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ゆとり教育とは?

あなたが考える理想のゆとり教育とは何か教えてください。
その他ゆとり教育に関するいろいろなお考えがあれば教えてください。

(ひとつ前の質問は質問文章を書かずに誤って投稿してしまいました。)

A 回答 (3件)

バブル景気以前までの詰め込み教育、学歴・偏差値至上主義、が問題になりました。


中学までは義務教育ですが、その後の高校、大学を選ぶ基準が偏差値による学校レベルのみだったと言っても過言ではないくらい。
たくさん勉強していい大学に入ればいい会社に就職できて一生安泰である、という終身雇用制の時代でしたから。
つまりいい大学いい会社に入れなかった人は一生苦労する。だから学歴・偏差値がすべてという価値観に。
ところがバブルは崩壊し、終身雇用制も幻想になった。伝統的一流企業が次々と破たんした。
今までの価値観が根こそぎ崩れたのです。

そこで登場したのが「ゆとり教育」
詰め込み教育を反省し、休日の家族の時間を大切にしよう、…と。
ところがその実態は時間数を減らしただけの詰め込みに変わりない。
週休二日になったことで授業時間が大幅に削減され、教師は与えられた単元を時間内にこなすのに必死。
音楽や体育や図工や、学校行事の時間も大幅にカットされた。いったい何をもって「ゆとり」と言うのやら?
しかも休みになった土曜には塾通いをする子が急増。塾に行けない低所得者層の子供との学力差は歴然。
所得格差がそのまま学力格差を産み、ひいては甚大なる「格差社会」を作り上げた。
これじゃあいかん、と言うので「ゆとり教育の見直し」

常に子供達は時代に、大人社会に翻弄されてるのです。
真のゆとり教育とは何なのでしょうね?
簡単に答えを出せる問題ではないと思います。

今現在、子供達よりもその親に問題が多々あると思います。
虐待は減らない。モンスターペアレンツもしかり。子供をしつける以前に親のモラルが低下している。
プライバシーに介入してでも親への教育をする事のほうが急務に思えてなりません。
そのうえで、勉強ができる子もできない子も、心身が健康な子もそうでない子も、すべての子供が自分らしさを失わずに成長し社会貢献できる教育体制が必要だと思います。
ゆとりとは個々の生き方や個性を互いに重んじることのできる事を意味するのではないでしょうか。
文言だけで言えばそんな事は当たり前だ、すでに取り組んでいると言われるかも知れません。
でも実情はまだほど遠いと思います。

第一歩としては高校までを義務教育化する事だと思います。
中学校くらいから個性や希望に合わせた選択授業を取り入れることも有効ではないでしょうか。
皆が一ならびに高校受験や大学受験に向かって同じ勉強をする時代はもう終わらせるべきでは。
学校内で行う授業には限界があるでしょうから、課外授業や校外授業も取り入れることも良いと思います。
個々が自分をみつめ、その能力をのばせる選択肢をたくさん与えてあげる事が肝要ではないでしょうか。互いが自分にない他人の能力を認めあえること、尊重できる事が理想です。

その具体策までは素人の私には考え及ぶものではありません。
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この回答へのお礼

御回答を読み今までの教育の流れが非常によくわかりました。

>実態は時間数を減らしただけの詰め込みに変わりない

この辺が一番の問題点なのでしょうね。時間を減らしても理念が伝わらなければ何にもならないのですね。

>ゆとりとは個々の生き方や個性を互いに重んじることのできる事を意味するのではないでしょうか。

そうですね。何にも考えずに詰め込んでいくのではなく、余裕を持って自分らしさを引き出すことができたり、想像力を広げたり出来る教育は理想だと思います。
それにはまず大人の教育が必要かもしれません。

中学からの選択制、高校まで義務教育などシステムも考えることも必要ですね。課外授業、校外授業を取り入れることは大賛成です。

やりかたはいろいろあると思いますが、まず理念をはっきりさせることが重要であると感じました。

御回答いただきありがとうございました。大変参考になりました。

お礼日時:2010/07/08 07:08

 現在の2つ前の学習指導要領“ゆとりと充実”。

この1つ前の“現代化カリキュラム”はあまりの内容の多さに落伍者続出。またこの1つ後の“新学力観”は内容が易しすぎて学力低下。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。御指摘の学習指導要領3つとも調べてみました。高度経済成長期の「現代化カリキュラム」が難しすぎた反動が問題の起点になっているようですね。「ゆとりと充実」(http://www.waseda.jp/jp/journal/2002/0206-4.pdf)で学力低下を招いた結果、逆に補習をするはめになり、また「新学力観」では基礎学習を軽視し観念的になり過ぎて現場が何をしてよいかわからなくなっている・・・そんな問題点が見えてくるようです。ゆとり教育は難しいですね。

お礼日時:2010/07/18 23:00

こんにちは。



ゆとり教育というものを実体験していないので、
どういう教育かの判断はできませんことを前提にすると、

ゆとりというのは、後から出てくるものではないだろうかと思います。

後というのは、ずいぶん大人になってから を意図しています。
自分という人間を、さまざまな角度から問い詰めながら、
ようやく出てきた自分の像が曲がりなりにも、
他人に認められながら、
でも、またぐちゃぐちゃしながら自他が反目するなかで、
一息つきながら、落ち着きながら生活できるのが、ゆとりかなと思います。

もし、ゆとりというのが、以上のことを指すのであれば、
教育では、ゆとりを教えることができないものかなとも、おもいます。


10代や20代で、自分の個性というものをどれだけ理解できるのだろうか?と
自分の拙かった経験でみると訝しげにおもえてきます。
日本社会のこれからのスタイル(個性)も、自分にはよくわからないので、
教育する立場も辛いだろうなとおもいます。
もしこれが当たっているのなら、若者は迷うと思います。
ゆとりって、いったいなんだろう?と。

でも、そんな議論が、いまあえて必要だと思います。
ただ、復古主義の登場は勘弁してほしいので、
いままでといまを肯定しての議論が、ほしいです。

大なり小なり社会を論じるときには、
過去と現在を肯定するのが、いちばん発展的な論議ができるので。
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この回答へのお礼

おっしゃる通り、ゆとりの定義が難しいですよね。誰にとっても難しい事を、教える方も教えられる方も何もわからぬまま見切り発車してしまったのが、先のゆとり教育だったのかもしれません。

>10代や20代で、自分の個性というものをどれだけ理解できるのだろうか?
・・・まさにその通りです。

学校でどれだけ自分の個性が磨けるか疑問です。私の場合は、家庭や学校以外のところで、そのような発見をしていったような気がします。

>ただ、復古主義の登場は勘弁してほしいので、
いままでといまを肯定しての議論が、ほしいです。

この言葉は素晴らしいと思います。やはりみんなが一度ゆとりという事を考え出したのだから、元に戻らず、さらに考え続けることが必要だと思います。
貴重な御意見どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/07/05 23:27

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