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私は子供の頃に自分が生きる理由を決めてしまいました。
きっかけは多分、当時のクラスメートのうちの1人を好きになった事です。
次第に「この世界は辛いけれども、彼が存在するなら生きているのも悪くない」そう思うようになりました。
私には生きる理由がこれしかありません。
もし彼に何かあったら、私は生きるのをやめる事をためらわないと思います。

過去の質問にも「生きる理由」について書かれたものはたくさんあります。
「周囲の人が悲しむから」「理由を探す為に生きている」「自分のため」「いつかはいい事がある」「怖いから」…
そのどれを読んでも感情・感覚として理解できません。
それが生きるに値するほどの行為だとは思えないのです。
本当の事を書くわけにはいかないからとりあえずそう書いているのではないか、そんな事を思った事もあります。

今、私は「生きる理由」の彼と付き合っています。
とても落ち着いた関係ですが、時々不安になります。
もし今までの友人関係さえ維持できなくなるような別れ方をしたら私はどうなってしまうのだろうと。
それは生きる理由を失うと同時に、生きていい理由を失う事のような気がします。

自分でも、自分が少しおかしいのではないかとは思うのです。
自分がおかしいと認める事は怖い事ですが、そう言われ納得すればそれなりに覚悟をして生活する事ができるような気がします。
でも本当は「実は自分も人には言えない生きている理由がある」そんな話も聞きたいのです。

こんな「生きる理由」を抱えた人間をどう思うのか教えて下さい。

A 回答 (17件中1~10件)

>こんな「生きる理由」を抱えた人間をどう思うのか教えて下さい。



感じたままを書かせて頂くと、とても可哀想な方だと思いました。(大変失礼)

私は、人にはそれぞれ大きく分けて3つの時間があると考えています。

1つ目は、1日24時間・1年365日という(今年は366日ですが/笑)万人の持つ時間。

2つ目は、それぞれの人が持つ寿命、つまり天命です。
だから同じ時間の中に居ても実際に人はそれぞれ違った時間を生きているって事です。
違った時間を生きているのに同じだと錯覚してしまうと、あの人が出来るのになぜ私には出来ないの?とか悩んでしまいます。

3つ目は、心が持つ時間です。
普段は心が持つ時間と天命とは同じ時間の上にあるのですが、人は何かとても辛い事などがあると心を過去に置いて精神の安定をはかったり、逆に未来へ飛ばして空想の世界に逃げ込んだりなどします。

私にはcasio_27さんが心の時間を小学校の高学年の頃にとめてしまっているように思います。
もし心の時間をとめていなければ、彼との交際時に生きる理由が「彼の存在」から「彼のため」に変わったような気がするのですが…。

私は心理学も哲学も学んでいず、自分の体験から得たものだけで考えているのでこれ以上の事は言えませんが感じた事を書いてみました。
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この回答へのお礼

回答をいただいた皆様へ
たくさんのご回答をいただき戸惑いながらも嬉しく思います。
引き続きお話を伺いたい方もたくさんいらっしゃるためもうしばらく回答を受け付けようかとも考えたのですが、
このまま回答が増え、お礼もままならない状態になっては失礼かと思い受付を締め切らせていただきました。
ポイントは具体的にご自分の「生きる理由」を聞かせていただいたお二方におくらせていただきます。
遅れるかもしれませんが必ず皆様にお礼を書かせていただきます。
本当にありがとうございました。

kenzkさんへ
概ね同意できます。
私は自分を可哀想な人間だとは思いませんが、他人から見ればそう思われる事はあるのでしょう。

>彼との交際時に生きる理由が「彼の存在」から「彼のため」に変わったような気がするのですが…。
ただこれだけは違うと思います。
どんなに近しい相手であっても人は結局は自分とは別の個体です。
生きる事はあくまで自分のための行為なのです。
私はあくまで、彼が存在するこの世界が好きな自分のために生きているに過ぎません。
「~のため」という考え方は「あなたの為に…してあげている(…してあげているのに)」という意識に結びつき易い危険なものだと思います。

お礼日時:2008/02/22 23:53

生きる為の「理由」とか「目的」などは


考えた事もありませんね~
気が付いた時に「生きていた」から生きているだけです。
あとは、死にたくないから頑張っているだけだと思います。
特に理由なんて探さなくとも「生きている」のは事実ですから。。。
ただ、生きる為の「意欲」のようなモノが必要と感じれば
それなりの目的や理由があった方が自然ですね。

自分が「なぜ生まれてきたのか?」その答えを探すのが
人生そのものだと思っています。
自分が生きている意味の「答え探し」ですね。
質問者さんは「彼の存在」がその答えだったようで。。。
若い内から答えが見つかるなんて幸せ者なのかも知れませんね?
でも、その「彼の存在」のみ・・・いうのは
ちょっとさみしい気がしないでもありませんが
それは、質問者さん自身が感じることでありますから
他人の私がとやかく言う筋のモノではありませんね。

人生の「答え」を見つけたあなたが「羨ましい」です。それだけです。
私は死ぬまで探し続けるでしょうね。。。
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「生きる理由」「生きたい理由」などは人それぞれですから、あなた様の生きる理由が、そのような理由ならそれで全然問題ないと思います。



ほとんどの方は普段生活している中で、「生きる理由」みたいなものを明確に掲げて生活していないと思います。

人に「あなたの生きる理由って何?」って聞かれて「○○だから」ってハッキリいえる方は少ないでしょう。
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この回答へのお礼

皆様の回答をいただいて私なりに出した結論はNo.12の回答者様のお礼欄にまとめて書かせていただきました。

なんで「生きる理由」もないのに生きているのでしょう。
それも不思議なんです。

お礼日時:2008/03/29 13:22

そういう人もいるだろうな、と思います。



生きる理由って必要でしょうか?
自分で命を絶たない限り、何か事故に遭ったり襲われたりしない限り
私たちの心臓は動き続け、明日はやってきます。
ただそれだけのことです。
でもそれだけでは飽きてしまうので
「私はこう思って生きている」
「私はこのために生きている」
というのを
後付けで好きに掲げているのであって、
それがどんなものであろうと個人の自由です。
意識しなくてもいいようにも思います。
そして誰かに聞いて答えらしきものを得たところで
それはその人の答えなので
質問者様の納得のいくものは
やはり自分で見つけなければ見つからないのだと思います。

ちなみに私の生きている理由は
知らないことがたくさんあるから、
知ることが楽しいから、
人が好きだから
せっかく過ごすなら楽しく毎日過ごしたいから

でしょうか。
一番の理由は、心臓が動いているから、ですが。
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この回答へのお礼

皆様の回答をいただいて私なりに出した結論はNo.12の回答者様のお礼欄にまとめて書かせていただきました。

回答者様にとっては生きているから生き続けようとするという事は1+1=2であるように自明の事なのでしょうが、私はたぶんそこでつまずいてしまっているのです。

自分で命を絶たない事や、ひいてはこの地球上に人間が未だ存在しているという事が私には不思議なのです。
例えば一昔前に核の脅威を啓蒙する言葉として「地球上には地球を3回滅亡させるほどの核が存在する」などという言葉を聞いた事があるのですが、
それなら世界中に核施設を満遍なく設置し、核兵器を世界中でいっせいに発射し、それぞれを誘爆させれば、
人類は苦しみも痛みも感じる暇なくあっというまに滅亡するのではないでしょうか。
そういった行動が人類全員の総意となる事はありえないと思いますが、ある程度の人間が同意すれば可能だと思います。
守るより壊す事の方が簡単なはずですから。
けれどもそうはならない。それが不思議なのです。

お礼日時:2008/03/23 14:25

私は現在既婚ですが、主人のために生きてる。

とは思っていません。

ただ、「主人と出会えた事は、生きて行くためのご褒美だ」とは思っています。
今まで辛い事も悲しい事もあったけれど、何とか乗り越えて来たから、彼と出会う事が出来たんだ。と思っています。
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この回答へのお礼

皆様の回答をいただいて私なりに出した結論はNo.12の回答者様のお礼欄にまとめて書かせていただきました。

私は先にご褒美を貰ってしまったから、その分生きなければいけないのかもしれませんね。

お礼日時:2008/03/19 20:29

30代♂です。



あなたがそう思いたいのも分からないでは、ないですが、それはとても怖い事です。

あなた自身も分かってみえるようですが、彼がいなくなったらあなたも終わってしまうからです。

あなたは彼に全てを依存して生きています。

あなたの人生を生きていません。

それは悲しい事です。

生きる意味が何かとは明確には分かりませんが、少なくとも特定の第三者の為では無いという事は分かります。

そのままでは、あなたは彼を繋ぎとめようとする事に人生の全てをかけなくてはいけなくなくなります。彼に振られたら、どうしよう。こんな事ばかり考えて生きる事にどんな幸せがあるのでしょうか?人は必ずいつか旅立つ事になるのです。必ず別れは訪れるのですから、その事を忘れてはいけません。

あなた自身の中に生きる希望があるはずです。
それをゆっくり見つけてみてください。
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この回答へのお礼

耳に痛い言葉等もあり、再びこのページを開くまでに随分時間が空いてしまいました。
お礼が遅くなって申し訳ありません。

数日経って今落ち着いて考えてみると、私は彼を生きる理由にしているのではなく、
子供の頃に彼が指し示してくれた(それは私の一方的な思い込みですが)何かを生きる理由にしているのではないかと思います。
分かり易く言えば、子供の頃にいじめられていた人が自分を救ってくれた一言を自分の一番大事な所にしまっておくような、そんな感じです。
彼とその「何か」はとてもよく似ていて、そのうえ彼を失ったら生きてはいたくないという恋愛にありがちな感情やらが結びついて私は時々それらの違いを見失って不安になるのでしょう。

だから彼に依存して生きているだとか、自分の人生を生きていないだとか、彼を繋ぎとめる事に執着しているだとか、なんだかそれは少し違うのです。
それでも私はやっぱり皆さんが言うようにおかしかったり、悲しかったりするのかもしれません。
でもその「何か」を持っている私は幸せであると思います。

お礼日時:2008/03/18 18:35

No.4で回答した者です。

お礼ありがとうございました。
お辛い経験を書かせてしまって申し訳ないです。

私は、「家族」と書きましたが、
以前は人には言えない生きている理由がありました。
それは「母」です。
母が離婚して苦労している姿を見て、
母は私がずっと守っていこう、それが私の生きる理由の全てだ
と思って生きてきました。
でも、いつごろかはわかりませんが、その考えも変わりました。
母には母の人生があり、私の存在や私の生きる理由に関わらず母が幸せな人生をおくれればそれで良いのだと思えるようになりました。
そして、主人と出会い、子どもを出産したこともあって、
今はそういったのを含めて「家族」が生きる理由になりました。
厳密に言えば、「家族の幸せ」のために生きています。

ご質問者様も彼の存在だけでなく、たとえ彼と別れることになっても彼の幸せを願えるようになれれば、きっと変わってくるのではないでしょうか。

うまくまとまりませんが、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

正直、辛い経験というわけでもないのです。
人並に育ててもらえたのですから、それだけで充分ありがたい事です。
気を遣わせてしまいかえって申し訳ありません。

何か劇的な切っ掛けがあったわけでもなく、気付いた時にはもっと、大きな何かに変わっていた。
なんだかそれはとても幸せな話だと思います。憧れます。

>たとえ彼と別れることになっても彼の幸せを願えるようになれれば、きっと変わってくるのではないでしょうか。
付き合うまではそう思えていたんです。
たとえ2度と会う事はなくても、彼が生きていてどこかで元気にやっているならそれでいいと。
ただ、友人関係ならあまり起こらない「相手をとことん嫌いになって、相手にとことん失望して別れる」
という話も恋人関係だとよくある事じゃないかと、付き合い始めてから気付きまして(苦笑)
そうやって相手にとって自分が嫌な記憶でしかなくなる事が怖いのです。
それを乗り越えた上で相手の幸せを願えるようになれば何か変われるのかもしれませんね。

お礼日時:2008/02/22 13:40

私はcasio_27さんを直接には愛していませんから、特別に「どう思うか?」と訊かれても「各自の生きる理由は各自のもので、それは自由だ」と思います。


ただ、私の場合はもう少し抽象的な「概念」を生きる理由にしています。

先の回答者の方も書いていますが、生きる理由は死ぬ理由とも言えますね。
つまり、そのために死ねるか?ということですが。
(それにしても彼氏サンより長生きすることを前提にしているのかぁ。それでも殉死?するのなら生命保険の受取人にはならない:保険をかけない、ということでもあるわけですねぇ)

まぁ、結婚式の「誓いの言葉」のような内容ですね。

以上が、
>こんな「生きる理由」を抱えた人間をどう思うのか教えて下さい。
で、思ったことです。
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この回答へのお礼

彼が死んですぐ後を追って死ぬのかは分かりません。
ただ、生きていたとしても抜け殻のようであるだろうとは思いますし、
何か切っ掛けがあれば他人から見れば些細な理由でも死んでしまうでしょう。
ラフに言えば「別に頑張ってまで生きなくてもいいじゃん」
こんな感じでしょうか。

長生きする事を前提にするというより、自分の方が早く死ぬなら問題が無いので対処法を考える必要もないのです。
私は生命保険はその被保険者が扶養している自力で稼ぐ事が出来ない人間(簡単に言えば子供です)がいない限りは、
葬儀に掛かる費用分以外は必要ないと思っています。

直接には愛していない人間のとりとめのない話につきあっていただけてありがとうございます。
あなたはあなた。私は私。
それに私にとってあなたは何の関係も無い。
それでもお話に付き合っていただけるのですから人間ってなんだか不思議ですね。

お礼日時:2008/02/22 13:23

率直に答えると、幼少期に周囲の人間関係に恵まれていなかったのかなぁ、という感想ですね。

本当は誰より「愛してもらうこと」を望んでいるのに、それが満たされなかったが為「愛すること」に執着したのかと感じました。

現在は彼と相思相愛なので、両方を得られている状態が崩れることには恐怖心を抱くでしょうね。
こうして考えると理解出来ないものではないでしょう。
おかしいとは言いませんが、余り健康的ではないかも知れないです。
もし的外れであれば、ただの感想なので御容赦を。

>「実は自分も人には言えない生きている理由がある」
人には言えないことを、こんな公の場で暴露するんですか??
もうそれ既に人には言えないことではナイと思いますよぉ。

失礼しました。
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この回答へのお礼

ええ。「愛する事」は自分にとって重大なテーマのような気がします。
(なんかこうして言葉にするとむず痒いですね)

そうなんです。健康的ではないと分かってはいるのです。
でも別に病気でもないから治療のしようもない。
そもそも私にとっては子供の頃からの「当たり前の事」だったのでそれを自分で今更どうこうできるものでもないような気がする。
でも、このまま放っておいて良いものとも思えない。

>人には言えないことを、こんな公の場で暴露するんですか??
実際に顔を合わせる機会のある人の前では言えないけれども、そうでないのなら「ここまではいいかなー」ってありません?
自分のIDを顔を合わせる機会のある人にも教えているなら無理でしょうけど。
それともネット上の書き込みは案外簡単に特定できるから、実際に顔を合わせている人とのやりとりと同じように捉えるべきだという考えでしょうか?
案外簡単に特定できる人はそう多くはないと思いますし、そのそう多くは無い人が
有名人でもない自分の多少一般的には理解できないけれども犯罪に結びつかない個人的な書き込みから個人情報を調べ上げて
しかもその内容を友人知人に教えて、また友人知人がそれを信じる事。
というのはなかなか稀なケースだと思います。
なんだか蛇足の方が長くなってしまいましたけど。
そういう揚げ足取りは面白くて好きです。

お礼日時:2008/02/22 12:40

>「周囲の人が悲しむから」「理由を探す為に生きている」「自分のため」「いつかはいい事がある」「怖いから」…



参考までに、私の生きる理由はそのどれとも違います。
私もあなたと同じように「大好きな者の為に生きている」のですが、私にとっての「大好きな者」は人間ではなく、動物一般です。
全ての動物・小動物が好きだから、彼らの為に環境破壊を抑えることを生きる目的としています。
私にとっては生きるに十分値する理由です。

でも、誰もがこんな理由を持っているとは思えませんね。
私自身、上記の理由を決める(と言うよりも見つけ出す)まで5年ほど生きる理由も分からず真っ暗な中で生きて来ましたし(多分私はとっても早い方だと思います)
でも、今だから分かるのは、この世の中にはしっかりとした「生きる理由」ってちゃんと存在するって事。
それがいつ見つかるかなんて分かりません。
40代、50代の頃かもしれません。
でも、そういう意味で、生きる理由を探すと言うのはとっても有意義な「生きる理由」なんじゃないかな?と思います。
後に見つかる立派な目的の為の前段階です。


私はあなたの生きる理由を良いと思いますよ。
誰か・何かの為に生きられるって素晴らしいじゃないですか!!
その気持ちは大切にして下さい。
でも、少し視野が狭いんじゃないかな、って思います。
世の中、彼だけしか居ないわけじゃないですよ♪
彼と同じくらい素敵な人が、この世のどこかには絶対居ます(広いですからね)
一生出会う事は無いかもしれませんが、そんな出会わない方にも何かしてあげられる事ってあると思うんです。
例えば靴のメーカーだって、そこで作られた靴が、世界のどこかでそんな素敵な方の役に立つかもしれません♪

たった1人の為に生きていると、周りが見えなくなってしまいますよ♪
理由なんて、実はごろごろ転がっている気がします。
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この回答へのお礼

>全ての動物・小動物が好きだから、彼らの為に環境破壊を抑えることを生きる目的としています。
なんだかそういう事のほうが感情・感覚として理解できるのです。

>5年ほど生きる理由も分からず真っ暗な中で生きて来ましたし…
それは生まれてから5年という事でしょうか?
私は自分の理由を決めてしまったのは小学校の高学年頃だったと思います。
それまでは生きている事が空気を吸うみたいに普通だったはずなのに。
でも、うまく言えないのですが生きるのが普通だったその頃のように戻りたいとは思えません。
回答者様の言葉を借りるなら「真っ暗な中で生きてきた」という事でしょうか。
非難を承知で自分の言葉を使うのなら「その頃の私は人間ではなかった」と思うのです。
生きる理由をこれから見つける人々は、今はまだその真っ暗な中にいるのでしょうか。

誰かの為に何かをしてあげられる事。
これは私にとって生きる理由ではなく、生きる条件です。
生きている限りは人と関わり(独り善がりでない事を前提として)良い影響を与えなければいけないと思っています。

お礼日時:2008/02/22 12:19

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