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あけましておめでとうございます。いよいよ昭和が終わってから20年が経とうとしています。そこで新年最初の質問です。この手の質問は4回目になります。

パート1:​http://okwave.jp/qa3579179.html
パート2:​http://okwave.jp/qa3716398.html
パート3:​http://okwave.jp/qa4251369.html

昭和から平成に変わろうとしていた・変わった時、皆さんはどんな風でしたか?
当方は当時幼稚園児ということもあり忘れてしまいましたが、皆さんの体験談を聞かせてください。

昭和最後の日(1989年1月7日)はもちろん、平成最初の日(同年1月8日)・昭和末期~平成初期など、なんでも体験談や思い出をお待ちしています。

A 回答 (9件)

トシがばれますが・・・大学生のときでした。


昭和63年はカレンダーの会社が、印刷をどうするか困っていると新聞に報道されていました。
新聞には昭和天皇(当時はまだ昭和天皇ではありませんでしたが)のご病状が毎日掲載され、「お下血」なる言葉を知りました。
『ぴあ』の側面にある「はみだし」(でしたっけ?1行投稿のコーナー)に、「天皇陛下の病状が毎日新聞に載っているのを見ると、歴史が動いている!という気がしませんか」という投稿が載っていて、共感したのを覚えています(当時は阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、9.11などもまだ起こっていなくて、歴史の教科書に載るような事件事故はほぼ無縁だったのです)。

1月6日、アルバイトを終え、帰り道の駅のホームで高校時代の同級生に会いました。
ちょうど帰省先から下宿に帰るところだった友人が家から持ってきた料理があるというので、友人のアパートに寄り、そのままこたつで雑魚寝しました。
1月7日、休みだったので9時頃起きてテレビをつけると、どこかから中継している報道番組で、画面の中には黒い服装の人たちがたくさん映っていました。
ほとんどスタジオを映すこともなく、ずっと現場を映しているのですが要領を得ず、「葬儀が」「亡くなった」といった単語が時折聞こえる感じで、報道というより、単にどこかの現場中継を流しっ放しにしているようでした。
友人と「天皇、亡くなったのかな?」「違うんじゃない?」「でも、年末から“葬儀”や“亡くなる”って単語は自粛してたのに、今日使ってるってことは、やっぱり亡くなったんじゃない?」などと話し合っているうちに、やはり早朝に亡くなっていたことがわかりました。
友人宅から自宅に帰り、ちょうどその日、コンサートに行く予定だったので主催会社に電話すると、「とりあえず今日は中止。延期になるか、中止になるかまったく未定」と言われました。

友人たちの間では、元号が「光華」になる、といった噂が流れましたが、今は亡き小渕さんが発表した元号はご存知「平成」で、何となく古いイメージ(平城京とか平安京からの連想)を抱きました。

わたしはテレビを持っていなかったので、昭和64年1月7日から平成元年1月8日に移る瞬間はラジオで「今から平成です」という声を聞きました。

1月7日から一週間ほど、有線放送にリクエストを入れると(ちょっと、バイトで)、曲名を告げた後に「少しお待ちください」と言われ、「この曲は歌詞の○○の部分がまずいので他の曲にしてください」と断られたりしました(“死ぬ”“心中”などの単語が歌詞にないかどうかチェックし、受け付けないようにしていたようです。いやー、大変だ)。

1月5、6、7日にロックバンドが武道館コンサートを予定していて、この3日間でベーシストが脱退することが発表されていたのですが、7日はコンサートが自粛になったため、7日のチケットを持っていた人たちはそのベーシストの最後のコンサートを見損ねました(脱退延期はしなかったので、7日のチケットが振り返られた日のコンサートではベースを助っ人が務めた)。
アルバイト先の先輩は7日のチケットが取れなくて6日を取っていたので、後で「よかった~」と喜んでいました。

他の方も書かれていますが、1月7日8日、2月24日は追悼番組ばかりだったので、レンタルビデオ屋の売り上げが飛躍的に伸びたほか、NHK教育テレビの視聴率が上がった(さすがのテレビ東京も追悼番組だったので、教育テレビだけが唯一平常番組を放送していた)そうです。
ちなみに、2月24日の大喪の礼(お葬式ですね)当日はいとこの結婚式が入っていましたが、自粛することなく行われました(1月8日は断ったところもあったそうです)。

・・・何となく、思いだしたことを羅列してみました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
とうとう平成最初の日から20年ですね。悪い話題もいろいろありましたが、時の流れは早いものですね。
都合によりここで閉め切りますが、皆様回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/08 20:31

以前の質問にもカキコみましたけど


それ迄は積極的に使用していたのは((1988年)当時、みずほFGに統合される以前の)日本興行B位だったのが昭和天皇の病臥と言う事態を踏まえて、カレンダー&手帳等の表記が殆ど西暦一辺倒になった点が矢張り大きな変化だったと想起してはいます。

又、昭和天皇言えども矢張り人間なのは自明ですが、改めて英語版のWikiでの表記を見つつ再確認した次第です。
http://wikipedia.org/wiki/Hirohito
崩御と日本語で記しても英訳後は"his death"と成らざるを得ませんし

そして元号に拘らざるを得ないのは主として官公庁関係が主でしょうし、止む無しなのかも知れません。
とは言え、政令指定都市への移行を控えていた仙台市の場合"昭和64年4/1"との見込み違いに終わった(!?)垂れ幕を掲げちゃいましたし・・・
http://www.siteitosi.jp/st_ayumi/siteitosi/sitei …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
昭和は数えやすかったので、常用していた人もかなり多かったでしょうね。

お礼日時:2009/01/02 20:12

 ピアノの発表会で、ショパンの葬送行進曲を弾く予定だったんですよ。


 それが不謹慎だという事で、急遽取りやめ曲目変更。ショパン繋がりでワルツを弾きましたが、結構一夜漬けで舞台で大ミスをする夢まで見ました。

 当時は若かったのもあり、不謹慎な事ばっか言ってました。
 御崩御前、毎朝ニュース(NHK?)で陛下の下血の量を報告するヨシムラさんという方が居たのですが、御崩御された時、クラスメイトが「下血のヨシムラ、明日から仕事あるかなー」なんて言ってましたっけ。

 前後して、神、手塚治虫が亡くなったのがショックでした。
 若かったので←こればっか 手塚治虫が亡くなった事のが色々考えさせられましたね。身近だったんでしょうね。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

発表会では突然変更は厳しい面がありますね。

お礼日時:2009/01/02 20:13

天皇陛下崩御という報道があったときテレビ局各局は「天皇陛下崩御」という


特別報道番組ばっかりだったのでつまらなかったです。
また、近くのレンタルビデオ屋さんには番組がつまらないので
ビデオテープを借りにきているお客さんが普段の倍以上いたのを
印象に残っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
インターネットもない時代、ビデオは当時の国民の最大の娯楽だったのでしょうね。

お礼日時:2009/01/02 20:13

昭和の頃は、年号といえば元号で書くのが当たり前でした。


しかし、晩年は西暦を使う人も増えて、なぜ元号を使わないのかと
何となく寂しい気持ちを感じておりました。

そして、バブル景気の真っ只中に時代は平成になりました。
「平成元年」という漢字ばかりの年号が珍しいのか、特に年号を
出す必要が無い会話でも、わざわざ「平成元年の…」と付ける。
商品名やテレビの番組名に何でも「平成」を付ける。

以上のような「平成ブーム」が起きたのが印象的です。
変な言い方ですが、例え流行語感覚であっても自国の年号を
積極的に使うのは良いことなので、かつての日本のように、
「元号を使うのが当たり前」に戻ってほしいと願っていました。

これから先は質問からずれてしまいますが、
現在の日本は、いつの間にか西暦ばかり使う習慣が慣例化してしまいました。
もちろん、日本国内にもキリスト教の信者等がいらっしゃるので、
西暦を使うな、とは言いませんが、日本人ならせめて生年月日ぐらいは
昭和や平成で言ってほしいものです。

しかも、マスコミの皇室の話題で、堂々と西暦を使っているのには
呆れてしまいます。
どれだけ罰当たりなことをしているのか、今の若い人たちは分からないのか?
戦前なら、該当の記者は間違いなく国に殺されていますよ。

だけど、一番やりきれないというか、ビックリしたのは
平成20年のNHK紅白歌合戦ですね。

「2008年」としか言わず、「平成」の「ヘ」の字も出てこない。
NHKともあろうものが自国の年号の存在を無視し、西暦を使って恥ずかしくないのか。

おそらく、BS放送の関係だとは思いますが、それなら司会は
「平成20年」と言わせて、テロップで「平成20年(2008年)」とでも
表示したら済むだけのこと。

外国人が「司会も西暦じゃないと分かりづらい」と言ったとしても、
「日本には日本の年号がある。また、イスラム暦など日本のように
独自の年号を使う国もある。その国には何も言わないのか?」と
言ってやればよいのです。

独自の年号を持つ国で、西暦ばかり使いたがる国は日本だけです。
今の日本は、本当に「世界中の恥さらし」ですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

西暦常用が恥さらしとは…なかなか難しい話ですね。
昭和と平成をまたぐことでややこしくなるから西暦という日本人も多いですが、和暦派でもここまでの意見はそう出てこないと思います。
かなり考えさせられました。

お礼日時:2009/01/02 20:11

社会人1年目の年でした。


その前年の暮れから陛下の病状がお悪いとの事で、会社から、取引先等への年賀状は自己判断で決めるようにと通達が来てて、どうしましょうって先輩に相談しても先輩も分からず、結局、年賀状は出して、新年のあいさつ回りを大急ぎで終わらせた翌日に崩御でした。

上司が、昭和は一週間で始り、一週間で終わったなぁと言ってた事を今でも覚えてます。

世間は自粛ムード一色でしたし、会社も数日は自粛と言ってましたが、当時は輸入関係の部署にいましたので、自粛と言ってられない状況で休日も返上で出勤してました。

親友が、昭和最後の日の夕方から産気づいて、平成になって間もなく産まれました。そこの旦那が、男の子だから、平成、と名付けると言って、みんなから袋叩きにあってましたね。

そうそう、平成のゴム印を探して回りましたね。昭和を二本線で消して、平成と打てるゴム印、今でも持ってます。

思い出してみると懐かしいですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
88年度の年末年始はあわただしかったことでしょう。

お礼日時:2009/01/02 20:08

昭和最後の日、彼女と初詣に行きました。


高速使ったのですが、サービスエリアで半旗が掲げられてたのを思い出します。
訪れたお宮では、
「新しい元号は『アサヒ』になるらしいぞ」
と話してる人がいました。
まさか!!・・・と思いました。 だって、今まで、訓読みの元号なんて無く、違和感バクハツでしたから。

で、翌日は私の新勤務先だったんです。
同じ会社内で、他営業所への転勤ですが、
「昭和64年1月6日 自今○○を命ず」となってます。
この辞令を発した時はまだ「昭和」だったのか、効力を得ると予測した日は「昭和」だと思っていたのか・・・。

今となっては、昭和最後の日と、平成最初の日は同じ日? とか思ってしまいます。
どうなんでしょ?
初詣に行ったのは、単に「日曜日」だったから?
それともその日まで会社が休みだった?

・・・とにかく、今で言う「昭和天皇」がお隠れになった日に初詣に行き、翌日の辞令は「昭和」のままでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
まあ「昭和64年1月8日」と書いてあったとしても、その日が「平成元年1月8日」になるとは予想できなかったでしょうね。
「昭和65年3月31日まで」等と書かれた文面もありましたが、これも書かれたのが88年秋とかだったら正しい措置といえますし。

お礼日時:2009/01/02 20:07

ちょうど私が結婚したあたりですね


何と言っても当時はバブル真っ只中
考えてみれば今より多い収入
見分不相応な車に乗って
夜は今で言うギロッポンや新宿、銀座で毎日のように夜遊び
現在の奥様以外にも沢山の女友達と行動し・・・
それが今はどーでしょ?
毎日残業でまっすぐ帰宅
休日は家の掃除にワンコのお世話
自由な時間なんて家族が寝静まった深夜のみ
思い出すと泣けてきますよホント
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
景気と、結婚に伴う変化がいろいろあるようですね。

お礼日時:2009/01/02 20:04

JRの6カ月定期の有効期限が偶然にも昭和最後の日までだったので、今でも記念に取ってあります。


自粛ムードで年始のテレビ番組が大変つまらなく、初めてレンタルビデオを借りたのもその時でした。
そんな中NHK教育テレビが通常通り放映していたのが印象的でしたね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
追悼番組は面白くなかったという方は多数いらっしゃいますね。
平成が終わる日もそうなるのでしょうか…

お礼日時:2009/01/02 20:03

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