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犬、猫の命の重さをどう思いますか?

人と同じひとつの命だから、簡単に殺処分したり虐待目的で捕獲
を企てたりしないでくださいと言うと、
野良猫など、人間にとって不快で有害なものは排除するべきと言う人や
同じ命というなら、ダニ・蚊・ゴキブリも同じなので、どうか大切にしてくださいと言う人もいます。

人の命は、きっとみんな共通に大切なものだと、(無差別に簡単に殺人
する一部の人を除き)思っていると思いますが。
犬・猫の命の重さになると、人によって考え方が違ってきます。
犬・猫好きな者にとっては、軽く扱われることに対して
過剰反応といわれるくらい耐えられないことなのですが、
そうではない人にとっては、ダニ・ゴキブリ・蚊と同じ
不快で有害なもののようなのです。

いろんな考え方の人がいると済ましてしまえばそうなのですが、
だとしたら、これから先も不幸な犬や猫が増え続ける気がして。
みなさんは、どう思われますか?

A 回答 (6件)

「命の重さ」といいますが、それには単位もないし、実際計りようがないもので、私の結論からすると「考えるだけ無意味」だと思います。



いろんな考えの人がいると済ます他にないと思うのです。

誰もあなたの質問にはきちんと答えられないし、あなたがどれだけたくさんの意見を聞いても、答えは出ないと思います。

「命の重さ」なんて、考えるのは人間だけです。だから、人間本意になるのは当たり前ですが、その人間が、「自分」であるか「誰か」であるかで、大きくすべてが変わるのです。切り口も、立場も、価値観も。

そして私は思うのですが、「食するために殺す」ことと、「愉しむために殺す」ことと、「経営するために飼う」ことと、「愛玩で飼う」ことなどを、同じくくりでは論議できないと思っています。

スタンスがあまりにもバラバラなのです。その行為に関わってくる人たちの立場や生き方はすべてが違い、であるなら、答えが180度違っても不思議はなく、そこに、正しいも間違いもないとも思うのです。

ダニやゴキブリや蚊だって、害虫となることもあれば、もっと突き詰めて知れば、それがこの地球上にあることの意味を知ることになり、実はかけがえのないものだと思うかも知れない。

その人が知っている事実やそれの解釈の仕方によっても、重きを何に置くかはコロコロと変わるでしょう。

ただあなたや、私でも、ただ弄ばれるだけで切り刻まれたりする猫を見たらひどく胸が痛むのは、替えようのない事実。
それを否定することも出来なければ、誰に対しても正当化するのもムリなのです。

行き着くのは、「いろんな考えの人がいる」と言うところです。

「不幸な犬猫」といっても、何を持ってして「不幸」とするのかも、人それぞれです。

>どう思われますか? という問いには、「人それぞれ」としか私は応えられません。

ただ、一つだけ言えるのは、私にとって何よりも重いのは「家族の命」です。犬や猫という伴侶も含めた。居なくなったり奪われたりしたら、悲しくて仕方がないのが彼らです。

人によって、大切に思う命や優先順位は違い、本当は平等ということもないと思います。
ただ自分にとって家族ほど大切でないとしても、粗末にする理由にはならない、でも家族を大切にするほど大切に出来るかといえばNOです。私が出せる確かな答えはそこまでです。
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この回答へのお礼

私の質問にははっきりした答えなど出ないんですよね。
それはわかっていたのですが、自分のなかだけで
悶々と考え込んでしまっていたものですから、
この考えから何か抜け出したくて質問してしまいました。

でも、こんな変な質問に真摯に答えてくださった
fuginosukeさんほか回答者の方々のおかげで
自分の考えていることの整理ができた気がします。
ありがとうございます。

ポイントをみなさんに同じようにつけたいのですが、
それができないようですので、すみません。



ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/17 19:49

生き物の命は皆平等だと思います。


しかし、それぞれの置かれた立場で
順位が付いてしまうのは仕方ない事です。
不幸な犬猫については私もやるせない気持ちです。
たぶん人間が一番下種な生き物なんだと確信します。
なので、この先もこの下種な種が続く限り
状況はかわりません。
だから、私は人間に腹が立ちます。
だけど私も人間です。
そんな人間にならないように努力します。
そんな人間を見つけてもどうにも出来ないから
見ないふりをするしかできません。
そんな風に生きています。
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この回答へのお礼

仕方のないことだと思うしかないのですね。
自分がまちがった生き方をしないように
気をつけていくしかないですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/17 18:31

難しい問題ですね。


私は犬と猫と一緒に住んでいます。(一匹ずつです)

「命」が「容れ物」に入っているという意味では、人間も犬猫も、他の動物たちもなんら変わりはありません。

人間は面倒くさい生き物ですから、家畜を殺して栄養をいただかなくてはなりません。「いただきます」の気持ちを忘れなければ大丈夫だと思います。
そもそも、肉のみならず、魚の話も、同じだと思うのですが・・(笑
植物も同じ。とある大学教授が、「肉も魚も植物も食べない」、果物だけで生活したことがあるが、栄養不足になり中断せざるを得なかった、と聞いたことがあります。それ程までに人間は他の命に依存しているので、特に、ほかの生き物に対して感謝する必要があります。
「いただきます」と手を合わせるのは、いただく予定の命に「成仏してください」の意味もあるのかな、と思いました。(それがすべてではないかもしれませんが。)

「ペット」の話をするなら、拾ってきた犬や猫を「すぐに捨ててきなさい!」と子供に命令する親がいますが、犯罪です。子供に犯罪をしろと言っているのです。なんて親でしょう・・・。一度拾った動物は捨ててはいけません。遺棄罪であるはずです。逮捕されます。

「ペット」として飼うのを嫌がる人もいます。
難しい言い方になりますが、その人たちが「永遠に」ペット嫌いであるとは思えません。どこかで、「ペットを好きになる時代」「ペットを好きになっていた時代」があると思います。誰にも知りえないことですが・・・

また、ペットとして犬や猫、その他の動物を飼うことは、人格の育成にも役立つと思います。特に犬や猫は、飼っていると表情がわかるようになります。特に、自室に猫を招き入れてから、猫のみならず、人間の表情もわかるようになり、勉強になっている、と日々感謝しています。
犬や猫が嫌いな人は、表情があるなんて、馬鹿らしい、と思われるかもしれませんね・・・(苦笑 同じ命だから、あるのに・・・。

そんなわけで、本当にいろんな考え方の人がいるし、ペットとして飼うことが嫌いだからといって、心の狭い人、と言ってしまうのはあまりにも浅はかだと思います。ただ、どうして嫌いなの?と聞いてみると興味深い話が聞けるかもしれませんね。

ちなみに、私は「ペット」として彼らを飼っているからといって、自分の方が上だなんて思ってはいないです。犬や猫が人間をしつけることもありうるのです。時間どおりに世話をする、嫌がることはしない、とくに後者に関しては、むしろ人間同士よりペットの力を借りる方が効果的です。
家族の悪口を言うと、やめとけ、と目で叱られたこともあります。とても純粋で本能的だからこそ、ぐさっと心に刺さります。犬も猫も、(もちろん他の動物も、)同じ、この世で修業を積む存在。彼らにとっても、人間と住むってこういうことなんだ、と勉強になっているのです。野良ではわからないこともあります。野良しかわからないこともあります。
変な言い方で恐縮ですが、ペットは、私たちのペットになりたくて私たちのところへ来たのです。命に対する「責任」と「愛」を教えてくれます。日々のお世話くらいたやすいものだと思いますけどね・・。純粋な愛にはお世話で応えたいと思います。
「飼う」=「束縛する」と考えるのは人間の勝手です。

だから、虐待なんてする人は、誰が何を言わずとも、地獄へ落ちます(笑 厳密に言うと、自分が死んでからその光景を見せつけられ、激しく後悔することになるでしょう。

この話を聞いてどう思われるかは質問者様の自由です・・・
乱文長文、ご容赦くださいまし。
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この回答へのお礼

私も、決して自分たち人間が上だなんて思ってはいません。
<人間は他の命に依存している・・・
その通りですね。
いろいろとかんがえさせられる御意見でした。
ありがとうございます。

お礼日時:2007/09/17 17:04

自分本位で、命の価値について言えば、


 人間>愛玩動物≒食用(家畜など)>その他
でしょう。これには批判もあるでしょうが…。

ただ、こういう質問って、人間主義というか、
人間だけは特別という前提があって
為されているように思います。

私自身は肉も魚も食べますし、蚊が飛んでくれば叩き潰します。
食物連鎖は、自然の営みですし、蚊は有害だから。

蚊や魚にとって、人間は生息環境の一部でしかなく、
叩き潰されるのも、土砂崩れで潰れるのも、
上位の捕食者に食べられるのも同じことで、
単に運が無かったに過ぎません。

私自身は、愛玩目的で動物を飼いません。
それは、非常におこがましいことのように思います。

例えば、愛玩動物を飼っている人にとっては、
その命は非常に大きな価値を持つでしょう。
そんな人でも、人間を愛玩目的で飼うなどと言ったら、
生理的嫌悪感を持つでしょう。
ここには、人間以外は全て格下であるという前提があり、
その生殺与奪は、人間の好みで行ってもよいという
一種の奢りの様なものを感じます。

命は大切。これは確かにそうだけれども、
他人が殺した豚肉を食べながら、動物虐待を云々するのは
命に自分好みの格付けをするように思います。

これは極論かも知れませんが、愛玩目的で動物を飼うのは、
楽しみのために魚を弄ぶことと、食べるために動物を殺すこと、
それらとどれだけ違うのでしょう?
まだしも、農耕用に牛や馬を飼う方が
罪が少ないような気がします。
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この回答へのお礼

<ただ、こういう質問って、人間主義というか、
人間だけは特別という前提があって
為されているように思います。

私の質問の仕方が悪くて、誤解を与えてしまったとしたら
すみません。もっとシンプルな聞き方をすればよかったのかも
しれません。
私は、犬や猫が殺処分されたり、虐待されたりすることに
過剰に反応してしまうものですから、それって普通では
ないことなのかなあと、どういうふうに考えたらいいのかなあ
と思ったことから、今回の質問に至ったのですが、ちょっと
質問が大きくなりすぎたようです。

<命に自分好みの格付けをするように思います

確かに、そうなのかもしれないですね。
またまた、考えさせられました・・・・

ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/17 16:27

不幸な犬や猫は自分勝手な人達のせいで増えています。


同じ、人間同士でも虐待や殺しが起こっているし、動物に優しい町、人も少ない今の日本では、動物の命がどうたらと言っていても、改善する兆は見えませんね。
ただ、何もしないよりは、少しでも何かやったほうがましということで、動物の権利について、叫ぶ人達がいるのは確かです。
溺愛するようなペットブームじゃなくって、もっと違った動物の扱い方が広まったらなと思います。

同じ命あるものを不快で有害という人なんて、心の狭い人だと私は思います。
なぜ見下したりするのか全く理解もできません。
しかし大半の人は動物を愛する気持ちを持っています。キライな人も何か理由があることが多いです。

人と動物の命の重さを比べることはちょっと無理があるようにも思うのですが・・・人間だったら同じ人間の命を優先するのは当然に思いますが・・・。
なぜなら寿命の問題などがありますから。
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この回答へのお礼

>大半の人は動物を愛する気持ちを持っています。

なんだか、気持ちが救われました。
そうですよね。
悪い面ばかりに気をとられないようにします。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/17 16:05

人間は人間の命に関する法律は作っていますが、その他の動物の命については「物」と同じ扱いにしかならざるをえません。



動物の命を云々することは勝手ですが、ご自分以外の人にそれを押し付けてはいけません。それは限界です。食用犬を飼育している人も三味線のために猫を賭殺している人もいます。これは動物を虐待している人とは全く異なりますが「命の重さ」というレベルからは同じ「殺すこと」です。簡単に「犬や猫の命を尊重しろ」と言うのは「私は世間知らずです」と言っているのと同じ言葉に聞こえる場合もあります。

犬や猫だけではなく馬やウシ、豚、鶏、など言ってしまえば菜食主義者になるしかありません。犬や猫が守られて猪や豚がダメなんて差別を言い出すのではないでしょうね?
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この回答へのお礼

>犬や猫が守られて猪や豚がダメなんて差別を言い出すのではないでしょうね?

いいえ。そういうつもりは毛頭ありません。
例えば、捕鯨についての考え方もいろいろあることも知っていますし。

「命の重さ」という定義を持ち出すと、虐殺も食用のための(牛・豚も含めた)賭殺も、人の手で「殺す」ことに変わりないということ・・・
なのですね。
おっしゃるとおり「世間知らず」なのかも知れません。
動物の命について語ることは、とても難しいですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/17 15:15

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