チョコミントアイス

お願いします。クリスチャンに詳しい方どなたかお願いします。
家族の一人が一昨年亡くなりました。お葬式も、一周忌もお盆、お彼岸など、すべて仏教で済ませました。ここに来て、家族全員がそのご住職さまの説法や態度に仏教がなんていえばいいのか、おどろおどろしたものに聞こえてきて、子供たちはカトリックの学校に行かせたせいか
クリスチャンだったら、また向こうでも一緒になれて同じ生活ができるんだよっていうので特に洗礼も受けさせたなく今も家族の宗派は仏教です。随分1年以上みんなで考えてきたのですが。もう亡くなった人は
洗礼を受けることが出来ません。まだ離れたくなく納骨もお墓も建てていません。亡くなった人を、仏教で別世界に行ってもらったのに
亡くなった人を連れ戻すというか、クリスチャンに出来る方法は
あるのでしょうか。私達はこれからよーく考えてクリスチャンに
なる事はできるのですが、なくなった人と一緒にクリスチャンに
なりたいのです。どうしても一緒にいつもいつも一緒にいたいのです。
どうすれば、この亡くなった人をクリスチャンにできますでしょうか。
また亡くなった人は仏教ではもう三途の川を渡り、もう戒名の名前で
観音様の下でみんなで楽しく暮らしているとご住職様はおっしゃいます。そんなに楽しく暮らしているのを又連れ戻すのかと小説の
ような世界に悩んでいます。亡くなった人は家族の柱でした。
どうしてもその悲しみから逃れられません。でも何だか十字架の
キリストを見ていますと、吸い込まれるようで、日夜悩んでいます。
お盆が来る前に解決できればなあって思い始めました。
又迎え火だとか送り火だとか、お盆のご住職様が待っています。
又あのご住職様かと思うともううつ状態になります。
結構有名で亡くなった人の実家が資産家だったため何もかも
一流なら、仏様まで1流にといったぐあいに今日までお付き合い
させていただいてきました。どうかクリスチャンにお詳しい方
亡くなった人は洗礼を受けていないのに一緒にクリスチャンに
なれるのでしょうか。又ご住職様が言われたところにいるのなら
帰って来れるのでしょうか。その間で亡き人は苦しまないでしょうか。
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

キリスト教だの仏教などは人間が勝手に作ったもの、そして時の権力者が利用して大きくなったもの、死後の世界は無の世界天国も地獄も無いで

す、魂は宇宙の塵と同じ、ただ宇宙を漂っているだけ、神も仏もそに人間の心にあるのです、悪いことを考えれば、悪魔になり慈愛に満ちた心を持てば神、仏になる、この世で生きることは生まれてきた人の宿命、天命を全うするまでは他人の痛みを考えながら、幸せをつかんで天命を全うすることだと思います、
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この回答へのお礼

有難うございました。この短い文の中にすべてが私の求めていた
答えが見つかったような気がしました。
本当に有難うございました。
ずっと何度も何度も読んで涙がとまりませんでした。
「慈愛に満ちた心」それは、誰にも負けないと思います。
これからはhielfeさんが教えてくれたこの文章を
思い出しながら。生きて行きたいと思います。
本当に何十回も読ませていただきました。
本当に自然に涙が流れて、何だかホッとしました。
死後彼が書いたものがたくさん残っていました。
彼はお葬式も、お墓も何も望んでいませんでした。
それよりももっとだいすきだった、○○の海にお骨は流してくれ
とありました。それを見つけてから悩みは始まりました。
さすがに海へは出来ませんでしたが、毎日抱きしめるものがあり
納骨を勧めるお寺さん、親戚、の間でどうしたらと悩んでいましたが
他人の痛みを考える人間には少しご住職さんのせいにしていたところ
もあったかもしれません。でもこれで、私はきっぱりと彼を抱きしめて
しっかりと一緒に、一緒に生きていきます。
本当に的確で感動のお答え有難うございました。
私は、このお出会いを忘れません、頑張ります。お礼まで。

お礼日時:2007/07/15 17:50

カトリック信者です。


まず、お子さんが行っていた学校はパパ様(ローマ教皇)の写真があることからして、カトリックで間違いないでしょう。
余談ですが、カトリック内部ではローマ教皇の呼び方で統一されていますが、教会外のマスコミなどではローマ法王と呼ばれています。
無くなった方をクリスチャンにしたいとのことですが、まず無くなった方に洗礼をさずけることはできません。
しかし、その理由が死んだ後、同じ天国に行きたいという理由だと思いますので、その場合は無くなった人を無理にクリスチャンにする必要はありません。
なぜならカトリックでは、天国は一つしかないと考えているからです。
カトリック、プロテスタント、仏教、神道など宗教ごとに天国があるわけでないからです。
それで、質問者さん一家がカトリックに改宗するのに支障は無いと思います。
カトリックはキリスト教各派の中では唯一、葬儀以外で死者のために祈ることを奨励しているので、質問者さんが求めるキリスト教に最も近いと思います。
今から教会に通い始めればクリスマスの頃に洗礼を受けられるものと思います。
具体的にどうするかですが、8月15日はカトリックにとっても聖母被昇天という祝日でミサもあるので、このミサかこの前後の日曜のミサで故人追悼をお願いします。これで神父がミサ中に故人の名前を読み上げてこの人のためにミサ参加者全員で神に祈ります。ここで故人はカトリック信者である必要は無いのは前述の通りです。洗礼を受ける勉強中であれば、この追悼ミサは受け付けてもらえるはずです。(余談ですが、この時の献金は3千円くらいを専用の封筒に入れて神父に渡してください。これは教会ごとにシステムが違うかもしれないので神父に確認してください。)
ついでに言うと、この追悼ミサは通常は、故人の命日と、11月2日の死者の日、および場合によっては上記のように聖母被昇天祭に行います。
ぜひとも近所のカトリック教会かお子さんの学校の神父、シスターなどに信者になりたい旨ご相談ください。
#1さんの回答にあるように、質問者さんがカトリックになったとしても、親戚の反対などの理由で故人の追悼を仏教式に行うことをカトリックは禁じていません。詳しくは#1さんの回答にある小冊子に記されています。
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この回答へのお礼

お優しいお返事有難うございました。
とてもよく分かりました。子供達が言っている学校は本当に
そうです。まずこの中に、学校の名前となっていることも
びっくりしました。
私はずっと仏教で進学校のためにだけカトリックの学校に
行かせましたが今では色々と聖書のことを話してくれます。
色々と皆さんにご回答いただきましたが、色々なことを
教えられ、わが身が引き締まる思いになったことだけでも
こちらに登校させていただいた意義がありました。
ご丁寧なお説明に感謝しています。よく肝に銘じて
生きて行きたいと思います。本当に有難うございました。
お礼まで。

お礼日時:2007/07/16 12:25

私は無宗教です、因みに私の実家は、浄土真宗で祖父母、父が先に行っています。

主人の実家の宗派は分りません(主人が知らないのと遇えて私が知ろうとは思わない)儀姉の連れ合いは・浄土真宗。義兄は・曹洞宗で行っております。全て仏教ではありますが、宗派によっては違いがありますが、私はどちらにしても、個人を偲ぶ気持が一番だと思っていますので、気にはしてません。実際に昨年 私自身が、生死をさまよう病に倒れました・生と死の違いは、目が覚める事が出来るのが此方の世界、目を覚ませずに無の中にいるのがあちらの世界と感じています。目が覚めるまでは 何も感じず(痛みも、苦しみも、暑さ寒さ、静かな世界だった)ように思いだされます。相談者様のお気持ちは、此方の世界にいらっしゃるので、ご自分のお気持ちばかりが選考していらっしゃるのではないでしょうか、先にいらした方は後相談者様のお気持ちは、全て分かっていらっしゃると事と思われますので、どのような方法をなさっても宜しいのではないでしょうか、色々とお調べになり、ご自身が納得なさることが、一番のご供養になるのではないでしょか、このままではイヤだとおもいながらのご供養は、亡くなられた方も(どの神様の所にいらしても)ご心配していらっしゃると、思います。
余計な事を、もう一言<あの世とやらは、良いらしい、只今と帰って来た人はいない>と言うことを,よく言われます。
御相談者様のお気持ちが、納得なさり、落ち着かれて、安心されてご供養為さる事が御出来になられますようお祈り申し上げます。
なんの足しにもなりませんコメントをお許し下さい。
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この回答へのお礼

お優しいご回答いただき有難うございました。
無宗教とは、亡くなった人は、お葬式などもなく戒名もないのでしょうか。私も本当に色々と勉強してきました。仏教は本当に宗派が多いですね。我が家は一応代々真言宗で高野山と深い関係だそうです。
そうですね。皆様のご回答をいただき、私にはmamadasuさんが
おっしゃいますように、無宗教がいいかもしれません。
まだまだ悩んでしっかりとした気持ちで亡き人に心配させないように
安心してもらえるように、頑張りたいと思います。
有難うございました。本当に・・・・・。

お礼日時:2007/07/15 12:25

プロテスタントのクリスチャンです。



>クリスチャンだったら、また向こうでも一緒になれて同じ生活ができるんだよ
→カトリックではそのような教えなのでしょうか。
プロテスタント的に言えば天国は全く違います。
まず、天国に結婚という概念はありません。
結婚は神との契約なのです。
その契約は「死が二人を分かつまで」なので、死んだら結婚という契約は解消されるのです。
そしてキリスト教的に「死」とは神様が天国に住処を作って下さって、そこへ移り住むというような感覚なんです。
だから天国では一緒に住んではいますけど、現世のように一緒に結婚生活をしているわけではなく、ただクリスチャンとして同じ天国という世界に居るといるだけなんです。
だから結婚生活と同じ生活ができるわけではありません。
天国では配偶者という考え方はありませんから。
そういう考えは仏教的なんですよ。
クリスチャンはそのようには考えません。

探せばあなたの納得するような宗教はあると思いますよ。
でも、どちらかといえば「あの世でも一緒に」の考えは仏教です。
今の問題はあなたは今の住職さんが気に入らないだけなのではないですか?
だからお寺さんを変えるだけですんなり解決する問題だと思うのです。
そうしたらあの世で2人で過ごすことは可能ではないでしょうか?

思うのですが、故人の考えはどうだったのでしょう?
生きている者の生活が中心だと思うので、あなたがこれからクリスチャンになることは良い事だと思います。
でも、故人までクリスチャンにすることが故人の想いだったのでしょうか?
どうしてもそう考えてしまいます。

でも、あなたがどうしてもクリスチャンになりたいとおっしゃられるなら、カトリックがよろしいかと思います。
カトリックは戒律が厳しくないので仏事もなんでもOKですからね。
プロテスタントの方が厳しいです。
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この回答へのお礼

ご丁寧なお返事有難うございました。
そうですね。そういえば、「死が二人を分かつまで」
まったくその通りに聞いて今日まで来ました。
何も思わず、考えず、今、気がつきました。
そんなにカトリックとプロテスタントが違うのかとも
今教えていただきました。
そうです。私も何度も住職さんを変えればすむことと
何度も自問自答してきました。ですが、直ぐ近くに同じ宗派の
お寺様がありまして。そこも有名なおおきなお寺様です。そこに
変えさえすればと思ったのですが。何だかクリスチャンの優しさって
言うものが私たち家族に必要な気がしました。
ローマ法王はどちらと考えればよろしいのですか?
無知ですみません。これから勉強しようと思っていたものですから
子供の学校には「パパ様」と言ってこられ、今も記念写真が
あるのですが。又お教えいただければ。とりあえずお礼まで。

お礼日時:2007/07/14 23:30

こんにちは。

あまり詳しくないカトリック信者です(^_^;)、もっと詳しい方の回答があればそちらを参考になさって下さい。
 キリスト教、クリスチャンといっても多岐に渡りますが、お嬢様がカトリックの学校に通われたという事で、イメージされているのはカトリックでしょうか。質問者様やご家族の方が信者になられるかどうかは、またゆっくりと考えられたらいいと思いますが、とりあえず亡くなられた方が洗礼を受けられるかどうかという事ですよね?洗礼を受ける方法は普通に勉強して洗礼を受ける方法以外にも、死ぬ間際に洗礼を受ける方法と、生前洗礼は受けなかったけど教会と関わりがあって家族がそれを望んだら受けられる事があります。しかし、お亡くなりになった方は、特にそのような事もなかったのでこれには当てはまらないようです。
 カトリックは第二バチカン公会議から、他宗教との交わりを積極的に行うようになりました。山の上に真理があるとしたら、その登り方は色々あってもいい(だと思います)、その登る道の1つがカトリックです。ですので、私がイメージするに、亡くなった方がAという道(この場合仏教ですね)で登られて、もし質問者様が洗礼を受けられてもBというカトリックの道で登られたら、頂上で会えるのではないでしょうか?
 我が家も仏教とカトリックとごちゃ混ぜですが、先祖を敬う気持ち、亡くなった家族に安らかに眠って下さいという願いは仏教もキリスト教も同じだと思いますので、普通に法事にお寺さんにお願いしていますし、カトリックでもこれを認めています。ご住職に対する不満などは、門外漢なので分かりません(仏教に詳しい方の回答を参考にして下さい)が、無理に改宗しなくても良いのではないかと思います。またどうしてもという気持ちがおありでしたら、お近くの教会で神父様なり、プロテスタントでしたら牧師様なりに相談してみると良いと思います。
 長文になりましたが、カトリック中央協議会が発行している「祖先と死者についてのカトリック信者の手引」という本があります。こちらに詳しい事が載っていますので、良かったら読んでみて下さい。
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/bsps/sosen/s …
 
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この回答へのお礼

早々と有難うございました。そうですか、一人ぽっちになりはしないかとずっと考え込んでいます。でも仏教からはもう離れたいのです。
修行されて、極められた人間がご住職さまと思っていましたが
常識を超えられて、まずお口も軽いし本当に来ていただくようになって
から鬱病になってしまいました。ただ亡き人を抱きしめ泣くだけです。
救いの神はどこにいらっしゃるのでしょうかねえ。有難うございました。お礼まで。

お礼日時:2007/07/14 15:18

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