重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

このビデオを見たら、学校での虐待が気になりました.その責任者はだれでしょうか。
http://uk.youtube.com/watch?v=-XX30-Ez8xg

A 回答 (8件)

質問の趣旨は


 1.外国人からみた虐待(子供たちに裸で授業を受けさせている)
2.子供同士のいじめ
の二点に関する責任の所在に関する質問でしょうか?
 (動画が英語で再生時間が長かった(21分)ので所々見ただけなのですが。)

 1.外国人からみた虐待(子供たちに裸で授業を受けさせている)
  大きなお世話です。たぶん風邪を引かない健康なこどもになるでしょう。

2.子供同士のいじめ
  当然、子供に責任があるでしょう。
  これを、教育者、親などの責任にしていては子供のためになりません。

   子供に人権があるのなら責任もあります。

  まず、子供に自分の行動にたいする反省、謝罪を求めペナルティーを与えるべきです。
  子供以外の二次的な責任はそのあとで良いのではないでしょうか?
  
  子供に子供が出来る責任を教えないと、責任を取らず他人の責任にする悲しい大人になってしまう感じがしまいます。
    • good
    • 0

物事何でもその本質を見極めれば答えは自ずと見えてきます。


なぜ人をいじめるかといえば、加害者に不満があり、そのはけ口として人をいじめるのです。幸せな人が人をいじめますか?
結論を先に言えば、加害者の親の子育てが悪いのです。学校は勉強を教えるところです。躾は親の責任です。親が子供に真の意味の愛情をたっぷりかけて子育てをすれば、子供は親から十二分に愛されていると実感できるので、心に不満はありません。満足しており不満はないわけですから、人をいじめようなどとは思いません。衣食住を与えることが子育てだと勘違いしている親が多すぎます。子供が幼少のころはスキンシップを大切にし、学校に行くようになったら、母親はせめて子供が帰宅するときには家にいて迎えてあげるべきです。子供にさびしい思いをさせてはいけません。子供と十二分にコミュニケーションをとるようにし、子供のちょっとした変化にも気づけば、仮にいじめられてもすぐ親が対応できます。いじめで自殺するのも、その子の居場所がなくなるからであって、親はいつでも子供の見方であると子供が実感できれば、自殺も防げます。子供のためだと思って親はお金を稼ぐのでしょうが、子供はお金よりも親の真の意味の愛情を求めているのです。子供が何を求めているのか深く考えずに親の都合で動く人だらけです。子育てを失敗すると取り戻すのは大変です。不可能かもしれません。まだまだ書きたいことは一杯あります。
    • good
    • 0

虐めという現象はみな同じでも、なぜ虐めが発声したかという理由はそれぞれ違ってきます。


なので、親であったり、教師であったり、地域であったり、虐められている本人であったり、強制しているボス的ないじめっ子であったり、さまざまな要因が絡み合って、それぞれの件で変わってきます。
一律責任者は誰だといえるものであればとっくに対策が打たれて虐めがなくなっています。
そうでないから対策が打てないんです。

しいて言えば、そういうそれぞれ違った理由があることを考えずに一律同じような対応をする官僚的な教師や教育学者が問題をややっこしくしているとは思います。
    • good
    • 0

みんなで競争すれば1位は1人、同じく必ず1人ビリが出る。


現在の学校制度でいじめが発生するのは必然。

だから責任の追求をしたり責任を取らせても本来意味はない。
「あの子がビリになったのは誰のせいか?」と必ず発生する事象に対し、関係者へ責任を負わせたり処分をするようなものであり、全く意味をなさない。

だから、いじめが起きたらいじめっ子を叱りつける事が重要なのであり、誰かに責任を求めたり、処分をしてもなんの意味もない。
    • good
    • 0

汚いや臭い、授業中にうるさくて迷惑という場合などはその子とその子にそういったことをしつけなかった家族や親戚に問題があると思います。


しかし気に入らない、生意気だと思うなどの感情でいじめをするのであればいじめた子とその子の家族や親戚に問題があると感じます。
この場合、先生がそれを知らなければ問題ではありませんが、知っているのに放置したのであれば先生にも責任があります。

先生たちすべてが何もかもを把握するのは現在の社会状況的に無理です。
小学生までが容易に著作権、教育委員会、校長、プライバシーなどと胸を張って言う時代に深くかかわるのは難しいです。

そして一人一人の大人が他人の子供をしかることもなくなりました。
社会同士のかかわり合いが減ったからこそいじめ問題はどこかに責任をなすりつけ合う形になったのです。
本当はみんなが少しずつ悪いのです。
    • good
    • 0

『責任者』という表現が今ひとつ分かりませんが…、


誰にどのような責任があるかという点で言えば、

いじめた本人
 行為を選択し、その行為がもたらしたことへの結果責任。
いじめた者の親
 いじめることを選択しないような躾を行わなかったこと、
 また、倫理観を育てられなかったことの責任。
 結果責任について子供が負いきれない範囲については
 (補償などの経済的責任)親の債務となる。
学校
 いじめという行為が学校で行われたとき、
 その防止措置を物理的にとるべき管理監督責任。

もちろん、こんなに簡単に切り分けられるものではないですが。

時代につれて、手を変え品を変え、手法が変遷してゆくため、
今日的問題のように語る評論家もいますが…、
いじめ自体は昔からあったものです。
いじめた本人は(相対的に)悪くないと思うから、それが出来るわけで、
根本的には本人の倫理観欠如と、それを育てられなかった親の躾の問題です。

自分を省みる前に、自分以外の犯人探しをする世相が、いじめを増やしたり、
その質をより陰湿に執拗にしたりしている可能性はありますが。
    • good
    • 0

苛められる『本人』に1票

    • good
    • 0

非常に難しい問題です。

私自身、幼稚園・小学校・中学校・高校と虐めに合ってきました。ここまで来ると虐められる自分に原因があるんじゃないかと思い、学校は学校。プライベートはプライベート。と言う敷居を作り、自分の殻に籠ってました。学校で明るく振舞う自分と、家に帰れば、寡黙な自分が居ました。学年全体から1ヶ月くらい無視された心境は、言葉になりません。話し掛けて来る人も居なければ、話し掛けても、私の言葉は宙に浮いた状態になるのですから・・・。
責任は誰?と言うより、社会にあると思います。家族を最小単位として、日本全体までの大きな社会がそれぞれ病んでいるんだと思います。叱れない大人。子供と話し合わない大人。ゲーム等により、現実社会を見れない子供。それぞれの問題が重なりあっているんだと思います。
学校と言う一つの箱の中で、喧嘩もあれば、いざこざもあれば、多少の虐めもあるでしょう。しかしながら、幾ら多くの人が集まればそう言うことが起きるのは当たり前とは言え、自殺者まで出す現状は異常です。お金があればなんでも出来るみたいな風潮が、子供たちの中に蔓延しているのが問題なのじゃないでしょうか?
責任者は大人である我々に多かれ少なかれ全員にあると思います。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!