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以前、ある番組でタレントが「不良が更正して真面目に働いたら「「偉いね」」と褒められて評価されるのが気に入らない。
ずっと真面目に生きてきた人間の方が遥かに偉いだろ」と発言していました。
確かのこの方の言う通りだと思います。
ある知事も同じ事例でマイナスがゼロになっただけだと言っていました。
でも私は素直に更正して今はキッチリとやっているなら褒めてあげても良いと思うんですよ。
真面目に生きてみんなと同じ事をするのは大事でしょう。
しかしそれは環境や能力に恵まれてからです。
普通のことが普通に出来ない人だっています。
自分が出来るから・やるから
だから他人もそうあるべきというのは慢心だと感じます。
勉強がすごく苦手でいつもテストで平均点30点しか取れない人が
必死で頑張って勉強して70点取れた人と
普段のテストの点が全科目70点以上取る人とでは結果が同じでも価値は違うと思います。

A 回答 (9件)

かなり同感です。



実際にその「更生は褒めない」論は多くの方がここ(goo!)でも展開していますが、私は実生活でも褒めています。

「昔は他人に迷惑ばかりかけていたくせに」という方は継続して迷惑をかけてもらいたいのかな。と思いますね。
(確かに継続してくれたら刑務所に入れられたりするわけですから、目的としては継続してくれた方が都合がいいのかな。)

この手の話でよくやり玉に上がるのが島田伸介さんで、「認めない」と糾弾される多くの方は「殴られて金銭による和解に応じた女性」の大人の事情は考慮せずに声を荒げますが、商品としての島田伸介さんを生活の糧としている方やその家族、島田伸介さんの目的はどうであれ学校に通えるようになったカンボジアの子ども達、井戸水を求めて毎日10時間以上歩かなければならなかった村人達の事には触れません。
糾弾したがっている方々がどれだけの人の生活を支え、どれだけの人を救っているのかは私には知る由もありませんが、私で言えばせいぜい家族限定なので、結果を並べるまでもなく恥ずかしくて糾弾する気にはなりません。

過程が問題ではなく結果が全て。という結論となるため、冒頭「かなり」と入れました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
良回答20ポイント差し上げます。

お礼日時:2010/03/16 00:33

確かにそれはそれでそのとおり。

それ自体は俺も否定しない。

でもね。みんながみんなそればかり褒めちゃったからね?
初めから真面目に生きてきた人間は何一つ褒められなくなってしまっているのよ。
ちと極端かも知れないけど、結構これを感じている人は
それなりにいると思うんだよ。

だから、どっちも大事なんだよ。「どっちか」はあり得ない。
そういうことなんだよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/03/16 00:35

テストが30点云々のたとえは少し違うような・・・



”努力した”ということが仰りたいのでしょうが、テスト30点は犯罪ではないし人様に迷惑かけるものでもない。
その人ががんばって70点とったなら大いに誉めてやればいい。
スポーツも然り。

でも不良というのは人に迷惑かけたり、法に抵触する行為をするから不良とよばれ更生が必要なのであり、テストが30点から70点になるのは”更生”ではなく勝負の結果です。

仮に盗み癖のある人が万引きしなくなって「えらいねー、よくがんばったね!」はおかしいでしょ。

ということで私なら「やっとまともになってくれたか」と思うだけですね。
どうしても誉めたいのなら身内だけにしてもらいたいね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/03/16 00:35

まあ本当の意味で更正したのなら褒めて評価されても良いのでしょう。


また普通のテストが70点以上とれる人というのは生まれもったもの
でも恵まれたものでもないのです、それだけ本人が努力して点数をとっている、それだけの事でしょう。苦手で30点しかとれなのなら頑張れば良いのです、頑張れば1点でも2点でもあがるでしょう。
今回の問題は、不良が更正するまでにどのくらいの間人に迷惑をかけてきたかという事がキーワードになりそうですね。
人の痛みを理解出来る人間であるならば人に迷惑をかける事は
やらないと思うのです。結局自分の満たされない想いを他人の誰かに
ぶつける事で憂さ晴らししている。そしてあるきっかけをさかいに
初めて理解する、いや理解しようとしてもしたくなかったのかもしれない。だけどそのくらいのところで騒いでいる内は幸せなんです。
幼い頃から病気で苦しんで生きている人達からすれば五体満足で
いられるだけで幸せでしょう。不良が更正してマイナスがゼロになった
というのは上手い例えですね、不良本人が自覚していたら
その後は良い生き方が出来るでしょうね。
また過去があるから今があるのです、因果応報という言葉があります、
良い事をやっているように見せてそれで救われている人がいたとしてもそれによって救われない人もいるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/03/16 00:35

私もずーっと真面目に生きてきた人間ですが、


環境や能力に恵まれてるなんてことは全然ありませんけど。

まぁでも褒めてあげることを否定するつもりもありません
真面目な人間は真面目な者同士で褒め合えばいいことですので。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/03/16 00:34

基本的に同じ様な考えですな。



あの時諭してくれる人がいなかったら極道になっていたでしょうな。

しかしそんなことはアレやコレやの議論の駆け引きではなく、なんの打算もない言葉にこそ値打ちがあると思いますな。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/03/16 00:34

褒めるにしろ しないにしろ 


本人がしたけりゃすればいいだけでしょう
他人のことなどあれこれ言うことなしですよ
私の場合褒めるかは本人が迷惑かけていたことを
どれだけ自覚できているかしだいですね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/03/16 00:33

70点の価値は同じです。


普通のことが普通にできる人が環境や能力に恵まれてるとは限りません。
苦境の中で折れずに努力してる人だっています。
もちろん恵まれている人もいます。

褒めたければ褒めればいいと思いますが、一般論とするのはどうかと思います。
細かい事例をあげれば努力を重ねた立派な人がいるのも事実です。
ですが、更生した人をみんながみんな褒める必要は無いと思います。
先生とか家族とか友人だけで十分でしょう。
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この回答へのお礼

絶対に違います。
価値は同じではありません。
結果論ではそうかもしれませんが
過程論ではその価値は雲泥の差がありますよ。

お礼日時:2010/03/16 00:32

確かにマイナスがゼロになった、ようやくスタート地点に立った、みたいな感じはありますね。


更生したら確かに偉いかも知れませんが、不良時代に犯した様々な罪によって、他人に迷惑をかけたことをどう償うのか、とは別問題かと思います。
仮に、傷害とか恐喝、盗みなどによって被害を被った人がいたとすれば、過去のことであっても事実ですから、そういう償いを放ったらかしにしておいて、“更生しました”では済まされないと思います。
自分はこれから先不良はしません、と誓うのはいいのですが、過去の行いで傷ついた人に対してどう考えるのか、どう償うのか、ということがあって初めて更生できたと言えると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/03/16 00:32

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