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趣味で絵を描いています。絵画関係の本に人は自分の中にあるものしか表現できないということが書いてあったのですが、よく意味がわかりません。自分の絵はどちらかというと写実的なものに近く、見たものをそのまま描こうとしてしまいます。色彩豊かな抽象画的なものにもあこがれるのですがそういったものは苦手です。そういう画風みたいなものも関係あるのでしょうか?

A 回答 (5件)

みなが同じ風景を見ているわけではないそうです。


写真も撮る人の気持ちが出ることもあります。

写実的な風景画でよく知っている場所を描かれている作品を見ると新鮮さを感じることがあります。

ガチガチにマニュアルどおりの描き方をしないで、好きなように描くということではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。
皆様それぞれの回答を拝読しまして、すべてを理解するのは難しかったのですが、勉強させていただきました。
絵画において自分で枠を作らずに、少しずついろんなことにチャレンジしていきたいと思います。

お礼日時:2010/04/06 09:12

抽象画か具象画かには関係無いと思います。


辞書にはこうあります
抽象:事物や表象を,ある性質・共通性・本質に着目し,それを抽(ヒ)き出して把握すること。その際,他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴うので,抽象と捨象とは同一作用の二側面を形づくる。

現実にある物から何かを抽象する場合もあるだろうし、想像力の中からの場合もあるでしょう。

文脈がわからないので断定的なことは言えないのですが「自分の中にあるものしか表現できない」というのはその本を書いた人の考えに過ぎないのでは。観念論的のように見えます。

もし作品が、作者個人の中にある物の範囲を出ないとしたらひじょうにケチな狭い物になると思います。そもそもなぜそんな作品が他人にも共有共感されるのでしょうか。

短歌でも俳句でも、むしろ自分が感慨・感動のような物を受けた「事物」のみをそのまま描写するのに努力している作品も多いと思います。自分がこう思ったと述べ立てるよりも、その感慨のもとになった物・出来事を再現して、読む人に同じ体験をさせた方が効果的で幅が広いと考えるからでしょう。
こういう作業も抽象と言えなくも無いのでは。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。
皆様それぞれの回答を拝読しまして、すべてを理解するのは難しかったのですが、勉強させていただきました。
絵画において自分で枠を作らずに、少しずついろんなことにチャレンジしていきたいと思います。

お礼日時:2010/04/06 09:13

自分は他人ではない。


現実にあるものを写実的に書いても、見たものを捉えるのは描き手自身の脳
見た像はもう自分の中にあるもの。他人からの目で見たものではない。
画風は後についてくるものではないでしょうか
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。
皆様それぞれの回答を拝読しまして、すべてを理解するのは難しかったのですが、勉強させていただきました。
絵画において自分で枠を作らずに、少しずついろんなことにチャレンジしていきたいと思います。

お礼日時:2010/04/06 09:14

誰かと同じ物を並んで描いてみてください、道具は自由です


同じ道具を使ったとしても絵は全く違う物ができあがるのが想像できますよね?

その絵の違い、自分の絵が「自分の中にあるものしか表現できない」という事なんです。

写実とか抽象とかは関係なく、自分が思って描く線一つ誰でも同じように描けるわけではありません、あなたがどのように描くかはあなたしか判りません。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。
皆様それぞれの回答を拝読しまして、すべてを理解するのは難しかったのですが、勉強させていただきました。
絵画において自分で枠を作らずに、少しずついろんなことにチャレンジしていきたいと思います。

お礼日時:2010/04/06 09:15

たとえば美空ひばりのへんなくせをいっしょうけんめい真似しても美空ひばりから学んだことにはならないですよね。



個性とか手癖のような物というのはどうしたってつきまとう物だと思います。
そういうのは良くも悪くも自然と出てきてしまう物なのです。中にある物ではなくて身体的な条件の影響も大きいです。

ところが作品というのはある局面で自分を超えてしまう物が生まれてきます。「物になる」と言いますけれど、できの良い作品ほど物として独り歩きを始めます。
そういう所に着目しないといつまでたっても「自分の中にあるものでの表現」でしかないと思うのです。これは写実的な絵についてもあてはまるのではないでしょうか。


この問題については「表現主義」という項目で調べてみるといろいろな考え方を知ることができます。
抽象“表現主義”の代表と思われているロスコーやポロックはむしろ無心とか無我のようなアプローチをとることで内面を表わしていると言えるかもしれません。

中にある物しか表出できないとしたら、自分の作品から何かを受けるということが説明できないのではないでしょうか。むしろ偶然などの入り込んだ物質から自分の心(自分の中)に受ける影響が大きいから人は作品という形ある物を作るのではないでしょうか。

優れた作品と言うのはたいていそういう自然的な作用が反映するような仕組みを制作過程の中に組み込む工夫(造形的手法)をしています。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。
皆様それぞれの回答を拝読しまして、すべてを理解するのは難しかったのですが、勉強させていただきました。
絵画において自分で枠を作らずに、少しずついろんなことにチャレンジしていきたいと思います。

お礼日時:2010/04/06 09:15

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