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江戸時代は義理と人情の時代だと聞いたことがあります。
けれど、若者の年代にあたる私には
それがどう今と違うのかよく分からないでいます。
だから、昔は様々な情報を得る方法が無かったから
ただ悪い記録が残っていないだけなんじゃないかなと
思ったのですが。
実際はどうなのか皆様のご意見を参考にしたく質問を致しました。
江戸時代は遠すぎるにしても、大人の方たちから見て
一昔前の時代もやはり今より義理と人情が厚かったと思いますか?
また、今の時代に義理と人情が失われてしまっているのなら
皆さんは何が原因だと思いますか?

A 回答 (4件)

>江戸時代は義理と人情の時代だと聞いたことがあります。

けれど、若者の年代にあたる私には、それがどう今と違うのかよく分からないでいます。

中年男性で地方在住ですが、私ですら「義理と人情の時代」というのは、本当は理解できない世界です。それは理想郷として語っているだけではないでしょうか。

私たちは世代間で失望し合う習慣があるようです。若い人たちは「今の大人は…」大人たちは「今の若い者は…」、その繰り返しのようです。そういう習慣から「理想の世界」を語っているような、それがあなたの言っているような「江戸時代」ではないでしょうか。

批判を恐れずに言うなら、私たちの年代は「江戸時代は人権の抑圧された暗黒の時代」というように認識するように教えられてきたと思います。武士優先の身分制度であり、農民への搾取であり、飢饉の悲惨さであり…。
それが、ひところの「江戸ブーム」によって、ずいぶん変わってきたように思います。私自身、講談社の「新書・江戸時代」のシリーズを読んでずいぶん見方が変わりました。現代も江戸時代も大きく変わっていないと思うになりました。江戸時代も特別な時代ではないようです。

私は、人間の本質は変わっていないと思います。そう思う根拠は、人間の「感動するポイント」が変わっていないからです。
古典にあたる物語にしても、何十年間のテレビドラマにしても映画にしても、感動のポイントは変わっていません。それはニーズが変わっていないからです。人の心は変わらない、変わっているのは生活のスタイルです。それによって「義理と人情」を発揮する場が少なくなっているだけだと思います。

発揮するチャンスがあれば「義理と人情」なんて、いくらでも出てくると思っています。

そう思いたいです。
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。
他の方とは違った切り口のお話が参考になり、面白かったです。
私がぼんやり考えていた事を「理想郷」という言葉で
形にしてもらったような気がします。
私も小さい頃は「大人なんて」とか思っていましたが
どっちつかずの年齢になっていくにつれて変わってきました。
子供の頃は「思い描く理想の大人」と「現実の大人の行動」の差の
ギャップに驚いて勝手に失望していたんだなと思うようになりました。
同じように、今は今の悪いところにだけ気が向いてしまっているだけで
江戸時代に誇れるような義理と人情があったのなら
今の時代にも、気づいていないだけで義理と人情が息づいているかもしれませんね。

お礼日時:2007/11/11 21:12

他者を排除して、自分の力だけで生活するのは不可能な時代でしたから、お互いに助け合い自分の責任をきちんと果たさねばならなかっただろうと思います。

健康保険も年金も介護保険もなにもない、全て自己責任で何とかしなければならない時代。でも個人でできることには限りがありますよね。なので農村では一番忙しい収穫時期に助け合い、不作の時は少ない食料を融通しあい、ぎりぎりの生活でもなんとか皆で生き延びようとした。
町人も近所に病人が出れば助け、自分が動けなくなったら助けられ、出産後母乳が出なければ貰い乳をし、老後は身体が動かなくなってもそれまで蓄えた経験や知恵を周囲の人々にさずけ…こういう相互補助がなければ生活できなかったでしょう。

情けは人のためならず 巡り巡って自分のためなり、です。

今は一人で生きようと思えば可能ですから。
自分勝手に生きて他者になんと思われようと迷惑をかけようと、昔のように村八分になり誰の助けもえられぬまま孤独に死ぬしかない、なんてことにはなりません。
それでもそういう生き方を選んだ人の老後は何も残らない寂しいものだと思うのですが…やはり現代でも義理人情は大切だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、この問題には現代と昔の時代背景が大きく関わっているのですね。
確かに今は、その気になったら自分ひとりで生きていけますし、恨まれようと憎まれようと気にしないというなら何でも身勝手出来ますね。怖い世の中です・・・とても。
しかし巡り巡って自分にまわってくるのは身勝手な行動も同じことですから、身勝手な行動をとっていた人も自分がやられて反省して、義理人情が大切だと気づくのでしょうか。それとも、優しくされたときの嬉しさで、大切さに気づいてくれるのでしょうか。
どちらにしろ、今では習慣で義理人情を身に付けるには土台が出来ていないから、その大切さに気づく機会が必要になっているのですね。
私も義理と人情を大切にしていきたいと思います。

お礼日時:2007/11/01 00:45

#1の方の回答を読んで少し思い出したことがありましたので書きます。


私の家は東京のど真ん中でしたが、昭和30年代は、町内に微妙な「階級」のようなものが、まだありました。親父は、田舎の水呑み百姓のせがれでしたが、そこそこの「出世」をしまして、町内会の役員を長く務めていました。

正月になると、次のようなことになっています。
まず、新年に鳶の頭が福寿草を持って、お年始に来ます。親父は頭の挨拶を受け、お年玉を渡します。大人が大人に渡すのです。金額としては、今の貨幣価値で5~7万円くらいでしょうか。だいたい大卒新人の1/3くらいの金額だ、と言っていた記憶がありますから。

その後、親父の町会(を含めた3つくらいの町会一帯の)のボスの家に、今度はお年始に伺います。ここには、各町会の顔役みたいな人が、序列?に従って揃い、ボスを囲んで新年会をやるのです。この時、親父は当然手みやげ(酒です)を持って行きます。ボスは、全員にお年玉と手ぬぐいを渡すのです。まぁ、そこで町会の役員や町会同士の交渉なども、大抵決まってしまいます。ボスが「○○さんは、そろそろ△△部長(町会役員のこと)かね」なんて言うと、それで決まるのです。

その代わり、ボスは警察にもヤク○にも顔が利いて、交通違反なども大抵もみ消してくれました(昭和30年代ですから)。

2日になると、今度は親父が新年の挨拶を受ける側になります。親父は会社(役)員でしたが、下請けの多い仕事だったもので、下請けさんがうち揃って挨拶に来ます。当然手みやげを持ってきます。それを受けて、酒を飲ませて、手ぬぐいをお年玉代わりに渡します。これをもらわないと、その年の仕事が出来ないのだそうです。

そんな具合に、微妙な階級というか序列があり、それに従って「やるべき義理」があったような気がします。こうした義理を欠くと、仲間からは排除されるのです。

もちろん町会と言っても、普通に暮らしている人には全然見えない世界だったのだろうと思いますが、そういう世界は厳然としてあったのです。それが、より公然と、全ての人の上に覆い被さっていたのが江戸時代なのかなぁ、という感想を持っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
昭和30年代にはそんなことがあったのですね。もしかしたら今も続いているところがあったりするかもしれませんが、個人的には正直怖いなと思いました。深い繋がりがあると、しがらみというか何か見えない紐に縛られるかのような身動きできないこともあるのですね。
「自由」な時代に生きているというのがよく分かるお話で、今の自由さがとても愛しく思えました。
しかし面倒なしがらみと一緒に、深い義理人情が成り立ったのかと思うとこれからの時代は、その両方のバランスが上手く取れる文化が育つかにかかっているのかもしれませんね。
また他の方の質問の「田舎の人情」にあった回答の中に
都会の方が見ず知らずの人にも優しくしてくれる。という記述が多くあり、また「社交的な田舎人」が都会に越してきた町、が良い例として挙げられていました。
現代の義理と人情はその発展形になっていくのかなと思ったら、江戸にも負けない義理人情がいつか成立するんじゃないかな、なんて願ってしまいました。

お礼日時:2007/11/01 00:20

もちろん江戸時代の実際を知る術もない私達ですから本当のところがどうだったかは想像するしかありません。


しかし義理人情が今より必要とされた時代だったことは確かだろうと思います。
士農工商という有名な階級制度がありましたが、実際にはもっと細かな、現代よりもはっきりとした「格差」のあった社会でした。
そして今の時代と違うのはその「階級」や「格差」に支配される社会に半ば甘んじて暮らしており、町人は町人の、武士は武士の、生活領域がはっきりと決まっていました。
生まれながらにしてどう生きるかが決まっており、現代のような自由はありませんでした。
そして現代のように情報も発達していませんでした。
考えてもみてください。電話もテレビも新聞さえもない時代に生活のための情報を得ようとしたらどうしますか?
隣近所、大家さん、親戚、友達、上役、つまり人を頼るしかないのです。
何でも一人で事足りてしまう現代とは違い、否が応でも人とのコミュニケーションが必要でした。
時にそれが円滑に行かないばかりに命を落とす事もあり得ました。
そうしたところから自然に人とのつながりを大切にする。つまり義理人情の道理ができあがっていたのではないでしょうか。

<一昔前の時代もやはり今より義理と人情が厚かったと思いますか?
はい。ネットもメールもない時期には今よりもう少し人との関わりが多かったと思います。
最近思うのは日本中どこに行っても変わり映えがしないことです。
どこの地方都市にも大型ショッピングモールができ、全国どこでも同じような物を消費するようになり、地元の商店街は消え、地方色、地域性は失われるばかりです。
便利で快適で平等な暮らしは人を孤立させる一方なのではないでしょうか。
不便が産む大切なものを日本人は忘れてしまってはいないでしょうか。

江戸の暮らしを身近にしのぶ事ができるものに最近ブームの落語があります。
この空前の落語ブームはやはり現代の暮らしにひずみを感じ取っている人が多い証拠なんじゃないかと思わずにいられません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
なるほど
確かに昔はかかわらずに入られない状況だったからこそ、人と人との関わりが強かったのかもしれません。
話が少しそれますが、他の方の質問で「田舎の人情」についての回答を読んでいましたら
田舎の人情は「仲良しグループ」をと同じもの。という表現があって納得していました。江戸時代のそれもこの仲良しグループに近いものなのかもしれません。たぶん、もっと融通は利いたのでしょうが。

>地方色、地域性は失われるばかりです。
私も若者のくせにそれを感じています。上京してきても、特に住んでいた田舎と変わらないなと思ったものでした。道行く人も特に代わり映えがなくて、いわゆるゴスロリという服装の人でさえ、人間的な個性は感じられませんでした。
でも田舎にいる祖母たち年配者は(ちなみに大型ショッピングモールに行かない人たちです)若い友人たちよりも個性が強くて輝いているように感じます。うるさいという共通点はありますけども、お陰で流行に流されない事が個性を引き出す鍵なのではないかと思いました。

>現代の暮らしにひずみを感じ取っている人が多い・・・
「便利」など、今まで追及してきたものを追い求めるのもそろそろ止める時期になり、新しい方向を探る時代になって来たのかもしれませんね。昔に戻ることは出来ませんから。

お礼日時:2007/10/30 23:58

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