『L・DK』上白石萌音&杉野遥亮インタビュー!

ヒトの顔や身体、風景、建築、絵画etc
これらを見て美しいと感じたり醜いと感じる
差異はどこにあるのでしょうか?
こういったジャンルについての著書も出ているようですが・・
どなたか自分の思考のヒントになるような著書を教えてください

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A 回答 (16件中1~10件)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E
美とは、価値観念、価値認識の一つである。人類において普遍的に存在する観念であり表象であるが、一方では、文化や個人の主観枠を越えて、超越的に概念措定しようとするとき、明確に規定困難であり、それ故、美には普遍的な定義はない、とも形容される。しかし、他方では、美は感性的対象把握において、超越論的に人間精神に刻印された普遍概念であるとも解釈できる面を持っており、美の定義は発散するが、美の現象・経験は世界に遍在してあるという存在事態が成立する。

ここでは、主として古代ギリシア・ローマ及び西欧哲学の伝統における「美」の本質探求の試みと、認識的概念としての美についての考察の諸位相を素描する。

以下、
1 美の具体的種類
1.1 美のイメージ
2 哲学における美
2.1 美という言葉の多様性
2.2 美の概念措定
3 美の形而上学
3.1 存在論的把握
3.2 認識論的把握
4 美という概念の射程
4.1 他の価値領域と美の関係
4.1.1 カロカガティア
4.1.2 真理との関係
4.2 美の自律性
4.3 美的範疇
5 漢字における「美」の含意
6 関連項目
と、長々と続いています。


私の意見は
「全ての美は我にあり」
美は己が作り出すもの。
自分が今、この雑草が美しいと思えば、他人が何と言おうが、この雑草は今は美しいのである。

美とは自分の定める価値観、それだけの事でしょう。
共感する者が多くなれば、その雑草の価値は上がる。
また、自分が美しいと思えば、そのものに対して感動を覚え、慈しみや愛情が芽生えます。
出来得る限り多くのものを美としたいと、願っています。
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美とはあなたの記憶であり、あなたの記憶により生じるている現象である。



認知心理学的なアプローチもお忘れなく。(^_^)
日常認知の心理学 井上 毅、佐藤 浩一
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視覚的に完璧と感じられるか、完璧に程遠いかではないでしょうか。


感性に差があるとは言え、それほどまちまちでは無いと思います。
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美とはエネルギーです。


受け止める容量がないと、美を感じることができない。
醜はマイナスのエネルギー。

美(人)の基準については地域、時代によって異なるので、伝統や
習慣、教育などの文化的背景や流行の影響を受けると思います。
そして新しいテクノロジーによって、新しい美が表現されていく。
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〇 

http://www.geocities.jp/kounmee/utukusii.htm これは「五線占い」と言う本の抜粋です。

 結論から言いますと「自分と子孫の繁栄に繋がるものは全て美しく見える」、と言うところに答があるようです。一言で言えば「美とは子孫繁栄に役立つ環境のこと」と言えるかも知れない。
 人間も動物ですからどんなに意識が優れていても、本能と潜在意識の支配を逃れることは出来ません。本能は自己の存続と子孫繁栄を目的として作られているので、それに適合するものは全て味方として歓迎します。
 逆に逆らうものは全て敵と見るのです。その下働きをするのが潜在意識で、潜在意識の用いる手段が脳内麻薬です。

◆ 例えば花の咲き乱れる暖かい春の野山は実に美しいでしょう。けれども寒風吹きすさぶ冬の枯れ野は恐ろしい。凪の海は美しいけれども、嵐の海は見るからに恐ろしい。朝の日差しは美しいのに夜は恐ろしい。馬や羊は美しいけれども猛獣は恐ろしい。またどんなに美しい景色も、高所から見ると恐ろしくて足がすくみます。実態は同じ物なのに姿が違うだけで、美しく見えたり恐ろしく見えたりするのです。
 潜在意識は脳内麻薬をアメとムチとして、全ての感覚器官を通じて意識を意のままに動かしているのです。意識は潜在意識の作った外界対応用の道具ですから、何一つ意識の自由になるもの感覚はありません。おなじ物を見ても美しいと感じたり、恐ろしいと感じたりするのはその為です。
 しかも感覚器官は目だけではありません。鼻には良い臭いと悪臭を使い分けるし、耳には心地よい音と騒音を使い分けます。皮膚には痛さと気持ち良さだし、舌には美味しいと不味いです。
 心の奥の感情に対しても、潜在意識は同じように快美感と不快感を使い分けます。別れが悲しいのは味方とは離れるなという命令です。お金が入ると嬉しいのはそれが子孫繁栄に繋がっているからです。世の中のお目出度事は全て赤ちゃん誕生に係わっているのを見逃すわけにはいきません。
 春は楽しいと言います。収穫物はなくても夢があるからです。しかし秋は悲しい。結果が見えてしまって夢がないからです。傷を受けると痛いのは二度とするなと言う禁止の命令=ムチの方です。恋が楽しいのは奨励の命令=アメの方です。      
 嬉しいと悲しいの違いも、美しいと醜いの違いも、或いは楽しいと苦しいの違いも、みな本能と潜在意識の命令次第というわけです。
◆ ですから美しく見えるものには大抵、気持ちの良い感覚や感情=快美感が伴います。ごちそうは美しく見えるし良い臭いだし、食べると美味しくて実に楽しい。恋人と一緒なら何をしても何を見ても楽しい。何を食べても美味しい。出会うのも思うだけでも嬉しい。もちろん恋人は花のように美しい。ご褒美のアメです。逆に親しい人が居なくなると、寂しい悲しい辛いなどのムチが容赦なく襲ってきます。
 女性が美しいのは直接子孫を増やしてくれるからです。美人が美しいのはより一層女性的だから。若さと健康が最高に美しいのは、そんな時期が子孫繁栄に一番適しているからです。
 誰でも人のために奉仕すると周囲の人に喜ばれます。僅かでも子孫繁栄に役立つと感じてくれるからです。芸術家の人気が高い理由です。  
◆ 文字について言いますと、ともに美しいとされる美と善と義はどれも羊の字が主体です。羊は一番人の役にたつ上に決して逆らわずに喜んで死にます。その心の有りようが動物の中では一番キレイだからと思います。キリスト教の神にいつも同席しているのを見ても、洋の東西を問わず羊を美善義の第一に置いているのが分かります。

参考URL:http://www.geocities.jp/kounmee/kokoro.htm
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こんにちは。



クオリアを知るとその意識的解読に近づけるかもしれません。
それは『美』というクオリアと
それ以外のクオリアにも関係してくる問題です。

クオリアとは,心の質感のことです。
 クオリアについては↓を絶対読んでみて下さい。
 ■意識とはなにか―「私」を生成する脳 (新書)
 茂木 健一郎 (著)

あぁそして
すべての美しさは,ひとえに『美しい』でまとめることはできなくて・・・

美という言葉の持つ本質的イメージは,
辞書に載っている陳腐な文ではあらわしきれないし,
私たちの既成概念さえもその本質に迫りきれていないのではないか?

または,美という言葉の存在なんて必要なくて,
感覚や衝撃を信じて森羅万象万物にぶつかっていけば,
美という言葉なんてものさえ出てこなくて,
ホンモノ の ビ を感じるのではないか?

美術には美と到底は呼べない芸術的衝撃を誇示する作品がある。
あれは芸術であって美術ではないのか。
美術とはそれを含めたものなのか。
『美』は美や美しさといったもの以上に色々なイメージを含む,
含蓄のある,使いやすく,
分かりやすく,鋭くもあり,
儚い言葉になっている。これは時代の変化にも関係していて。

やはり考えは一重に絞れないですね。

少し,質問からずれた回答になってすいません。
しかし関係性はあると思いますので参考にでもなれば幸いです。
茂木健一郎氏の本はかならず読んでください。
私の話とはまた別の,もっとアナタに近い存在だと思いますから^^

参考URL:http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480061347/sr …
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すいません、重要な答えを書き忘れてました。



>どなたか自分の思考のヒントになるような著書を教えてください

まだ、私も読んだ事ないのですが、
この命題について読んでみたい一冊を紹介しておきます。


美と感情の原理―その弁証法的解明
河村 正一 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434050990/sr …
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「美」とは、つまり「感情」だと私は思います。


そして、この「感情」は様々な要因によって規定されます。

西洋絵画史なんかで、時代順に有名な絵を並べて比べてみたら分かりやすいかと思います。
婦人画や聖母子像を見比べるとさらに分かりやすいかもしれません。
中世の絵は、必ず服を着ています。
これは、裸体は汚らわしいと思われていたからです。
しかし、ルネッサンス以降は裸婦画が流行り始めます。
また、古代ローマ時代は写実的な彫像が多く作られました。
これは、「美」がその時代性により「規定」されていたからだと思います。

そして、「美しい」とは人間の内から出てくるモノです。
だから、(1)という絵画を見て、Aさんは「美しい」と思ってもBさんは「醜い」と思います。
これは、Aさんの内からは「美」という「感情」が溢れてくるのにBさんにはそれが無いのです。

つまり、「時代」という外的要因と、個々人の「性格」という内的要因で「美」や「醜」は決まるのではないでしょうか?
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人間讃美。

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NO.1です。



誤解を恐れず、分かりやすく,噛み砕いて言えば・・・

美とは、幸福感に溢れる気分にしてくれるもの、天国に導かれたような気分にしてくれるもののことです。

美しい音楽などはまさに天国から聞こえてくるようです。
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Q眠るように死ぬ方法ってあるでしょうか?

あくまで健康な人が眠るように死ぬ方法、または眠ったまま二度と起きないという風に死ぬ方法ってあるでしょうか?
これは自殺志願のための投稿ではなくて、自分もいつか死ぬわけですからこんな死に方ができたらいいなと思っています。
医療の現場で行われる安楽死・尊厳死ってこういう方法なのでしょうか?またはこれに近いでしょか?

Aベストアンサー

「突然死」という言葉を聞いたことがありますか?
昨日まで元気だった方が、朝になっても起きてこないので、見に行ったら死んでいた。
こういう事例はよくあるそうです。
10年以上前になりますが、兵庫医大の法医学の教授の講演を聞きました。
テーマは「突然死」
突然死のおよそ80%は、虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞など)だそうです。
その中で、就眠中に亡くなるのは、およそ65%くらいだそうです。
急性心筋梗塞でも「眠るように」とはいかず、ある程度は苦しんだ末に亡くなるのでしょう。
私も、眠るように死ねればと思っております。
回答になってなければ、ごめんなさい。

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q形而上学とは

現在、国語の授業で
「広告の形而上学」という形而上学をテーマにした論文を扱っています。
文章の雰囲気は分かるのですが形而上学
というテーマそのものがよく分からないので
どうも、しっくりこないでいます。

「形而上学」というものをくだいて説明して
頂きたいのですが。。。

中学3年の私にも分かるくらいのレベルで説明して頂けたら嬉しいです。(教科書は高校1年生のものですが)

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。



あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。

人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。

その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。

けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。

ここで矛盾にお気づきでしょう。我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。

そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。

たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。

じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。

ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。



ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。

広告は「形がない」ものです。「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。



おわかりいただけたでしょうか。長くなりすみません。。。

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。
...続きを読む

Qレポートの書き方

こんばんは。
冬休みの課題で、「美術館に行ってレポートを書く」というものが出ました。
ですが、あまりレポートを書いたことが無いので書き方がわかりません。
アイヌ文様の美というのに行こうと思っているんですが・・・
やはり写真もレポートには入れた方がいいでしょうか?
レポートの書き方に次いでわからなくて困っています。
美術が好きなので、良いレポートを書きたいと思っています。
どうか、書き方を教えてください。お願いいたします。

Aベストアンサー

美術大学に在籍しています。ご参考程度に、私の経験からアドバイスをさせて頂きます。


全体の構成としては
(1)表紙(主題タイトル)
(2)本文

主題について、どういうところが自分にとって魅力的なのか、
それにはどういう由来や歴史があるのか、何を意味するのか など
いくつかの項目に分けて考えると書きやすいと思います。

例えば…「印象派について モネの魅力」が主題だとすると
1.印象派とは
2.モネの生きた時代とその功績
3.代表作『睡蓮』の連作とその変化
(以下必要なだけ項目を設ける。最終的に、
ある程度自分の主観を入れた論述があったほうが「美術館に行って」という部分が活かされるので、良い と
私は思います。)

…など
主題の背景(アイヌの文化でしたら、アイヌ民族のことなど)から
徐々に幅を狭めていって、主題を浮彫りにしていくと読み手がすんなり入り易く、
印象に残るレポートができるのではないでしょうか。
又、写真は効果的に入れていったほうが良いと思います。
レポートの読み手はその内容について知らないわけですから
いわば教科書や新聞のようによりわかりやすく情報を伝えることを考えると…
あったほうが、親切なように感じます。

(3) まとめ
上にも記述しましたが、「美術館に行って」ということなので
美術館に対する感想、今回レポートを作ったことによって気付いたことや良かったことを書き、あとがきとします。
ある程度の長さがあったほうが説得力があると思います。
又、最後に
参考にした文献(本やWEBページ)について「参考文献」として記述しておきます。(箇条書きで大丈夫です)
本はタイトルとISBN、WEBはタイトルとURLを記述します。
版権的な問題のためもありますが、これだけ色々調べました というアピールにも繋がると思います。


私は以上のような手順で、レポートを書いています。
わりと高評価を頂くこともあるので…ある程度参考にして頂けると思います。

余談ですが
「美術館の入場券の半券を
表紙かはじめのほうに展示タイトル・日時・場所 の明記と共に貼って提出しなさい」という指定で
レポートを作ったことがありまして…
指定が無くてもそうすると、なんだかそれらしくなる気がしますので、
ちょっと使える手かもしれません。


レポート制作 頑張ってくださいませ!
微力ながらお力添えできていましたら幸いです。

美術大学に在籍しています。ご参考程度に、私の経験からアドバイスをさせて頂きます。


全体の構成としては
(1)表紙(主題タイトル)
(2)本文

主題について、どういうところが自分にとって魅力的なのか、
それにはどういう由来や歴史があるのか、何を意味するのか など
いくつかの項目に分けて考えると書きやすいと思います。

例えば…「印象派について モネの魅力」が主題だとすると
1.印象派とは
2.モネの生きた時代とその功績
3.代表作『睡蓮』の連作とその変化
(以下必要なだけ項目...続きを読む

Qこの言葉遣いは正しいですか?

志望動機を書く際に、
「~だと思ったので志望しました。」という表現は適切ですか?
思った"ので"というところが、少し気になります。
思ったため、とか感じたため、の方が良いのでしょうか。

Aベストアンサー

こんにちは。

採用などで多く志望理由など拝見してきた者に過ぎません。

NO1の回答者の方の通りかとおもいました。

同じように前の部分が分からないので断言できませんが「○○と思い志望しました」や「○○と考え志望しました」など数えあげればキリがない面もあるかと思います。

「○○と思い志望に至った次第です」など書き方も考え出すと入れ替えなどによりいくらでも変えることはできると思います。

しかし、あまりその程度の違いで合否や印象に大きく影響を及ぼすことではないと思いますし、肝心なのは内容かと思います。

字数制限などがあると思いますので「○○と思い志望致しました」など簡潔な方が無難かと思います。

参考程度にでもなれば幸いです。

Q原核生物と真核生物の違い

原核生物と、真核生物の違いについて教えてください(><)
また、ウイルスはどちらかも教えていただけると嬉しいです!

Aベストアンサー

【原核生物】
核膜が無い(構造的に区別出来る核を持たない)細胞(これを原核細胞という)から成る生物で、細菌類や藍藻類がこれに属する。

【真核生物】
核膜で囲まれた明確な核を持つ細胞(これを真核細胞という)から成り、細胞分裂の時に染色体構造を生じる生物。細菌類・藍藻類以外の全ての生物。

【ウイルス】
濾過性病原体の総称。独自のDNA又はRNAを持っているが、普通ウイルスは細胞内だけで増殖可能であり、ウイルス単独では増殖出来ない。



要は、核膜が有れば真核生物、無ければ原核生物という事になります。

ウイルスはそもそも細胞でなく、従って生物でもありませんので、原核生物・真核生物の何れにも属しません(一部の学者は生物だと主張しているそうですが、細胞説の定義に反する存在なので、まだまだ議論の余地は有る様です)。



こんなんで良かったでしょうか?

Q哲学を学ぶ意義とはなんですか?

現在、大学で哲学の授業を学んでいます。

しかし、その授業を学ぶに当たって、
なぜ、哲学を学ぶのか、また、
哲学を学ぶことで得られるものは何かということを
考えるようになりました。

哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?
哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
出来るだけ詳しく、そしてたくさん書いていただけると
とても参考になります。

Aベストアンサー

>哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?
>哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
⇒2つの観点から申しあげます。「個人」と「人間・人類」との観点です。

(1)哲学の授業は多く哲学史に関わりますが、その目的の1つは、先哲たちがどのように「知を愛したか」を伝えるためだと思います。ご存知のように哲学(philosophy)とは、文字通りには、「愛知」を表わす語ですね。すなわち、「哲学する」とは、「好奇心を持つ・知識や智恵を得たいと願う」ことですね。
では、それは何のためか、あるいは、何の効用があるか。一言で言えば、「生きるための英知を獲得すること」でしょうか。ヨーロッパの図書館などには Discendo liberior. と書いてありました。「学ぶことによってより自由に」といったような意味らしいです。つまり、学ばない状態では、人は多かれ少なかれ無知蒙昧・迷信・妄念・偏見…などにとらわれているが、「学ぶことによって、その桎梏を解き、自由になれる」ということなのだと思います。「哲学は、我々を迷信や妄念から解放してくれる」のです。

(2)かつて哲学は諸学問を1つに束ねて統合し、これに指針を与えるという役を果たしていました。そして、それは今日でも変わらないはずです。すなわち、現代の哲学は、極度に細分化し専門化した諸科学を統合し、これに指針を与える機能を持つ、少なくともその使命がある、と言えるでしょう。この高度に文明化した現代にあっては、とりわけ尖端技術など「地球生命を左右するような科学を束ねて、今後に向けての当為を示す」という重大な使命を哲学は負っている、とそう思います。環境汚染の解決や異民族間の争いの収束を模索するとき、人間にとっての「本当の幸福」を考えるとき、そして、人類の未来を思うとき、哲学は最も重要で、最も頼りになる(ならねばならない)、学問なのだ、と言い得るのではないでしょうか。

>哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?
>哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
⇒2つの観点から申しあげます。「個人」と「人間・人類」との観点です。

(1)哲学の授業は多く哲学史に関わりますが、その目的の1つは、先哲たちがどのように「知を愛したか」を伝えるためだと思います。ご存知のように哲学(philosophy)とは、文字通りには、「愛知」を表わす語ですね。すなわち、「哲学する」とは、「好奇心を持つ・知識や智恵を得たいと願う」ことですね。
では、...続きを読む

Q「美」と「崇高」という芸術の概念にをご教示下さい

10年ほど前なのですが、坂本龍一氏がつくった「LIFE」という
オペラに関し、これは「崇高」ではなく「美」なんだという論評を
見ました。私は坂本氏の音楽はそれなりに聴き続けてきたもの
の、哲学用語には疎いので、いわばスルーしたのですが、なんだ
か最近またとても気になっています。(その後も何度か「日曜美術館」
などでこの言葉を聞きました)。

ここからが質問なのですが、芸術論、および哲学の中で(おそらくカントで
しょうか)「崇高」と「美」という言葉はどういう文脈で使われるのでしょうか。

専門の方にとっては初歩的なことかと思いますので、申し訳ございませんが、
ご教示いただけると幸いです。坂本氏のオペラとは関係ない一般論のご回答
でかまいませんので、ご教示いただきたく、よろしくお願い申し上げます。

Aベストアンサー

「美と崇高」について書かれた初めは1759年のエドマンド・バークの「崇高と美の観念の起源」で、それに次いだのが1764年のカントの論文「美と崇高との感情に関する考察」です。
バークは美と崇高を区別して、崇高は人間に恐怖と畏怖の念と不安をもたらすが、美は人間に安らぎと陶酔をもたらすといっています。
ともに人間の感性を超えている点では共通しますが、方向がまったく逆です。
カントが論文を書く際にバークの本を参照していたかどうかは定かではありません。
カントは崇高の感情を、恐怖と高貴と豪華に区分しました。
そしてその堕落した形態として怪奇と茶番があり、豪華は崇高と美の中間の感情であるといいました。
それに対してカントのいう美は芸術作品の美が挙げられますが、それよりもかれは道徳的な人間の在り方、人間の尊厳を美の模範と考えました。
そのような考え方に当てはめてみると、坂本龍一がオペラを「崇高」ではなく、「美」といったのも当然だと思われます。
なぜなら、オペラを観て「恐怖感」に駆られたり、「畏怖の念」を抱くことは稀だと思うからです。

Q一冊の本を読む時間について、

通常、約300ページくらいの本を何時間くらいで読んでおられるでしょうか。私は、約12時間くらい、かかっているのですが、遅いでしょうか。ある本に、約3時間と書いてありました。そんなに早く読んで、内容を理解できるものなのでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

内容によっては1時間くらいで読んでしまうものもありますが,平均するとやはり3時間くらいでしょうか。
関連性のある本をすでに読んでいる場合などは,語句の意味を改めて咀嚼しないでよいので早く読めます。というか,斜め読みって感じですね。
反して普段読まないようなジャンルでは,出てくる語句の意味を別の本で調べながら読んだり,前へ戻ったりとするので,10時間とか軽くかかっちゃうこともあります。
ミステリーなどは逆に早く結末が知りたくて一気に読んでしまったり,恋愛ものでは最初にさらっと気になる場面だけ読んで,改めて最初からじっくり読んだりもしますね。やはり,皆様が仰るように,本の内容と本への取り組み方で時間のかかり具合は違うようです。また,1つの本を読んでいるとき,以前に読んだ関連性のある本の内容を即座に思い出せるかどうかでも,理解力や読書時間はかなり変わってくるのではないでしょうか。
ちなみに,私が最近はまっているジャンルの本はドラマCDが出ており,読むときには頭の中で好きな声優さんをキャスティングして声を再生(?)しているので,結構,時間がかかるときもあります。これも一種の楽しみ方かしら(笑)

内容によっては1時間くらいで読んでしまうものもありますが,平均するとやはり3時間くらいでしょうか。
関連性のある本をすでに読んでいる場合などは,語句の意味を改めて咀嚼しないでよいので早く読めます。というか,斜め読みって感じですね。
反して普段読まないようなジャンルでは,出てくる語句の意味を別の本で調べながら読んだり,前へ戻ったりとするので,10時間とか軽くかかっちゃうこともあります。
ミステリーなどは逆に早く結末が知りたくて一気に読んでしまったり,恋愛ものでは最初にさらっ...続きを読む

Q怖い映画を見た後、思い出してまた怖くなる・・・対策は?

こんばんは。

昨日、ホラー映画を見ました。
見たときはなんともなく、むしろつまらなく、「なんだ、ぜんぜん怖くない」と拍子抜けしたほどです。
けれど一人でお風呂に入ったときや、トイレに入った時など、唐突に怖いシーンを思い出し、とても怖くなってしまいます。

こんなとき、みなさんはどうやって乗り越えますか?
ホラー映画を見ないのが一番、ということではありません。
見てしまった後、どうしたら恐怖が消せるか、です。

アドバイスをお願いいたします。

Aベストアンサー

♂です。
私も子供の頃はとてもコワがりでしたので、以下の方法を試して克服してきました。

 ・家のいたるところの灯りをつける。
  つけっぱなしで電気代がもったいないときは、センサーで点灯するミニ照明(300-400円ぐらい)をあちこちの
  コンセントに挿しておく
 ・暗闇で見るとコワイ時があるので、人の写真やポスター、人物絵画などを飾らないようにする
 ・鏡を見ない、その前を通らない。または何か掛けて隠す
 ・その映画の制作裏話や撮影秘話などを読んで、作り物なんだ、と自分に認識させる
 ・部屋をシーンとさせない、何か曲を聴いたりする
  (脳天気な、元気なもの。例えばウルフルズの「ガッツだぜ」とか...(笑))
 ・同じく脳天気な顔を思い出す(ヨン様の笑顔とか...ファンの方スイマセン)
 ・部屋を赤(気分の高揚)または両極端ですがピンク(安らぎ)を基調とした色にする、それらの色のものを置く
 ・アロマオイル等を焚いて気分をやすらげる


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