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「願いが叶うよ」、「祈りが通じるよ」、宗教の勧誘文句や、
成功哲学の本の中では、よく言われる事ですが、
『自分が努力する』+『祈る』だったらそんな事もありえると思いますが、
他人に対して、それも会わない人に対して、祈りが
「病気が治りますように」「合格しますように」「好きになりますように」「死ね」
みたいな、第3者に対して、結果において作用を及ぼすものでしょうか?

超能力とか念ってありますか?と同じレベルの質問かもしれませんが、
科学?心理学?哲学的な祈りの叶うメカニズムを教えて下さい。

A 回答 (6件)

5です。


URLが移転した?みたいです。

こんどはこっち。

http://www.asahi.com/health/news/TKY200604010117 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「祈りの効果」で検索したら、色々、出てきました。
この記事は効果が無いのでは?との事ですね。

ヒントがつかめそうです。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/28 05:53

これからの研究結果で変わることもあるかもしれませんし、研究方法も細かく検討する必要がありますが、


最近ニュースでこういうのが流れました。

http://www.asahi.com/international/update/0401/0 …

今回の実験結果に限っていえば、祈ってることを知らせると、かえって重荷になるという意外な結果が出ています。

祈りが通じるということを想定したいところですが、そう簡単に顕著に効果があるというような問題ではないことは確かなようです。
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私は通じてるような気がします。

科学的に証明は出来ないので気がするとしかいえないですが、

 人間て皆繋がってるような気がするんですよね。相手の顔を思って
何か考えるだけで相手は僅かに影響を受けているような気がする。
それは時として相手に大きな影響を与えてるような気がします。(偶然の出来事という形を取りながら)
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この回答へのお礼

>人間て皆繋がってるような気がするんですよね。

これですね。私も感覚的にはそうじゃないかな?って気がしてるのですが
これを何とか証明できないかなと思っています。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/28 05:49

「祈り」が「結果や第三者に対して作用を及ぼすか」を論じる前にまず「祈り」とは何なのか?から整理していきます。



人の行動のプロセスを細分化して大まかにすると

考え→行動

というプロセスを踏んでいます。(もちろん逆もアリです)

「考える」だけを「祈り」とは言いません。
その後「行動」としてあるから「祈り」と呼ばれるのです。

「祈り」なら語尾には必ず「~しますように」とついています。

更にこれを細かく言えば「~しますように、お願いします」となって初めて「祈り」として成立しています。

「~だったらいいなぁ」は「考え」だけです、しかし後に「お願いします」とついたとすれば「祈り」になります。

「祈り」の対象は自分か他人でも
「祈り」として「お願いを受け付けてくれる対象」は自分でも他人でもなく「それ以外の何か」であると言うことです。

例えば
「死ね」も省略前に戻せば「死にますように(お願いします)」となります。

「死ね」なら対象がそのまま他人だと思いますが願望ですので細かくすれば
「死にますように(お願いします)」となり、やはり「お願いを受けている対象」は別です

「他人が自分に~しますように」と言う祈りでも対象は他人でも「お願いを受けている対象」は別です。

ただ言えることは
「祈り」の結果、自分にとって不快な結果なら「お願いを受けている対象」を疑い、自分にとって都合の良い結果なら信じる、と言う人間の都合の方が先行していると言うことです。

(のにもかかわらず自分に都合が悪ければ「お願いを受けている対象」を疑うのに自分に都合がよければ「自分を信じる」傾向が多いのはなぜでしょうね・・・・?)

長文になりましたが結論です。

自分自身のことに対した「祈り(願望)」は自分の「行動」に対する「考え」の向上につながるのでその結果の良否には関係なく何らかの「作用は及ぼす」でしょう。(逆に肯定的に「~します」と先に言い切ればもっとその作用は大きくなるのではないでしょうか)

「祈り(願望)」が「第3者に対して作用を及ぼす」のは「自分が結果的に作用を及ぼさせたか否か」と言う判断によると思います。
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この回答へのお礼

祈りの対象が何なのか?誰に祈っているのか?
・・・確かに重要な点でした。

>人間の都合が先行する
確かに結果においては都合よく考えてしまいますね。
「あいつが勝負に勝ったのは俺が祈ったおかげだ」
みたいな。

その「結果」が自分のおかげだとの「原因」とするように
原因と結果が逆になるケースが多いのかもしれません。

それでも、私的には「原因」→「結果」の証明ができたら
いいなと思っています。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/27 07:15

>祈りが~第3者に対して、結果において作用を及ぼすものでしょうか?


:直接的な因果関係は全く無いと断言して良いと思います。
【直接的な】と限定したのは、祈り(あるいは呪詛)の対象者が、自らがその対象になっていると気付いていない場合は、という意味です。


自分がその対象になっていることがわかっている場合は、祈り自体ではなく「自分が祈りの対象になっている」という認識が精神の作用に影響を及ぼすことは全ての人がそうなるとは限りませんが十分考えられます。
その祈り(あるいは呪詛)が、ある意味での(プラスまたはマイナスの)動機付けとして機能することも可能だろうということでもあります。
ですから、この場合であっても本人の受け止め方次第ということであって、祈りそのものとの因果関係は全くないと考えるべきでしょう。


ただ、祈りの対象になっているという認識が本人に全く無い(本人が全く知らない)場合でも、その祈りなり呪詛の内容通りになることはあります。
たとえば
「病気が治りますように」と言わなくても治る人は治るし、
「合格しますように」と言わなくても合格する人はいます。
「好きになりますように」と言わなくとも好きになる場合もあるし、
「死ね」と言われなくても死ぬ場合もあるということです。
祈りや呪詛が適う割合というのは、祈りや呪詛が無かった場合の割合と殆んど大差はないはずだということです。
つまりは結果論にすぎないのであって、相手が全く知らない状況でも祈りが結果に作用を及ぼすと言えるのは、祈りがなかった場合に結果として現われる確率を大幅に上回っていることが証明される必要があるでしょう。
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この回答へのお礼

確かに祈りの効用を証明するには、祈りのあるなしが結果に及ぼした、
数値的証明が必要ですね。→大納得です。
因果関係のあるなしは重要ですね。祈りを受けたほうが認識していない
場合、因果関係が無い訳ですから・・・

昔 テレビにあったのですが、赤ちゃんが病気して、お母さんの
母親(おばあちゃん)に連絡したら、おばあちゃんがお百度参りをして
くれて、赤ちゃんの病気が治った。と言うのは、おばあちゃんの祈りが
通じたと思っていました。でも、
たしかに因果関係という点では疑問ですね。
お百度参りをしなくても治ったかもしれない可能性も高いですね。
そこに見えない何かが無ければ・・・
その見えない何かを、おぼろげながら半信半疑では信じているのですが、
その何かを知りたいと思っています。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/27 06:59

これは信じる信じないの世界ですから、どのように回答しても正解は無いと思います。



さて他人に対する、祈りとか呪詛は日本では言霊信仰と結びつけられています。
たとえば、飛行機に乗ろうとする人に「きっと落っこちるよ」言ったら、縁起でもないと怒られますし、それで本当に落ちようものなら、あんたが「落ちる」と言ったからだ、と責められるのは容易に想像がつきます。
でも、本当は関係ないですよね。

このような、言葉に出したことが実際に起こる、と日本人が信じていることを言霊信仰といいます。ですから迷信だとしても、無意識にそのように思っていますから、軽々しく扱うわけにはいきません。

ちなみにキリスト教などの一神教での祈りは、天の神様に人間界で起こっている不正を正すために願い、そして自分は信仰を通して神様をずっと信じますからどうかナントカしてください、というギブアンドテイク(信仰の契約といいます)の関係です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「言葉の力」には納得できます。
言葉に出す事で、夢や目標が叶う例は見聞きしております。
ただ今回の疑問は言葉に出さないケースを想定しておりました。
たしかに、信じる信じないの世界ですね。
私は信じている方なのですが、理由が知りたい所でした。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/27 06:36

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