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高3男です。

自分はいっつも何か足りないんじゃないかと考えていて、昨日は自分に問い詰め続けて考えていると、自分はプライドが高く、打算的な考えで生きてきたということがわかりました。

例えば、挑発的な言動に反応するというのはプライドをきづつけられたからだっただとか、友達が欲しいと思い続けてきたのは、話せる人がいることで安心したいという打算的な欲があったからです。

そのような考えに気づけたことで、自分に足りない核心を見つけることができたと思います。
そして打算的な考えにならないためには、物事の価値観という物が大切な気がします。

この考えが正しいかどうかはわかりませんが、このようなプライドの高さや打算的な欲がすべてにおいてあると、他人はどういう風に感じるのでしょうか?

またこれに気づけたら意識して心からこのような考えを変えていくべきでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

本当のプライドを持っている人なら、しっかりした自分を持っている人と思いますが、見栄をプライドと勘違いしている人だと逆に見掛け倒しの何もない人棚と思います。


まだ高校三年生ということですが、そのくらいの年齢だとまだ自分(価値観や人生の目標などを含めた)というものを作っている最中だと思います。
プライドというものは自分というものを作り上げて初めて持てるものです。
今あるプライドと思っているものは見栄なんだと思います。
見栄だから簡単に他人の言葉に傷つけられてしまい、それに対して怒ってしまうのだと思います。

これから先自分というものをしっかり持てて、自分の価値観に自信を持ち他人に負い目が無くなれば本当のプライドをもてます。
本当のプライドなら他人の言葉に傷つくことなどなくなります。

打算的な考えですが一概に打算的な考えがいけないとは思いません。
ただ、その打算的な考えが狭い視野や短い期間でしか見れないと、あわてる乞食はもらいが少ない結果になります。
広い視野、長い期間で物事を考えられるようになると、打算的な考えも他人からは打算的な考えに見えなくなります。
また、時には打算的な考えを捨てて行動することが必要なときがあります。それがいつなのか。それは自分の価値観によって変わってくるでしょうが、そのときに迷い無く打算を捨てて行動できる強さを持つことが大事です。
普段から打算的な考え方をしている人はそういうときに行動が取れなくなり最悪な結果になることがあります。

>またこれに気づけたら意識して心からこのような考えを変えていくべきでしょうか?
自分というものが出来上がるまでは自分はまだ未熟なんだということを自覚し、未熟であることを真摯に受け入れる。
未熟だから駄目だしされることも仕方ないと知る。
それと同時に自分の中に徐々に作られていくこれは曲げてはいけないと思いそれを実践することに他人に負い目を感じないものことに関しては、何を言われようと曲げようとしない。
これが徐々に固まってくればゆるぎない価値観になります。
中には固まる前に負い目に感じるようになったり、曲げて良いのではないかと感じるようになるものも出てくるし、急にこれは曲げてはいけないと感じるもの出てきます。
そのときは意固地にならずに感じるままに行動したほうが良いでしょう。
自分は普段は打算的な考えをしていることを知り、その打算的な考えを広く長期的な視野で考えるようにする。
また、今は打算的に考えるべきときじゃないと思ったら打算的な考えをやめて行動する訓練をする。
その後で自分の行動はどうだったのか考えてみる。

一気にこんなことは出来ないと思います。
一生かかったって出来ない人も多くいると思います。
ただ意識していれば、ふと有るときに思い出してみれば、徐々に行動できるようになると思います。
何事も焦らない。変化とは反比例のグラフのように最初はゆっくりですが変わりだすと一気に変わるものですから。

まだまだ価値観を作り上げるまで時間はかかると思います。
しかし自分の価値観を持つんだということをわかっていれば、それはそう遠い未来でなく作れると思いますよ。
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「挑発的な言動に反応した」「友達が欲しいと思い続けた」などの様々な行動や思考を


引き起こした原因を考えてみられたそうですが、それはとても有益なことです。

「プライドを傷つけられたくない」「安心感を得たい」など、
様々な、行動や思考の「心理的な動機」に気づかれたわけですね。

ここで一つ注目していただきたいのが「欲」についてです。
「欲求(=欲)」とは「求める気持ち」なのですが、実際様々な欲求があります。

http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/maslow. …
↑有名な「マズローの欲求階層説」によると、人間の欲求は5段階に分かれており、
食欲・性欲など生存に必要な欲求(1段階目)から、
自分自身の可能性を引き出し目標達成・自己実現したい欲求(5段階目)まで、
いろいろとあるそうです。

「安心感を得たい」というのは、ちょうど2段階目の「安全欲求」に当たるでしょう。
生きるのに必須な欲求をより低次の欲求として、順序がつけられているので、
2段階目とされている「安全欲求」は、人間にとってかなり基本的な欲求といえましょう。

「プライドを守りたい」というのはどれに当てはまるのか、よければ考えてみてください。

実はここで、とても大切だと思うことがあるのです。
それは「プライドの高さ」や「打算的な欲」というような動機が「良いか?悪いか?」
という善悪の価値判断についてです。

私は、思うのですが、どんな欲求にも良い面と悪い面の両方があると思うのです。
金銭欲が過ぎるのは良くない気もしますが、金銭欲のない人はビジネスに熱が入りません。
支配欲の無い人は、穏やかそうで良さそうですが、競争社会には向きません。
要は、自分の持っている欲をどう生かすか?ということだと思います。

「他人はどういう風に感じるか?」ということならば、
動機が何であるかよりも、その動機で引き起こされた行動の善悪が主に問題になるはずです。
人の頭の中にある動機よりも、外に現れた行動が他人に影響を与えるからです。

しかし、「行動だけではなく、動機のほうも自分が満足できるものを持っていたい」と
お思いだとしたら、それは、とてもモラルが高く、立派なことだと思います。

私は「どんな欲求も良い面と悪い面がある」などと言うような人間なので、何も言えません。
どのような精神の持ち主であれば一番良いのかをぜひ探究し、それに近づいてみてください。
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>またこれに気づけたら意識して心からこのような考えを変えていくべきでしょうか?



「心から変える」っていうのは、ハッキリと言えば「無理」だよ。
だって「頭で考えた事、思ったこと」は、頭の中だけでしか変えることは出来ないんだよね。
心は「感じる器官」だよ。
もっとずっと始原的で、奥深い。

でも「気付いて努力する」のは良い事。
自分が「いやらしいやっちゃなぁー」と思えたとき、カッコ悪いな、と思ったときに、それを改めようとする気持ちは良い事だよ。
ただ「そういったこと」は決して「万全じゃない!」ってことは覚えておいて欲しい。
いわば「失敗のくり返し」になるってことは理解しておいてね。
そうやって「前進」していくんだよね。

プライドも欲も、人生の中で無くなる事は永遠に無いんだ。
それはつまり「生きて行く」とき、これらが必要だって事だよね?。
「カロリーなんとか」ばっかり食べてたら飽きちゃうでしょ?。
それと同じで、やっぱり人間は「いろんな食物を」過剰にならない範囲で食べて、それを楽しまないと駄目なんだよね。
プライドも欲も、食べ過ぎは毒になるけど、適度なら快感、ってことなんだよね。
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> このようなプライドの高さや打算的な欲がすべてにおいてあると、他人はどういう風に感じるのでしょうか?



余裕がない、とげとげしい、何か隠してる、攻撃的で防衛的、うらみがましい、人間のことが嫌いなんだな、きっと親に愛されなかったんだろうね、友達いるのか?、打たれ弱いんだね、などと感じます。

> またこれに気づけたら意識して心からこのような考えを変えていくべきでしょうか?

変えた方が周りも自分もハッピーになれると思う。
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私も最近、プライドや欲はよくないと気付きました。

質問者様は、
高三ということで、気づくのがとても早いと思います。

人生が上手く運ばなくて、悲観したり、苦しんだりするのも、
他人が自分をよく評価してくれなくて、落ち込んだり、
怒ったりするのも、元を辿れば、我欲に行き着きます。
つまり、「自分の思う通りに周囲が動け」、「自分はよい人間
なんだから、自分を正確によく評価しろ」という自己主張が
あるから、その通りにならないと、怒ったり、苦しんだりするんだ
と思われます。我は苦しみの原因です。

禅が自我を捨て、無という形のないものに自分を開くのも、
一神教信者が自我を捨て、神という形のない無制約的なものに
自分を開くのも、自我を捨てるということが、よいことだからだ
という一面があります。自我を捨てることと無制約的なものに
自分を開くことは密接に関係しています。

少し話が、宗教の領域にまで及んでしまい、大きくなってしまい
ましたが、そこまで行かなくても、我欲を捨てることがよいことだ
と気づいたことはとても良いことだと思います。
自分としては人生は我欲を捨てる訓練の場という一面があると
思っています。

以上の前置きの上で、ご質問に自分なりに答えますと、次のように
なります。

我欲がよくないものだということを人間は本能的に知っているので、
我欲を見せられると、他人は嫌悪感を覚える場合が多いと思います。

我欲のよくなさに気づいたら、意識して、捨てるように努めた方が
いいと思います。捨てるのはとても難しく、大変なことですが、
捨てると、楽に生きれるようになるのではないでしょうか。
我欲を捨てれば、苦しみも減ります。他人に感謝する余裕も出て
来ます。周囲を客観的に見れるようになります。

自分は我欲が強く、捨てれたわけでは全くありませんが、捨てることが
よいことだということには自信を持っています。

質問者様はまだ十代ということで明るい未来が待っていると思います。
実り多い人生を。
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>自分はいっつも何か足りないんじゃないかと考えていて、



それは、いいことです。向上心の糧になります。
でも、「足りない」ことを意識するのでなく、増えるイメージを持つほうがいいです。
お金にしても才能にしても、足りないことに意識を向けると、どんどん不足が
現実化します。
モテないと思い込めばますますモテなくなるのと同じだし、学力が低いという意識
を持てば、成績はあがりません。
ところが、モテたいと切実に願ってだんだんモテはじめていく自分を意識したり
次第に学力が伸びていくことに意識を向けたら実際、モテるようにもなるし
成績も伸びるものです。
足りないことを「向上心」につなげるか、悲観につなげるかの違いです。

>昨日は自分に問い詰め続けて考えていると、自分はプライドが高く、
プライドというのは、足りないものを「増やしたい」という意識の元です。
自分は「今の自分」ではなく「上」を目指す男なんだという認識だと思います。
これ、持っていたほうがいいです。
プライドというのは、自分の中には持っていたほうがいいですが、これを
人と自分の比較で使うとよくないです。
競争意欲というのは、真のプライドとは「別物」です。

自分が目指すべき目標に近い人を「具体的なモデル」として、自分は
あの人以上になりたい。
そう思うのは、創造性を発揮する上でいいことです。

でも、自分の望まない姿の他人を見て、見下して「あいつより俺のほうが
マシ」とか、ああいうレベルの低いやつらと自分は違う。
という風に思うのは、自分の現実を高める上で少しも役に立たないです。
受験勉強ひとつとって考えても、そうでしょう。
下が沢山いると安心していたら、成績は伸びないどころか落ちていく。
逆に、少し上を目指し続けることで学力は伸びたりします。

>打算的な考えで生きてきたということがわかりました。
打算的というのは、こうすれば得、ああすれば損という思考のことです。
確かに損得で動くと、幸運からは遠のくケースが多いですね。
なぜなら、何事も計算通りにいかないからです。

>例えば、挑発的な言動に反応するというのはプライドをきづつけられたから

そのまえに、なぜ相手が挑発的な言動をとるのか考えてみましょう。
ひょっとしたら、あなたが相手のプライドを傷つけるような態度やものの言い方や
考え方をしているのかもしれません。
または、あなたがいつも誰かから馬鹿にされることを恐れているからかも
しれません。
挑発的な言動とは、馬鹿にしたからかう言葉ですよね。
コンプレックスを意識すると、人にはその劣等感が余計に伝わるものらしいです。
ハゲがカツラや帽子を被ると、相手の意識は嫌でも頭に向かうでしょう。
チビが厚底靴を履けば、余計にチビが目立ちます。

人は、他人がコンプレックスを感じているのを見るのは好きではないようです。

むしろ、劣等感をく克服した姿にすがすがしさを感じるようです。

>友達が欲しいと思い続けてきたのは、話せる人がいることで安心したいと
>いう打算的な欲があったからです。
話せる人がいるということは、打算的な欲とはいえません。
なぜなら、人間の根底には、人と仲良くしたい、お互いにわかり合いたいという
「愛」の気持ちがあるからです。
この「愛」は「打算」の対極にある概念ではないでしょうか。

>そのような考えに気づけたことで、自分に足りない核心を見つけること
>ができたと思います。

私は、それは「愛」だと思います。とりわけ、最初の「プライドを捨てる」と
あなたが仰る部分は、逆にもっと自分自身を愛してあげる・・・自分が好きになる
ことだと思います。
自分の中に、他人に触れられたくない「弱み」や「誤解されると腹が立つ思い」など
を抱えていると、他人に攻撃的になりやすいです。
そうじゃなくて、今のままの自分の「個性」を認めて「これでいい」と思うこと
自分は誰と競争する必要もなく、自分としてオリジナルの価値を持っているのだ
と感じることが「真のプライド」ということではないでしょうか。

>そして打算的な考えにならないためには、物事の価値観という物が大切な気がします。

全くそのとおりです。自分なりの価値観を持つこと。その独自性が意味のない他人と比較や
競争意識からあなたを救ってくれます。

>このようなプライドの高さや打算的な欲がすべてにおいてあると、
>他人はどういう風に感じるのでしょうか?

プライドが高くても、それを表に出さない生き方があります。
例えば、ビル・ゲイツにしても孫正義にしても、成功した経営者にこれみよがしな
プライドは感じられないですよね。
しかし、成功するまでは、自分の目標や夢を否定する事柄や障害に対して、自分の
中にあるおおいなる「プライド」を支えに生きてきたのは間違いないでしょう。

つまり、プライドは他人に向けるものではなく、自分自身にむけるものです。自分の
行動や考え方の規範として「俺ともあろうものが、そんなことをしてはいけない。
そんな弱気でどうする。こんなみっともないもので我慢してはいけない。」
そう考えて自分を高める意識を失わないことです。
見得、や虚栄心ではなく、自分への励まし、ご褒美として「プライド」を使うのです。

打算的な欲も善用すれば、力になります。これも自分の中だけで考えて納得していれば
いいこと。


>これに気づけたら意識して心からこのような考えを変えていくべきでしょうか?
自分がいいと思ったら、その考えに自信を持って行動したらいいのではないでしょうか。
他人がどう思おうと、自分の価値観は自分だけのものですからね。
自分の生き方を他人に左右されないのが、本当の意味での「プライド」ですよ。
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問題は、プライドの持ちようと、プライドの考え方



高校3年生なら、悩んでも良い時期じゃないかな?
プライドを捨てて、卑屈に生きても、仕方ないしね

折れるところと、折れないところの見極めが重要ではない?
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夫曰く、生き方に正解はないからなぁ



夫は、悩んでいる人が好きなんだってさ。
それは、何よりも人間らしいからなんだそうです。
私は、そんな夫が好き。
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