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イエス・キリストは自分が死刑になってるくらいだから、
死刑制度自体は肯定していたんでしょうか?

A 回答 (10件)

否定しても、死刑に処されるほうには、なんともできないのではないでしょうか。

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この回答へのお礼

奇跡を起こせるくらいの人なんで、
死刑が悪と思えたなら、
執行者に悪いことを行わせないために、
姿をくらますことくらいできたのではと、
思ったものですから。

お礼日時:2002/09/03 22:00

詳しくはキリスト教の専門家のコメントを待ちますが、


revcyさんの見解は、ちょっと違うような気がします。

>奇跡を起こせるくらいの人なんで、
>死刑が悪と思えたなら、
>執行者に悪いことを行わせないために、
>姿をくらますことくらいできたのではと、
>思ったものですから。

キリスト教の神学としては、死刑制度を肯定していたから
十字架に架かったわけではなく、万民の救いの道を開くた
めにその道を進んだと解釈している宗派が多いかと思います。

イエス・キリストは、確かに死の道を避けることもできた
でしょう。福音書を読むと、そのようにもできたと読み取
れる記述が何箇所かにあります。

けれども、実際には死の道から逃れようとはしませんでし
た。なぜそうしたかについては、神学的に深い意味があり
ますので、解釈が難しいのですが。

なお、キリスト教で重要なのは「十字架の死」にあるので
はなく、「3日目の復活」にあります。
もっとも信徒でなければ、死後の復活という奇跡を信じる
ことは難しいでしょうが...

どちらにしても、イエス・キリストは死刑を肯定していた
から十字架に架かったわけではない、というのは宗派を越えた
共通の認識でしょう。
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この回答へのお礼

解説ありがとうございました。

ただ、私が知りたかったことは、イエス・キリストが死刑を肯定していたか否かということなので、
どういう心積もりで死刑をむかえたかについては、それほど興味はないです。

イエス・キリストが死刑を肯定していなかったことが、宗派を越えた共通認識だとすると、
現在、日本のクリスチャンは、みんながみんな、死刑制度に反対しているのかなあと、新たな疑問を感じているところです。

お礼日時:2002/09/03 23:15

>ただ、私が知りたかったことは、イエス・キリストが


>死刑を肯定していたか否かということなので、
>どういう心積もりで死刑をむかえたかについては、
>それほど興味はないです。

それでは本題に戻りますが、以前にあった質問で、まさに
この件についての考察をしています。

参考URLのNo.4の発言を読んでください。
 

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=320989
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この回答へのお礼

読ませて頂きました。
イエス・キリストが死刑を容認するなどありえない、
という見解と受け取らせてもらいました。

お礼日時:2002/09/04 01:22

否定も肯定もしていないと思います。


(ということは、消極的肯定か。まあ、積極的に肯定はしていないということで。)
「神の物は神へ。カエサルの物はカエサルへ」ということで、彼の関心は
社会制度ではなく魂の救済に有ったわけですから。

> 現在、日本のクリスチャンは、みんながみんな、死刑制度に反対しているのかなあ
そんなことは無いと思いますけど。
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この回答へのお礼

>否定も肯定もしていないと思います。

そういった見方もあるんですね。

>彼の関心は 社会制度ではなく魂の救済に有ったわけですから。

間違った社会制度を続けていたら、
魂の救済は遠のいてしまうのではないのかなあ、
と思ってしまったものですから。

>そんなことは無いと思いますけど。

クリスチャンで死刑制度に賛成されている方をご存知なのかなあと、
思ってしまいましたが。


ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/04 18:38

 キリスト教にもいろいろな宗派があって、それぞれ考え方が違います。

私はクリスチャンですが、イエス・キリストは死刑制度をけっして否定はしなかったといえると思います。ということは、NO.4の回答のように消極的肯定ということになります。なぜかといえば、イエスキリストの時代にはすでに旧約聖書が書かれていて、当然イエスキリストも旧約聖書を読んでいました。そして、旧約聖書にはあきらかに死刑制度についてかかれています。そして、キリストは決して旧約聖書に否定するような事を言わなかったからです。また、現代のキリスト教においても、旧約聖書は、りっぱな聖典として用いられています。
 ただ、現代における旧約聖書のキリスト教における重要性はそれぞれの宗派によって違うので、旧約聖書で死刑制度を認めているからと言って、現代のキリスト教徒がすべて認めているとは限りません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>イエス・キリストは死刑制度をけっして否定はしなかったといえると思います。

本心としては否定していたが、
それを口にだしてしまうといろいろと面倒なことになるから、
明確なことを言ってないということだと思いますが。
そもそも、当時は社会体制を批判することは許されないことだったと思いますから。
姦淫を犯した女の話や「右の頬を打たれたら~」などから推測したなら、
イエス・キリストが消極的であろうとも、
本心から死刑を肯定していたとは思いにくいですね。

>現代のキリスト教徒がすべて認めているとは限りません。

ということは、死刑制度を肯定されているクリスチャンも
いらっしゃるということだと思いますが、
hgrhdkさんはそういった方を誰かご存知ですか?

お礼日時:2002/09/10 22:56

イエスは死刑制度を肯定していたか否かということですが、


否定とか肯定とかいう以前に、死刑制度に対する疑問を
持っていなかったのではないでしょうか?
なぜなら、当時のユダヤ社会において死刑は当たり前のことだったからです。

ただ、聖書の中に姦淫の女をイエスが赦すというエピソードがあります。
当時のユダヤ教では姦淫の罪を犯すと石打にして殺されたようですが
イエスは「罪を犯したことがない者からこの女に石を投げなさい」
と言って、彼女を取り囲んでいた人々が去ったあと
「私もあなたを罪に定めない」と言って彼女を赦します。
ここで言われているのは、「人は人を裁けない」
ということだと私は思っているのですが、ここから考えると、
イエスは安易に人を裁く事に対して否定的であったと考えられます。

このようなイエスの姿を消極的肯定とみるか、否定とみるかは
イエスについて考える私たち次第なのではないでしょうか。
キリスト教の中に、死刑反対派と肯定派がいるのか知りませんが
そのような差異が生じるとすれば、
その要因はイエス観の差にあるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

>否定とか肯定とかいう以前に、死刑制度に対する疑問を
>持っていなかったのではないでしょうか?
>なぜなら、当時のユダヤ社会において死刑は当たり前のことだったからです。

当時の「当たり前の状態」に疑問を持ったので、
なんらかのアクションを起こそうとしたのではないのでしょうか?
現に戒律主義という当時の「当たり前のもの」を否定していたと思います。

>キリスト教の中に、死刑反対派と肯定派がいるのか知りませんが
>そのような差異が生じるとすれば、
>その要因はイエス観の差にあるのではないかと思います。

死刑を容認するかどうかということは、
その宗教の教義を理解する上で非常に重要なポイントと思えますので、
それが個々の信者の教祖観に委ねられてしまうとしたら、
なにかこう、教義の不徹底さを感じてしまいますね。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/20 13:59

死刑に存廃論は、長い間、討論されてきました。

一般の方は別にして、教会の牧師達の中でも多くの人が死刑反対の立場に立ています。彼らは、神様は愛だから死刑はあってはならないと思っているみたいですが、神様の十戒は人を殺すなとおっしゃり「出20:13」、殺人者は必ず殺すように命令なさりました「民35:31」。それは、血を流せた人の血によらずには、流された血について清くならないからと説明なさります「民35:33」。しかし、故意的な殺人とは別に過失致死については保護しました。神様は愛だから、全てが赦されたと思うのは、非聖書的です。神様は自ら血を流し、全ての人々を救いましたけれども、それを信じない人は相変わらず地獄に送ります。神様は、相変わらず、地獄の鍵を握っていらっしゃいます。マタイ3:11。啓示録20:14。
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まず、自ら死刑を望んで死刑になったのではないため、死刑に対して否定したのか肯定したのか、誰にもわからないと思います。


聖書に書かれている事によれば、周りの人達によって死刑にされたということですので、イエスが死刑を肯定したのか、否定したのかや、死刑を望んだり、望まなかったという質問は、だれも応えられないというのが正解でしょうか。(聖書に書いてしないので)
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聖書にも伝承にも、主の言葉に死刑制度についての言及がないのでわかりません。


ただ、聖書には旧約にも新約にも死刑はあります。旧約では、律法にも言及があります。石打の刑とか・・・。時代によって必要だから死刑があったりするでしょうが、理想をいえば(いのちは神から来るものなので)、いのちは神が与え神が取られる、でしょうか。
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ソクラテスも「悪法も法のうち」と毒による死刑を受け入れてますよね


恐らくそういう意味で肯定していたんではないかなと思います
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