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「お母さん、今度のテストから校内順位が出ないって。」

中学の娘が言いました。「高校に行く為のめやすになったのに」と娘はふくれていました。

学校に聞くと「差別をなくす為です。」

どこかの市では運動会の徒競走での順位付けを止めたそうです。
どこかの市では前学期一学期制にしたと聞きました。

難しい事は私には分かりませんが、出来る、出来ないって言う感覚は義務教育間の子供の頃には必要だと思うのですが、みなさんどう思いますか?
あまりに一元化しようとするとそこで二極化が出てくるような気がするのですが。


私には大学受験を控えた子供もいます。
二人を見ていると今の学校教育のひずみが出ているように感じて仕方ないんです。

A 回答 (17件中11~17件)

「世界で一つだけの花」がヒットするんですから、現在の日本では多くの人が「他人と比べて評価するのは好ましくない」と感じているんでしょうね。

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この回答へのお礼

こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

オンリーワンは大切です。

でも、その一方でその一言では済まされない現実もあると思います。

お礼日時:2006/05/01 21:13

勉強や運動を頑張った人と頑張らなかった人を差別という言葉で画一的に扱う教育が将来、何の役に立つのでしょうか。


高校も試験なしで平等にみんな合格、就職も平等にクジ引き、会社の営業も努力に関係なくだれでも平等に、というなら判ります。
でも中学で順位に目をつぶっておきながら、受験は順位による競争です。
就職も競争です。
学力だけ、成績だけでは判断できないなどの意見がありますが綺麗ごとです。
今の社会は成績至高主義です。
その現実を見ないで学校だけを差別という名の偽りの平等で取り繕っても、迷惑するのは子供たちです。
学校で言っていたのと現実は違うじゃないかということになります。
がんばらなくても順位がでないからいいや、頑張っても目に見えた結果が無いから目標が掴みにくいということになってしまいます。
何年か前、ゆとり教育なるものがありましたが、その結果全体の成績が下がってしまって取り止めになりました。
結局、国際競争力が下がってきたため止めざるを得なくなったわけです。
順位が出なくなって安心する人が必ずいますから、将来の競争社会で生き残っていくために、今の頑張りが必要だと思います。
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この回答へのお礼

こんばんは。
ご回答ありがとうございます。

まったくもってその通りだと思います。

迷惑するのは子供なんです。

きれいごとを言っても世の中は競争や差別があるものだと思います。
そう言う事実にはある程度慣れておかないと困るのはやはり今の子供達なんだと思います。

お礼日時:2006/05/01 21:11

何と言うか、やわな社会になったものですね。


差別の原因がそんなところにあると思っているのでしょうか?笑えない話ですねえ。
我々は義務教育期間どころか一生比較されて生きて行くのに、どうしてそれを差別と結びつけて隠そうとするのかさっぱり理解出来ません。
勉強出来ない子はそれを自覚するから別の分野を伸ばそうとしたり、頑張って勉強したりするんじゃないでしょうか?

どうせすぐに入試が控えているんです。学力が分からなくて困るのは子ども達なのに。
文部省幹部が迷うのは勝手ですが、気分次第で変えないでほしいですよね。ゆとり教育の失敗をまだ反省出来ていないのでしょうか。

まあ、百歩譲ってこういう風潮を認めたとしても、それをフォローするだけの体制が本当にあるとは思えないのですが…
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この回答へのお礼

こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

勉強、あるいは運動、人それぞれ得手、不得手があるものです。
それを差別があるからとひとにくくりして収めてしまう事は結局は子供達そのものに跳ね返ってくると思うのです。

お礼日時:2006/05/01 21:08

中学ではなくてもいいと思いますが。


人生競争?はん、人間の価値を高める学校で、学力だけが至高のものと考えるほうがおかしいのでは?
ましてや義務教育です。これからどんな分野の才能が伸びるか分からないのに、
学校のテストだけを全ての計器にする校内順位を発表することがいいことだと思うのですか?

勉強の出来る人は順位がでずとも周りは分かる。
運動の出来る人は順位をつけずとも周りが認める。
優しい人間なら、点数がつかなくても周りが感じる。

差別をなくすという回答は、学力至上主義にならない義務教育の根本に基づいていると思いますけど。

それなのに、テストの成績だけ順位発表し、一喜一憂するのはおかしくないですか?
やるなら、スポーツテストの結果や先生がつける内申点も公表するように迫ったらどうです?

それに受験生には点数から偏差値も出せますし(面談で要求したらいい)、
内申点も提示され、一人一人にアドバイスがあると思われますが。
また、中学のテストでは、順位を気にするほど浮き沈みのあるテストにはなりません。
どの教科のどのテストでも、同じような点数を取れます。要するに点数が下がれば順位が下がる。
難しくすぎて点数が下がったのに順位が上がる、なんてことはほぼありません。
要するに気にする必要ないのです。

結局はなくても一向に構わないということです。

それと、教育のひずみといいますが、そのひずみを作っているのはあなたの年代の親ですよ。
数年前から運動会で順位をつけないのも、学級崩壊が起こっているのも、
ちょうどあなたの年代の親が、学校に文句を言う、先生にしつけを丸投げするなど、
親としての責任を果たしていないから起こっているのです。それに気付いていませんか?

そのひずみをなくそうと、必死こいて学校側は頑張っています。
また親も、華僑のための小学校に日本人が通ったり、小さい頃から塾に通わせたり、
今はあなたたちの年代のツケを、あなたより若い世代の人たちがどう回避するか知恵を絞っている時代なんですよ。
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この回答へのお礼

こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

確かに順位は流動的で、それは一喜一憂するに値しません。
しかし、やはりめやすと言う意味においては役割があると思うのです。

>それと、教育のひずみといいますが、そのひずみを作っているのはあなたの年代の親ですよ。

私は40代前半のものです。
この世代からなんやかんやと学校に文句を言うと言う行動が出始めたのかもしれませんね。

私自身は躾や道徳は親が教えるものであって、学校の方はそのきっかけを作るに過ぎないと思っているのですが。

お礼日時:2006/05/01 12:37

はじめまして、こんにちは。


 学校側の「差別をなくす為」という話も理解できないことはありません。

 子供の頃から何をやってもビリ、最下位、人並み以下の子供は劣等感の塊のような存在になってしまうと思います。そんな子は、自分よりよくできる人を見て羨ましく思い、妬んでしまうことでしょう。
 そういう子供のためのシステムなのかもしれません。

 しかし妬む必要など、どこにもないはずです。「せめて最下位だけでも脱出しよう」とか、「次は真ん中辺りに入ってやろう」など、何事もプラスの方向に考えられる人ならば順位や格付けは自分の今の場所を再確認できる便利なものです。
そしてそういう人はそれを活力に変えるのです。

 では、なぜ妬むのかですが、やはり幼少期の教育が原因かと思われます。
 少子化による子供の過保護、親の責任転換・・・などでしょうか。
 
 こういうシステムでは、pyon--3さんのお子さんのようにがんばられている人たちがかわいそうで仕方がありません。

 がんばっている子供からしてみると、順位がなくなるなんてとてもつまらないはずです。勉強をする意義のひとつであり、勝ち取った順位は喜びであり活力になります。

 長く続くようなら全体的な学力低下が起こり始めるのも時間の問題ではないかと考えます。

 そして順位や格付けなどに縛られないで育っていき、いきなり社会に放り出される子供は確実に不幸です。
 今すぐこのシステムを止めさせるべきかと思います。
 

長文になってしまい申し訳ございません。
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この回答へのお礼

こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

人生において目標と言うものは必要なんだと思います。
勉強にしかり、運動にしかり。
出来ないものがあるのならせめて○○までは頑張ろう、○○になってやろうと言う気持ちを持つ事は必要な事だと思います。

それを差別がどうのこうのと言ってしまうとみなやる気をなくしてしまうような気がするんです。

ある程度の差別、競争は必要だと思うのですが。
それをフォローするのは私達、親の責務だと思うんです。

お礼日時:2006/04/30 18:45

社会に出れば確実に競争があります。


子供の頃からある程度競争になれておく必要があります。

今回の場合は高校受験にも影響することですから、簡単に順位を出さなくするのは悪いことだと思います。

もちろん張り紙に順位一覧を出すのは好ましくないとは思いますが、個別に「あなたは○位です」いう紙でも配ればよいだけだと思います。
私が中学のときはそのようにやってました。

せめて順位を出さないにしても平均点や偏差値を出してもらわないと、自分のレベルが判断できず、どのレベルの高校を受験してよいのかもわかりませんよね・・・
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この回答へのお礼

こんにちは。
ご回答ありがとうございます。

子供の頃にみんな一緒にちいぱっぱ、にしてしまうと
社会に出て本当の競争が出て来た時、対応出来ない人間になってしまう、そんな気がしました。

お礼日時:2006/04/30 17:33

私は人生は生まれてからずっと競争の連続だと思います。


小学校5年から進学塾に通って、夜も遅くまで勉強して難関大学に入学できました。まともにテレビなんて見たのは大学に合格してからです。つらかったですが、全く後悔などありません。ライバルとの競争があったからこそ、ここまでこれました。そのときのライバルは今も友人です。

人生は競争です。そのことを自覚してください。平等万歳、競争は悪だ、などと思っていると、せっかくの成長を阻害します。
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この回答へのお礼

こんにちは。
ご回答ありがとうございました。

私も競争は悪い事だとは思いません。

競争心があるからこそ人間は伸びて行くものだと思っています。

お礼日時:2006/04/30 16:59

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