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私の周りには、東大、早稲田、慶応、阪大などにはいってから結局留年したひとや、あげくに中退してしまったひとがいます。
みんないい高校から、行ったはずなのに、まわりからすれば”?”という感じなのでしょうが、ある日突然、勉強が出来る人の魔法が解けてしまったのでしょうか?高校の時、ずっと寝ていて、東大にいった、友人も、留年して、卒論も子供だましのような内容だったようです。
私にはわかりません。もちろん十人十色だとおもうのですが、高校まで優秀だったのに大学でいわゆるそうなってしまった人は、どうしてそうなってしまったのでしょうか?もし経験談などおしえていただけたらうれしいです。

A 回答 (14件中1~10件)

超一流かどうか疑問ではありますが、


自分自身がまさしくその人間だと思うので回答いたします。
医学科入学後、留年して結局退学しましたので、
まさしくあなたのいう「ダメになった人」でしょうか。

魔法がとけた、とは面白い表現だと思いました。
確かにそんな感じかもしれせん。
高校時代は大雑把に流れをつかむことで勉強がなんとかなっている状態でしたが、
大学に入ってそういった小手先ではどうにもならなくなり、
気がついてみたらどうにもならなくなっていたって感じでした。
(授業なども全出席してたんですよ、居眠りもしてませんでした)
これ以上努力をしても才能の壁は越えられないとわかったので、
「ごめんなさい」でやめてしまいました。

なんとなく一般的日本人の人生からははずれてしまいましたけど、
少なくとも受験中と大学在学中に苦しんで学んだ経験は
今でも役に立っている気がします。
自分の限界が見えたというのも、いい経験だったと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。私の周りの人たちは、大学の単位で、はじめから計算してあと何回なら講義に欠席しても平気、、、と計算して最後なまけ癖がついてしまってやめた人が多かったので、授業を全部出席した後、限界を感じておやめになった話は初めてだったので少し意外でした。いままでで一番貴重なご意見でした。有り難うございました。

お礼日時:2006/09/14 01:39

「ダメになった」という語にすごく引っかかります。



「少しでも有名な大学に入り、そして一流といわれる会社に入ることが人生の成功」としか考えの及ばない人には、No.12 さんが書かれたことが理解できないのでしょう。
 

この回答への補足

経験のはなしではないのでよろしくないですね。

補足日時:2006/09/15 20:44
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 私も、留年した人間(大学は、地方の国立ですが)として。


 大学へのカルチャーショックだと思います。正直、大学の講義は訳がわかりません。担当教官の研究分野の紹介(悪く言うと、担当教官のカルトな研究の押し付け)の要素が強い。また、大学の内容は、その先生によって、極端に内容が違います。ちなみに、No,12さんが回答なされた消極的堕落は、こういうところで起きうると思います。私もそうでしたが、なじめない人間は勉強する気が湧かなくなるのですよ。
 思えば、私は与えられた問題を、定型的な解法で解くのは割と得意でしたが、自分で問題点を見つけたりしたりするのはすごく苦手でした。
 反対に、受験に強い学校出身じゃない人の中には、飛び卒業を果たす人がいます。うちの大学では、そういう人の中から、飛び卒業候補になる人が現れました。
 結局、ダメになって辞めた人というのは、大学が重視する「自分で問題が発見でき、解答も探せる能力」「解答の見当たりにくい問題に取り組み、解決する能力」が低く、大学受験で求められる「解答に方向性のある問題に解答する能力」が高い人間なのでしょう。
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この回答へのお礼

受験につよくないところから大学で飛び卒業候補がでてくるなんてびっくりです。ある日突然、平凡な高校生が、優秀生になるのは大学ってふしぎなところなのですね!また、経験談と分析など、参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/14 21:30

あなたの言う「ダメになった人」には二通りあると思います。


ひとつは、積極的に堕落する人。
もうひとつは、消極的に堕落する人。

前者は、高校以前には知らなかった「遊んだりサボったりする楽しさ」を知ってしまったからでしょう。
後者は、勉強することに疲れたか、勉強が無意味に思えてきたからでしょう。

人間の価値観は、「普遍的」(すべての人に共通)なものでもなければ、「不変的」(変化しない)なものでもありません。
あなたが思う「ダメ」が、必ずしもダメなわけではありません。例えそれが「堕落」であったとしても、それをよしとする価値観もあります。
つまり、価値観は絶対的なものではなく相対的なものであると言うことです。
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この回答へのお礼

これは客観的ではありますが、もうすこし経験された話がほしかったです。。。

お礼日時:2006/09/14 15:40

 一般的な理由は分かりませんが、自分が一度大学で気が抜けたのは(留年はしてませんが、入学時の熱意が消えました)、しかられない・ほめられないということだと思いました。

でも一流大学ではないのであくまで参考にしてください。
 結局しかられるのも含めてある意味快感だったんでしょうね。例えば高校2年まではしょっちゅう授業を抜け出す、するとしかられる。といった一連の動作が大学になると、授業中寝るのも途中で帰るのも自由。反応がないからつまらない。
 また高校2年の途中から心を入れ替え、必死に勉強、大学合格。その過程でほめられる快感を得る。でも大学では勉強に関しては「優」を取って単位取得でもとくにほめられることもない。反応がないからつまらない。
 自分の中の結論としては、大学生といっても心の中は「子供」ですから何らかの形でかまってほしかったんでしょうね。反応がほしかった。でも大学ではなかなか勉学では反応が得られないんですよね。だから下の方が書いているとおり他の確かな反応が得られるものに熱中していったと自分では考えてました。一流大学の方は当然自分とは考え方が違うとは思いますが、どこか共通点はあるのかなと思い書きました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私もそれはおもいあたるふしがあります。身近な人でもかまってもらわないとダメな人はやはり、留年している人が多かったです。淋しいですもんね

お礼日時:2006/09/14 15:41

環境だと思います



日本の大学はぬるま湯です

ぬるま湯に慣れると、ちょっとの熱さでも
耐えられない体になってしまいます
それで結局あがってしまうんだと思いますよ

おっしゃるとおりなまけ癖ですね
私は(一流大ではないんですが^^;)
これはぬるま湯だ、ぬるま湯だ.....(だから耐えられるはず)
と自分に言い聞かせてなんとか卒業しましたが
冷めてみると本当、ぬるま湯だったと思います
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この回答へのお礼

ありがとうございます。その通りだとおもいます。高校の時軍隊のような理不尽な校則に耐えてきているのに、どうして大学であんなにあっさりさぼりはじめてしまうのかふしぎです。

お礼日時:2006/09/14 12:18

No1、No2のような方もいますが、No6の方に1票ですね。


もちろん目標を失ったりして中退する人もいるかもしれません。東大は自殺者も多いですからね。
しかし、本当にできる人は、大学で興味の対象を見つけるとそれにまっしぐらです。
卒業が目的ではないので、中退に抵抗はないし、卒論にもこだわりません。
そうして会社をつくったり、海外に行ったりする人多いですよね。

No6の方もおっしゃったように、
「留年」「中退」=「ダメになった」という考えは短絡的で幼いと感じたので、指摘させてもらいました。
失礼お許しください。

ちなみにNo3の方に話は 働き蜂現象 ですね。

この回答への補足

今回はだめになった人がテーマですので、ダメにならなくてやめた人は、立派なので別にいいんです。ほかに才能があってやめたのではなくて、嫌になってやめた人の話でおねがいします。

補足日時:2006/09/13 21:15
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理工学部の場合についてですが、


大学に入ると、授業が高校と比べものにならないくらい難しく、進み方も比較にならないくらい速かったことを覚えています。

数学なんて、1年生の最初の授業から、難しくて理解できずにショックを受けます。それまで、「授業が分からない。」という事を経験したことのない秀才たちが、あっという間に落ちこぼれ学生になってしまいます。

大学の授業の進む速度は、たとえば数学なら、高校生が3年間で学ぶくらいの分量を1ヶ月くらいでつめこまれるくらいの速さでした。大半の学生がねをあげました。

どんな学校でも、2~3割くらいの学生は、その学校の落ちこぼれになる、と聞いたことがあります。
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この回答へのお礼

そんなに早く授業されたら、普通に秀才でも、こぼれてしまいますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/14 01:40

ちょっとよくわからなかったのですが・・・。

「留年」や「中退」が、なぜ「ダメになった」ということになるのでしょうか?

時代が違うのかもしれませんが、昔は東大や早稲田慶応などは「上に出るより横に出るほうが難しい」なんていわれていました。要するに、「そのまま卒業するのは並みの学生、優秀な者は中退して独自の道を行く」ということなのでしょうね。実際、昔の小説家や実業家などの中には、大学中退とか放校とかの経歴の人間が山のようにいます。

本当に優秀で、自分の進むべき道を常に見据えているのであれば、今いる場所に飽き足らなくなったり、別にもっと興味深いものを探してそっちへいってしまうことだってあるでしょう。逆に、「せっかく入学したんだから、このまま黙って卒業したほうが得だ」という発想のほうが貧しい、という見方もできます。

無論、本当にやりたいことがあって大学に進み、思う存分その勉強をしているという人もいるでしょう。が、高校までに考えていたことと、実際に大学に進級してその世界を知ったうえで考えることは異なってもおかしくはないでしょう。そのとき、「まあいいや。面白くないけど卒業すればそれなりのところに修飾できるだろうし、黙って卒業しとくか」と考えるのは、ちょっと情けない気がします。

むしろ、「なんだ、あっちのほうがずっと面白いじゃないか!」というほうに飛び込んでいってしまうほうが、気概があるというか、「さすがだな」という感じがします。なので、私の中では「中退=場合によっては卒業より上」という感じなのですが・・・。

この回答への補足

自分の目標が見つかってやめた人は今回の質問からは除外しています。そんなすばらしい人は、そのまますばらしく中退して自分の夢に向かえばいいですけど今回あげたテーマは、そうではなくてやる気をなくした人たちです。

補足日時:2006/09/13 21:13
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高校までは「教えられることを覚える、答えの決まっている問題を解く」ことが勉強で、コレができるかできないが全てです


コレができれば優秀です
大学では覚えることも問題を解くことももちろんありますが、さらに自分でテーマや問題をみつけ、自分で考えて、自分で答えを出すという作業が必要になります
高校まで優秀でも「さらに~」以下のことができない人も多いと思います
大学ってテストでいい成績とって褒められるわけでもなく、5段階の評価の通知票をもらうわけでもなく、結局自分自身で目標を見つけなければいくらでも怠惰にすごせるところです

また、頭が良ければ良いほど自分の限界を感じる能力も高いです
「これ以上がんばってもモノにならんな~」と感じているのに、勉強を続けるというのもなかなかツライですよ
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