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最近、三島由紀夫や川端康成などを読んでみたのですが、
一つ一つの文章の形式的な意味はわかっても、
なにが言いたいのかさっぱり分からず、
少しも面白くありません。

現代の作家の作品や、ミステリーなどは問題なく読めるのですが・・・

単に文体に慣れていないせいなのでしょうか?
対策などありましたら、教えてください。

A 回答 (3件)

これまで、川端康成や三島由紀夫は比較的興味や関心を持って読んできた方かなと思っています。



>一つ一つの文章の形式的な意味はわかっても、なにが言いたいのかさっぱり分からず、少しも面白くありません。

同じようなことは、他の作家についても多少は当てはまるわけでして、やはり、面白いと思って読む人がいれば、「少しも面白くありません」としか反応しない人も少なからずいると思いますよ。

>現代の作家の作品や、ミステリーなどは問題なく読めるのですが・・・

「ミステリー」の面白さやその評価となると、さほど読者によって大きな違いは出ないかもしれませんが、「ミステリー」作家以外の「現代の作家」となると、やはり読者の興味、関心、嗜好傾向等の違いに応じて、同じように面白い・面白くないの評価の違いも出てきそうな気がします。

そして、川端や三島に限りませんが、時代や社会(地域)が違う読者にもある程度支持されている作家の場合、小説のいわゆる内容とか、ストーリーとか、話の筋とかといった次元で面白いと評価されているわけではなく、たとえ時代・社会が異なろうとも、人間なら誰でに内在し、かつ普段は自分の意識の底に潜んでいて気付かないでいるような問題やテーマ、題材を取り上げており、それだけにわれわれの常識的な感覚や理解の尺度ではすぐに自分の普段の興味や関心と反応しにくいところがあるのではないでしょうか。

だから、こういう作家の小説を読む場合は、読者としても常識的な人間観や社会観、人生観等からいったんは自分の頭を解放し、一種のニュートラルな状態に戻した上でその小説世界に参入するという姿勢が必要とされるような気がします。
こうするとことで、はじめて自分が普段はあまり気にも留めなかった、何の変哲もないと思っていたことが、実は重要な深い意味をもって、新たな興味、関心の対象となるということ、つまりいわゆる自己発見や新鮮な感動が起こるということが期待できるのです。

また、川端や三島に限らず、いわゆる純文学者や優れた傑作を輩出した小説家の場合、そもそも小説とは何かとか、小説を書くとはどういうことなのかとか、そもそもなぜ言葉(文字)を媒介に虚構世界を構築するのかとかといった、ある意味普遍的な難問と向き合いながら小説制作に携わっているわけで、こういう姿勢が作品テキスト全般に投影しているだけに、やはり小説の内容やストーリーの面白さに重心を置いた読み方をするだけでは、しばしばその小説が実現している別の意味での面白さ(人間や社会観察の深み、奥行き、独創性等々)にはなかなか気付きにくいということが起こりうると思います。

もっとも、川端や三島に限れば、その思想的な根底には拭いがたい厭世観やニヒリズム等が棲息していますから、それに反発を覚えて「少しも面白くありません」と反応する読者も少なくはないかもしれません。

以上、少しでも参考にしていただければ幸いです。
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「単に文体に慣れていないせいなのでしょうか?」


いいえ。
劇中の現場を脳で再現する要領がわかっていないのです。
三島や川端は観念的な文章ではなく
映画的な小説ですよ。
小説の映画化は失敗が多いが成功もあります。
たとえば
漱石の「それから」を松田勇作主演で映画化した同名の作品があるので
小説と両方見ると要領をつかめます。
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文学は「世界観」が勝負ですから、その世界観を飲み込めていないのではないでしょうか。

例えば同作家原作のドラマ化や映画化を観ても面白くありませんか? だとしたら単純に好みが合わないのかもしれないし、映像を少しでも面白いと思えるなら、その原作を読むことから始めてみてはどうでしょう。ただ、三島も川端も、いわゆる「耽美派」と呼ばれるタイプの作家で、今風の作家や大衆的なミステリーとはタイプが全然違いますから、ちょっと頭の切り替えが必要かもしれません。かなり毒気のある作品が多いですよね。もしもルキノ・ヴィスコンティ監督の映画などを面白いと思えるなら、三島とか嫌いじゃないはずだけど。
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