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 探索行動について調べています。探索行動って何ですか?解説してほしいですm(vv)m

A 回答 (1件)

こんにちは。


「探索行動」とは、「未知の利益を目的とした本能行動」だと思います。
ということですので、すみませんがちょっと前置きから入らせて頂きます。

そもそも我々動物の「行動」とは何でしょうか。
まず、「刺激」とは神経系を介して生体活動に変化をもたらす身体内外の環境の変化であります。そして、この刺激入力によって発生する身体反応が何らかの「生物学的利益に基づく目的」に対して発生するものを「行動」といいます。
ほとんどの場合、それは複数の反射・反応が順序良く組み合わされることによって初めてきちんと実現するものでありますから、生命中枢に遺伝的にプログラムされた単純な反射・反応は通常「行動」とは言いません。但し、それが何らかの目的を持つものであるならば一種の行動と見なすことができます。そして、これが一定の組み合わせによって形作られた生得的な行動様式を「本能行動」といい、生後体験の結果から学習・獲得された判断規準に基づくものが「学習行動」ですね。
このように、それが本能行動であれ学習行動であれ、「行動」とは何らかの目的に対して選択されるものです。では、「探索行動」とはいったい何を目的として選択される行動なのでしょうか。そして、これが生得的な本能行動であるとしますならば、その「生物学的利益」とはいったい何なのでしょうか。

「行動」といいますのは刺激入力に基づいて選択され、何らかの目的を達成するものです。では、「空腹」や「性的欲求」などといった内臓知覚の入力に対して餌や生殖相手を探すために行われるのは探索行動でしょうか。確かに探索ではありますが、その目的からすれば、厳密にはこれらは「摂食行動」であり「生殖行動」でありますから、それを探索行動として定義・弁別することはできませんよね。探索行動とは、食欲や性欲など、何らかの具体的な動機があって選択されるものではなく、それは飽くまで「未知の目的」に対して行われるものです。
以前、何かの心理学の本で、「探索行動」とは「情報の欠落を解消するための行動である」と読んだことがあります。我々動物は、その脳内に「情報マップ」を形成しており、そこに情報の欠落があると不安や好奇心が発生し、これによって探索行動の選択が動機付けされるということです。心理学的な解釈としましては一見、確かにその通りのように思われますが、私個人としましてはこの解釈では全く不十分であると考えます。
まず、脳内に「情報マップ」を作成するためには必ずや学習能力が必要になります。もちろん、爬虫類以下の下等動物や、現在では昆虫類に至っても何らかの学習能力を持つことが広く受け入れられています。ですが、これでは探索行動は学習行動であるということになってしまいます。
探索行動というのは学習行動であると言及するならばそれでも構いませんが、情報の欠落に対して「不安」や「好奇心」が発生するということでありますならば、それは明らかに大脳辺縁系の「情動反応」であります。ならば、脳内に大脳辺縁系といった情動の発生機能を持たない爬虫類以下の下等動物には不安や好奇心というものは発生しませんので、仮に脳内マップを形成するだけの学習能力が備わっていたとしましても、探索行動を選択するための動機付けは行われないということになります。ならば、これでは探索行動は我々高等動物に特有の「高度な学習行動」ということになり、昆虫類などの探索行動を説明することが原理的にできなくなってしまいます。

哺乳類や鳥類といいますのは、かつて爬虫類から進化をする過程でその脳内に大脳辺縁系という情動の発生機能を発達させました。ですから、爬虫類以降の高等動物には生後の学習結果に基づいて情動反応を発生させることができますし、我々人間に至っては「知的好奇心」などというものがありますから、それが探索行動や探究心の源となります。
ですが、もちろん探索をすれば情報マップや自分の知識を次々と穴埋めすることはできるわけですが、では、その探索行動を選択するために、自分の何処にどのような情報の欠落があるのかということは、いったいどうやって判断をすれば良いのでしょうか。上記のような心理学的な解釈では解決できないと申し上げたのはこのような理由からです。自分の情報に欠落があることが分からなければ探索行動が動機付けされ、それが実行されるなんてことはどう考えてもあり得ませんよね。
これがどういうことかと申しますと、何が情報の欠落であるか分からないということは、取りも直さず探索行動とは「未知の情報を獲得するための行動である」ということです。知らないものを見付け出すのが「探索」でありまして、足りないものを探しにゆくのは、これは「捜索」ですよね。では、我々動物には、いったいどうしてそんなことができるのでしょうか。

我々動物の行動は、刺激入力に基づく「反応の組み合わせ」によって作られます。そして、この知覚入力に対する中枢系の「反応・反射」といいますのは、「生物学的利益」という大原則に基づき、その動物に遺伝的、あるいは後天的に獲得された「価値判断規準」に従って発生します。
ですから、それがひとたび「利益」と判定されますならば全ての動物は「報酬行動(接近行動)」を選択することになりますし、「不利益」に対しましては必ずや「回避行動」が選択されなければなりません。そして、何の利益もない、即ち「無報酬刺激」といいますのは「不利益」の方に判定され、「回避行動」が選択されます。果たして、この「無報酬刺激に対する回避行動の繰り返し」が「探索行動の原理」であります。
じっとしていても何の利益もなければそれは「無報酬刺激」です。ですから、動物はこれ対して別な場所に移動するという回避行動を選択します。そして、移動しても報酬が得られないのであれば、やはりそこから立ち去らなければなりません。これが繰り返されることによって、やがて動物は「未知の利益」を獲得することになります。
その結果、例えば餌が発見され、たまたま空腹の状態であるならば、ここでそのまま「摂食行動」に切り替わりますし、また生殖相手と遭遇するならばそれは子孫繁栄のチャンスとなります。もちろん、そこに餌や生殖相手がいると分かって向かっているわけではありませんので、運悪く何の利益も獲得できなければただエネルギーを使っただけということになりますし、下手をすれば何の目的も果たせずに死ぬことになります。ですが、多くの動物がそれで絶滅していないということは、何もしないよりは動き回った方が有利であるということですね。これが探索行動における「生物学的利益」です。そして、何の具体的な目的もなしにそれが選択できるのは、そこには「無報酬刺激に対する回避行動」という生理的なメカニズムがあるからです。従いして、それは必ずしも学習行動である必要はないということになります。

このように、動物とはもともと動き回ることが定められているものであるとしますならば、無報酬刺激の入力に対しては必ずや探索行動が開始されます。では、生理学的なメカニズムによって必ず動き回るということでありますならば、動物は死ぬまで探索行動を続けなければならないことになってしまいます。ですが、幾ら何でも疲れれば止めますよね。
疲労や空腹、あるいは病気や怪我などによる内臓知覚が苦痛として入力されますならば、この場合は行動そのものが不利益と判定されますので、動物はそれに基づいてちゃんと静止行動を選択します。また、首尾良く別な報酬刺激と遭遇することができましたならば、当然のことながら探索行動は速やかに終了されることになりますよね。このように、一見無作為な探索行動ではありますが、これを「利益報酬の獲得手段」として立派に運用することができますのは、それは、これが他の本能行動と全く同様に、知覚入力に対して利益・不利益の判が下されることにより、与えられた状況に応じてきちんと終了するという選択肢が設けられているからです。

このように、「探索行動」とは他の行動と全く同様に、身体内外の環境から得られる刺激入力に基づいて選択されるものであり、それは我々動物に与えられた生得的な機能です。ですから、それはより多くの未知の利益を獲得することにより、自らの生存を有利にするための本能行動です。そして、好奇心や探究心といったものは、これを原則としてあとから付け加わるものであり、こちらは高等動物に特有の学習行動ということになります。
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この回答へのお礼

 ruehasさん、有難うございます。とっても、丁寧に解説していただき大変嬉しいです(*OvO*)

 「探索行動」について、これまで調べていた以上のことを学ぶことが出来ました。本当にありがとうございますm(vv)m

お礼日時:2007/05/18 16:29

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