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写楽の絵を見ていると、顔やポーズはデフォルメされていておもしろいのですが、
手はひんまがっていて、その奇妙さには違和感があります。
きちんとデッサンを勉強した絵師が描いたものとは思えません。
画家の片岡球子は対談で写楽のことを「わりと下手ですね」といっています。
一方で、写楽のデッサン力はずば抜けているとべたぼめの人もいます。
実際にはどうなんでしょうか?
刀、かんざし、鼓などの小道具はきちんと描かれているように思いますが。

よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

まず「きちんとしたデッサン」というのを定義する


必要がありますね。今日でいう解剖学的に正確か
どうか、3次元的空間として矛盾がないかどうかで
言えばおかしいデッサンだと思います。
(西洋の作品にもディフォルメを強調した作品はあります。
そのようなディフォルメをマニエラといって
ミケランジェロ以後多くのマニエリズム美術が存在します。)

しかし浮世絵というアートポスター的要素の強い作品
それも、歌舞伎役者のブロマイドの役割を担っている
と言うところを考えてみれば手や体を解剖学的に正確に
描く必要があったのでしょうか?


顔や役者のキャラクターを分からせるための強調としての
ディフォルメとして捕らえるならそれほど重要なことでは
ない気がします。画面の個性が強ければ強いほど良い
浮世絵を描くのであれば、顔を強調したければ顔を通常
より大きく描き、手に表情を付けたければ捻ったり曲げ
たりしたいと思うのはなんとなく分かりますし、より奇抜
な画面にしたければその許容範囲はどんどん大きくなって
いくと考えられます。どのように鑑賞者の目に止まるかを
考えた上でならすばらしい描きかたなわけです。

画家たちの対談なんかで言うデッサンの出来というのは
「私が描くなら」を前提にして感想を述べていることが
多いので、あまり巧くないと感じる人は写楽の世界観や
個性、ディフォルメは私好みではないということを言って
いるに過ぎないんだと思いますね。

デッサンの見方も様々あって画面全体を構成する要素
が破綻なく組み立てられているかどうかや(3次元空間
と言うのではなくあくまで抽象的要素と言う意味です。)
画面を一つの世界としてその世界がどれだけ独特の
世界が出来上がっているかの点で判断する場合も
あります。

日本は西洋と違って論理的に芸術を構築して
体系的に扱うことをしなかった文化ですので、固定観念
にあまり縛られすぎずに芸術が発展してきたのでしょう。
浮世絵が海外で評価が高いのはこうした西洋の固定観念
とは無縁だったためのようです。その個性を良いとするか
悪いとするかは鑑賞者次第ではないかと思います。

つまりデッサンが正確でも個性や独特の世界をつくり
出せるかどうかの基準にはならず、世界で認められている
芸術家は独特の世界観や個性をみつけるために日々
作品づくりをしていると言えるのではないでしょうか。
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きちんと捕らえることが出来たからこそのデフォルメです。

きっと、普通に書くことに飽きた写楽の遊びでしょう。
逆から言えば、デフォルメできるほど、きちんと空間を捉えることが出来たのでしょう。
ほんとに出来ない人であれば、のっぺりとした動きの無い、躍動感も無い、つまらない物になっていたことと思います。
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けして下手ではなかったと思います。


http://poirot2.hp.infoseek.co.jp/

ピカソもしかり。
http://www.rakuten.co.jp/artofposter/639589/
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