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二十代後半の男です。

物心ついた頃からなのか、昔から何でも自分で解決したいという心理がずっとありました。

例を出すと、学生時代のテスト期間に周りが他人のノートを当てにする中で、自分は毎回授業に出てノートを細かく取っていました。
決して他人のノートを当てにすることが悪いというわけではなく、自分にはそういう気がなかったと思うだけです。
何というか物事をすべて自己責任にしたがる傾向がある気がして、それで自分を追い詰めている気もします。

社会人になり、私は外回りの仕事をしているため、どうしても間接部門に依頼をしなければならないことが多く、どうにも息苦しさ、窮屈さを感じてしまうのが実際です。
「全部自分でやりたい、自分でやった方が話が早いし、仕事もスムーズだ」と思ってしまう性格なのでしょうか、我ながら要領が悪いと感じます。

子供の頃からとにかく自分の力で考え抜いてそれでも分からなければ人に聞く、というスタンスで生きてきました。
だから何でもすぐに人に聞く人に対して「どうして自分で考えないんだろう」と不満を持ってしまうことも多々あります。

人に助けてもらうことにすごく罪悪感を感じるのか、人に借りを作る(助けてもらう)のをすごく毛嫌いする傾向があります。
自分が人に力を貸す分には良いのですが、力を借りることに関してはどうも居心地が悪く、すぐにこの借りを返したい!と思ってしまいます。

別に自分が崇高な人間だとか、選民的な思想を持っているわけでは全くなく、自分は劣っているから頑張らないといけない、
そんな焦燥感がそうさせているのかもしれませんが、自分は自己完結していて、それはあまり良いことではないのだと思っています。

普段も一人で行動することが多いです。
別に他人と接するのが嫌なわけでなく、どうしても行動に合理性や利便性を求めてしまう自分がいるからな気がします。

本当は上手く周りに頼れて、周りを使える人が優れていることは重々承知で羨ましくもありますが、自分の生き方を今更どう変えたら良いのかが分かりません。
自分のスタンスを少し変えることが出来れば多少生き易くなるのかとは思うのですが・・・何か考え方の転換の仕方をアドバイス頂けると幸いです。

根本は人に不信感を抱いている自分な気はしていますが・・・

A 回答 (6件)

気になる質問でしたので少々お話させて下さい。



仕事面に関する人間関係の悩みなら、接し方に悩まなくても問題はないと思います。他人の応援を頼まず自分で合理性を持って仕事に打ち込む方が、利益にも繋がると思いますし。

ただ、考えたのは、それ以外の人間関係の在り方についてだと思うのです。質問者様の質問内容を拝見していて感じたのは、自分で何でもこなしてきた生き方の中に、寂しい心、穴のあいた気持ちが生じてしまっているのかなと…。

私は、質問者様と同じ様な方と遭遇する事が多いのですが、はっきり申しまして、こういう性格は簡単には直りません。
また、接する方は物凄いエネルギーを必要とします。相当の覚悟がないと真心を持って接することはできません。
少しばかり考えても、また殻に閉じこもっていきます。
恐らく周りを取り巻く方々は、こんな覚悟を背負ってまで面倒を見ようとは考えないでしょう。
質問者様もこのあたりは、薄々感じていらっしゃるとは思いますが…。

相手が自分を嫌っている。または、理解してもらえないかもしれないので、自分も不信感を抱いてしまう、またはそう思う方が楽とか思っていませんか。
本来はとても真面目で誠実で、曲がったことが嫌いな正直な人。
相手を傷つけることも傷つけられることも遠慮してきたのでしょうね。

少しでもいい、心の優しい方に接したら、それは紛れもなくあなたを大切に思ってくれたものですから、そういう小さな部分を大切に考えてみませんか。
ネットは心の繋がりで出来ているところもありますから、類友が集まり易い所なので、ネットで心の訓練をされるのもいいかもしれません。

自分の中にある欲求を押し殺すこと無く、思う感情を出すこともまた大事で、楽に生きられる術だと思うのです。

私としては、無駄に武装せずにいてくれる方が、心が安らぎますしお互いが疲れずよい人間関係が築けると思うのです。

外側から見た意見で申し訳ありません。
相手に期待しない、するではなくて、一緒にいる事、一緒に仕事をするという関係に後ろめたさを持たない様になればいいと思うのですが…。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/12 11:02

質問者さんこんばんは。



質問者さんの考え、私とよく似ているような気がして回答させて
いただくことに致しました。

私の場合、自分で何でも解決したい、というよりは
人に借りを作りたくない、その心の負担を感じるくらいなら
自分でやったほうが断然楽だ・・・ということなのですが・・・。

考え方の転換の仕方のアドバイス、ということですが、
これは2つに分けて回答させていただければと思います。

(1)仕事について⇒自分の仕事の範疇と他人の仕事の範疇を割り切る。
(2)人生そのものについて⇒「全ての人に対し心を開く」・・
 というのではなく、本当に心を開ける少人数から始める。

まずはお仕事のことなのですが、

> どうしても間接部門に依頼をしなければならないことが多く、
> どうにも息苦しさ、窮屈さを感じてしまうのが実際です。
> 「全部自分でやりたい、自分でやった方が話が早いし、
> 仕事もスムーズだ」と思ってしまう性格なのでしょうか、
> 我ながら要領が悪いと感じます。

これに関しては、私は質問者様はどこかで割り切られると
いいかとおもいます。
質問者様のお仕事は、外回りのお仕事。(営業さんですよね?)
それが全てです。
全部自分で、とおっしゃいますが、自分でやるべき全部は、
営業のお仕事。それに尽きます。
間接部門に依頼しないといけない仕事は、それは間接部門の
仕事なのです。ご自分の仕事ではありません。

いえいえ、わかっております。
自分の抱えている案件に関わる全てを、ご自分でやられたほうが
早いしスムーズだから自分でやりたい!という話ですよね?

その考えを、割り切ったほうがいいと私は思うのです。
たとえスムーズに進まずイラついたとしても、あなたのお仕事
ではないからです。責任はあなたにありません。
あなたは、他の方の仕事まで肩代わりしてあげる必要はないのです。

かくいう私も、「1人でやれたらどんなに楽か!」と思ってます(笑)
ですが、そこはもう。会社というのはそういう場所だ、と思って
後々自分にしわ寄せが来るな、ああやだ
と思っても他人の仕事は他人の仕事として割り切って考えるように
しております。

また、他の方もおっしゃっておりますが、自分よりもその問題に
詳しい人からの助言や指示は必要になりますし、
仕事である以上、必ず決められたフローがあるはずです。
決められたフローには、必ず決められたなりの理由があるはずです。
全てを自分でしたほうが楽、というのはすごくわかるのですが
一件無意味に思えることが、会社として重要だったりするのです。

そこは、仕事と割り切ったらいかがでしょう。

お仕事以外のところについてですが・・・

私の話を致しますと、
う~ん・・・なんだろう、たとえば恋人とか、夫とか、
その人が無償で何かをしてくれるというときには
罪悪感を感じつつも、ありがたく受け入れる努力を
してきたように思います。

つまり、全ての人にではなく、「この人には」という
ところから始めればいいのではないでしょうか。

回答へのお礼のなかで、

> 「裏切られても仕方ない」という半ば達観の域に達しなければいけないのですが、
> 裏切られたり、損をしてしまう役割というものは何度経験しても馴れないものですね。
とおっしゃっていましたが、
裏切られてもいい、損してもいい、と思える相手にだけ
それをやれれば、まずはいいのではないかと。

> 人のふり見て我がふり直せとはよく言ったもので、自分がやられて嫌なことをやらない=他人と関わらない、
> という感じに思考が至ってしまう傾向があるので、「経験」と割り切る勇気が必要なのかもしれません。
これは私も同じです。
でも、私に対して心を開いてくれる友人に、「水臭い」といわれたこともあります。
そのときに、私にとっては「相手に迷惑だからやらない」と思ったことが
相手にとっては「自分は信用されていない、だから何も言ってくれない」
と思われることもあるのだと気付きました。
それはそれで、相手に迷惑をかける行為なのだな、と。

そう思ってくれた相手に対しては、これはもう、甘えてもいいかなと
私は割り切れるようになって来ました。

これは、きっと訓練だと思います。
自分の考えとはそぐわないことであっても、自分のことを大切だと
思ってくれる誰かがやってくれることであれば、とりあえずは受け入れてみる。

自分のことを大切だと思っている人だ!という信頼感があれば、
思ったとおりにしてくれなかったとしても、裏切りだとか損だとか
そういう風には思わずにすむのではないかと思うのですよ。

> 根本は人に不信感を抱いている自分な気はしていますが・・・
とのことですが、全ての人を信頼する必要はないと思いますし、
自分が心を開ける人というのをお探しになられたらいかがと思います。
そういう方がすでにいらっしゃるのであれば、少しずつ、相手に
甘えていければいいのではないでしょうか。

質問者様の今後の生き方が、少しでも楽なものになるようお祈りしております。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>人に借りを作りたくない、その心の負担を感じるくらいなら
>自分でやったほうが断然楽だ・・・ということなのですが・・・。

私も同じです。
借りを作るのが本当に苦手です。

>自分のことを大切だと思っている人だ!という信頼感があれば、
>思ったとおりにしてくれなかったとしても、裏切りだとか損だとか
>そういう風には思わずにすむのではないかと思うのですよ。

難しいです。
「大切」と「良い用に使われている」の微妙なラインを読むことが出来なくて、結局疎遠にというのはよくあります。
自分に無理をしない(相手に期待をしない)程度の助力を器用に出来ればとは思います。

お礼日時:2009/10/12 11:01

>根本は人に不信感を抱いている自分な気はしていますが・・・



本当に変えたいならば、人を信用する努力をしてみることだと思いますよ。
なにも無条件に無制限に人を信用する必要はありません。
疑うことは大事ですから。
ただ、疑っても不信感に繋がるようなことがなければとりあえず信用してみる。
そういうことを繰り返していって、じょじょにどこまで信用できるのか、どこまで信用しないのか、線引きをしていけるようになれば良い。

ただし何も必ず他人に任せないといけないわけじゃないですよ。
仕事によっては全部1人で出来る仕事もあります。
大きな仕事をしたり、多くの儲けを出すよりも自分ひとりで完結できる仕事をしたいのならば、そういう仕事を求めるのもありですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>人を信用する努力をしてみることだと思いますよ。

相手に期待しないことが大切なのでしょうね。
一人で何でも抱え込みたくなるのは他人は所詮そんなもの、というような割り切りが出来ていないのです。
この部分はいつまでたっても子供かもしれません。

>多くの儲けを出すよりも自分ひとりで完結できる仕事をしたいのならば、そういう仕事を求めるのもありですよ。

正直売上げにも結果にもあまり興味はないです。
自分にできることを着実にこなしてゆく仕事(生き方)が自分にはあっているのでしょう。

お礼日時:2009/10/07 12:32

考え方の転換ですか…。


それは時と共に解ると思いますが、人はひとりでは生きていけません。また今生限りの命でもありません。前世もあれば、来世もあります。
アドバイスにはならないだろうけれど、次の自作の一文でも読んで頂けたら幸いです。


               一話
 寒椿の花が落ち、
 赤いピンク色の梅の花が咲き乱れて、この山里の辺りを梅の香りが包んでいる。
 今は、西暦三千年代中期の二月である。亜衣姫と羅夢王は、落ち葉をかき分けるようにして、黄色い福寿草が顔を覗かせている、山道を登っていた。
 「ねえ、らむちゃん、昔のことを教えてくれない」と亜衣姫が言った。「昔のことって、何時頃のことだよ」と羅夢王が聞いた。
 「そうねえ、二十一世紀のことがいいなあ」と亜衣姫は立ち止まり、かがみ込んでかわいらしい福寿草を見て言った。
 「二十一世紀か。亜衣ちゃん。びっくりしないで聞いていてね。その頃は、まだ仕事を持っていない人達が、大勢いたんだよ」と羅夢王は言った。
 「ええっどうしてなの、信じられないわ」と亜衣姫は言った。
 「そう。おかしいだろ、でもそれが普通だとみんなは思っていたんだよ。今は、誰か大怪我でもしたら、世界中の見ず知らずの人達が、それーってお見舞いの手紙をいっぱい送って下さるよな」「だって、それが当たり前のことだもの」と亜衣姫が言った。
 「だけどその二十世紀から、二十一世紀の頃は、まだ特許という制度があって、何かを発明した人はね、その権利を独占していたんだ」
 「それは絶対おかしいわ、みんな神様からの贈り物なのに、どうして一人占めするの」
 「亜衣ちゃんの言うとおりだよ」
 「今ではみんなで教え合っているから特許などいらないし、アフリカの熱い大陸でも、涼しい工場を建てて、反重力の部品を作ったり、ヒマラヤの奥地の寒い所でも、暖かい工場で燃料電池を作ったりしているからね。それが出来る前には、犯罪や病気が非常に多かったんだぞ。でも世界的な仕事の割り振りが決まって、世界中の人の雇用が始まってから、戦争や貧困や、犯罪や病気までもが激減してしまってね、おかしな宗教もなくなってしまったんだ」と羅夢王は言った。
 二人は、ねこやなぎの木が生い茂った、城跡の石垣の上に腰を下ろして、眼下の湿原に咲き乱れる、美しいパンジーや名も知れぬ草花を見た。亜衣姫は、黄色い花弁が赤い房に隠れ純白の毛に覆われている、ねこやなぎの房を取り、羅夢王のほっぺにくすぐった。
 羅夢王は「人間が人間にしてさし上げる最大の愛の行為は、この世界的な雇用問題なのだろうなあ」と言った。
 亜衣姫も、「仕事がないってことは、どんなにか辛く、悲しいことなのだろうなあ。また、自分に合った仕事を持っている人は、どんなにか幸せなことだろうなあ」と思った。
 羅夢王は、「僕達の体は数十兆もの細胞を持っているんだよ。これは分るね、亜衣ちゃん。みんなそれぞれの細胞は独立していて、ほかの細胞と完全な調和を保ちながら、一つの人体を形成しているんだよ」と言った。
 「分かったわ、つまり、たった六十数億人しかいない地球の人達なのに、なぜ人体のように血が通わなかったのか、心の底ではみんなが繋がっているのに。そう言うことかな」
 「そうなんだ」
 「それは国連でも出来なかったことなの」「うん。みんな自分の国のことばかり言って」
 「二十一世紀の人達は大変だったんだね」
 「そうだね、それからあの大破局も来るしね。でも、素晴らしいお方が、タイ北部に、降りて来られるのは確かなんだ」と言って、
 「さあ、飛んで帰ろうか」と二人は、反重力推進装置のスイッチを押した。すると、ふわふわと中空に浮かび、手を繋ぎ梅の香りの中を「気持ちいいね」「うん。とっても」と、色鮮やかな紅梅の花の林から、湿原の野原を見渡し飛んで帰って行った。小川の水面には、タンポポのつぼみが映えている。春の足音はもうそこまで来ていた。

…おっと、違う章をコピーしてしまいました。消すのも何ですので、このまま掲載します。失礼致しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/07 12:28

真面目で独立心旺盛で潔癖で慎重な方からのご質問とお見受けしました。



それはそれでまっすぐに生きてこられたのだから問題はないとは思うのですが、確かに、このままではご自身が息苦しい思いに悩まれるのではないかと思いました。

ご自分の生き方を変えるというよりは人というものに臆せずに心を開かれる態度で臨まれると今よりは人間関係に風通しが良くなるのではと思えてなりません。

最後に人に不信感を抱いているかもしれないとおっしゃいましたが、これが根本的に貴方の生き方に深く影響しているのだと思います。

考え方の転換に参考にして頂ければと思うのですが、私は基本的には人は信用できないと思っていてそれで良いのだと思います。でも、その裏には本当は、信じたいというお気持や温かい信頼関係を望まれるお気持が潜んでいるように思います。

しかし、裏切られる前に手を打ちたい、傷つく前に身を引きたいと思う気持が逆に人を拒絶する態度につながってしまったのだと思います。

私の知人で老人の域に入るまでこういう態度を改めることなしに生きてきた人があります。その方は自分が人を受け入れないのに人が受け入れてくれないのだと思い込み、少しでも真実に気がつけばラクになれるものを殻に閉じこもってしまっています。その結果、この人に心を開いて語りかける人は極、少数だったということでした。

まだお若い質問者さまならまだまだ、時間がありますのでこれから、
変われるチャンスはあると思います。
それは、人に対する期待はすべて捨てるけれども、人が自分に心を寄せてきた時にはその人の手を握り返すことだと思います。

そして、どんな結果になろうとも縁があって親しく出来たのならそこに感謝の気持を持ち、交際を深め、その縁を大切にする姿勢が必要だと思うのです。勿論、利用しようとして近づいてくる人がいることもあり悲しいことですが、その時は離れればよいだけのことです。

合理性、利便性の言葉で拒絶してしまう人間関係の無駄は一見、無駄に見えて実は自分を育ててくれる豊かなエキスのようなものであるとも言えると思います。

人に対する見方を少しずつ変えて行くということが質問者さまのかたくなな態度が緩んでいくことへのきっかけになればと思い、回答に参加させて頂きました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

今の自分の生き方は自分を徐々にすり減らしながら生きているに近い状態ですので、
器用に生きれないといつか破綻してしまう日が来る、というのはずっと抱えていた部分でした。

>人に対する期待はすべて捨てるけれども、人が自分に心を寄せてきた時にはその人の手を握り返すことだと思います。

これを行ってきた結果として、いい様に使われたり、自分の意思は通らなかったりと散々な目にあった経験からか、
予防線を張ることで他人からの侵入を遠ざけているのが要因であることはわかっている次第です。

本来であれば「裏切られても仕方ない」という半ば達観の域に達しなければいけないのですが、
裏切られたり、損をしてしまう役割というものは何度経験しても馴れないものですね。
人のふり見て我がふり直せとはよく言ったもので、自分がやられて嫌なことをやらない=他人と関わらない、
という感じに思考が至ってしまう傾向があるので、「経験」と割り切る勇気が必要なのかもしれません。

お礼日時:2009/10/07 12:27

はじめまして。



>昔から何でも自分で解決したいという心理がずっとありました
責任感を持つ、と言う意味で悪い事ではないと思いますが。

>物事をすべて自己責任にしたがる傾向がある気がして、~
これも、「他人に責任転嫁する」よりは遥かにまし。(程度問題ではありますが。。)

>社会人になり、私は外回りの仕事をしているため、~
学生時代ならまだしも、社会人としては?です。
「自分で考えた事」はあくまで「主観」です。
『「自分で考えた事」=「真実」』である保証が無い以上、専門職からの指示や助言は必要です。
営業職が顧客に対して「思い込みの間違った情報」を与えてしまう可能性を考えて行動しなければ。。
世の中、「常識」とは完全不変のものではありませんから。

>子供の頃からとにかく自分の力で考え抜いて~
これも悪い事ではありませんが。。。
社会人としては、「効率」も考えなければなりません。
自分で考えるのに1日かかるけれど、先輩に聞けば30分、なとと謂う事はよくあります。
教えてもらった事を基に解析・改善を行って、自分の物にすれば良いのです。
同じ事を繰り返し聞かなければ良いのですよ。

>人に助けてもらうことにすごく罪悪感を感じるのか~
「世の中の全ての事象を自分一人の力で解決する」なんて不可能です。
理想は理想として、現実とは切り離さないと。。。
それに、20代後半まで、誰の助力も受けずに生きてきたとでも?

>別に他人と接するのが嫌なわけでなく~
厳しい言い方ですが、「協調性が欠如している」とか評価されていそうですね。
「自分で考えた合理性・利便性」が他人にとってもそうなのか、を考えてみるべきです。

>根本は人に不信感を抱いている自分な気はしていますが・
別に他人に対しての不信感を完全に捨てる必要はありません。
しかし、他人の意見は聞き、その上で取捨選択を考えて行けばよいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

社会生活においてこのアナーキーな思想を実践しているわけではないので、
自分が一人で生きてきた等という思い上がりは一切ないのですが、あくまで心の中の感情の一因という話です。
むしろ表面上の協調性はある方なのでご心配頂かなくとも評価は至って普通です。

>他人の意見は聞き、その上で取捨選択を考えて行けばよいのではないでしょうか。

これは参考になりました。

お礼日時:2009/10/07 12:19

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