牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

ずっと気になっていたのですが、旬な時期のほうがいいだろうということで質問させていただきます。

中学3年(公立)の卒業式の練習のとき、生徒全員に1枚のプリントが配られました。そのプリントの内容は「国歌斉唱について」でした。「本校の卒業式では国歌斉唱を行う」こと、「国歌斉唱の際は御起立願います」ということが書かれていました。

当時の私はプリントをもらって驚きました。小学校でも普通に習ったし、卒業式のときも何の注意も受けなかったし。しかし今思い返してみれば「思想の自由」や宗教上の問題があるのでプリントの意図はわかるようになりました。

そしたもうひとつ驚いたことは周りの友達のほとんどが歌詞をしらないということです。私の小学校では意味までは知りませんが歌詞は習いました。しかし友達は小学校で習っていないというのです(忘れてるだけかも知れませんが)。こんな感じなので実際卒業式では、周りで歌っている者はほとんどおらず、先生たちも口ずさむ程度。ほとんど「国歌静聴」みたいな感じでした。(その後の校歌斉唱はちゃんと歌っていました)

そこで質問です。生徒は歌詞も知らないし、先生方の一部が口ずさむだけ。ほとんどの人はただ立ってるだけの「卒業式での国歌斉唱」に意味はあるんですか?それとも意味はなくただの「卒業式に緊張感を出すためや、なんとなく神聖なものに感じさせる道具」にすぎないんですか?だとしたら「国歌斉唱」は単なる建て前ですか?

A 回答 (11件中1~10件)

みんなで「清聴」していたんなら、たいしたもんです。



私の出身の町などは、「国歌斉唱」の掛け声とともに保護者や一部の教職員が壇上に駆け上がって「実力で阻止」したことが、「武勇伝」あるいは「手柄話」として伝えられているような町でした。私が卒業したころは、そんなことはなかったのですが、いろいろと「先鋭化」する人たちが出てきたようで、そんなことになってしまったようです。(彼らにしてみれば、その町は日本一進んだ町、ということになっていました。)
そういった状況に危機感をあらわにして、今度は上のほうが強権を振り回し、一時期対立が激化しましたが、最近ようやく沈静化しつつあるというところではないでしょうか。(手段としてよかったのか、本当にこれで沈静化するのかどうかは別として。)

今は大変な過渡期です。ですから、質問者様の言うような事態も生じるのでしょう。今後は、国旗や国歌、あるいはそれがあらわす「国家」のなんたるか、を、一般国民が理解して、それが浸透してゆくのかどうか、ということかと思います。

一応、私の意見を参考までに申し上げます。

あなたがこの国で生まれ育ったのであれば、そしてこの国を構成する一員となるなら、あなたはこの国が過去にしてきたこと、現在にしていること、未来になすことについて責任を負わざるを得ません。それが、国民であるという自覚を持つということでしょう。
ですが、今の日本人にはその意識は非常に希薄です。自分たちがこの国を構成する一員であり、過去から未来に至るまでの責任を負わなければならないというのは、むしろ国際常識というべきものですが、過去のことは自分たちのしたことではなく、現在していることにはよいことにも悪いことにも無関心、未来に至っては何も考えてさえいないのではないでしょうか。

そのためには、まずは、全員が「日本国民」であることの自覚を持つ教育からはじめる必要があると思います。そのためには、国旗の掲揚と国家の斉唱、そこから始めるべきだろうとは思っています。
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この回答へのお礼

確かに今思うと、1枚のプリントを配ることが今の時代のこの問題に対する学校側の精一杯の配慮だったような気がします。

それと私はべつに「卒業式での国歌斉唱」を否定はしていません。意味はあるのか?と疑問に感じたので質問させていただいたんです。

確かに「最近の若者は・・」といわれる年齢である私自身、過去のことに興味はないですし「自分は日本国人だ」という意識もありません。しかし、これからこの国を構成する一員になるならば、この国が過去にしてきたこと、現在にしていること、未来になすことについて責任を負わざるを得ないと聞いて、確かにそうだと思いました。「君が代」のあの重苦しい~感じはそういう意味でしょうか。

そういう意味で「日本国民」であることの自覚をするため「国歌」を「斉唱」するわけですね。

ん~。しかし卒業式では何も考えずにただつっ立ってましたけどね。
中学生には何も伝わってませんでしたね。「国歌斉唱」に「賛」もなければ「否」すらない。何の感情も抱かずただただ静聴するだけけ。・・・・なんか・・・・変。

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/02 21:44

日本人の愛国心というか、日本人としての自覚の無さを感じさせる出来事ですね。

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 反社会的な人を除いて、社会性のある大人を演じるには


様々な「たいして面白くも無い仕事や行事」でも、文句を
言わずにこなして行かねば務まりません。
 そして、国家斉唱ならずとも、授業、掃除当番、その他
様々な学校行事の存在意義の一つには、その様な「たいして
面白くも無い仕事や行事」をきちんとこなして、ちゃんとした
社会の構成員になるための体験トレーニングとしての意味が
あるのは事実です。人間、頭で理解していても訓練して体に
染み込ませなければ身につかない事は幾らでもありますから。
 無論、国家斉唱に期待される意味や効果はこれだけでは
ないのでしょうが。
 
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この回答へのお礼

お礼遅れて申し訳ありませんでした。

学校というちっぽけな社会を飛び出したときにまず必要なのは「適応力」だと思います。

「卒業式での国歌斉唱」を「学校行事」と捉えるとそういう意味で確かに意味がありますね。

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/22 02:43

訂正です。


最後の文は「残すのは自分達の都合のいい歴史だけらしいです」です。
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まあ追加ですが、反対派は日の丸、君が代には反対しますが国歌・国旗(まあ大規模な反対が起きないような歌、つまり国歌、国旗という存在)には敬意を払うと思いますよ。


繰り返しますが、国歌・国旗の存在自体に異議を唱える人はいないでしょう。
団体である以上、象徴はあって普通ですから。
そこを右翼の人間は国歌・国旗に敬意を払わないと論点を摩り替えるのです。
国歌・国旗の制定って、本当は国民投票にかけてもいいぐらいの重要事項です。国の、日本という団体の「顔」ですしテーマソングですし。
それを反対派の活動がでてきたから急いで法制化しただけです。
つい最近まで法制化されてなかったんです。
愛国心はそもそも他人が育てるものではないし、国に愛着を持ってもらうのに「君が代、日の丸」である必要なんてどこにもないんですよねw
歴史を振り返るといっている人たちと教科書で従軍慰安婦を削除しようと圧力かけているの同じ勢力なんですよ、これで「歴史」と熱弁されてもね。
残すのは自分のいい歴史だけらしいです。
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この回答へのお礼

追加のご意見ありがとうございます。

確かに教科書に載っていない歴史にも重要なことがありますからね。
ただ単に年号や人物名や出来事の名前を詰め込むのではなく、なぜそのような出来事が起こったのか、それにどのように対処したのかということを知る、考えるといったことが歴史の勉強であるような気がするんですけどね。

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/22 02:38

愛国心の希薄な表れが、国家斉唱しないことにつながるんじゃないですか?教育者は愛国心を育てるのも必要なんかじゃないかと思います。

右翼的な考え方ではなく、どの国も抱く感情を育てることです。単純な話、オリンピックで日本人が活躍すれば喜ぶし、メジャーリーグで日本人が活躍すれば誇り高いし、そんな日本人を誇りに思える、日本国を誇りに思える教育が必要だと思います。左翼的な思想を持つ連中は、思想の自由・戦前教育の二の舞は踏ませないと躍起になっていますが、その左翼思想は、戦後日本がアメリカから受けた洗脳プログラムの一つだと思います。
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この回答へのお礼

お礼遅れて申し訳ありませんでした。

「愛国心」の「愛」という言葉が少し重く感じるのかもれません。私自身「愛国心」というと(=「お国のために」)と勝手に思ってしまいます。

でもそれは実は違うくて、単純に「日本人が好き」とか「日本料理が好き」「日本の文化が好き」「やっぱり畳が落ち着く」とかそういうことなのかもしれません。

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/22 02:29

>「思想の自由」や宗教上の問題があるのでプリントの意図はわかるようになりました。


国歌や国旗は、その国の統合の象徴であるので国民は国歌を歌い、国旗に敬意をはらいます。
思想の自由を出して国歌を歌わず、国旗をないがしろにするなら、国民としては如何なものでしょうか。そんなにイヤなら自分の信ずる国旗の国に移住すればよいだけでしょう。
反対に外国に行った時、その国の国歌斉唱が有る場合、歌わないのは国民でないので許されますが、起立して敬意を表さないのは、その国を侮辱したのも同然と受け取られる場合もあります。

宗教的立場から国歌、国旗に反対するのはおかしな話しです。
それとも政府転覆を企む反国家主義のカルト宗教なのでしょうか?

>そこで質問です。生徒は歌詞も知らないし、先生方の一部が口ずさむだけ。
学校では国歌を教え、行事のたびに国歌を歌うことを義務付けるのは当然のことです。教えないのは教師の資質を疑います。

さて、ここまで日の丸、君が代と言わず国旗、国歌と言って来ましたが、日本の特定勢力の方々は何故に日の丸、君が代をこれほどまでに憎むのでしょうか、それが反対に不思議です。
サッカーのワールドカップで日本を応援するのに日の丸使いますよね?
思い思いに赤旗振ったり、三色旗掲げたりしません。
君が代歌いますよね?
私の場合、外国に行って帰りに空港で翼に日の丸を付けた飛行機を見ると何故か日本に帰ってきた感じに安心します。
外国で聞く君が代は、平和的な歌詞で厳かな気分になります。
欧米の国歌の中には戦いの事や、血を流しても国を守る意味の内容が多い中で実に平和的な歌詞でよいものですよ。

中には『日の丸は侵略の象徴だったからダメだ』とのたまう方々もいらっしゃいますが、そのような歴史も含めて今の日本があることを忘れない為にも日の丸を日本の象徴として伝えていくことに意義があると思います。

国民の祝日には日の丸(国旗)を掲揚し、歴史を振り返ることは重要と思います。
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この回答へのお礼

お礼遅れて申し訳ありませんでした。

国際化といわれてるこの世の中、世界に目をやる前にまず自分が日本人であることが大事ですよね。それと他の文化や歴史を受け入れる精神も。(マナー程度に)

確かに義務教育の卒業式で国歌を歌うことは当然かも知れませんが、だったら授業でもやれよ。とこう言いたいわけなんです。普段やってないのに卒業式のときになっていきなり「はい、国歌斉唱」と言われてもねぇ。歌詞しらないし・・・。とこういうことになってたんですよ。

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/22 02:20

ないですよ、意味は。


賛成派は君が代と日の丸定着させたいんでしょう。
そして反対派へは「国歌と国旗がない卒業式なんて、売国奴」
まあ、毎度毎度なんですが普通に考えて反対派は国旗と国歌ではなく君が代と日の丸が不適切どころかありえないと言っているんです。
反対派も国旗と国歌の存在自体は否定してないんですけどね~。
団体ならどこも、もちろん国でも象徴となる歌なり印(国旗)があるのは当然なことです。
ただ、それに戦前の悪しき物の象徴をそのままつかうのはどうよって話なんですよ。
別に反対派は過去を消したいわけじゃないんですよ、左翼とよばれる勢力も反対派ですが、これらはむしろ過去を強調してますしね。
どちらかというと戦前の国歌、国旗を使用することを主張するのは右翼で、周りから見ると日の丸などの使用は自分達の失敗をうやむやにしたいようにしか見えないんですよね。
過去を見据えて? 日の丸賛成派がいうと一番うさんくさいんですよね。過去を忘れない、ではあるがそれは少しでも正当化したい、少しでも「残したい」。そんなのがあるから反対派がいるんじゃないですかね?まあ国歌はそういう意味で「右翼の言う過去を忘れない、維持」するための道具ですね。
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この回答へのお礼

お礼遅れて申し訳ありませんでした。

意味はないんですか。右翼も左翼も「国歌」「国旗」と「過去を忘れないこと」は正当化しているが「君が代」と「日の丸」に対して対立しているということですね。

ご意見ありがとうございました。勉強になりました。

お礼日時:2008/02/22 02:09

質問とは違う話ですが、思いついた感想を・・


私個人では国歌を歌うことを強制することには反対です。
自発的に歌うようなことになれば、それでよいとおもいます。
国家権力が強要するような国歌を喜んで歌うような、
国に愛情をもつことは難しいとおもいます。
(それでも喜んで歌うひともいるでしょうから反対はしませんし
やめろともいいません)
自分で判断できる教養を身につけて、自分で判断することです。
サッカーの国際試合では、サポーターが喜んで国歌を歌っています。
卒業式でもこのようになれば喜ばしいことです。
自国の国歌を歌う歌わないは個人の自由に属することと考えますが
(異論はあるでしょうが)他国の国歌の斉唱時(演奏時)には
自分の思想信条に関わらず敬意をあらわすべきです(形だけでも)。
(敬意を表す行動:例えば起立するとか静粛にするとかなど)
それが国際人の教養と言うものです。他国の文化やそこに住む人民、
国家の主権の尊厳は尊重すべきものと思います。
同じように自国にもこのような行動がとれるような、
よい国に、大人がしなければなりません。
よい国になれば自然と結果はついて来るものです。
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この回答へのお礼

「「国歌斉唱」の賛否は自由で歌いたくなければ歌わなくてもいい。ただ何でもいいからとりあえず立ってくれ。」とあの日担任はそんなことを言っていました。

「国歌斉唱」にどんな感情を抱こうとも場を乱さないために起立はする。それすらできない感情を抱いているならせめて静粛にする。それが国際人としての礼儀ですよね。

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/02 21:53

>生徒は歌詞も知らないし、先生方の一部が口ずさむだけ。

ほとんどの人はただ立ってるだけの「卒業式での国歌斉唱」に意味はあるんですか?

「国歌斉唱」に対しておそらく賛否両論に分かれる難しい問題だと思います。
私が過ごした小、中学校は、当然のように国歌斉唱をしていました。それは「時代」のせいだったのかもしれませんが、小学校の時に何度も繰り返し練習をした記憶があります。
ですので私は何の疑問も持たずに、その歌詞のもつ意味もよく理解せずに当然のこととして歌ってきました。

ご質問者様の中学校は組合の先生が多かったのでしょうか、それともそのような時代だったのでしょうか、或いは色々な思想を持つ親御さんや生徒さんがいることを学校側が配慮したのでしょうか、よくわかりません。ただ、「生徒は歌詞も知らない」ということは、他の式歌とは違い、先生が国歌を歌うことを強要したり練習させたりしなかった、でも誰かの命令かお考えで式の中にいれざるを得なかったのですね、おそらく・・・。
現在は「国家斉唱」は学習指導要領で定められた義務(?)であり、個人的にどんな思想を抱えていようとも、生徒の皆さんが歌う、歌わないに拘わらず儀式の中で必ず行わなければいけないという「決まり」のようなものがあります。もし伴奏を奏でるべき先生がその仕事を拒否しようものなら、処分も考えられる時代となりました。
ですので現在は「国歌斉唱に意味がある」、「なし」の次元のものではないのです。

この問題は今でも本当に重く、論議の場になると私はいつも憂鬱になります。
私自身は何の思想も持たずにただ当然のように歌ってきましたから、この国ではそういうものだと思って育ちました。
組合の方々がその歌詞に対して色々なことを言い、それに対してまた管理するべき立場の人が色々な事を言い、喧嘩のような状態になっていく事は、「国歌を歌うこと」以上に私にとって暗く、重苦しく、いつも不愉快にさせます。

>それとも意味はなくただの「卒業式に緊張感を出すためや、なんとなく神聖なものに感じさせる道具」にすぎないんですか?だとしたら「国歌斉唱」は単なる建て前ですか?
現在は前述のように「決まり」であり、必ず公立学校では行うべきものなので、小学校で「掛け算の九九」を教えるのと同じといえましょう。適切な例えではないかもしれませんが。

学校現場に限らず「国歌斉唱」に対する意見はさまざまだと思います。私はこの問題を「憂鬱」に感じなくなる日がやってくればいいと、論議される度にいつも思います。
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この回答へのお礼

言い忘れていました。自分は現在高校生です。大人の皆さんからするとつい最近の話じゃないかと突っ込まれるかもしれませんが、本人からするとずいぶん前の話です。

もはや今では「卒業式での国歌斉唱」に「意味」というもの自体がなく「卒業式」=「開会式、国歌斉唱、校歌斉唱、~、在校生の言葉、閉会式」みたいになっているということですね。

このような問題が生じるのは私も含めてみんな国歌についてよく知らないからだと思います。「国歌斉唱」を学習指導要領で定められるのならば「国歌について」の授業も学習指導要領で定めれば良いと思うんですが。自分の国の歌の意味が(賛否両論かかわらず)教えてもらえないなんて何か変じゃないですか?

少しでも「憂鬱」が和らぐ日がやってくればいいですよね。ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/02 21:19

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