電子書籍の厳選無料作品が豊富!

文学においてミステリ(推理小説等、厳密な定義はおいといて・・)
は大きな比重を占めていると思います。

私自身、ミステリが好きでそうした小説や評論を読むのですが
そこで不思議に感じるのが、ミステリが文学や芸術という部分に
置いて高く評価され、また多くの知識人や権威などから認められて
いるという点です。

新しいメディアへの社会的な地位向上の例として、
見世物小屋的な扱いしか受けなかった映画がその後、
社会的な認知に伴い学問として、芸術として
認められたり、同様に漫画やアニメも現在では学問として大学等で
研究され、芸術としても評価されています。

ミステリもこれらと同様、当初は社会的な地位は低かったと思います。

現在の地位向上はファンである私としては嬉しいのですが。
このように認知されるようになった背景を知りたいと思います。

ヒッチコックの映画のワンシーンで、
ホームパーティの折、
社会的な身分も高く紳士的な男二人が
ミステリ趣味が高じて、完璧な殺人という
悪趣味な議論をして、殺人などという
物騒で非倫理的なものに子供のように
熱中する自分のだんなを奥さんが呆れる、
というものがあります。

特に海外なのですが、キリスト教文化が根強い欧米で
"殺人を楽しむ"と見ることもでき不道徳とみなせるミステリを
これほど文化として根付かせて評価しているのは不思議に思えます。

ミステリ等、"殺人"における芸術性なり完璧性、論理性を
扱う議論というのはとても活発で、とくに高いインテリ層
が支持している気がします。ミステリ研も
京大や早稲田など高学歴名ところが盛んですし。
このように知識人受けする、ということが
社会的な認知獲得に一役買っていそうです。
それでもミステリが持つ不道徳とみなせる部分を
払拭する必要があったと思うのでのその部分に興味があります。

ミステリはいかにして権威を勝ち得たのか、について
何かご存知の方がいましたら(私見でも)教えていただければと
思います。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

ポーが、ミステリーの創始者だとしたら、幸運にもミステリーという文学は最初から権威を勝ち得ていたのかも知れません。

ポー以前にもフイクションや、ノンフイクションの犯罪小説があったのは想像にかたくないですが、ポーの出現とともに突如としてある程度の権威を持ったミステリーというジャンルが誕生した感があります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、私の想像が逆だったわけですね。

もともと文学で権威ある場所から出発し、後の
発展系としてよりショッキングであったり、悪漢(不道徳)なもの
が出てきたと考えるのであれば納得がいきます。

ただ映画や漫画が学問として研究されているのに対し、
(私の知っている限り)ミステリは学問の対象になっておらず
大学に"ミステリ学科"なるものがないのは不思議な気がします。

その理由の一つに、"殺人をエンターテイメントにする"ということへの
学問なりの道徳観みたいなものが影響しているのでは??
などとも思っています。

*他の意見も聞きたいので、しばらく締め切らずおきます。

お礼日時:2008/03/05 07:16

イギリス文学では、ミステリの創始者は19世紀のウィルキー・コリンズだといわれています。

「白衣の女」などの作者で、翻訳もあります。彼はディケンズの弟子で、ディケンズもミステリ的要素のある作品を書いています。そのため、ミステリというと、創始者はコリンズ、しかし、その師のディケンズ(イギリス小説史に輝く大作家です)までもさかのぼって研究します。
つまり、ミステリはイギリス文学の王道なわけです。
一方、アメリカではポーですが、彼もアメリカ文学の偉大な作家です。
つまり、ミステリは文学から始まっているわけです。ホームズで有名なコナン・ドイルも英文学史で学ぶ作家です。

同じようなことがSFにもいえます。SFの起源はギリシャ神話までさかのぼることができますが、近代の科学と結びついた起源としては、十九世紀初めのメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」があげられます。その後に登場するH・G・ウェルズ、ドイルなども英文学で学ぶ作家です。

つまり、ミステリもSFも、起源と言われる作家はすべて19世紀の作家です。19世紀はまだ、小説が文学とエンターテインメントに分かれていませんでした。分かれるようになったのは19世紀末くらいからです。つまり、ミステリもSFも、文学として始まり、そこから文学とエンターテインメントに分かれていったのです。20世紀はエンターテインメント小説が栄えた時代で、そこでミステリも大いに栄えました。が、同時に、文学性の高いミステリも生まれ続けています。たとえば、ジョン・ル・カレは文学に入れてもおかしくないでしょう。
    • good
    • 0

「不思議に感じるのが、~高く評価され、~認められている」



「新しいメディアへの社会的な地位向上~
映画~同様に漫画やアニメも~」
と同類でありすでに不思議は解かれています。

「ヒッチコックの映画のワンシーンで」
それは劇を面白くするための架空の会話であり
現実にそうであるかはまったくわかりません。
つまりそのキャラクタが正しい意見を述べているかは
そのシーンで示されていないのです。

「"殺人を楽しむ"と見ることもでき不道徳とみなせる」
ミステリでなくてもて殺人はドラマに頻繁に現われます。
古典劇では殺人が無いケースの方が少ないぐらいじゃないですか。
楽しむためのドラマだから殺人を楽しんでいる事になります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

ちょっと説明が足らなかったみたいですみません。

これは私の主観でかつ感覚的なものなのですが
ミステリ作家や推理作家というものが表舞台の
文化人でいられるし、受け手としてミステリ好き
と語っても偏見を持たれないと思います。

それは大学などで研究されている映画、漫画、アニメ
でも同じだと思います。

一方、同じ創作物でも例えばスプラッタホラーであったり
アダルトコンテンツについてはクリエーターに対して
表舞台の文化人というよりアングラ的に扱われる
ことも多いですし、受け手としてそれらのファンである
ことを公にするには、世間的な偏見がまだあると思います。

エンターテイメントは楽しむためのものですが、
そこに高度な論理的説得力、共感を得られやすい
説明があるものの方が表舞台になりやすいと、
私などは感じてしまうのです。

フィクションにおけるミステリ殺人はドキドキしますし、
本能的に興奮するもので個人的には非常に楽しめます。
それは古典ドラマの、人間憎悪などを描く殺人とは
本質的に違う気がします。
(社会派ミステリはその部分を含みますが)
本格ミステリともいえるゲームの要素が強い
殺人劇というのは、現実世界に照らして考えれば
やはりインモラルな部分が強い気がします。

スプラッタホラーやアダルトコンテンツに対し
良識ある人が反対したり顔をしかめ批判や規制を求めるように
ミステリのそうした生命を軽んじるようなインモラルな部分が
なぜ批判されずにいるのかな?と思ったからです。

もちろん、批判された方がいいという意味ではなく
ホラーやアダルトも含めて同列で批判などしなくて
いいと思っています。

私自身としては、エンターテイメントに関して
貴賎を論じて批判や規制したり圧力を掛けたりするより
受け手の選択と責任に任せる方がよいと思いますし、
それが出来る社会だと考えています。

お礼日時:2008/03/05 16:44

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!