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現在の原子力発電の是非に関する議論は、必ず、「反対」もしくは「賛成」のどちらかの立場から行われており、中立的な議論は皆無のように思います。

様々な議論を見ていると、

(1)原発に反対する人たちは、原発を危険なものと思い込み、原発撤廃に結びつかない情報には耳を貸さない。そして原発推進者は自分の利権のことばかり考える悪い人であると考える。

(2)原発に賛成する人たちは、原発をすばらしいものと思い込み、問題があっても原発撤廃は少しも考えない。そして原発反対者は正しい知識・理解がない愚か者であると考える。

そしてそれらの思い込みを前提にした議論が繰り広げられ、主張を押し付けあうだけになっているように感じます。

何とか中立的な議論をすることはできないものでしょうか?
また、中立的な議論をするには、どのようなことを議論する必要があると思いますか。

A 回答 (12件中11~12件)

原子力発電の『是非』なんだから立場としては「賛成」または「反対」しかあり得ないと思いますけど。


そして自説に有利な内容を喋るのは普通の行為です。

>何とか中立的な議論をすることはできないものでしょうか?
両者の意見が対立することが中立的な議論というものだと考えます。
各々の理解が不足していて当然なんです。議論することで相互理解しようとするのです。

-renny- さんの言う、「中立的な議論」がどんなものなのか全く想像がつきません。
必ずしも建設的な議論だけが行なわれるわけではないですが、私は他の手段を知りません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>原子力発電の『是非』なんだから立場としては「賛成」または「反対」しかあり得ないと思いますけど。
確かに、『是非』を考える上では「賛成」「反対」のどちらかの立場を取る必要があるかもしれません。でも、今の原発の是非に関する議論は、入り口の段階で、「賛成」か「反対」かしか用意されていないように思うんです。いろいろな選択肢を偏見なく眺めていって、「じゃぁこっちだ」と考えることができていません。

>両者の意見が対立することが中立的な議論というものだと考えます。
>各々の理解が不足していて当然なんです。議論することで相互理解しようとするのです。
確かに、対立した意見を主張しあえるのは偏りのない中立的な議論と呼べばすね。言葉の使い方を誤っていたかもしれません。ただ、原発に関しては、議論することで相互理解に向かっているとは思えないんです。

>-renny- さんの言う、「中立的な議論」がどんなものなのか全く想像がつきません。
わかりにくい質問をしてしまいすみません。相互理解に進めるような、どこか落としどころを見つけられるような議論です。私もその手段が見つからず、質問してみました。

お礼日時:2008/02/21 02:34

こんにちは。


それは、原発行政が「はじめに建設ありき」で進められているからです。
つまり中立な立場から「それならどうしよう」という議論は始めからやられていないのです。
行政+企業側は、問答無用で作る、推進する、という姿勢を一歩も譲歩せず、反対派にお金をばら撒いて買収したり、周辺市町村にお金を撒く事で自治体の合意を取り付けたりしてます。

始めから結論が決められている話なので、中立的な立場で論議しようとしても一切聞いてもらえず、結局反対派の人もいこじになって相手を信用しなくなった・・・というのが実情です。

一度だけですが、電力会社が主催する原発見学ツアーに行きました。
放射線測定器を見せて「ごらんの通り、針はほんの少し振れるだけです」とご自慢でしたが、私は見てはいけない物を見てしまいました。
測定器のレンジが違ってるんです。
こういうインチキをやる連中を信じろって、私にはいえないですね。
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この回答へのお礼

非常に参考になるご意見をありがとうございます。

>それは、原発行政が「はじめに建設ありき」で進められているからです。
確かにそのとおりですね。まずは0からはじめないことには、公平な議論とは呼べないですね。見落としておりました。

>測定器のレンジが違ってるんです。
結局賛成派も反対派もやっていることは同じなのでしょうね。賛成派はレンジを大きくして小さく見せ、反対派はレンジを小さくして大きく見せる…なんか悲しいです。

お礼日時:2008/02/21 02:17

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