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本当は哲学のような回答でもよいし、心理学のような回答でもよいのですし、少しメンタルな内容も入りますが、質問カテゴリはここに落ち着きました。

私だけの話かもしれませんが、最初はいいなと思っていたものが、いずれ幻滅して、あの時バカみたいに熱狂していたのはなんだったんだろう、と思ってしまうことがあります。
「飽きてしまう」ということもあるのでしょうが、それだけでなく、何か自分がぬか喜びしていたように感じてしまうのです。

私の最近の例では、ネットで長く話していた相手が同性だと白状されたこと、これは安いと思って買った品物が実は劣悪品であったことなどがあります。

生きていく上で、ぬか喜びというブービートラップは不可避的なものなのかもしれませんが、その予防線を張るために、知恵・教訓を授けていただければと思い、質問させていただきます。

みなさんの今までの経験で、どんなぬか喜びがありましたか? また、それを避けるにはどうしたらいいと思われますか? 自分はこうしてぬか喜びを回避した、という体験談をお持ちの方(なかなか難しいでしょうが)がいらっしゃれば、その体験でも結構です。また、上に書いた通り、哲学・心理学のような見地から見た理論的アプローチであっても構いません。

皆様からの回答をお待ち申し上げます。(締切日時未定です)

A 回答 (5件)

こんばんは。


まず大辞林によりますと「ぬか喜び」とは「あてがはずれた、はかない喜び」とのことです。
カン違い、錯覚、ボタンの掛け違い、状況の読みきれなさなどの上に存在し、一定の時間経過後もろくも崩れた幸福感ーという解釈でよろしいでしょうか?
(ある一時に本気で入れ込んだり熱狂した感情を「後から振り返るとバカバカしくむなしく思えた」というのはこの意味で「糠喜び」とはちょっと違うと思うのですが・・・。)

というわけで、「ぬか喜び」を避けるためには

■状況を常に客観的に冷静に見られるよう心がけておく。そのための緊張感を保っておく。

■物事、人間は常に疑ってかかり、何事も鵜呑みにせず、必ずその裏面を見る。

■情報をたくさん集め、総合的に多角的に有機的に判断する。

■無理、ムラ、無駄の3M追放。

■転んでもただでは起きないをモットーとする。
(あるいは損して得取れ、肉を切らせて骨を断つ、などなど・・・)

といった感じでしょうか?(同じことを繰り返し言っているような気もしますね)
勿論、こんなことを日常生活で私は守っていないし、これらを頑なに守っているヒトを友人に持つのもカンベンです。(笑)
時にはワナにはまるくらいのほうが人間らしいと思いませんか?
まあ、ぬか喜びを通り越し悪徳商法にしゃぶられる、借金の連帯保証人にさせられるーなんていうのは絶対に避けたいですが・・・。足元のちっちゃい石コロを一つ残らず避けようとしているとかえって大きなカベにドスンということもあるのではないでしょうか?

卑近な例で恐縮ですが、以下が実際の最近の私の「ぬか喜び」です。
子供がテストで五教科とも80点以上取ってきたので「今度は学年順位がかなり上に行くかもしれない」とワクワクして待っていました。
ところが後日貰ってきたのは今までとあんまり変わらないパッとしない順位表!
そうです。皆がいい成績だったわけでこれは「状況の読みきれなさ」による「ぬか喜び」でした!

私はすぐにちょっとしたワナにはまるので(素直?)ぬか喜びの回避については書けそうもありません。ただはまった後の立ち直りは早い方なので(自慢?)あまりその必要はないのかもしれないと思っています。(居直り?)

参考にならない回答でゴメンナサイ。

この回答への補足

これをもちまして質問を終了させていただきます。
皆様、ご回答ありがとうございました。

補足日時:2002/10/17 10:45
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この回答へのお礼

gomuahiruさん、お礼が遅くなり申し訳ありません。
どうお返事していいものか、いろいろな意味で悩んでおりました。

>大辞林によりますと
>「後から振り返るとバカバカしくむなしく思えた」というのはこの意味で「糠喜び」とはちょっと違うと思う

さすがはいいところに目をつけられたと思います。
「ぬか喜び」という判定は、事が終わってからの場合が多いと思います。
今回、「喜び」という言葉を用いましたが、厳密には「悦び」の方が相応しいかもしれません。

>■状況を常に客観的に冷静に見られるよう心がけておく。そのための緊張感を保っておく。

これができそうでできないんですよね。冷静に見るっていうのは。しかも「常に」ですからね・・・

>■物事、人間は常に疑ってかかり、何事も鵜呑みにせず、必ずその裏面を見る。

直観を疑うということですね。疑ってみて判断がつかない時には「賭け」になるので悔いはないと思うのですが、結構人って影響されやすいですからね・・・

>■情報をたくさん集め、総合的に多角的に有機的に判断する。

物事の見方を変えることで、見えてこなかった部分が見えてきますね。それは確かに経験があります。幸運を呼ぶペンダントなどの雑誌広告で、「中国の農村がこのペンダントのおかげで豊かに」みたいなことを書いてありました。しかし、よく見ると、その写真の子供は、わざとらしく顔に泥を塗っているのです。確かにぬか喜びを防ぐ方法だと思います。

>■無理、ムラ、無駄の3M追放。

・・・これがピンとこないんですよね。gomuahiruさんは主婦をなさっていらっしゃることもあり、そういうスローガンが紛れ込んでしまったのかな、などと思ってみたりもしていますが。(村からは追放にならないように気をつけます←違う)

>■転んでもただでは起きないをモットーとする。

失敗を考えて、失敗を挽回する方法まで先に見据えておくということですね。

>足元のちっちゃい石コロを一つ残らず避けようとしているとかえって大きなカベにドスンということもあるのではないでしょうか?

リスクの大きさの判断の問題でしょうね。おそらくは。そういうものが冷静に判断できればいいんですが。

>最近の私の「ぬか喜び」

ありますね、そういうこと。自分がいい状態にある時は相手もいい状態にある。よく麻雀などをやってて思ったりするところです。

>ただはまった後の立ち直りは早い

そうですね。早く立ち直るのが賢いかもしれませんね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/17 10:45

えらそうなことを書いているつもりはないんですよ。


そういう風にもとられるかな、と思ったので補足します。

それと、方法論で気付いたのですが、自分が今とっている態度を
紹介したいと思います。
それは、誰に対しても、その人のことを考えて対応する、というものです。
人が嫌がることは言わないことです。
その人の立場になって考えて、言葉を選ぶ、行動することです。
ただ、完璧じゃなくて、ずうずうしい、ずるい人にはつらく当たるのが
私の悪い所ですかね。
だから、表面上は私は人付き合いが悪いほうだと思います。
ずるい人が多すぎますから。
そういう人たちを傷つけず、おだてながらつきあう、そういう人間になるべきだな
といつも思いますし。
でも、後悔してませんけどね。
自分の価値観で自分で決めていることですから。


最後に、私の今もひきづっている「ぬか喜び」紹介します。
今31歳ですが、まだ結婚していません。
数年前、結婚したいなと思った人に心を傷つけられたことが起因していて
今も女性に対して、一歩引いてしまいます。
数年前、新入社員として同じ職場に入ってきた女性は、真面目な子で一生懸命
仕事していたのでいい子だなと思って、仕事でもいろいろとサポートしてあげ
ました。女性も助かっていたのか私に対して好意は持っていたと思います。
私もいい子だなと思っていましたが、職場恋愛はまずいので、そんなつもりは
ありませんでした。
でも、その年の忘年会で、その子が職場の先輩達に私のことを好きだと言って
いたそうなんです。私はそのときはいなかったのですが、3次会で合流して、
またいろいろと、はやしたてられて、私も考えました。
その後もその子とは、数ヶ月普通に仕事の関係でしたが、考えた末、結婚も
真剣に前提として考え、デートに誘いました。
その子は喜んで来てくれ、何度かまた2人で会いました。
そして、告白したら「嫌」と。
「えっ」って感じです。
その後、その子は何も言わない。私も聞けない。
そうか、からかわれたんだ。誰にでもいい顔をして、思わせぶりにする子なんだ、
と思い、それから職場でも気まずくなりました。
仕事のことは、もちろん手伝いますが、愛想笑いとかはできませんでした。
そうして1年経った時、その子が上司に告げ口を。
私がその子に対して「つめたい」と。
別に仕事上意地悪はしてないし、そっけなく接するだけは別になんともないと
思うんだけど、それに向こうのほうがどうかと私は思うし。
その彼女のほうから、こんな告げ口。
上司からはぼろくそに言われ、言いたくもない私がそのときのことまで、言っても
君のほうが先輩だろ、といわれ、ぼろくそ。
ふざけんな、と思いましたね。
ダメ上司、馬鹿上司に今までむちゃくちゃ尽くしてあげたのに、そんな馬鹿女の
味方ばかりで。
さすがに馬鹿らしくなったので、転職まで考えましたが、それも馬鹿らしいので、
異動願いを出しました。
そしたら、今度は上司に「残ってくれ」と言われる始末。
別に自慢しているのではありません。

今はそんな馬鹿らしい状態ですが、愛想笑いの一つも振舞ってやりますが、心の中
では馬鹿女とおもっています。

それ以来、移り気な女性の気持ちに、なんとも割り切れない気持ちは続いており、
女性の言葉が、信用できません。


こんな嫌な思い、思い出すのも、話すのも、書くのも嫌でしょ。
みんな色んな悩みをもってるんです。
だから忘れるのが一番なんです。
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この回答へのお礼

>誰に対しても、その人のことを考えて対応する、というものです。
>人が嫌がることは言わないことです。
>その人の立場になって考えて、言葉を選ぶ、行動することです。

それはいいスタンスであると思います。
しかし、自分は気遣っても、人の嫌がることを言う他人はいますよね。
それに、人の立場になって考えるというのは、難しいことなのです。おそらく上級者のテクニックではないかと思うくらいに。
「人災」で割り切れればいいのですが、どうも泣き寝入りっぽくなってしまうのが悩みどころです。

以降は、説教のようになるので、読みたくなければ読まなくて結構ですが…

pierre_1999さんの紹介して下さった「ぬか喜び」は、

>その子が職場の先輩達に私のことを好きだと言っていたそうなんです。

ここですね。落ち着いて考えれば酒の席でもあるし、自分がいない場所での話だったわけでもあるし、そういう勢いと、半ば先輩達が吐かせる形でその子に言わせた部分があるように思います。それを話半分に聞いておけばよかったにもかかわらず、ぬか喜びしてしまったようですね。
だから、その子も「親善」「友好」程度のレベルを考えていたのではないかと思います。でもpierre_1999さんはぬか喜びのせいで浮わついてしまっていた。そうした思い違いがあって、空気を読めずに告白を失敗し、その後どうしようもなくずるずると、と来ているんだと思います。
pierre_1999さんは当然むっとしますが、その子にはpierre_1999さんの感情がわからない。従来の2割から3割引きの優しさで接するようになったのがイヤなのでしょう。そうした感情をストレートに上司にぶつけた。上司としては業務がスムーズに行かないのは困るのでpierre_1999さんに忠告した。しかし、pierre_1999さんの感情からすれば、その上司の理論には納得できない。

流れを見る限り、pierre_1999さんには「逃避傾向」がありますね。ぬか喜びする対象に「逃避」したのもそうですが、それが幻滅すると、現実から「逃避」するようになってしまっているようです。「だから忘れるのが一番なんです。」というどこか淋し気な科白が、漱石の文学を連想させます。でも、現実逃避は何も生みません。羹に懲りて膾を吹くのは傍目から見るとあまり潔い態度ではないと思います。確かに重くのしかかってくる現実ですが、逃げないで立ち向かうという戦略はないものでしょうか。

私は「えらそうな」とは思いません。ただ、ぬか喜びは避けられないにしても、そのショックから立ち直るべきだと思います。忘れても心の中にある傷は消えません。だから、うじうじ悩む必要はないと思います。

私の方がむしろ偉そうですね。質問しておいて回答に対して説教をかますなんて。

三度目の回答、ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/10 16:35

#1の者です。


一般的なことを書いてすみません。
でも、そう考えないといやな事をすぐに忘れられないと思うからなのです。

私も嫌な思いはいっぱいしています。
こういう風に思い出すと、嫌な思いが湧きあがってきます。
だから忘れるのが一番だと。
私も忘れられない嫌な思いはありますが。
いいこともいい人もいっぱいいる。
そういうことを心に焼きとめ、いやな事は忘れても、二度と同じことは
繰り返さない。(なかなか繰り返さない、かな)。そう無意識に行動できると
思うんです。

ぬか喜びを避ける方法論では、自分を磨くことでしょうね。
常に向上心をもって、色んなことにチャレンジしていれば、たとえ失敗しても
次があるさと軽い気持ちで、何事にも取り組めます。
楽観論で何もしないで、そういうのとは違います。
自分なりに頑張ってその後の境地です。

知識を積んだり、仕事を頑張ったり、何か活動に取り組んだり。

そうすれば、ぬか喜びだったという気持ちをひきずることも少ないでしょう。
また、その前に「冗談じゃないの」、「この話はうさんくさいな」とぬか喜びしない
予防策にもなるでしょう。


ぬか喜び、それに伴う失敗は別に悪いこととは思いません。
経験と考えれば、それもまた宝でしょう。
でも、生活を壊すぬか喜びだけは避けたいものです。
つまり、金の失敗だけはまずいと思います。
だから、これだけは「うまい話はない」と心に受け止め野暮なことはするべきでは
ないでしょう。
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この回答へのお礼

>ぬか喜びを避ける方法論では、自分を磨くことでしょうね。
>常に向上心をもって、色んなことにチャレンジしていれば、たとえ失敗しても
>次があるさと軽い気持ちで、何事にも取り組めます。
>楽観論で何もしないで、そういうのとは違います。
>自分なりに頑張ってその後の境地です。

やはり、自分を磨く、ということになるんでしょうかね。
落とし穴に落ちないためには、やはり経験を積むしかないのかもしれませんね。

>経験と考えれば、それもまた宝でしょう。
>でも、生活を壊すぬか喜びだけは避けたいものです。
>つまり、金の失敗だけはまずいと思います。

ぬか喜びという失敗を繰り返すことも経験値と捉えれば、確かにいいかもしれませんね。
わかりました。金銭トラブルには注意したいと思います。

二度目のご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/10 15:54

個人の好みに寄るものだと思いますが・・・


(そういっては、それまでなんですよね(^^))

全くぬか喜びをしないで済むように生きて行こうと思う人は
なるべく沢山の人からその物や人に対する情報を得て判断してから
購入したり会ったりしていると思います。
これでも相性などの要因でハズレはあると思いますが
落胆することはかなり少なくなると思います。

逆にぬか喜びすることを歓迎する人もいます。
あたらし物好きというか「ぬか喜び喜び」というか・・・
人や自分がまだ知らない事を経験する事、それを人に伝えるのが好きな人です。
こういう人が自分のその嗜好を職業意識にまで高めると
フリーのライターになったりします(笑)

私はどちらかというと後者寄りですが(ライターではありませんヨー)
あまり大きいぬか喜びは嬉しくないですね(^^;

>最初はいいなと思っていたものが、いずれ幻滅して
>あの時バカみたいに熱狂していたのはなんだったんだろう
>と思ってしまうことがあります

私はこういう風に思うことはないですね。
熱狂した私と飽きてしまった私とは、経験の量が違うし中身は別人だと思っています。

ぬか喜びをどうやって回避するかですが・・・
ひとりの人間も価値の基準は沢山持っていることと思います。
自分だったら、そのぬか喜びに見合う基準を引っ張り出してきて納得するんじゃないかな>あきらめるとゆうか
前述の「ネットおかま事件」も遭遇した人は少ないでしょうから
話題としてはとっても「おいしい」と思います。<こういう風に消化するのはいかが?
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この回答へのお礼

>なるべく沢山の人からその物や人に対する情報を得て判断してから
>購入したり会ったりしていると思います。

やはり「慎重な判断」というのが必要なのですね。
そうすると、目利きがいい人ほど、いい人生が送れるのかな、と思ってしまい、少しへこみますけどね。まぁ、そのへんは気にしても仕方ないので、自分のできる範囲で慎重な判断をしていくことにしたいと思います。

>逆にぬか喜びすることを歓迎する人もいます。

これは意外な着目でしたね。駕篭に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人。世の中には「ぬか喜び」を提供するお仕事というのもありますよね。流行というのは、栄枯盛衰の世のならいゆえ、新しい喜びがいつまでも磨かれたままの喜びであるというわけにはいかないのでしょう。だから、どんどん新しい「ぬか喜び」を生産する。そう考えれば、「ぬか喜び」は人類の発展に寄与してきたわけで、決して悪むべきものというわけではありませんね。逆に今までその構図に気がつかなかったために、「ぬか喜び」に対する免疫がなかったのでしょうね、私は。

>熱狂した私と飽きてしまった私とは、経験の量が違うし中身は別人だと思っています。

それが別人でも、時間は連続しているわけですから、ある瞬間で別人に変化するか、それともなだらかに変化していくか、ということになるんでしょう。でも、それが理由で「ああ、借りた時のオレは別のオレだから」と言って物を返さないというような悪質なケースがないことを願います(^^)

>ぬか喜びに見合う基準を引っ張り出してきて納得するんじゃないかな

「損した」と思うより、「これなら安いもんよ」と思う、ということですね。失敗は成功の元、とか、転んでもただでは起きない、とか、そういうあたりのポジティヴな発想ですね。それはそれでいいんですよ。でも、なんか単細胞化(譬えて言うならサザエさんのようにへまをしても反省することなくまた同じへまを繰り返すとか)してしまいそうで、ちょっと不安ですが。

>話題としてはとっても「おいしい」と思います。

確かに激レア体験談などは持っていると得かもしれませんね。でも、そういう事件って、等比級数的に増えますから、旬なうちに自慢して話さないと損ですかね。

お忙しい時間を割いてご回答頂き、ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/08 23:28

別に今のままでいいんじゃないですか?



私も人がいいほうなので、よく人にだまされたり、思わせぶりな
ことを言われてその気になってしまいます。
そして、あとで悔しい思いもします。
※断っておきますが、詐欺とか事件に合ったわけではありません。
 ささいな人間関係の裏切りとかだけです。

でも、そんなもんじゃないでしょうか。
喜怒哀楽とあるように楽しいことや悲しいことは必ずあるわけで
そうやって生きてるんだし。
それとも、無気力で何にも興味を示さず、人をみたら悪人と思って
誰とも心を打ち解けずにいる方がいいと思いますか?
私はお人よしは確かに損だと思うけど、それでも自分がいい思いを
自己満足でもしてる間は幸せですね。
人は悲しいことは忘れることができるので、楽しいことしか覚えてないものです。
だから今のままでいいと思います。
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この回答へのお礼

>別に今のままでいいんじゃないですか?

そう言われてしまうと、それまでなんですが・・・
転ばぬ先の杖というか、石橋を叩いて渡るというか、もう少し慎重に生きていれば、ぬか喜びなどしなくてもいいのじゃないかな、と思ってしまって。

>喜怒哀楽とあるように楽しいことや悲しいことは必ずあるわけで
>そうやって生きてるんだし。

これまた、そう言われてしまうと、それまでなんですが・・・
禍福は糾える縄のごとしとか、人生山あり谷ありとか、確かにその通りなんですが、なんというか、そういう荒波に飲み込まれて生きていくのはどうなんだろうか、と思ってしまうのです。
昔、「今を生きなさい」というアドバイスをある人からもらったことがありますけど、なんだか私の場合、「目先を生きている」ような感じがして、あまりよいことではないな、という自覚があるようなのです。

>無気力で何にも興味を示さず、人をみたら悪人と思って
>誰とも心を打ち解けずにいる方がいいと思いますか?

それは、ぬか喜びの反対で、「取り越し苦労」とか「杞憂」とかいうものだと思います。そこまで神経をすり減らす必要はないでしょうが、それでも割り切れない部分が残るのです。絶対幻滅しないような何かが見つからないまま、生きていくというのは。

もちろん、pierre_1999さんのおっしゃることはわかりますし、もっともだと思う部分も多いのですが、私は私自身を現状のままにしておくことになんだか疑問が残ります。今ある自分から離れて、あるべき方向を模索するための第一歩として質問させてもらいました。

なにはともあれ、貴重なお時間を割いてのご回答、どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/10/08 00:15

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