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よろしくお願いします。

人はなぜ懐かしいもの、(風景、情景、品物、絵、人、味、音楽などなど・・。)に遭遇すると泣けてくるのでしょか?

考えてもさっぱりわかりません。誰か教えて頂けませんか?

ちなみにこの疑問のきっかけは、
先日、放映中の「ウルトラマンメビウス」を何気なく見ていたら、その中に私が幼い頃に見ていたウルトラマンエースが当時のBGMに乗って登場したのです。
そのシーンを見て、なぜか涙がボロボロと出てきたからです。。。

A 回答 (8件)

一般に「かなわぬと思っていた願いが、思いがけなくかなった」とき涙が出ます。

ウルトラマンエースに涙が出るのは、もう2度と実現できないと思っていた「ウルトラマンエース時代(あのよき時代の象徴)」を一瞬垣間見たためではないかと思います。
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この回答へのお礼

>「かなわぬと思っていた願いが、思いがけなくかなった」とき涙が出ます。

うわあ・・・。なるほど。。。こんな解釈もあるんですね。。。

これまでの方はどちらかと言えば、切ない涙、悲しみの涙という解釈だったのですが、こちらは逆ですね。

嬉し涙なんですか。。。斬新な解釈ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/25 20:49

ご両親に大事に守られていた幼少の幸せをかみしめているのではないでしょうか。

小さい子供はいつもだだをこねたりおなかをすかせたりと欲求ばかり(それが仕事)ですが、そうしながらも愛情や幸せ(生きている、食べれる、安全、そんな本能的な幸せ)を全身で感じていたのではないでしょうか。
大人になってからその感覚を思い出すと、あまりに強い感情がうつわからあふれて泣いちゃうんじゃないでしょうか。
子供が全身で感じる感情は、大人が頭で感じる感情よりもずっと強いのではないでしょうか。

幼少じゃなくても、なつかしい恋人のことを想っても、当時デートどうしようとか機嫌をとろうとか理性で意識していたことよりもずっと強い本能的な恋愛感情があった場合は、泣けてくるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そうかもしれません。子供時代の幸せな懐古感情が背景にあるかもしれません。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/04/05 22:47

面白いですよね。


どうしてなのでしょうね?不思議なものですね。
そこが、機械と人間の1番の違いですよね。
一言で言えば、それを心と表現すると思います。
その心が何処にあるかも、問題ですが
1番大事なものですね。
花でもそうですよね。咲く前は何処にあるのでしょうね?
何処にあるかわからないけど
貴方には、その瞬間涙の花が咲いたで、いかがですか?
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この回答へのお礼

>面白いですよね。
>どうしてなのでしょうね?不思議なものですね。い

こういう回答もこころ強いです。
人間の心は「面白くて不思議」ってことで。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/03/25 20:46

こんにちは。


「郷愁」という情動の発生に対して多くのひとが同じ反応を示すのは、それは「喪失感」だと思います。
心理学では古くから情動の分類が行なわれてきましたが、「郷愁」というものに関しては、何故かあまり具体的には語られていません。ですから、飽くまでこれは知見の引用ではなく、現象の分析による個人的な見解ということでご容赦下さい。

ここで流す涙は「情動性分泌」に当たり、大脳辺縁系に発生した「情動反応」が自律神経系に出力されることによる「情動性自律反応」です。
大脳辺縁系といいますのは感覚器官から得られる知覚情報を基に情動反応を発生させる中枢です。これにより、我々は与えられた環境の変化に対応した「適切な感情」を発生させています。そして、ここでその情動反応の規準として用いられているのは「情動記憶」という学習記憶です。ですから、何に対してどのような情動を発生させるかは生後体験によって決められたものですので、それは個人個人でみんな違います。つまり、ウルトラマンに涙するか、ドラえもんに涙するかはひとそれぞれなんですね。
では、何が「郷愁」という情動を発生させているかは個人個人で異なるのに、どうしてみんな同じ反応として現れるのでしょうか。残念ながら、この辺りにこれといった学術的見解が見付からないんですね。ならば、その反応を発生させている対象以外に、そこには何か別の共通点があるはずです。そして、誰にとっても同様の共通点といいますのは、
「それが遠い過去の体験である」
ということですね。
そして、現在も体験中であったり、何時でも手に入るものであるならばそのような反応は発生しません。従いまして、郷愁として我々の情動を動かしているのは「喪失感」ということになります。もどかしいばかりですね。

大脳辺縁系の情動反応といいますのは学習記憶を基に発生するものです。ですから、同じ体験、同じ刺激入力がありますならば、過去と同じ情動が発生します。ですが、質問者さんが子供の頃にウルトラマンを見ていたとき、そこに発生していたのは郷愁ではなく、喜びや感動であったはずです。従いまして、長く時を隔てて発生したそれは、当時と同じ反応の再現ではないということになります。
もちろん瞬間的には、ウルトラマンの姿やテーマ・ソングは当時と同じ「報酬刺激」として入力されます。ですが次の段階では、ここに「感受性の喪失」という感慨が伴うことになります。
誠に残念ながら、我々は年齢と共に必ず感受性を失ってゆきます。「感受性の喪失」といいますのは、情動行動に対する計画行動(理性行動)の比率が高くなるために感情が表に現れなくなるということです。子供の頃は誰でも情動行動の比率が高く、感情の起伏というのは大きいのですが、やがて成長に従い、大脳皮質の発達と体験学習の積み重ねにより、計画行動の比率がどんどん高くなってゆきます。そして、これは誰もが体験することであり、決して後戻りはできません。
情動記憶といいますのは学習記憶ですから、例えば「懐メロ」のように、まだ感受性の高い若かりし時代に聴いた曲でありますならば、それはより強い情動反応として記憶され、再生されるはずです。ですが、ただひとつ違うところは、いまの自分には、当時と同じ感受性の豊かさそのものを見出すことができないということです。

このように、郷愁という情動の発生において多くのひとに共通する要素とは「喪失感」であると思います。そして、この喪失感といいますのは大脳皮質の論理的な思考によって判定されているものではなく、大脳辺縁系の反応規準として獲得されているものです。つまり、我々は自らの成長の過程で過去の再現という状況を繰り返し学習することによって、それを反応規準として身に付けているわけですね。これは大脳辺縁系の無意識記憶ですから、「取り戻すことができない」といった具体的な意識が大脳皮質に発生しなくとも、自律神経系は活性化され、涙の情動性分泌は起こります。これが、質問者さんがウルトラマンを見た瞬間に涙の止まらなくなった理由だと思います。

では、失ってしまったもの、欲求の実現が阻止されているものに対し、どうして「怒り」や「憤り」といった情動が発生せずに、必ず「喪失感」という諦めが選択されるのでしょうか。それは、問題解決の手段が見出せないからです。
我々の脳は、大脳辺縁系に発生した「不快情動」に対して問題解決が成されない場合は「諦める」という結果を選択することができます。これは、大脳辺縁系に発生した情動信号を受け取る「中脳中心灰白質」の反応によって切り替えられると考えられています。問題解決の機会が残されているならば、そこには期待や幸福感、あるいは攻撃行動といった能動的な状態が維持されるはずです。ですが、失った過去を取り戻すことは絶対にできません。
田舎の風景に郷愁を感じるならば、一度故郷へ戻って両親や友達の顔を見れば良いわけですが、それが問題解決にならないというのは、その頃の自分に戻ることはどうしてもできないからです。全く以って、もどかしいばかりですね。
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この回答へのお礼

>ウルトラマンの姿やテーマ・ソングは当時と同じ「報酬刺激」として入力されます。ですが次の段階では、ここに「感受性の喪失」という感慨が伴うことになります。
>このように、郷愁という情動の発生において多くのひとに共通する要素とは「喪失感」であると思います。

喪失感。。。もう戻れないというもどかしさ。。。これが寂しさになっていたのですね。

私は「ウルトラマンエース」を見て寂しくなったのでしょうね。。。

丁寧な回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/03/25 21:00

人間は感情的になると涙が出ます。

悲しい、うれしい、さびしい、憎らしい、悔しい、懐かしい等、DNAにプログラムされています。感情を抑えるための作用だそうです。個人差はありますが。感情は生きていくために必要な反射作用なのですが、強すぎると弊害があるからです。
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この回答へのお礼

「懐かしい」は、
悲しい、
うれしい、
さびしい、
憎らしい、
悔しい、
と同じ「感情」なんですね。。。DNAにプログラムされているのですね。。。

それならば「涙が出る」説明がつきますね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/25 21:04

質問の腰を折るようですが、どうも私の場合泣けないです。


感銘を受けますけど、それが感傷的にはならないですね。むしろ、非常にインパクトの強い大事なものとして受け止めます。客観的には大事じゃないですよ。例えば何十年前によく乗った列車からの風景を、また体験したといって、いやぁ懐かしいな、(歴史研究的に)こういう実例もあるなぁという印象です。それが、画であっても音楽味やはり同じです。
で、答えになっていないのですが、泣けてくるという前提は、万人に共通するものではないということですね。

私の場合泣けるのは、安っぽくないヒューマニンティックな映画でしょうかね。
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この回答へのお礼

>泣けてくるという前提は、万人に共通するものではないということですね。

そうですか!そういう回答もありがたいです。ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/25 20:52

懐かしい物を見て涙を流すと言うよりも、懐かしい物を見て記憶の奥底にあるスイッチが入って涙が出るのだと思います。


誰もがいずれ死にます。
それも人間の寿命は何千年ではなくたったの数十年です。
1日1日死に近づいていってるのです。
死んだら何も考えられなくなる寂しさ。
死んだら体を熱い火で焼かれて灰になる悲しさ。
子供の頃に見たり体験した何かがきっかけで残された時間がたっぷりあった当時の自分と、数十年しかない人生をかなり使ってしまった今の自分が重なって悲しくなるのではないかと思います。
昔の友達に数十年ぶりに再会した時も涙が出ますが、その場合は相手の老け具合を見て自分が生きてきた時間と残り時間を考えてしまうからだと思います。
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この回答へのお礼

>懐かしい物を見て記憶の奥底にあるスイッチが入って涙が出るのだと思います。

なるほど。。。そういう理屈だったのですか。。.

>子供の頃に見たり体験した何かがきっかけで残された時間がたっぷりあった当時の自分と、数十年しかない人生をかなり使ってしまった今の自分が重なって悲しくなるのではないかと思います。

心の奥底で悲しさを感じ、その悲しみゆえの涙だったなんて。。。

わかりやすい解説ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/21 21:07

こういったことは大脳生理学の観点から解釈すべきなのでしょうが、疎いので想像で回答してみます。



結局、連想を引き起こすからではないかと思います。
「懐かしさ」とは、つまり、過去の自分との再会を意味するでしょうから、失われて二度と戻らない経験・体験の記憶が蘇ることによって過去の自分が愛おしくなるのではないでしょうか。
 
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この回答へのお礼

>「懐かしさ」とは、つまり、過去の自分との再会を意味するでしょうから、

なるほど。確かに。当時の自分との再会とも取れますよね。

>失われて二度と戻らない経験・体験の記憶が蘇ることによって過去の自分が愛おしくなるのではないでしょうか。

もうもどらない、過去の自分・・・。でもそんな過去にはもう二度と戻れない。。。その「切なさ」こそが涙の正体だということでしょうか。

すごいや・・・。人間の心の奥底って。ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/21 21:13

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