は一部の人で>ある。また、会衆(長老やベテラン姉妹)として普通
>でない躾や愛のムチ(体罰や虐待)は推奨、指導して
>いない。
そうですね。その通りです。また一般的に宗教(JWなど)にかかわりなく虐待に当たるような躾または懲らしめをされてる方は多く見られますね。それはその親自身が子供の頃に児童虐待を受けている経験が多くトラウマが原因であると言われていますね。
本当にこれは残念なことです。
ただ70年代に行過ぎた躾はあったと思います。今で言う児童虐待Child abuseというような状況はあったかもしれません。ですが、当時日本ではそのような見方も言葉も用いられていない状況で、そういった認識はなかったようです。これはJWの世界だけでなく日本人の世間一般の見方です。日本人は儒教の影響で厳しく躾けるのが美徳と考えられ昭和初期の子供たちは厳しく躾けられたでしょう。
さて、何をもって児童虐待と呼ぶのでしょうか。1962年にアメリカで初めてこの表現が使われてその後とりわけ、子供に対する性的な虐待をそのように呼んでいました。その後日本でも90年代になってこの児童虐待という言葉が使われるようになりました。
性的なまた身体の危険を生じさせる虐待それはムチを使うなどではなく、銃を突きつける、灼熱の車内へ放置する、致命的な暴行、性的な暴行などです。
日本でも確かにその傾向が近年見られるようになり社会問題となっています。

話を戻しますと、JWの間で70年代にハルマゲドンへの強い期待から児童虐待をしたというのは少し着眼点が違うと思います。もちろんそう理解されても仕方がない状況があったのかもしれません。しかし多くの日本人の親は基本的に厳しくJWでなくてもこの時代は体罰を普通に行っていました。学校教育でも体罰の問題が発生したのは80年代です。昔は学校でもたたかれるのは普通でしたね。
ですからその時代のJWがその影響を受けるのは当然であること、そして先回書きました一部の人たちの懲らしめに関する極端な解釈の結果がそのように感じさせたと私は思います。

もう一つ終末論ですが、確かに終わりが来ることにJWはいつの時代も備えてきました。なぜならそれは自分と人の命を救うことになり、そのことに強い関心を持っているからです。
聖書預言の理解は完全ではありません。ご存知の通り漸進的です。今でももちろんすべてが分かっている訳ではありません。なので信者でなければすべて抹殺されるのではなく、世の改善がなされるときに、私たちは命を大切にして行動したいと考えています。
終わりが来ても来なくても(自分が生きている間に)エホバの方法で聖書に書かれてる行き方は物事が良く運び幸福だからです。結果生き残ることができるかもしれません。
JWだけが生き残るとは聖書には書かれていません。
また今後どのように神がハルマゲドンの間に行動されるかそれも正確にはわかりません。
分かるのは神の性格、特質、これまでの行動の指針から、愛のある納得の行く方法を取られると思います。

長くなって申し訳ありません。質問の意図と変わってしまったかもしれませんね。

少しでもJWに対して見方が良くなればいいなと感じております。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

追伸:毎年何万人という人が聖書に関心を持ちJWと交わるようになっています。その中には精神的な問題を持っている方、子供の頃のトラウマなどがあり問題を抱えている人が多くおられます。すぐに改善できるわけでもなくJWになっても問題を持つことはあり得ます。
少しずつ改善できれば嬉しいことです。
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会衆(協会)として虐待は推奨していませんよ。


一部の人たちが極端に解釈して厳しく子供を懲らしめてそのように感じさせるきらいがありますが、
全体としてまた正確には虐待になるような懲らしめは教えていません。
聖書には懲らしめにむち棒を使うとありますが、それは文字通りのむちではなく、そっと方向付けるようなことを意味しています。
子供が3歳までにはある程度の懲らしめが必要であることは多くの一般的な児童心理学者や教育者が認めているとおりです。
ですが、子供がある程度大きくなってからは懲らしめではなく諭しを与えるように勧めています。
よく言い聞かせることが必要であるということです。

すべての状況をご説明するのは難しいですが、JWが児童虐待を推奨しているというのは全くの誤解であり間違いであることをご理解いただければ幸いです。

どんな世界でもそうですが 教えられいる内容を完全に行うことは難しいですね。同様に一部のJWが虐待と取られるような行動をしているならそれは残念なことです。

どうぞ偏見なしに見ていただければ幸いです。

この回答への補足

正直、お話の中の矛盾や私の知っている事実との相違は感じましたが、偏見なく素直な気持ちで解釈させて頂きました。

回答者様は最近(ここ数年)エホバの証人(又は経験者か研究生)になられた方であり、所属されている会衆では多数の親が一般的な躾を行っており、児童虐待に当るような躾を行っている親は一部の人である。また、会衆(長老やベテラン姉妹)として普通でない躾や愛のムチ(体罰や虐待)は推奨、指導していない。

と理解させて頂きましたが、よろしいでしょうか。児童虐待の事実が少しでも減っている(無くなっている)様なので、安心いたしました。良かったです。

ただ「子は親に、妻は夫に従う、そして当然全ての者はエホバに従う」の考え方のもと、エホバの証人の女性差別や児童虐待(女性軽視、子供軽視)は完全には無くならないのでは、とも正直思っています。

過去数十年で児童虐待が一番ひどかったのは、1970年代前半です。当時はハルマゲドン(この世の終りで、エホバの証人以外は皆殺しになる)を目前に控え、親もむきになって(体罰を超えた異常な躾、虐待で)子供にエホバの教えを徹底していました。当時に比べれば、確かに良い方向に向かっている様な気はします。

関連して思うことは、当時エホバの証人が「ハルマゲドン」が来るのをもの凄く意識した事、死ぬのが嫌で信者が増えた事ですね。結局ハルマゲドンは来ませんでしたが。そのため1970年代後半以降、エホバの証人を辞める人が多々いたのも事実です。現在ではエホバの証人幹部は、ハルマゲドンの時期について言及言明した事はないと否定していますが、当時、長老やベテラン姉妹等が先頭にたち、会衆一丸となりハルマゲドンが来ると言って、この世の終りに備えていたのは紛れも無い事実です。

このような経緯もあり、現在では「復活」(エホバの力で死んだ人が生き返る事)を希望に、家族が亡くなった方や、親しい方が亡くなった方が、愛する人との再会を楽しみにして入信する場合が増えた様です。

「ハルマゲドン」「復活」「さらなる淘汰」が終り、この世の者が全て抹殺されて、エホバの証人だけの完全なる人だけの楽園を、夢にしているのは今も昔も変わらない様ですが。

補足日時:2006/04/16 19:14
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この回答へのお礼

補足欄に色々と記載させて頂きました、回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/16 19:10

#1です



>「してません」と言うのは、私の知っている事実(質問内容)の否定でしょうか?

そうです。

家族・親戚にエホバの証人がいます。同級生などにもいます。

子供の虐待というのはきいたことがありません。
関係者に聞いても推奨はしていませんよ?????

私自身はエホバの証人ではありませんから、外側から見ているわけですが…ニュースなどでも聞いたことがないのですが。

一般的な躾というレベルでなら…普通の家庭と同じですけど。口で言って判る子供にはゲンコツも必要ないわけですから。普通の家庭と変りませんよ?

事件があったのかどうか私は知りませんが、その家庭ではどの宗教であってもその事件を起こしたような気がします。エホバの証人とは別の次元の問題のような気がしますけど…

この回答への補足

再度のお答えありがとうございます。

虐待、体罰、躾・・・確かに人により表現は違いますよね。私は客観的に観て、暴力を伴った理不尽な躾→虐待と表現しました。(体罰や一般的な躾とはチョット違う感じです)

一般の子供たちが楽しみにしている様な事はほとんど禁止。逆に普通の子供には必要ない様な様々な事を強制する。これらを実行させる為に暴力も使う。と言う事です。

例えば・・・

お正月、お節句、七夕、クリスマス等の禁止。もちろん自分のお誕生日も祝ってもらえない。普通の子が見たがる様なテレビ(ウルトラマンや仮面ライダーやポケモン等)はほとんど禁止。校歌や国歌は禁止。

週3回(計5時間)の集会への出席。小中学生なら週末、幼児ならばほぼ毎日の伝道。親や兄弟姉妹(一般で言う兄弟姉妹ではなく、信者の事です)との聖書研究。

等々書き出せばきりがありません。集会中(1~2時間)ひたすら無言で、静かに着席(会場によっては正座)している子供達は、私からしてみれば異常で北朝鮮の様です。良い見方をすれば立派に躾けられた子供達ですね。

これらの事を強制する為に暴力(愛のムチ)を振るう。下半身を裸にしてお尻を叩く。手で叩く場合もありますが、一番多いのが大人用の皮ベルトですね。しかも思いっきり力いっぱい5~10発が平均でしょうか。子供のお尻はみみずばれ、血がにじむ事も多々あります。

もちろん急に叩く訳ではありません。集会中の例で言うならば・・・幼児がグズル→口で注意→数分後またグズル→トイレに連れ出し暴力(愛のムチ)→家に帰ってから細かく注意をして、さらに暴力(愛のムチ)

エホバの証人は人前では子供に暴力を振るいません。集会中や家庭内で暴力(愛のムチ)を行います。回答者様がこれらの事実を見聞きされないのは、当然かもしれません。関係者に「虐待してますか」と聞けばもちろん否定するでしょう。彼らにしてみれば子供を幸せにする為の、エホバ(聖書)の教えを徹底する為の愛のムチですから。

上記の様な事を書くと私がエホバの証人が嫌いで、ネット上の掲示板でありがちな、けなし合いや誹謗中傷合戦、論争を望んでるように思われそうで怖いのですが、決してそうではありません。エホバの証人の教えや、数年前までの児童虐待の事実については良く知っていますので。ただ、最近ご近所の方がエホバの証人になられて、子供に暴力を振るうようになったので、相変わらず変わらないのかなぁと思い質問をしてみました。

大人は自由に宗教(エホバの証人)を選べば良いと思います。ただ、それによって人生を左右されてしまう子供達はかわいそうだなぁ、とは思います。

私は、個人としてのエホバの証人は好きです。いまどき彼らほどマジメで勤勉な人達はいませんよね、正直者で嘘つかないし、ズルくないし。回答者様の理論でいくと、彼らは他の宗教やってても良い人だったのかなぁ・・・

長文の為お礼欄には書ききれませんでした、補足欄を使ってのお礼とさせて頂きます。ありがとうございました。

補足日時:2006/04/14 03:27
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この回答へのお礼

ココから先は、もしよろしければお付き合いください。

私が記載しました事はまぎれも無く全て事実です。ネット上の噂や浅はかな知識に基づく、いい加減な内容ではありません。

エホバの証人の家庭と一般家庭の子供の躾(方針や方法)は、決して同じではありません。あきらかに異なります。

ご家族にエホバの証人がいらっしゃる様なので、私の記載しました事を話してみてください。彼らは基本的に嘘をつきませんので、事実確認が出来ると思います。その上で私の質問「現在でも上記内容が行われているのか」を聞いてもらえないでしょうか。

現役のエホバの証人の方のお答えを頂ければ、嬉しく思います。

お礼日時:2006/04/14 15:03

こんにちは。



難しい問題ですね。推奨している・・・と言えば、推奨している事になるのでしょう(部外者から見れば)
教義の中で、「『子供たち』をその行くべき道にしたがって育て上げなさい』」と言う聖句の下、子供を導く為に、懲らしめによって子供に愛を示す事を是として挙げているのですから、それを否としてしまっては、教理に反すると思います。

ただ、それはあくまでストイック性を重んじる宗教なればこそのもので、子供に対しても厳格を求めているだけの事ですから、体罰と言う方が妥当で、虐待とは言えないのではないでしょうか。厳格だった昔のアメリカ(プロテスタント)などでも、子供たちは日常的に、懲らしめの為に鞭打たれる事は、当たり前の事でした。
しかし、そこに「狂信・盲信」と言うベールが掛かった事によって、以前にもあった「エホバの証人」に於けるせっかん死の事件などにも繋がるのだと思います。

宗教は隔離された場所で行うものが多いので、はっきりした事は部外者には何とも言えないのが実情ですが、教理から鑑みて、「体罰は推奨している、しかし、虐待は推奨していない」と見るほうが良いと思います。
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この回答へのお礼

的確なお答え、ありがとうございます。

やはり現在でも虐待(体罰)は行われていて、推奨されているみたいですね、残念です。

家の前の方が、一年ほど前にエホバの証人になりました。以前は無かったのですが、最近子供をたたく音が頻繁に聞こえるようになり、子供の「ママやめて~たすけて~」と言う叫び声を聞くと、胸が痛くなります。

数十年前から数年前までは虐待が現実に行われていた事は現実として知っていましたが、最近の現状はどうなのだろうか、変わっていないのかなぁと思いました。

言葉(虐待、体罰)のご指摘については、主観的なものも関係しますので、人により感じ方や表現が違うという事で良く理解できます。エホバの証人にしてみれば愛(愛のムチ)の様ですし。。。

お礼日時:2006/04/10 17:08

最初からしてません。

この回答への補足

お答えありがとうございます。

ただ、回答者様の回答が私の質問と噛み合っておらず、正直チョット理解できません・・・すみません。

「最初から」と言うのは、
エホバやイエスの事ですか?
アダムとエバのことですか?
ラッセル氏やラザフォード氏の事ですか?

「してません」と言うのは、
私の知っている事実(質問内容)の否定でしょうか?

お答えの真意が良く分かりません。どの様な立場の方で、どの様な根拠に基ずくお話なのか、もう少し詳細をご説明いただけますでしょうか。

お手数をお掛けして申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

補足日時:2006/04/10 16:32
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この回答へのお礼

私の質問文の表現が分かりにくい(悪い)様なので補足させて頂きます。

エホバの証人は現在でも子供に独特の教育や躾をしていますか、そのための方法として愛のムチ(体罰)を行っていますか。また、会衆(協会)としてそれらを推奨していますか。

この文章であれば誤解を生じないと思います。エホバの証人の方からも、お答え頂けると嬉しく思います。

お礼日時:2006/04/16 20:06
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