dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

「人間は、生まれてから見たものをすべて覚えているが、記憶の関係で思い出せないだけ」と聞いたことがあります。本当でしょうか?

A 回答 (8件)

「生まれてから見たものをすべて覚えている」というのが


「目に映った画像情報をすべてそのまま保持している」という意味なら,
それは正しくありません。

まぶたを開けていようと閉じていようと
光ある限りわれわれの網膜にはつねに何らかの刺激が届いていますが,
網膜から脳の視覚中枢への情報伝達は断続的に行なわれています。
しかも断絶している時間のほうが長く,この時点で「すべて」ではなくなっています。

その断続的な情報をもとに
脳は連続して安定した視覚世界を再構成するわけですが,
何かが「見えた」とわれわれが感じた時点で
すでに情報の取捨選択や補完,解釈が行なわれています。
それは「写真を撮る」というより「似顔絵を描く」行為に近いかもしれません。
ときに天井のしみだとか表皮の斑紋だとかを見て「似顔絵」を描き起こす人もいて,
「心霊なんたら」や「人面なんたら」の目撃談には事欠かないのです。

長期記憶に残るのはこの「似顔絵」のほうであって,
「目に映った画像情報」そのものではありません。
また他の方も指摘なさっているとおり,
思い出すたびにこの似顔絵は再構成されるもので,
一部が描き換えられたり何かが描き加えられたりすることがあるわけです。

一方,目に映ってはいるものの「見えた」と自覚されない情報が
自覚されないまま記憶に残っていることを示唆する証拠があります。
これはプライミング記憶と呼ばれるもので,
自覚のないまま後の認知活動に影響を与えることが知られています。
日本語の通常の意味で「思い出す」ことはできないけれど,
確実に残されている記憶があるというわけです。
ただ目に映った画像情報がまるごとどこかに残されている証拠ということにはならないようです。

世の中には直観像能力というものを保持し,
目に映った風景をあたかも記念写真を撮るように隅々まで記憶して
長い時間が経ってから絵画として再現して見せてくれる人たちがいることもまた事実です。
しかし彼らとて目に映ったものをつねに「撮影」し続けているわけではないようです。
また,かの山下清画伯がそうであったように,
直観像保持者は他の面でのハンディを負っているケースが少なくありません。
    • good
    • 1

正しいと思います 脳レベルでは全て記憶されています


いわゆる「覚えていない」というのは記憶されていないのではなく
とっかかりがないため「思い出せない」状態をさすのです
いわゆるゴロ合わせが記憶法として有効なのはこのとっかかりがあるため思い出しやすいということです
    • good
    • 0

既視感(デジャブ)についても、


過去に見た経験があるが、記憶の関係で思い出せない
のではなく、
脳がとっさに「過去に見たことがある」という偽の記憶を作り出してしまうのです。
    • good
    • 0

 海馬の研究者である池谷裕二氏の『脳は何かと言い訳する』の253ページに書いてあります。

記憶には「獲得」「固定」「再生」の三つのステップがあり、情報が一度しっかりと脳に保存されると、海馬はもはやその記憶には関係なくなります。つまり海馬は「固定」までのプロセスを担っているわけです。また、「固定化された記憶」は脳の中でどういう形で保管されているのか、というと、現代の科学でもまだわかっていません。ただ、一度覚えた情報はいつまでも「安定」で、永遠に消えないかというと、どうもそういうわけでもないようなのです。
 コンピュータのハードディスクには、何度アクセスしても記憶を取り出すことができますが、人間の脳では「思い出すという行為」が脳の記憶を危うくしてしまうことがわかっています。記憶の「獲得」の過程を阻害する「アニソマイシン」という薬を投与すると、これが効いている間は、ものを覚えることができないのですが、すでに固定された記憶は消えることはありません。しかし、アニソマイシンが効いている状態で思い出すと、その後もう二度とその内容を思い出すことができなくなってしまうのです。このことから、「再固定化」というプロセスが、記憶を思い出した時に存在すると考えられます。アクセスしても記憶がそのまま残っているハードディスクとは構造が違っているのです。つまり、記憶は「覚えかけ」のときと、「思い出して再固定化するとき」に「不安定」になるのです。『思い出さなきゃ、覚えていられたのに』ってことです(笑)。
 ですから、生まれてこのかた一度も思い出したことのない、言ってみれば「バージンな記憶」は原形のまま残っているかも知れませんね(思い出せればの話ですが)。しかし、一度でも思い出したことのある記憶は、「再固定化」のたびに不安定になり、微妙に変形しているかもしれないということです。「記憶が嘘をつく」ということも考えられる所以です。
    • good
    • 0

退行催眠で蘇った記憶は、裁判では採用されません。


なぜならその記憶の信憑性に疑いがあるからです。

人は実際体験していないものを、見た、聞いた、やったと後から記憶してしまうこともあります。

一人が幽霊を見たと思う対象を、別の人が見るとシーツってこともあります。


短期記憶 とか 長期記憶 とかありますよね。
短期記憶だと、例えば電話番号を目で見て、電話をかける。
数秒間は短期記憶に残るので、電話をしている間は見なくても電話できる。
でも電話が終わった頃は、記憶に残っていない。

リハーサルといって、何度も繰り返すことで、長期記憶に移行し記憶に保存される。
保存されないものは、いらないものとして消去される。

脳は効率よく不要だと思うものは、時間とともにゴミ箱にポイしちゃう。

先日こんな映像を見ました。
画質が悪く、一つの画像にもう一つだぶった映像が見える。
黒いシャツを着た3人と、白いシャツを着た3人の映像がだぶっているわけです。
それぞれ、ボールをまわしています。

「黒いシャツのチームは合計何回ボールをパスしたかカウントしてください」と言われ、必死で黒いシャツの3人組に注目してみてました。
時々 渡す振りしてけん制をかけたりしたなが、回していた。

5回、、、、6回、、、おっと、、、7回。とまあカウントしていて映像が終わった。
「さて 合計何回でしたか?」とは聞かれませんでした。

「途中 人が横切りましたが気づきましたか?」と聞かれた。

   え? うそ。。。気づかなかった。


あまりにも黒いチームのボールに意識を集中させたため、人が横切ったことに意識が回らず「見えた」ということすら意識せず、したがって、あるのに無い状態となり、当然見えなかったので、意識が刺激を受けず、数秒前のことなのに記憶していない。


でも、「そういえば こんなことがあった」とか似たような話になると思い出すことがありますよね。
人間はそのままを記憶しているのではなく、見た対象を分解して、関連づけて記憶する。

だから同じものを見た人が後から喋る内容は、それぞれズレていたりする。
意識がどこに向いていたかや、関連づけが別なものに強く結ばれていると、無かったものをあったと蘇らせたりする。

殺人事件の裁判で「確かに神父を見た」と市民たちが証言した。
誤記憶でした。

悪魔崇拝の儀式として家族が思い出したもの、家族で見たスターウオーズの一シーンでした。
それが、別のものと関連づけられ、悪魔儀式となり、他の家族が思い出したとなると、それに刺激を受けて関連づけが変り、「自分も見た」と実際は映画のシーンを、悪魔儀式を見たとなってしまったわけです。
スターウオーズの中に悪魔崇拝の儀式が実際にあったのか、全く別の話なのかは知りませんが。


したがって見たと思い出したものは、実際は無かったり、別のものだったりする可能性もあるわけです。
だから裁判では催眠で思い出された記憶は、証拠として採用できないんです。


臨死体験をした人の中には、病室に横たわる自分を天井から眺めていたと言う人がいますよね。
さらに花が咲いている場所 とか 三途の川を渡ろうとした とか、幽霊に足が無かった とか。

海外で臨死体験をした人も やはり花が咲いている風景を記憶していますが、三途の川 とか 幽霊を見たという人が日本のように「足がなかった人間を見た」とかは言わない。

海外では幽霊に足が無いというカルチャーではないので、海外の幽霊話のとき、足が無かった とはならないのでしょう。

三途の川もアジアのカルチャーなので、西洋の臨死体験者は言わない。
稀に映画に出てきますが、輪廻関係の映画で、アジアの死後の世界の概念を採用しているので、川を渡る人のシーンが出てくるようです。


お花畑、これは脳がかなり弱まると、ガスを発生し、それによってふわふわという気分になる とか聞いたことがあります。

夢と現実の区別がつかない上体。 かつ快楽物質が出ていると、そういう物語の夢を見るのかもしれません。


ざっと挙げてみました。
したがって、すべての覚えている 何かの拍子に思い出した記憶が、必ずしも正しいとは限らないと思います。
    • good
    • 0

私もそう思います。

生まれてからでなく、生まれる以前の受胎し脳が活動してからのことは覚えているのではないでしょうか。新生児に子宮内で母親の心音を聞かせると、泣いているのがぴたりと泣きやむそうです。これは、安定した母体内のことを思い出すのではないでしょうか。

また、自閉症などでは機械的に何でも覚えてしまう人がいます。しかし、そういう人達は忘れることができないので新しい記憶が入らないことがあります。人間にとって忘却というのは必要だと思います。ここ、忘却というのは脳内に記憶が残っているがそれを思い出す回路が閉じられた状態ということです。そういう人達は思い出す回路を閉じると言うことに障害があるのだと思います。

これは私見ですが、フロイトの無意識にもあてはまるのだと思います。母胎回帰など人間は無意識にやってしまうことがあります。その無意識の世界というのは脳生理学に見れば、記憶の世界だと思います。それが何かのきっかけで思い出す回路のスイッチが開けられて過去の記憶がよみ戻されると思います。
    • good
    • 0

こんにちは



「人間は、生まれてから見たものをすべて覚えているが、記憶の関係で思い出せないだけ」
この記述に対して、個人的にはその通りだと考えています。

生まれてからの記憶はすべて脳が記憶しているが、意識的に特定の
情報にアクセスすることが難しいだけではないでしょうか?

例えば、夢で見る光景は必ず今までに見てる物だと思います。
それは、必ず現実的なものではなく、映画や漫画であるのかもしれませんが。
記憶は全てのものを記録していると思います。

私的な見解ですみません。
    • good
    • 1

一度見た人にまた会うと「どこかであった人だな」と思うのと関係あるかもしれませんね。

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!