文学作品に限らず、なにかしらの物語を読むというとき、
「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」(たとえば、「物語の主人公が悪人→だから、この作品はくだらない」というような評価はアリエナイ)
というのは、現在、何かしらの物語を読み、評価するときのごくスタンダードな立場だ、と認識しています。私自身もまあまず殆どの場合、そのような読み方をする読者でありますし、私が会話する相手にもそのような読者であるということを期待します。
しかし、こういった「読み」の在り方は、特に物語の読者となるための基本的な教養として共有している層と共有していない層がいるよな、ということが最近どうも気にかかるようになってきました。言ってみれば、小説を読む/マンガを読む/映画を観るということの「メディアリテラシー」の在る層と無い層という言い方もできるのかもしれませんが、この問題は意外と複雑な議論を含みうるような気がしています。私自身、それがどういった議論になりうるのか、ということを、まだあまり整理して考えられていないのですが、
そもそもこういった「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」といった<読み方>の態度の要請は、おそらく極めて近代的な<読み方>の態度なのではないか、という気がするのですが、
(1)こうした<読み方>の態度は一体いつごろから普及したのか
(2)誰が、どういう理屈を掲げて言い始めたのか
(3)この<読み方>に対する論争史のようなものはあるのか
といったことをご存じの方がいらっしゃったら教えていただけませんでしょうか。シャルチエなどの近代読書行為論みたいな領域で扱われてそうな気もするのですが、どうもそちらのほうに詳しい知人がいないので。
宜しくお願い致します。
No.11
- 回答日時:
先の回答を読み直してみて、なんでこんなに不機嫌なのだろう、と自分でもおかしくなってしまいました。
質問者さんとしては、いい災難ですよね(笑)。ただ、この不機嫌の矛先は、ひとつには、こんなぬるいことを書いていたのか、という、一年前の自分にも向けられています。つくづく読み返してみて、自分の浅さが恥ずかしい。
もうひとつは、質問者さんの言葉の使い方がわたしにはあまりに無造作であるように感じられました。ポリフォニー/モノフォニーを「単純」とみなしている点ばかりではない、サバルタンにしても、東の「確率」にしても、使い方がわたしには奇妙なものに思えます。自分の文章のなかに用語として使うのであれば、もう少しちゃんとした理解が前提となっていくのではないでしょうか。
おそらく質問者さんは頭のいい方なんでしょう。たいていのことは、ちょっと見れば、ぱっぱっと理解することができるような。けれど、ある時期を過ぎると、理論なり思想なり、あるいは文学は、わかることより、わからないでいることの方が重要になってくるのだとわたしは思います。
ある人が長い年月かけて深めていったもの、それぞれの文化的社会的歴史を背負った理論や思想、あるいは文学を、適当なところで「わかって」しまうのではなく、もっとその思想を自分のなかで深めるまでわかってしまわない、ぎりぎりまで理解を遅らせることのできる、「持ちこたえる」ことができる体力みたいなものが必要であるような気がします。
質問者さんがどのようなバックグラウンドをお持ちの方か、批評理論にどれほど真剣に取り組んでいこうとしておられるのかはわかりませんが、いまのわたしは、こういう文章を読むことは、正直、つらいのです。一年前と言っていることが全然ちがうので、自分でも申し訳ないのですが、人間、先のことはわからない、不用意なことは言うものではないなあ、とつくづく思っています(笑)。
不機嫌さをあらわにしたような回答を書いてしまって、ごめんなさい。どうかお気持ちを害されることのありませんよう。
なんにしても、勉強、勉強です。
お互い、がんばっていきましょう。
この回答への補足
*お礼の後に書いた補足
ただ、Ghostbusterさんにいただいた回答は、わたしの側にとっては、納得のいかないものです。「文学」という領域をどのように切り分け、考えるか、ということについての観察が、ちがっているということを改めて感じるものでした。端的に言えば、Ghostbusterさんが「文学」という言葉によって切り分けているものを、わたしは切り分けてないのだろうな、ということを思いました。そして、切り分けることの意味自体が、一体なんなのか、と考えております。
しかし、こういう状態だと、なかなか続けて応答を繰り返すのも困難かと思いますので、一端ここで回答を締め切らせていただきたく思います。
たいへん紳士にご対応くださったGhostbusterさんにあらためて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
おっしゃられるとおり、わたしの言葉の使い方は、あまり言葉の出自にきちんと沿わないものだ、という自覚はあります。それが、お叱りを受ける可能性のある類のものだということも自覚しております。その、お叱りがGhostbusterさんにご指導いただいているような意味で、妥当であることも理解しているつもりです。
しかし、それはそうだとしても、いつになったら私はGhostbusterさんのような方と、拙いながらの概念で対話をできるようになるのだろうか、ということも同時に考えてしまいます。ご推察の通り、わたくしは日本のがっちりとした人文の土壌そのものでの教育を受けておりませんので、言葉の歴史性よりも、言葉を紡ぐことによって何かを伝えられる可能性のほうを考えてしまいます(むろん、そこでいろいろな誤解が生じるのでしょうが。)。
そして、またGhostbusterさんのような方からすれば、わたしの理解の程度は、わざわざ言わずとも明らかに生半可に見えるであろうと思っております。むろん、その至らなさにイラっとくる場合があるであろうことも、当然のことかとは思います。今回Ghostbusterさんがイラっときてしまったのは、わたしの書き方にそうさせるものが充分にあったからかとは思います。
ただ、一応、こちらも、そのような力量の差は、前提にしているものと思っていただければ幸いです。
わたしもTPOに応じて、言葉の使い方のいい加減さの度合いは変えますか、こちらではかなり甘えた使い方になってしまっております。それは、この場所で質問者側、という立場がそのような甘えをある程度、許容するという算段込みで、というのはあるのですが、
いずれにせよ、GhostBusterさんに甘えすぎたというのはありますので、こちらこそ謝らせていただきたく思います。
No.12
- 回答日時:
文学とはそもそも規範をテーマにした物が多いではないかというご意見、とてもおもしろかったです。
源氏物語だとか、あるいは観ようによっては古事記日本書紀、股旅・仁侠もの、近松、等々日本で人気のある、あった文学を見ますと、どうもむしろ「登場人物の道徳意識/倫理基準と、物語そのものの評価は分離して考えるべき」(たとえば、「物語の主人公が悪人→だから、この作品はくだらない」という見方は近代的な物ではないかと思うのですがいかがでしょうか。
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