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浦島太郎は竜宮城にずっといたほうが良かったのでしょうか?
浦島太郎が地上に戻ってきて現実が変わっていたのは助けた亀(乙姫)の嫌がらせですか?また、乙姫は何故、玉手箱を渡したのでしょうか?
太郎が不幸になってしまった理由が全く分かりません。

A 回答 (6件)

「神隠し」とう現象は、古来からあったのでしょうね。


現代では、「神隠し」を科学的・実証的・犯罪的に解明され、「神隠し」は皆無です。

浦島太郎を、民俗学的に考えるか、或いはそれを実証的に考えるかで論点は変わってきます。

らち被害者が、帰国して「おおむね」幸せそうにいられるのは、北朝鮮との落差の問題でしょう。すこし言い過ぎですが。(^^ゞ
そうかんがえると「浦島伝説」もおとぎ話では住まされなくなりますよね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
神隠しですか?新説ですね。

お礼日時:2007/09/13 01:38

浦島の話は古くは『日本書紀』『風土記』などにも見られ、伝説という位置づけをされています。

(おとぎ話ではありません。)また亀を助けたというストーリーは明治以降とされています。

それ以前ではこのようになっています。
浦島太郎は乙姫(釣った亀が実は姫だった)にナンパされて竜宮城(蓬莱山)へ行き、結婚します。しかし、親元が恋しくなり一旦帰りたいと申し出ます。浦島にしたらすぐ戻るつもりなのに、乙姫は永遠の別れになってしまうかのような態度で玉手箱を渡します。「ここに戻ってきたかったら開けちゃだめよ」と言って。そうして陸に戻った浦島はご存知のとおり、いいつけを忘れておじいさんになってしまいます。(細かい部分は文献によって違っています。)

ここから推測するに、
>現実が変わっていたのは助けた亀(乙姫)の嫌がらせですか?
竜宮(異界)と人間界では元々時間の流れが違っている。

>乙姫は何故、玉手箱を渡したのでしょうか?
浦島は乙姫と結婚して仙人になっており不老不死になっていた。しかし、浦島が人間界に戻りたいと言ったので、寿命の短い人間に戻る手段として玉手箱を渡した。もし両親のもとに行きたい(死んでしまいたい)と思ったら、人間に戻ることが出来るように。つまり玉手箱は開けると人間に戻れるという箱だった。もしくは、「開けないで」という禁止を破ること自体が仙人から人間に戻る方法だった。
ということではないかな・・と。
当時の死生観がよく分からないので「死んで両親のもとに」云々という解釈が正しいかは自信がないですが。
そういうわけで、浦島太郎というお話は異類同士の悲劇の恋物語と言えるのでは・・と思います。愛する人ともう二度と会えなくなるかもしれないと思いながら浦島に選択肢をゆだねた乙姫は、狐女房や鶴女房のように少し奥ゆかしい感じがします。

浦島太郎の話は昔から時代や場所に合わせて色々な解釈で少しづつ作り変えられてきていますが、大筋は変らず浦島と乙姫の結婚話でした。明治時代に教科書に取り上げられたとき子供向けに恋愛要素を省き道徳的な部分を入れて作り直されたため、「なんで亀を助けたのにお爺さんになっちゃったの?」という疑問が残る話になってしまったようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
もともとは亀を助けたわけではないという解釈もあるのですね?
本当に浦島太郎の話しは諸説があっておくが深いことが分かりました。

お礼日時:2007/09/13 01:38

浦島太郎についての過去問は多数ありますが参照されましたか?


http://okwave.jp/qa1511599.html
http://okwave.jp/qa1663299.html
特に、御伽草子の「浦島太郎」には乙姫の気持ちなんかも詳しく書かれているので是非一読をお勧めします。
個人的には、親孝行が絶対であった時代に、3年間も年老いた両親のことを忘れ、遊びほうけていたというのは当時としては許されることではなかったのではと思ったりもします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
浦島の話を疑問に思う人が多いことを知って趣旨とは違いますが
安心しました。参考にさせていただきます。
本題に戻ると、要は浦島は亀の誘惑に負けたということですね?

お礼日時:2007/09/13 01:28

確かに不条理ですよね。


浦島太郎は、ここが発祥とする地域は、他のどの物語よりも多く、確か、20箇所。
中には、浦島は、夢を見ていただけでした。
の夢オチもあるんですよ。
もともと、浦島の寿命は、あと数日で、最期に、感謝の気持ちで、いい思いをさせてもらった・・なんて、どうでしょう。
開けてはいけない玉手箱を開けないで、まあ、知り合いは、いなくて寂しいですが、生き続けるという選択肢もあったわけですし。
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この回答へのお礼

想像に任せていろんな解釈が出来るのが御伽噺ということでしょうか?
ということは浦島は助けた亀の誘惑に負けず竜宮城に行かなければ
幸せだったのかも?

お礼日時:2007/09/08 14:19

寺田寅彦という人が御伽噺は解釈してはいけないという意味のことを随筆に書いています。

彼は、御伽噺というものはそういうことがこの世の中にはよくあるものだと受け取るべきだということだったと思います。私も言われてみればそうかなと思います。あまり意味を考えていると御伽噺そのものが消えてしまうように感じます。むしろその理由がわからないことが気になるという箇所が沢山あるというのが御伽噺の正しい読みかたなのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

御伽噺に因果や理屈はないということですね?
目からうろこです。ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/08 14:16

こんばんは。


以前「世界一受けたい授業」というテレビ番組で、武田鉄矢さんが金八流解釈ということで、昔話の新しい解釈論を説いていました。
そのなかで、浦島太郎の話が出ていたのですが、たしかこんな感じだったと思います。

浦島太郎は、母と二人暮らしで独身。
竜宮城では乙姫と夫婦になる訳でもなく接待を受けるだけ。(→メイド喫茶?)
竜宮城の四方の窓からは春夏秋冬の季節が同時に見える。(→非現実の世界?ヴァーチャル?アキバ?)
つまり浦島太郎は、現代で言うところのニート(オタク)のこと。
さんざん遊んだ後、母を心配して家に帰ってみるが、陸上では100年もの月日が経っていた。(→そんな生活をしていると、すぐに年取って取り返しが付かなくなる。)

といった、現代の若者に向けた「警告」の意味もあるとか。

これが正しい解釈とは思いませんが、あの金八流の喋りが妙に説得力があったので、覚えてました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
面白い例えを使った解釈ですね?参考になりました。

お礼日時:2007/09/08 14:14

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