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弱さゆえの優しさ

高校一年です。私は他人からよく「優しい人」と評されます。
ですがよく考えてみて、自分の「優しさ」とはつまり「己の弱さからくる優しさ」だということに気付いたのです。
現に私の心はいつだって自己中心的な感情で溢れかえっています。
ただその利己心を少しでも表に出してしまえば、私は早々に集団から孤立してしまうでしょう。
それが怖いのです。だから私はいつだって自分を押し殺して「優しい人」を演じ続けているのです。

正直この性格のせいで不利益を被った事は何度もありました。
そこで質問なのですが、私はこのまま自分を押し殺していつまでも優しい人の仮面をつけつづけるしかないのでしょうか?

A 回答 (4件)

優しさを持つのに「強い・弱い」は関係無いですよ。


己の弱さからくるものは「弱さ」…それだけです。
なんらかの脅威から逃げるための「一手段」として、笑ってみたり、合わせてみたりする。
それは優しさじゃないです。
そこはハッキリさせておかないとね。

自己中心的、利己的…結構じゃないですか?。
他人をそのことで傷つけないように努力すること…それが出来るように、自身のスタンスを固め、経験を積み、前に出て行くバイタリティーを育てていく…そういう中で「優しさ」も大きくなっていくものです。
引いてばかりいたら、人生は少しも前進できないんだよ?。
他人に押しのけられて、蹴飛ばされて、うずくまって泣いてても助けてくれる人は少ししかいないんだ。
だから、引かないこと、立って歩くことを続けていかなければ。
「優しさ」っていうのはね、そういう「人間をやっていく中でも「持てる」一杯の水」みたいなもんだよ。
それを他人につかってなお歩けるか…それが強さであり「優しさ」ってものなんだよ。

考え方を変えていこうよ。
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この回答へのお礼

何か心にくるものがありました。
>「優しさ」っていうのはね、そういう「人間をやっていく中でも「持てる」一杯の水」
これからは常にこの言葉を頭の片隅に入れながら行動していきたいと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/29 10:35

こんにちは、浪速のおっちゃんです。



優しさってとても大事ですよといいだいですが、大人になるとそれだけでは損する事が多いと思います。
多分他の方が優しさについて肯定意見が多いと思うので否定的な意見を言わせてもらいます。

今は学生なので不利益といっても、社会人の不利益と比べるとかわいいものです。

馬鹿な大人が勝組、負組といっていましたが、ある意味それは正解で、競争社会で生きていくには利益追求する野心的な物が必要で、学生生活の学業、スポーツなどとは比べ物にならないぐらいドロドロしてます。

>ただその利己心を少しでも表に出してしまえば、私は早々に集団から孤立してしまうでしょう。
こう思っているなら大丈夫、たぶん、仮面のまんまですが、何かきっかけで仮面がとれた時は制御できず、孤立まっしぐらでしょう。ただし社会では自己中でも会社で力があれば人は集まり、それがまた大きな力になります。『優しさ』も力になると思いますが、比べ物にならないです。

TPOに合わせて仮面をつけたり、ずらしたり、とったりとしましょう。
つけっぱなし、とりっぱなしという考え方は下等動物と同じです。

それにみんな仮面をつけています、つけてなければ、戦争だらけで、中にはつけてない人いますが、それは内戦繰り返している発展途上国の無教養な人と思い距離とりましょう。
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この回答へのお礼

>つけっぱなし、とりっぱなしという考え方は下等動物と同じです
仰る通りです。少し盲目的になっていたようです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/29 10:27

押し殺して仮面をつけたままでいたければそれもよし


自己中心的な面をさらしたほうが楽ならそれもよし
どちらでもいいと思います。
ストレスのない自分でいられるのが
自分的に楽チンなんじゃないですかね。

仮面つけたままだと自分は気持ち悪いけど
周囲の評価は「優しい人」
それがいいのか悪いのかわからないけど
質問者様がその評価をよしとするなら
それはそれでいいんじゃないかと思います。
一方
自己中にふるまうことで自分自身は楽になるけど
周囲の評価がかわったら
それがまたストレスになるかもしれません。

高校生なら
集団から孤立、は怖いでしょうが
集団に属しているふうでも
ひとりひとりの思惑はまったく違います。
自分対集団とみるのではなく
自分対他人の集合とみましょう。

そして
本当に優しい人は強いです。
強くなければ優しくはなれません。
なので
失礼ですが
質問者様は優しいのではなく
弱い
都合がいい
のような感じで認識されているのだと思います。
優しいと評されるのは好意的に言っているだけで
その真意は「無理が通る相手」というニュアンスを含んでいると思います。

ですが
そこを一人でいくら考えても
人間的に成長できるわけではないので
言いたいことは小出しにしたり
したくないことはしたくないといったり
とにかく人との関わりの中で
自分の心地のいい人に対する距離感を
測っていくといいと思います。

改善士の横田尚哉さんが、
情熱大陸の中で言ってましたが
「誰のため」「なんのため」
と考えると
いらないものがみえてくる。そうです。
不必要な無駄を省くのは、人間関係においても
有効だと思います。
自分自身の感情も、このように考えたら
整理しやすくなります。
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この回答へのお礼

>「誰のため」「なんのため」と考えると、いらないものがみえてくる。
全くその通りだな、と思いました。

的確なアドバイスをありがとうございました。

お礼日時:2010/05/29 10:24

漢文の授業で習うと思うけど、論語にこんな言葉があります。



君子は、和して同ぜず。小人は同じて和せず。

つまり、

優れた人は他人と協力し合うが、他人の意見に流されることはない。

器の小さな人は、他人の意見に流されるし、協力しあう事はない。

以上が答え。優れた人は優しい人、君は易しい人と言われているのではないだろうか。
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この回答へのお礼

仰る通りですね…。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/29 10:21

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