『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

小さい頃「フランダースの犬」というアニメを見てました。(再放送かもしれませんが・・・)
お爺さんが亡くなって以降ずっとネロを可哀想と思ってて、それでも「絵のコンクールで優勝したら」ってネロは頑張ってて、私は絶対にネロは優勝すると思っていました。
ネロはすごく絵が上手だったし、審査員も褒めてたし、子供心にネロが優勝しなかったらネロの行き場が無い事が予想出来ていましたから。優勝者発表まで番組も結構引っ張ってたと思います。
そして発表。うろ覚えですが、優勝の絵は確か会場の上に飾ってあるという事だったと思います。
そしてネロは見に行った。優勝者はネロでは無かった。
私はそのシーンがとてもショックでした。「えっ?ネロじゃない・・・こんな事ってひどい!」絶望だった。
そしてネロは教会で亡くなった。パトラッシュも一緒に。
亡くなったネロを発見した村の人々はネロに「冷たくして悪かった」って謝った。
最後のナレーションは「ネロはもうつらくありません。だって、もうネロは苦しい事、悲しい事は無いんですから」だった。(うろ覚えですが、こんな感じだったと思います。)

私は子供心に思った。「こんな希望の無い番組を子供に見せていいのか?」と。
(確か幼稚園か小学校低学年の頃だったです。確かにそう思いました。自分も子供なのに・・・(*^_^*))

「感動したTV番組」みたいな番組でたまに「フランダースの犬の最終回が感動」って出てきますよね。
本当に感動?泣いてる芸能人とか見ると「可哀想で泣くのは分かるけど、感動かー?」と不思議に思います。

感動すると言う方、どの部分で感動するのか教えて下さい。
よろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

努力しても才能があっても報われない、まわりの人はみんな冷たい、なのに


ネロは曲がっていない心を持ち続けている。
↑ここらへんが感動。

おいてきたパトラッシュがネロを探してやってきた。
↑ここらへんが感動。

寒い夜中に追い出されて行き着いた先が教会で、どうしても見たかった絵に
かかっていた幕を破ったんだけど暗くて見えなかった。
少しの間だけ月明かりで絵が照らされた。
最期に絵を見せてくださって神様ありがとう。
↑ここらへんが感動。

話としてはネロが死なないと成立しない。
世の中ハッピーエンドでは終わらない。
悲しくてもネロの健気さに感動するのではないかと?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど!
そういう感じに感動するのですね。
私は「ネロっていい子なのになんで皆イジメるの?」って怒ってましたから感動どころか怒りで。。。
しかもやっぱりネロに優勝して欲しかった。努力すれば報われるとか、そういうのを子供心にすごく期待してたので。。。優勝しなかったらもう家も無くネロは一体どうやって生活するの?と思っていたところに「死」だったので、もう悲惨で。。。

でも、3つのご指摘部分は感動に値いすると思います。
全体を通しては悲惨だけど、部分を切り取れば感動出来ますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/01 23:35

えっと、5番目に書いたものです。


「感動」の定義について。
厳密に言えば「なんてひどい」や「なんて気味悪い」も感動・・・かな?
たしかに感覚的には納得いきませんね。自分で書いておきながら何ですが。
でも、「なんて可哀想」は感動の範疇に入れて、違和感無いんですよね~、私は。

美内すずえの「ガラスの仮面」という演劇漫画で、オーディションの課題として「なんの変哲も無い場面に自分の演技を加えて感動を生ませる」というものが出題されるエピソードがあります。
で、主人公が何通りにも演じ、審査員はそのたびに「泣いたり」「笑ったり」「はらはらさせられたり」と、幾種類もの感動を与えられるという・・・・。
これでいくと、「感動」って、なんでもアリかな? て気もします。

なんか、最初の質問からずれちゃいましたね。ごめんなさい。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
えっと・・・実は締めようと思ったのですが、No5のご回答者様からの再度のご回答が来るかも・・・と思って待ってました(*^_^*)

私も色々考えたんですよ。
それで思ったんです。
あ・・・私のこのフランダースの犬の「可哀想」って「悲惨で可哀想」だって。そしてきっとNo5のご回答者様の「可哀想」はもっと「きれいな」可哀想なんじゃないかって。このフランダースの犬を見て「きれいな可哀想」を感じる人だっていると思いますし。(「きれいな可哀想」・・・はニュアンスを感じて下さい)

どうでしょうか?やっぱり感動ってポジティブな意味で使われると思ってます。「ガラスの仮面」は詳しくは知りませんが、やっぱり「良い意味」として「感動」って使ってある様な気がしますが。
と、言ってももうこれ以上はフランダースの犬とはずれちゃうので締めますね。
本当にどうもありがとうございました。

お礼日時:2002/07/02 17:19

まあ、普通はかわいそうで泣いてるんでしょうね。


かなりやりきれない話だし。
本で読んだとき、なんてひどいんだと思いましたもん。私も。

でも、かわいそうと言う気持ちも感動のうちだとも思いますが。
感動と言うのは、心が揺さぶられることだし、「なんて素敵」も「なんてかわいそう」も、心が動いたことにはかわりないんで、両方とも「感動した」と言えるのでは・・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「なんて素敵」も「なんてかわいそう」も、心が動いたことにはかわりないんで、両方とも「感動した」と言えるのでは・・・・。
この解釈は初めて聞きました。感動ってポジティブな意味に捉えていましたので。
「ポジティブで無くても心が動けば感動」なのでしょうか?「なんて悲惨だ」「なんて可哀想だ」「なんて汚いんだ」「なんて気味悪いんだ」等、こういうのも「心が動いたことにはかわりない」ので「感動」というのか・・・ごめんなさい、ちょっと混乱しています。よく考えてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/01 23:26

半年ほど前に再放送をしてまして、何回も再放送してるのは知ってましたがはじめて見ました。


自分も不思議になりどこが感動する場面かと見ましたが・・・いまいち分かりません。

先週ですがめざましテレビのワールドキャラバンベルギー編でこの話は本当の話だと言ってました。
テレビでネロとパトラッシュの絵、ルーベンスの絵、教会の音(凄く沢山の階段を上って今でも人が毎日12時から13時まで弾いてるそうです)

日本では感動物語になってるそうですが、ベルギーではあまりにかわいそうで、幸せにならない物語として一切うけなかったそうです。

多分ですが、他の方もかかれてますが、いろんな 疑いもはれ、アロアの父親の全財産を届けた事でアロアとの生活やこれから良い生活が出来る事よりも最後にどうしても見たかったルーベンスの絵が見れて、周りから見れば不幸物語だけど、死んだおじいちゃんとおかあさんの所にいける事がネロにとっての幸せという感動物語りと感じました。

ビデオレンタルでもレンタルしてる所もありますので見られたらどうでしょう??
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>自分も不思議になりどこが感動する場面かと見ましたが・・・いまいち分かりません。
>(前略)周りから見れば不幸物語だけど、死んだおじいちゃんとおかあさんの所にいける事がネロにとっての幸せという感動物語りと感じました。
この二つの文章から、やはりどこに感動するのか模索されたのが伺えます。
感動って模索するものではないですよね。もしこの質問の為に感動を模索して下さったのであれば感謝致します。

>日本では感動物語になってるそうですが、ベルギーではあまりにかわいそうで、幸せにならない物語として一切うけなかったそうです。
それを聞いてほっとしました。私はベルギー派ですね。

なので
>ビデオレンタルでもレンタルしてる所もありますので見られたらどうでしょう??
ベルギー派なのでご勘弁を。

色々とありがとうございました。とても参考になりました。

お礼日時:2002/07/01 23:15

私も最終回のラストの場面ではネロが可哀想で泣いてるクチです。



おじいさんと慎ましく暮らしていたのに、おじいさんが死んでしまい、辛い牛乳配達をパトラッシュとしながら何とか暮らしていたネロ。なのに、アゴのでかいおっさんに風車放火犯の濡れ衣を着せられてしまい、アロアの親父にも口汚く罵られ、渡る世間に鬼ばかり状態になった揚げ句、過労で死んでしまう。

私の理解しているストーリーがこうなんで、感動よりも可哀想が先にたつのかもしれません。

うろ覚えなんですが、本来「フランダースの犬」は成人したアロアが自分の幼少の頃を振り返り、もっとこうすればよかったとかあんなことするんじゃなかったと物思う流れの話だ、ということを聞きました。
確かに、成人したアロアが振り返った記憶の中でストーリーが進み、最後が成人したアロアのネロに対する思いで締められていたら感動物語になるのかもしれません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>おじいさんと慎ましく暮らしていたのに、おじいさんが死んでしまい、辛い牛乳配達をパトラッシュとしながら何とか暮らしていたネロ。なのに、アゴのでかいおっさんに風車放火犯の濡れ衣を着せられてしまい、アロアの親父にも口汚く罵られ、渡る世間に鬼ばかり状態になった揚げ句、過労で死んでしまう。
>私の理解しているストーリーがこうなんで、感動よりも可哀想が先にたつのかもしれません。
そうそう!そうです!私の理解しているストーリーもそうです。
そして幼き日の私はネロの絵の優勝に希望を見ていたんです。

確かに他の描き方なら感動も感じたかもしれませんね。私も感動より可哀想が先にたちます。

お礼日時:2002/07/01 23:07

様々な不幸に直面しても、常に正直で純真なネロ。



コンクールの優勝を逃したネロには、家賃を払う術がありません。
そんなわけで彼はアロマに犬を預け、吹雪の中を歩き始めます。

そしてルーベンスの絵を見ることが出来た、と素直に喜びます。

…恐らく、彼のその心意気が感動を呼ぶのでしょう。
不幸を理由に彼がグレてしまってたら、感動も何もありませんし。(笑
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですか。そこが感動ですか。
質問してよかったです。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/01 22:57

ネロは、大聖堂にあるルーベンスの2枚の絵を見ることが


目的ではなかったでしょうか。この絵は普段は閉ざされて
いて、その絵を見る為に1フラン稼がなければならなかっ
た。コンクールの優勝が主目的ではなかったはずです。
で、結果的に、吹雪の中、夢遊病の様に大聖堂に向かい
奇跡的に(ここがミソ)そのルーベンスの絵を見ることが
できた。何故、彼が見られたのかは語られない。
そこが感動的なのではないでしょうか。

本放送当時は小さかったので、神様のお迎えが来ること
よりも魂を奪うことの理不尽さで涙にくれたことを覚え
ています。自分の中でもその涙がいつしか感動にすり
かわっているかも知れませんね。
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この回答へのお礼

あ、そうでしたか・・・優勝にはそういう意味もあったんですね。小さい頃でとにかくネロが優勝すれば希望がある、ただそれだけの記憶しか無かったもので、すみません。

>奇跡的に(ここがミソ)そのルーベンスの絵を見ることが
>できた。何故、彼が見られたのかは語られない。
>そこが感動的なのではないでしょうか。
そうですか。感動するならそこですか。
うーん、落としてちょっと上げて、そして死。
努力しても報われず・・・どこが感動するアニメなのか?
私は感動より悲惨という方が強いです。
でもこのご回答を頂く前よりは悲惨と思う度合いが減りました。ネロ、最後に絵が見れてよかった。ありがとうございました。
だったら、最終回の感動シーンみたいな番組で流れるシーンが「パトラッシュ疲れたよ・・・」からというのはどうもいけませんよね。

>本放送当時は小さかったので、神様のお迎えが来ること
>よりも魂を奪うことの理不尽さで涙にくれたことを覚え
>ています。
全く同じ意見です。

>自分の中でもその涙がいつしか感動にすり
>かわっているかも知れませんね。
冷静なご意見です。すりかわってる人多いって思ってたものですから。
「フランダースの犬=感動」ってなってるけど疑問符アリだったので。

追伸:あの・・・以前とってもお世話になりまして・・・その後どうですかね?

お礼日時:2002/07/01 19:10

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Q「フランダースの犬」のような作品の存在意義

「フランダースの犬」のような悲しい作品は何のために存在するのでしょうか?

幼いころに両親をなくし、6歳から働き始め、養ってくれた祖父も死に、住む場所を失い、泥棒だと間違われ、挙句の果てには過労と飢えで衰弱死…。

見る人、特に子供に何を感じさせたいのか、何を伝えたいのかわかりません。


見る人を暗い気持ちにさせたいのでしょうか?
人生何をやってもうまくいかないこともある、とでもいいたいのでしょうか?
自分よりも惨めな境遇の人がいるということを知らせ、優越感に浸らせたいのでしょうか?
ネロのようになってはいけないよ、という教訓なのでしょうか?
捨て犬は拾ってはいけない、助けてはいけない、という教訓なのでしょうか?


私はたとえ物語の中でも、あんなかわいそうな描写をしてほしくないと思います。また私はまだ子供はいませんが、将来できたとしても子供に見せたいとは思えません。

「フランダースの犬」のような悲しい作品は何のために存在するのか。この点について教えてください。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 原作の絵本もアニメも観ていませんが、参考になればとの思いで回答させていただきます。
 (回答するにあたり、ウィキペディアの『フランダースの犬』の項と、これまでの他の方の回答は読みました。)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%8A%AC

>「フランダースの犬」のような悲しい作品は何のために存在するのでしょうか?

 pringlezさんは、創作悲劇の存在意義を問うていると解釈し、回答します。

 まず、子どもに悲劇を読ませる場合ですが、これは「他人を思いやる心を育てるため」ではないでしょうか?
 おばけの話を聞かせて、「怖い」という感情が君にはあるんだよ、と教えるように、「悲しみ」や「可哀相」という気持ちを教えられるのかと思います。「悲しくない」と言う子もいるかと思いますが、そういった場合も、その子の個性を知る良い機会になるのではないでしょうか。いわゆる情操教育というやつです。
 なかには「ネロは可哀相だよね。こういう人がいたら助けてあげようね」とか、「こうならないような社会にするにはどうしたらよいか」ということにまで発展させる大人もいるかと思いますが、これは道徳教育の意味があるのでしょう。

 つぎに、自主的に悲劇を読もうとする場合ですが、これは「興味を満たすため」か「自己憐憫のため」ではないでしょうか?
 「興味~」というのは、単純に「可哀相なことが見たい、知りたい」という欲求のことです。「ホラー映画で、気持ち悪いものが見たい」とか、「友達の恋愛話を聞いて、ドキドキしたい」とか、そういった類のものです。人はどこまで可哀相になれるか、という純粋な知的(感情的?)興味です。
 「自己憐憫~」は、「(部分的であるにせよ)私と似ている境遇のあの子は、あんなにつらい目に遭っていて可哀相!」「こんな悲しいことが起きるのは、○○のせいよ!」と考えることです。自身の現実の境遇や生活と重ねることで、涙し、ストレス解消に役立っているのではと思います。

 以上が、私の考える悲劇の存在意義です。ここからは、これまでのpringlezさんと他の回答者さんのやりとりを読み、私が「いわゆる一般的な悲劇」に対して抱いた感想です。

 悲劇は、その原因が社会なり他人なりにあることで成立しています。もし、自分のせいなんてことになれば、それはただの自業自得になってしまいます。そのため、悲劇はしばしば「同情可能」なのか「自業自得」なのかで意見が分かれます。
 『フランダース』にしても、さるベルギー人映画監督に言わせれば「負け犬の死にしか見えない」そうです(ウィキ参照)。

 情操教育として悲劇を読み聞かせるのは、良いことかと思います。二度と起こしてはならない、史実の悲劇を語り継ぐのも重要です。同時に「どうやって悲劇を防ごうか」という議論も必要でしょう。
 しかし、自己憐憫のための悲劇は好きではありません。
 自分以外のすべてが不道徳、不誠実で、自分は清廉潔白で間違っていない。あるいは、日本の歌舞伎や文学などで馴染みのある「心中物」のような、社会に馴染めない者同士の美しき純愛。
 どれも主人公を、ひいては自分を美化しすぎのような気がします。残念ながら、私は彼らに自分を重ねることはできません。「悲劇のヒロイン」には、なりたくありません。

 自己憐憫の物語に溺れる、一部の人間の思考回路こそ、神様の書いた悲劇なんじゃないだろうか。などと考えてしまうのは、いささか早計でしょうか。
 駄文、長文になりましたが、pringlezさんの参考になれば幸いです。 

 原作の絵本もアニメも観ていませんが、参考になればとの思いで回答させていただきます。
 (回答するにあたり、ウィキペディアの『フランダースの犬』の項と、これまでの他の方の回答は読みました。)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%8A%AC

>「フランダースの犬」のような悲しい作品は何のために存在するのでしょうか?

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