
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
「逆説の日本史」読んでみて下さい。
書いてある内容を妄信してはいけませんが、切り口としてはおもしろいです。
著者の考えで行けば、「和歌を詠む」ことそのものが貴族の「仕事」であり、「政治」で有ったと言うことになります。
現代で言うような「芸術」的な意味あいではない、という意味で一考に値します。
この回答へのお礼
お礼日時:2007/09/08 15:32
参考文献まで、ありがとうございます。
ぜひ読んでみますね。
そうですね、確かに仕事という色が強かったみたいですね。
叙情性を追及しすぎず、芸術というような意味合いが薄かったんじゃないかと、
私もそのような流れにもっていこうと思っています。
ありがとうございました!

No.7
- 回答日時:
ANo.6に追加です。
藤原定家や藤原公任の解説本なんかも参考になります。例えば、堀田善衛著 定家明月記私抄では、作家の想像力で貴族社会を活写しています。藤原公任は、貴族の遊興社交社会のカリスマのような人物です(公任自身は、表の社会(漢字や漢詩文の世界)で有名になりたかったそうですが)。

No.6
- 回答日時:
【和泉式部の場合】
貴族社会では男が女の家に通うのですが、帥宮(ソチノミヤ)が和泉式部の家に通うことはできませんでした。身分社会では親王と受領階級出身の女の逢瀬は許されぬ愛だったので、帥宮が式部を家からこっそり誘い出して、どこか人目のつかない家屋で大人の......アレ。式部が長沢雅美似の美人だったので、帥宮は式部を女房として引き取ることにしました(ほんとは、双方の不倫)。引き取るときの理由(こじつけ)が、彼女の歌の才能でした。当時は、和歌は会話の一種で、和歌がうまいことが貴族の最高のしるし。どんな内容をどんな言葉で表現するか、つまり、ものの言い方に、貴族の精神的な高さ、内面の深さが現れる、と考えられていました。ルックスに加えて歌の才があったので、和泉式部は帥宮の身分社会に入ることができたのです。かくして、式部は、見事、親王の男をゲット。帥宮は、見事、長沢雅美をゲット。和歌の才は之ほどに威力があったのです。
(王朝の歌人6 恋歌まんだら 和泉式部 清水好子著 集英社刊 を参考にしました。)
No.5
- 回答日時:
また来ました。
m(__)m私も No4 さんの>婉曲表現や比喩の用い方がなってませんね。
は同意見です。
ただ、携帯と当事のメール?の違いの最たるものはスピードじゃないかと思います。
ゆっくりしか届かないので十分考える時間があった当事のメールと、反射的に、猛スピードで打たないと彼女が怒る?メールでは、必要とされる表現テクニックも違ってくるのでしょう。
和歌の表現・技巧の変わりに顔文字などが発達したのではないかと思います。
ただ、相手が化ける可能性(ネカマ等や誤解)は携帯の方が高いような気がしますが・・・?
No.4
- 回答日時:
面倒でなかったら「源氏物語」をお読みになれば、いかに風雅にやり取りをしていたかわかると思います。
レポートを書くのに時間が無いようでしたら、現代語訳はほぼ10巻仕立てになっていますのでどれか一巻でも読めば、頻繁なやり取りが解かると思います。現代風に言えば「携帯メール」ということになるのでしょうが…婉曲表現や比喩の用い方がなってませんね。制限がないからでしょうね。
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