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中島敦の作品には、主人公を自分と重ねて表現する傾向が見受けられると言われていますが、
「弟子」の主人公・子路は壮健で屈強な人間で、病弱で自虐的だった敦とは似ても似つきませんよね。

この作品について考察する場合、「山月記」や「かめれおん日記」では可能な「主人公と敦の同一性」というテーマでは不可能なので、
なにか考察するにあたって他のテーマや考え方をご教授願えないでしょうか?
私には単なる師弟愛の物語(ヘタしたら男同士の恋愛物語)に見えてしまい、その奥に潜むであろう敦のメッセージが見えてこないのです。

宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

子路は孔子の弟子で実在人物で、野蛮な性格だったようなので、


敦とは重ね合わせられないのでは。
孔子の弟子の中では顔回が敦に似ていると思うのですが、なぜ、
子路を主人公にしたかは分かりません。

子路のような野蛮人でも、孔子のような大聖人に出会い、修行を
積めば人間の本来持っている聖なるものに気づくということを言
いたかったのでしょうか?戦争も体験したようですから。
しかし、最後は戦いに巻き込まれて死んでしまいますが、戦争と
の対比で、その辺の不条理も感じていたのでしょうか。

私も、中島敦は好きで、特に山月記、わが西遊記が好きです。
しかし、文学は全くの門外漢で、勝手な想像なので、ご容赦
ください。
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この回答へのお礼

回答有難うございます!
「世の不条理さ」というのは彼のひとつのテーマだと私も思います。
「名人伝」なんかはその願いが最も表れた作品だと思いますし。

私は「弟子」が一番ですが、勿論「山月記」も「わが西遊記」も好きですよ!もとの「西遊記」も大好きです。

皆様が読まれてご想像されたことを書いて頂きたかったので、それで全く構いませんよ!有難うございました!

お礼日時:2007/01/21 16:31

「男同士の恋愛物語」というのは案外的を得ていると思います。


それは、それで置くとして、
孔子は、行動的で無頼漢でちょっと思慮に欠ける子路を大変に愛していたのだと論語を読んでわたしは感じました(もちろん弟子として可愛がっていたという意味でですが)。孔子は「郷原は徳の賊」として、どこの里にもいる表面ばかり奇麗事を並べ芯のない人物を似非道徳家として非常に憎みましたが、それと正反対にあったのが子路ではなかったかと思います。その点では子路の性格と中島敦の書く文とは似通っていて、どこか一本木で人の世の中の「世間」というものに一定の距離を置いた目線などは似ているのではないでしょうか。
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