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シュタイナーは聖杯について、宇宙的聖杯と内なる聖杯に言及していますが、マクロコスモスとミクロとの関係、また、キリストとの関係について、また高次の認識との関係についてイマイチよくわかりません。
少しわかりやすくお教えいただけませんでしょうか?

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A 回答 (4件)

NO.2です。



えっと シュタイナーの思想に賛同していない立場なので、ちょっと望む回答とは違ってくると思いますが、、、、



今回 キリストとした対象人物はイエス(イエーシュア、またはヨシア)と呼ばれた人だとして。。。

>一つ思うのは、キリストとの関係で、聖杯というのは、
>キリストあるいはその意識を受容する器だと思うのですが、

聖書には聖杯という言葉は出てきませんが、キリスト教国の中には言い伝えとして聖杯伝説なるものが存在しています。
イエスが磔刑の際に出血してその血を受けたカップが聖杯  とか、イエスは結婚していて子供がいて、その血族が聖杯として受け継がれている とか ダ・ビンチのように最後の晩餐でカップを描かないことで、「イエスの思想は今のキリスト教には受け継がれていない」(イエスの思想=聖杯)と暗に指摘した とか いくつか知っていますが、今回のあなたが求める聖杯はこのダ・ビンチの聖杯に対する概念と同じものだと思います。



で、シュタイナーの思想を読むと、やはりダ・ビンチと同じものを聖杯としていると思えたんですね。
つまり 奥義。 
     ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%90% …

【カバラーはヘブライ語の動詞キッベール「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、「受け入れ」「伝承」を意味する。】

これが奥義を口から口に継承していくというもので聖杯。
聖杯(秘儀)は誰でも継承できるものではなく、理解したものしか受け取れない。 受け取れないものは他に継承することはできない。


【本来のカバラーは、ユダヤ教の律法を遵守すること、あるいは神から律法の真意を学ぶことを目的とした。
したがって、正統的なユダヤ教との親和性を持っていた時期もあったため、必ずしも秘教的な神秘思想とは言えない。

しかし、キリスト教の神秘家に採り入れられるようになると、ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な神秘体験の追究の手段として用いられることになる。

歴史的にはグノーシス主義や、ピタゴラス教団の教義、ギリシア哲学などの影響を受け、3世紀から6世紀頃に始まり、16世紀頃にほぼ現在の体系が完成したとされる。】
    ↑
これがダ・ビンチやシュタイナーの研究対象としての聖杯 のことじゃないでしょうか。
一言でいうと オカルト。(隠されたもの)


聖杯とは秘儀のことだと思うのですが、、、、
どういったらいいのでしょう。
その過程が、器というより、通過ポイントのようなものだと思えます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD% …


シュタイナーの場合、キリスト教的カッバーラなので、、、、


高次の意識を受信する場所がどこか。
医学的な見地?からいけば、側頭葉のある部分がそれに酷似していて、そこを機械で刺激して、過度に放電させればなるようなのですが。。。
   ↓
http://www.amazon.co.jp/%E8%84%B3%E3%81%AE%E3%81 …
の中に書かれています。
この場合、てんかんの類で過度にその部分に電流が流れたため、起こるようです。


機械を使わず自分で操ってその部分に多量に放電されるようにするには、修行でその部分が過度に放電するようにすればいいらしく、だから昔の人は修行してその部分を放電させていたんじゃないかと。


シュタイナーも同じで修行により獲得するとしたようです。

シュタイナーの言いたかったことは要するに今でいうなら認識学みたいなものだと思えます。
古代からあるグノーシス(認識)なわけで、新しいものじゃなく、随分前から、 恐らくピラミッドが建設された時代から あったもの。
(カッバーラも元はそのエジプト文明から発展したと思えます)


>ミクロ的に考えた場合、それはアートマンを形成するミクロレベルの粒子にまでおよぶのでしょうか?

シュタイナーは終わりが無いとしています。
どこまで掘り下げても「ここが終点」というものは無いと。
じゃあ どこがミクロかどこがマクロか 認識できるレベルの限界を突破すると、また別の次元が存在し、その先にまだまだたくさんの次元があり、終わりが永久に無い というもの。

シュタイナーは「現実で役にたたないもんだったら要らない」としています。
私は頭をひねります。
定規で、ぴったりの数値を描けません。
「布を1メートルをください」としたところで、限界が無限なら、いつまでも布がもらえません。
ここがぴったり1メートルだ というものが無いからです。
限界を突破しても別のまだまだーー があり ミクロのさらにその先を認識しようとすると、生きることすらできません。
現実役にたたない学問。 それは学問というより娯楽の類ですが、それを現実の使用に耐えうるとすると 哲学 となんとか呼ぶことができると思えます。
現実役にたたなくても人が好み集まれば宗教あるいはカルチャー。
またはキッチュ。


何故シュタイナーは『アントロポゾフィー』という著作を残さなかったのか

終われなかったから。
彼の理論でいくと終わりが無いので、これが決定版というものが存在しなくなり、彼自身も存在が危うくなり、認識を極めようとした結果 彼は無になった。
これが、カバラの形と力というものだと思える。
対極にあり、力を求めると形が崩壊する世界になる。
形をとどめることができなくなるわけです。
そして、混沌とした世界になる。
どこまでが自分でどこからが他者なのか曖昧になり、全てが一つになった感覚と同時に肉体を失う。

混沌とした世界に「光あれ」
また物質化していくわけです。
そして律法ができ、集団が形を作っていった。
しかし形が強まると重力が大きくなり、人々は形を持つゆえ 苦しむ。
そしてまた、精神世界を求めだし重力が軽くなる。

このゆらぎの中に生命は存在する。

これが天と地に狭間。 生命だと思います。
イエスの思想を書いた人は、そういうことを言いたかったと思います。


>それからアートマンの座はハートチャクラ、つまり心臓あたりの霊的器官にあるのじゃないでしょうか?

この部分はクンダリニー・ヨガ関連で説明できると思いますが、説明を望みます?
でしたら、それについて私が知る限りを次の返信に書かせていただきますが。

この回答への補足

いろいろ教えていただきまことにありがとうございます。興味深い本もありがとうございます。早速読んでみようと思います。それから私ほうのハートチャクラウンヌンは解釈がまちがっていたようです。回答者さまが言及されているように、シュタイナーにおいても、最初は頭のある部分に中心点をつくり、それからハートのほうに下りてくるようです。私が今回知りたかったのは、事の真偽とか、賛否というより、シュタイナーのコスモロジーのなかで彼が考えた「キリスト」のマクロコスモス&ミクロコスモス的意味合いです。「キリスト」については今回、地球で生きたイエスのことだけを問題にしたわけではありません。回答者さまが最初の回答のなかで言及された梵:ブラフマン→宇宙を支配する原理。←たぶんそうなのでしょう。ブラフマンが神といえるような宇宙を貫く原理であるなら、その受容体であり、万物に働きかけるものと考えられるキリスト(聖杯として象徴)も、宇宙普遍の意識エネルギーのようなものでなければ筋がとおらないと、私はずっと考えていたのですが。どうか笑わないで聞いてください。NASAだって地球外生命体からのコンタクトを待ってプロジェクト立ち上げて大真面目でやっているのですから。多次元を包括する大宇宙という考えは、今日物理学のほうでも認められていますが、その場合、他の星にも知性体がいると(時間的に人類と共存しているかは不明ですが)思うほうが自然だと思うのです。その場合、キリストなるものは、他の生命体にも感応するはずだと思うのです。もし、キリストの受肉(シュタイナー的表現をすれば)が他の星で起きた場合、その星の条件に合う知性体が生息する環境のなかで、人間とはまったく異なる生命体(極端の例を挙げれば、水惑星でのお魚のキリスト、液体状生命体のキリスト、あるいは肉眼で不可視の異次元生命体のキリストなど)も可能じゃあないかとずっと考えていたのです。←昔なら教会から異端の烙印を押され、火あぶりは間違いなし。で、シュタイナーを読んでいて、かなりマクロ的な視野があるなぁとは思ったのですが、なんせ膨大な著書なので読みきれなくて、どの程度まで、彼はマクロコスモス的に考えていたかを知りたかったのです。同時にミクロコスモス的にはどうだったかを。←量子の存在などない時代でしたし。お時間があれば、回答者さまのクンダリニーについての見解もお教えいただければ幸いです。

補足日時:2007/02/14 22:08
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NO.3です。



今回 回答をしようとしたら、頭の中が聖杯・アトランティス・オカルト・カッバーラ・神道・グノーシス・アカシックレオードなどでごちゃごちゃにしまいました。

「質問者はシュタイナーの聖杯について言及しようとしているのよね」とわかってはいるが、どうしてもほかの情報が介入して、まとめられない。
思考の暴走です。苦笑

だから いたづらに近づくと大変なことになると「とおりゃんせ」という歌で警告が発せられているんですよね。
丸こげになりそう。


さて 冗談はさておき、私の記憶の奥底をひっくりかえしていて、確かシュタイナーは脊髄から上って脳に突き抜ける みたいなことを書いていたことを思い出しました。(それで ああ 蛇の力ね と置き換えて記憶したんだと思います)


>最初は頭のある部分に中心点をつくり、それからハートのほうに下りてくるようです。

相互だと思います。
ユダヤ教で「ヤコブの梯子」というものがあります。
「下にいるものが上昇するには、上にいるものが降りてくる」つまり上にいるものが降りてこないと、下のものが昇れない。
エネルギーの交換みたいなものだと思います。
(宇宙のエネルギー総量は常に一定なはずなので、交換しないと宇宙が崩壊すると思います)

だから、ある意味 あなたの言うことは一部には正しい。
上から下る力をカヴとカッバーラではいったと思います。
上から下ることで、下から昇っていく。
この上の世界と下の世界には結界があり、下の世界のものは自力では突き抜け上の世界にはいけないので、上の世界の人が突き抜けて下ってくることで、チャンスがおとづれるんじゃないかと。
上の世界の方が振動数が高いので突き破れる としていると思います。


>シュタイナーのコスモロジーのなかで彼が考えた「キリスト」のマクロコスモス&ミクロコスモス的意味合いです。

シュタイナーのキリストを代表する思想を見ると、どうもグノーシスなんですね。
神秘学は宗教でいえば顕教ではなく密教の類なので、比喩の海。
はっきりと書くことは無い。
したがって読者はこの比喩の海に溺れかかりながらも、しっかりと自分の羅針盤を頼りに、この比喩の海を航海しないと、魔の三角海域に導かれ座礁してしまう。(と私も比喩を使ってしまいました 笑)

グノーシスの文献とおぼしきナグ・ハマディーに「雷 まっときヌース」というものがある。
比喩でクンダリニーのことだと思えます。

同じくトマスの福音書では、イエスがトマスを認めるやいなや「私はもはやあなたの先生ではない。 なぜなら私が量った沸きいずる泉を飲み酔いしれたからである。私の口から飲むものは私のようになるだろう。そして私もまた彼になるであろう。そして隠されていたものが彼に現れるであろう」といったとしています。

つまりイエスはトマスが梵我一如を悟ったと見極めたという話。

シュタイナーが書いたとされる物を読んでも、それは梵我一如のことだとしか思えません。
では梵我一如って何?
いや、私はそれを獲得していないし、それを獲得できる集団の門もどこにあるのか知らないんです。
だから、本からなんとなくその影を知る程度で、実態は門の中に入らないとわからないもので、出版物を見たところで、比喩にごまかされて幻しか見えない。
惜しいせんまで言って帰ってこれたから(丸こげになるまで上り詰めなかったから)執筆できたのかもしれない。


とっても危険だから一般人は近づけないように結界が張られているらしいし、叡智 つまり 入れるだけの器を持つ人(理解する能力がある人 認識する能力がある人)しか、その門のありかは見る(認識)できない構造になっていると思います。

シュタイナーの場合、本にしようとしていますが、やはり幻の部分しか書けていない。というより、「AHA!」というボタンが押され「AHA!」となったが、肝心の「AHA! を知らないから、文章に書くことができなかったと思うのです。
しかし AHA!(わかったぞ)だけが残ってなんとかエネルギーを物質化しようとしている。
言葉に表すことができない性質のものを、なんとか言葉にして他人にも紹介しようと試みているので、読者も読んでもわからないわけです。

イエスが実在したとしても書物には残していませんよね。
口伝で能力がある人と認めた者にのみ伝えたようになっている。
そのイエスも洗礼者ヨハネを師として、学んだと思える。
地に派遣されるという場面で、第一のメシアが結界をやぶりすごいエネルギーを下界に流したみたいなことが書いてある。
始まった・・・・ って感じですね。



で、門をつきやぶったのが洗礼者ヨハネってなっています。
つまり 上位と下位の結界に穴をあけて下った という話。
聖書に書かれている地を激しく襲う正体はこれだと思えます。
地上に災いが襲いかかるって意味じゃないと思えます。
ヨハネの黙示録など、その上昇の時に見えるものだと思えます。



>ブラフマンが神といえるような宇宙を貫く原理であるなら、その受容体であり、万物に働きかけるものと考えられるキリスト(聖杯として象徴)も、宇宙普遍の意識エネルギーのようなものでなければ筋がとおらないと、私はずっと考えていたのですが。

シュタイナーはブラバツキーに傾倒し、神智学を学び、ドイツでも神智学協会みたいなものを作りました。
が、その後 神智学をやめて人智学を作っている。
どうして神から人になったのか。
イエスは宗教が言うような神などではないと気づいたからだと思えます。
キリスト教は神の守護者というプラカードを掲げ、十字軍にて侵略を堂々としましたよね。
この十字軍の遠征の本当の理由は、グノーシスやカタリ派を神の名の下に撲滅すること。

シュタイナーの思想はグノーシスの思想と似ている。
これがグノーシスというものはありませんが、少なくともキリスト教が言う神が本当の神などではないとしています。
キリスト教の神は振動数(低次元)の神で、高振動(高次元)の神? あるいは何かは別にいるとしています。

そしてキリスト教によらず、高次元の何かに近づこうとしたとき、人智学ができたのではないかと思えます。


>どうか笑わないで聞いてください。NASAだって地球外生命体からのコンタクトを待ってプロジェクト立ち上げて大真面目でやっているのですから。

いえいえ 少なからぬ人が、既存のものでは不十分だとして、別に何かあるはずだという望みから、探すたびに出るので、旅に出ることは悪いことじゃない。
ただ、NASAも予算を打ち切られかねないので、そうならないように、民間にサービスをすることで、予算を確保しようとしていて、物質で何かに到達しようとしているわけで、物質なので莫大な予算がかかって、人の心を物質で解決できるとして無理しています。
オカルトでいけば、物質は低振動で、高振動は物質というよりエネルギー体なので、物質で認識しようとしても次元が違うので永遠に到達できないと思うんですけどね。
まあ できるという前提の元 やっているんでしょうけど。


>もし、キリストの受肉(シュタイナー的表現をすれば)が他の星で起きた場合、その星の条件に合う知性体が生息する環境のなかで、人間とはまったく異なる生命体(極端の例を挙げれば、水惑星でのお魚のキリスト、液体状生命体のキリスト、あるいは肉眼で不可視の異次元生命体のキリストなど)も可能じゃあないかとずっと考えていたのです。

聖書では成人した人間がいきなりできたことになっています。
進化論を否定しています。
私は進化論をまあ 信じており、ずーーっと辿っていくと、アメーバーみたいなもので、その前は有機質で、その前は無機質だったと思います。
太陽の爆発で太陽の一部が地球になり、無機質がやがて有機質になり、今では心を持っている生命体になったという流れの説を、真面目に受け止めています。

だから肉体が誕生して魂が宇宙のどこかから入ってきて肉体に宿ってそれが人間として成長した という考えは持っていません。
だって、ほかの動物だって心らしきものは持っていますもん。
喜ぶし悲しみますもん。
ただ、複雑さは人間の方が込み合っていますが。

初期のキリスト教は、十字架を異国の処刑道具として忌み嫌っていました。
ですので十字架をシンボルとせず、魚みたいな文字をシンボルとしていました。
今記号でそれがあるかと調べたら、出てきませんでした・・・
早い話があれは女陰の具象化。魚じゃない。
何故女陰がシンボルとされたのか?
イエスを一種の成婚だとしたから。

ルシファー キリスト教では悪魔とされています。
いわゆる 密教で覚醒して螺旋を描き上昇したが、残念ながら結界を突き破ることができず、堕ちてしまった。
ルシファーは光を帯びた者 という意味。
聖婚を足そうとして(梵我一如に到達しようとして) 残念ながら失敗してしまった。
聖書には彼が失敗したことについて同情している文章が存在している。
挑戦者に対して同情しているわけです。
(いきはよいよい帰りは怖い ってことで、失敗したらどんなに無残な結果になるか それがわかっていながら門の中に入ろうというのか という問答がとうりゃんせの歌に比喩として入っている)


>で、シュタイナーを読んでいて、かなりマクロ的な視野があるなぁとは思ったのですが、なんせ膨大な著書なので読みきれなくて、どの程度まで、彼はマクロコスモス的に考えていたかを知りたかったのです。

膨大すぎるし、第一比喩の連続だし、物質化できない つまり 形にできないものを形にしようとしているのを読んでも、やっぱりよくわかりませんよね。
わからないはずです。 言葉にできないシロモノだと思うので。
だから 「どこで手に入るのか? わかりません」といわざるを得ない。

読書しても駄目なようです。
心身の統一なくしては認識(グノーシス)できないらしい。
カッバーラには10個のセフィラがある。
セフィラって恐らく叡智って意味だと思います。
ではこのセフィラを得るにはどうしたらいいか?
わかりません。
「望むか?」 「いえ 結構です!」 となります。
何故なら、よほどの器を持っていないと近づけばルシファーのように黒こげになるとされているから。

パスを間違えると、カルト宗教を創設して、物質界で物質を集めまくり、重力で身動きも取れなくなり、結局警察に詐欺として逮捕されたり、信者から金をむしりとって、自分の御殿をきづいて満足し、人から笑われることになるし、精神が異常になって笑われているのに、本人は超越した者になったので精神異常などではないと思っている。

笑われているのに本人だけが気づけない。
本人が気づかないのでそれはそれで幸せだとは思いますが、それをみて「ほんと 生命の樹って恐ろしいなぁ・・・」と思います。


ふぅ ここまで書いて疲れちゃいました。
クンダリニー・ヨガについては また 後ほど書きます。

尚、回答すべく思考をしていたら、まとまりが無くなってしまい、質問者様が求めるものに回答していない可能性も・・・・
もうちょっと考えてから書こうとしたのですが、ひとまず 読んでいますよ という意味をこめて 返信しました。

この回答への補足

何度もお手数をおかけし、本当にありがとうございます。回答者さまのご意見も参考にしながら、よく読んでみると、「ミクロコスモス」という用語は、シュタイナーの場合、個人レベルだけで使われているようです。つまり人体的な意味あいで。マクロの場合は、宇宙の意味合いのようです。私はミクロコスモスという語は、もっと極小の世界を指すのかなぁも考えていたのですが、どうやら、宇宙に対応する人間という意味みたいです。←まちがっているかもしれませんが。キリストについては(イエス・キリストではなく)、4大主著や「エーテル界へのキリストの出現」を読む限りは、非常に宇宙的な壮大な存在(意識)を意味しているようです。ですから、回答者さまのNo.2の回答に近いものです。ただ、シュタイナーの場合、アートマンに相当する高次の自己は、ミクロコスモスではありません。
シュタイナーの元素論は、当時の時代的制約もあり、かなり詩的とも言える内容ですが、私は個人的には、量子的世界を思い浮かべます。ただそこにキリスト意識の流入というのは、まだ全部を読んでいないのでよくわかりませんが、あまりなさそうな感じです。DNAとか遺伝子の情報がない時代ですものね。回答者さまとの対話でかなり少しは理解がすすんだように思います。厚く御礼申し上げます。いろいろ有益な本や情報をありがとうございます。なお、クンダリニーについては、お手数もおかけしますし、だいたいは把握していますので、大丈夫だと思います。
補足のコーナーですが、御礼に代えさていただきます。  Thank you so much!!

補足日時:2007/02/16 20:48
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No.1です。




グノーシスの教師 モノイモスはこういいました。

【神とか、創造とか、それに類似したことを捜し求めるのはやめなさい。
 あなたがた自身を出発点として、彼(究極的存在)を求めなさい。あなたがたの中にあって、全てのことを思い通りになし、「わが神よ、わが心よ、わが思いよ、わが魂よ、わが身体よ」と言うものは、誰であるかを知りなさい。
悲しみ、喜び、愛、憎しみの原因を探りなさい。・・・あなたがたがこのようなことを注意深く吟味するなら、<あなたがた自身>の中に、彼を見出すだろう。】


つまりこれのことだと思います。
   ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E6%88%91% …

★梵我一如
【梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること】を知りなさいモノイモスは言っているのだと思います。



【梵は神ではなく、あらゆるところに始めから存在する生命の源と考えられている。また人間が梵を吸収することにより生命力が増すという思想もある。仏教では、梵が人格をともなって梵天として登場するが、本来は、自然そのもの、あるいは偏在する原理、または真理といったものである。一方、我(アートマン)とは、身体の中にあって、他人と区別しうる不変の実体(魂のようなもの)として考えられている。】


梵:ブラフマン→宇宙を支配する原理。

我:アートマン→個人を支配する原理。


【ブラフマンはブラフマーと同一のものと見なされる。ブラフマー(創造者)は三神一体(Trimurti)の神々の1つであり、ヴィシュヌ(保持者)と、シヴァ(破壊者)とは本来同一とされている。】
  ↑
キリスト教には三位一体なるものがあり、それを父と子と聖霊としました。
違う。
キリスト教の三位一体の説明を聞いてもよくわかりません。
というか、理論が破綻しているので、説明できるという人は嘘つきだと思うし、破綻している以上 説明はできないハズだと思えてしまいます。

私が思うに、三位一体を考え出した人は、ヴェーダを曲解した あるいは すごく浅い理解しかしていなかったのだと思えます。



★アートマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC% …

「我の中心にある偉大なアートマンは祝福に満ちて、花びらが舞降りている」という説明を聞くと人は・・・・。
   ↑
これが昇華、 シュタイナーの言う内なる聖杯のことだと思います。


仏像は蓮の花に乗っていますよね。
あれが車輪。
つぼみが開きチャクラ(車輪)が旋回するような感じを蓮に例えたんだと思います。
旋回が始まるとDNAのように螺旋を描くわけです。
上からまっすぐに降りてくるのではなく、螺旋を描いて降りてきて、下から螺旋を描いて昇華が始まるとしています。

書くとかなり長くなるので、その先略。



ブラバツキーは神智学を提唱して、シュタイナーも学びましたが、後にやめて人智学なるものを考え出しました。
「ブラフマンは神とう類のものじゃない」と思ったからだと思います。


今回どうでしょうか?
理論を説明はできますが、そのものは表すことは私にはできません。

で、ここでそのアートマンの座なのですが、側頭葉あたりにあるんじゃないかと、本を読んで思いました。
なんでも1000回分のエクスタシーが一度にくるほどだそうで・・・
生身の人間では耐えられそうもない。。。。。
生身で認識しなければ、陽気を受容できるのかもしれませんが、、、、
下手にやると、陽気に耐えられず発狂すると思えるので、やはりちゃんした人の元で修行をして、耐えうる器になってからじゃないと、電撃でまっくろコゲになりそうですね。
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この回答へのお礼

お忙しい中、丁寧に教えてくださり本当にありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。とても参考になりました。
梵:ブラフマン→宇宙を支配する原理。マクロの聖杯
我:アートマン→個人を支配する原理。ミクロの聖杯
に相当するんでしょうね。一つ思うのは、キリストとの関係で、聖杯というのは、キリストあるいはその意識を受容する器だと思うのですが、ミクロ的に考えた場合、それはアートマンを形成するミクロレベルの粒子にまでおよぶのでしょうか?
それからアートマンの座はハートチャクラ、つまり心臓あたりの霊的器官にあるのじゃないでしょうか?たしかシュタイナーではそうだったように思います。

お礼日時:2007/02/11 22:21

シュタイナーといえば人智学を作り出した人です。





この世以外にも複数の何次元の世があり、キリスト・釈迦は ○○次元まで読むことができた とかいうことになっています。

シュタイナーはブラバツキーが作り出した神智学を最初学んでいたようですが、後でそれを否定して、人智学なるものを作り出しました。
ちなみにブラバツキーは後にイカサマがバレてしまいました。


シュタイナーやブラバツキーはその概念を作った創始者ではなく、二人ともカバラをちょっとかじったと思われます。
思想がカバラっぽいから。

カバラにはパスがあり、上までいくと別の樹がまたある という考えがあります。

聖書には聖杯という言葉は出てきませんが、イエスが「取って飲みなさい これが私の血である」と述べていることになっています。
つまり口伝の秘儀の伝授場面なわけです。

つまり秘儀を伝授することを聖杯としたと思います。
聖杯は師匠が理解できるレベルに達した弟子に直に伝えるものなので、決して文章には載りません。

従っていくら書物を探しても見つかるわけがありません。
聖杯は読んだだけでは受け取れません。
聖杯を受けるには蛇の力が必要になります。
修行をしていけば誰でも得られるというものではありません。
一方的に降りてくる。
師匠は弟子に時が来たとわかったとき、聖杯を与えるようです。

では、どこで聖杯を得られるのか どうすれば聖杯を得られるようになるのか。

わかりません。
何故なら、こちらが望むと望まないとにかかわらず、時が来たときその来た人に降りてくるから。
一方的に勝手に降りてくるものだから。
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