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困ってる人を心配できない

23男です。
自分がすごく冷めてて、自分が怖いと感じることがあります。
例をいくつか。

先日、同期に仕事に関して●●で困ってるんだけど、と言われました。
自分も似たような経験があり、客観的に確かに大変なことだと思うのですが、
相手の気持ちを想像できないというか、たぶん辛いことなんだろうけど、
親身になってあげられない感覚になるんです。

以前付き合っていた人についてもです。
その人が病気になったときも、口では「大丈夫?」と言いながら、
相手が今、どういう苦しみも良く分からないし、
心配だなっていう気持ちにならないんです。
へぇーそうなんだ、みたいな。

あとは、以前母が、椅子から落ちそうになったことがありました。
でも側にいて、その瞬間を見た私は、助けようとしませんでした。
幸い、落ちずに済み、怪我も無かったのですが、
母に、寂しい目で、あんた冷たいよねって言われました。

周りの人に、必ず言われることがあります。
他人に興味ないよねって。

これは何となく自覚があるのですが、
言われるとかなり凹みます。

何より将来結婚し、自分の家族出来たとして、
家族に何かあった時、心配する気持ちが湧き出てこない気がします。
息子、娘に、すごく冷たい、相談しても無駄って言われたら、立ち直れない気がします。

どうしてこんなことになってしまったのか、知りたいです。
客観的な指摘お願いします。

A 回答 (8件)

【以前母が、椅子から落ちそうになったことがありました。


でも側にいて、その瞬間を見た私は、助けようとしませんでした。】

コレはね、気にしないほうがいいです。
助けてもらいたいほうは「とっさに手が出るでしょう!」とか思うが、
「助けなくちゃ」と判断してから手を出すまでの時間はその人固有の反応時間だから。

それと、とっさの場合、助けるほうで、手を出す人と、思わず自分の身が危険!と思って
逃げる人といますから。

それに、たまたま、逃げ遅れて助けた格好になる場合もある。
間に合えば、逃げるほうが生物的反応としては「自然」です。

モノを落として、「きゃー」というって、自分で落としていながら避けたり、逃げたりするでしょう?
ソレを自分以外の人がやって、ナチュラルに手は出ません、普通は。

それと、アナタは自分に正直なだけです。
自分の痛みはわかる。
しかし、所詮、自分以外の痛みは、わからない。
ミラー反応といって他人に痛みがわかる中枢があるそうですが、別に、好んで
痛くなる必要はないわけで、痛そうな振りをすればいいこと、そんなウソが出来ないだけのこと。

ソレをわかったように、反応するのが世間知ですから、なんとなく、【大変だねぇ】とか
「おきのどくに」とか、言ってあげるといい人みたいに見えるが、実はそのように
本当に口先で言っているだけです。

だって、もし、医者が、一人一人の患者に親身になって・・・ミラー反応してたら、やってられません。
それでも、医師の平均寿命は一般人より短いです、もらうものがどうしてもあるんでしょうね。

仕事もそう、同じことを体験して、「困っている」なら、すでにしてあなたは今、
その状態を脱したわけで、「そう大変だよね」ということは出来る、しかし、感情移入は出来ない。

何故なら、アナタはそのようにこぼしたりしなかったでしょう?
つまり、そういうことです。

自分観察が出来てるから、他人もわかる。
口先だけ言うことは出来ないという良心があるから、
言わない、いえない、「たいへんだなぁ、がんばれよ」
とかね。

ただ、案外、人は、口先だけに弱いのです。
だからこそ、年よりはだまされるし、詐欺もアル。

そういう、ラクをしてみる方策も練ってみると、利用してみると
アナタの人生は武器が増えて、もっと、楽できるけど、偽善的と思うのでしょうね。

だんだん、年取ると、リップサービスは上手になりますから、大丈夫です。
あなた、いい人だから、有言実行って、ことは忠実に自己に課さなくてはならない責務だと思うから
「出来ない」のです。

簡単に、病人に「気の毒に、出来るなら変わってやりたい」言うでしょう?

あんなのウソ300%ですから。
出来ないことがわかるから言うんだから・・・ね。
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この回答へのお礼

>それと、アナタは自分に正直なだけです。
>自分の痛みはわかる。
>しかし、所詮、自分以外の痛みは、わからない。
>ミラー反応といって他人に痛みがわかる中枢があるそうですが、別に、好んで
>痛くなる必要はないわけで、痛そうな振りをすればいいこと、そんなウソが出来ないだけのこと。

この部分、すごく納得しました。
自分の苦しみはもちろん分かります。
なので、相手の気持ち、痛みも分かると言えば、そんなことは無くて、
分からないことばかりです。
きっと他の方はそういった「振り」が出来ると思いますが、
私はなかなか出来ません。
自分に正直すぎると実感しました。


>自分観察が出来てるから、他人もわかる。
>口先だけ言うことは出来ないという良心があるから、
>言わない、いえない、「たいへんだなぁ、がんばれよ」
とかね。

>ただ、案外、人は、口先だけに弱いのです。
>だからこそ、年よりはだまされるし、詐欺もアル。

以前私が仕事で落ち込んだ時、周りの方が声をかけてくれて、
助かったことがあります。
その中には私と同じ体験をして、共感していた方もいたと思いますが、
落ち込んでいるから元気づけた、という方がほとんどだったのかもしれません。
それでも私はかなり救われました。

口先だけで、誰かを助けたり、心配して何かしたりするのは、
私はなかなか出来ません。
でも、今後練習すれば、少しずつ出来るようになれるのですね。
やはり理想は、相手の痛みに共感して、それに伴って行動したいですが、
大変難しいことですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/09 00:17

心配する気持ちだけでは、何の役にも立ちません。


ちゃんと相手を助けられればいいのです。
心配するしか能の無い人も、やはり嫌われるんです。

その人のためになることを考えて、実行してみましょう。
喜ばれることもあれば、逆に迷惑になることもあるでしょう。
その中で、気遣いのセンスが磨かれると思います。
また、トラブルの話を聞くときは、
やたらと心配そうな顔をしましょう。声も心配そうな感じで。
これはオーバーであるほど良いです。振りでいいんです。

できることからやっていきましょう。
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この回答へのお礼

>その人のためになることを考えて、実行してみましょう。

>また、トラブルの話を聞くときは、
>やたらと心配そうな顔をしましょう。声も心配そうな感じで。
>これはオーバーであるほど良いです。振りでいいんです。

振り、一番苦手なことですね・・。
私の場合、相手の気持ちを分かってないことがすぐ伝わってしまうんです。
練習次第では、なんとかなるものなんでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/09 00:02

気にすんな。


そういう人間は結婚できないから。
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この回答へのお礼

そう思います。
でも結婚はできなくても、変えられる部分は少しでも変えていきたいです。

お礼日時:2010/08/08 23:55

30代非婚男性です。



私も似たようなところがあります。
実は原因は質問の中に書いてありますよ。
すなわち,

>客観的な指摘お願いします。

これです。
「客観的」であればあるほど,「気持ち」からは遠ざかるのです。

私は昨年椎間板ヘルニア・脊柱管狭窄症の手術をしました。
母が見舞いに来たがりましたが,「いても役に立たないから」となるべく来ないように言いました。
実際病気をしていると痛感するのですが,親友や家族がいても痛みが止まるわけではないので,「同情するなら鎮痛剤くれ」と言いたくなるのが病人の本音です。

原因ですが,客観的であることが良いことで,感情的なことが悪いことだと教わってきたからだと思います。
感情的というのは,言い換えると自己中心的ですからね。
客観もしくは論理は誰にでも通用するけれども,感情はしょせん一人の人間がその場において一回こっきり持つものですから,「私はこう感じる!」を優先させれば,当然自己中心的になります。

人格形成において重要な子ども時代には,「自分勝手はいけません」「相手に分かるように言葉で説明しなさい」と客観性を育てるようにしながら,いざ大人になると「言葉では表せないことがある」「言わなきゃ分かんないのか」から始まって「空気読め」と,感情を優先するのが当然のようになるのは,極めて不可解です。
だから論理的な思考が日本人の大人には少ないのでしょうが。日本語が曖昧なのではなくて,曖昧な日本語が好まれるだけです。

>何より将来結婚し、自分の家族出来たとして、
>家族に何かあった時、心配する気持ちが湧き出てこない気がします。
>息子、娘に、すごく冷たい、相談しても無駄って言われたら、立ち直れない気がします。

私も同感です。
ですから私は家族を持たないと決めています。(機会がないこともありますが)
とくに子どもについては,私のような人になってしまうと,日本社会では苦しむと思うので,同じ苦しみを与えたくありません。
ご心配の点のうち,実は子どもに関しては,そう言われない可能性も高いと思います。
だって,親がずっとそうだったら,子どもからすればそれが基準になりますから。
怖いことですよ。
むしろ私が引っかかるのは,質問者さんが「~と言われたら」と,客観的に考えている割には自分がどう言われるか?と評価にこだわっているように見える点です。
私のように育っちゃったら子どもが苦しむだろうな,と私が意識しすぎているせいかもしれませんが。

自分に対しても客観的になれば,「感情はよく理解できないけれどもこうするのがいいのだろう」という推測はできるようになります。
求められる行動パターンの学習,とでも言えばいいでしょうか。
内心では「?」と思いつつも,「大変だね」「心配しているよ」と言うことはできますよね。
自分と他人の「感情」がどこまで一致しているか,外から何かのテストをして「35%しか一致していません」と結果が出るわけではないので,言動をコントロールしてゆけば良いと思います。

感情的になりすぎる日本人の間で生きていくのは楽ではありませんが,ある意味ではみんながいっぺんに傾いてしまう日本人(ここ10年の政治を見てください)の中にいて,警告を発する役割になるかもしれません。
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この回答へのお礼

>だって,親がずっとそうだったら,子どもからすればそれが基準になりますから。
>怖いことですよ。

確かに怖いですね・・。
ただいつかは気づくと思うんです。他の家族と比べたりして。

>むしろ私が引っかかるのは,質問者さんが「~と言われたら」と,客観的に考えている割には自分がどう言われるか?と評価にこだわっているように見える点です。
>私のように育っちゃったら子どもが苦しむだろうな,と私が意識しすぎているせいかもしれませんが。

あ、そうですね、今気づきました!
相手を苦しめるかよりも、自分がどうなるかだけを考えている気がします・・。


>自分に対しても客観的になれば,「感情はよく理解できないけれどもこうするのがいいのだろう」という推測はできるようになります。

自分に対して客観的になるってなかなか難しいですね。
自分では分かってたつもりでも、LTCM1998さんからのご指摘が無ければ、
気づかなかったと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/08 23:51

別に悪いと思わないです。



病気の彼女に対し、医者じゃない限り、心底心配しても、苦しさなどは理解出来ないとしても、言う言葉や出来るコトは同じです。

それと、ソレが質問者様の個性なんだから。
ただ、質問者様はその個性を「どう活かすか?」じゃないかな?

たとえば、野球でもそうでしょ?
外野の守備で、フライに突っ込む野手と、その状況を客観的に見て、バックアップに回る野手が居ます。
だから長打にならないんです。
もし両方が突っ込んだら、確実に長打ですよ。
きっと質問者様は、バックアップに回れるタイプの人なんでしょう。

スライディングキャッチを試みる様な選手の方が、勇気があるとか果敢とかには見えて、バックアップに回る選手は、目立たないですけどね。
だから少年野球のレベルなら、みんながボールに突っ込みます。
でもプロとかプロを目指すレベルになれば、バックアップが居るから、一人が突っ込めるんですよ。
質問者様は、バックアップの達人を目指したらどうですか?

誰もが当事者意識を持って、親身になったり感情移入をする必要は無いと思いますし、むしろそういう状態って、少しコワイと思いませんか?

ちょっと想像してみて下さいヨ。
誰かが事故にでも遭って、その場に居合わせた人の全員が、事故に遭った人に駆け寄って、周りを取り囲み、「大丈夫?」「痛くない?」「頑張って!」って、心から心配そうな顔をして、声掛けしてたら、確かにみんな善人なんでしょうけど・・・。
事故に遭った人は、救急車も呼ばれずに、黒山の人だかりの中で息を引き取り、最後は人の山が大号泣してそうです。

そういう状況に遭遇しても、質問者様の場合は、事態の大変さなどは論理的に把握しつつも、咄嗟に駆け寄るなどはせず、冷静で居られるんですよ。
そんな質問者様が為すべきコトは簡単でしょ?
いち早く、救急車などを呼んで上げる役を担えばいいです。

同僚が困ってるなら、「そりゃ大変だ!」みたいに感情移入したって、実際には何の解決策にもなりませんよ。
彼女の病気を心配したって、病気は治りません。
離れた人の落下を救える確率なんて、そんなに高くないです。咄嗟に立ち上がったところで、それで暖かいとか冷たいとか、判断出来るコトでも無いですよ。

世の中の問題って、派手に立ち回る当事者じゃなくて、実際には、冷静に合理的・客観的に、解決策をアドバイスして上げるとか、バックアップに回って上げるとか、次善策を考えておくとか、そういう縁の下の力持ちが解決してる方が多いと思いますヨ。
だって、普通の人がやる様なコト、普通の人が気づくコトなどは、誰でも出来るだから。

質問者様は、みんなが慌てふためく様な状況で、一番合理的な解決策を導き出したり、本質を見抜いて問題解決すことで、現実的に一番頼りになる様な人格を目指されたらどうでしょう?
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この回答へのお礼

大変分かりやすい例えですね!納得しました。
そうですね。何かあった場合、
とりあえずどうするべきかは、分かるつもりではいるので、
ただそれを実行することをまず心がけたいと思います。

そして、皆さんがおっしゃるように理性に従って動くということが、
身についていないと思います。
今後はこれについても考えていこうと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/08 23:40

 大人になったら、感情に従って行動せずに、理性を用いましょう。



 「困っている人」を理解できなくても、「困っていること」は理解できているのであれば、理性を用いて行動すればいいのです。

 私なんか、逆に、すぐに「共感、理解」したりする人をあまり信用しません。だって、「共感、理解」は、そんな簡単にできるものではありませんから。

 「椅子から落ちそうな人」を助けるのは「共感、理解」からでしょうか。私は、そうではないと思います。「困っていること」を助ければいいのです。
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この回答へのお礼

>「椅子から落ちそうな人」を助けるのは「共感、理解」からでしょうか。私は、そうではないと思います。
>「困っていること」を助ければいいのです。

なるほど、言われてみれば、すごく当たり前なことですよね・・。
でも私は出来てないですね。
今回の椅子~に関しては、今後同じような場面になったら、必ず助けると思います。
ですが、中には自分をコントロールできない場面もあるというか、
自分では全くそう思ってないのに、偽善に感じてしまうことがあって。

当たり前だけどなかなか難しいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/09 00:28

大人の発達障害の本を読んでみてはどうでしょうか。



あなたが発達障害かは別として
同じような人はいます。
「共感」をすることに乏しい人たちです。

内側からの想像力にも欠けます。

なんていうか、同じような悩みや解決法が解ると少し楽になると思います。

それから、社会的にそれはトラブルのもとなので
パターンを学習していくしかないと思います。
心を込めなくても
こういうときは助けるもんだ、こういう反応をするのだ、というのを。
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この回答へのお礼

確かに、想像力に欠けるのは実感してます。
相手がどんな気持ちなのか、言葉ではなんとなく分かっても、
あまり実感できないというか・・。

>心を込めなくても
>こういうときは助けるもんだ、こういう反応をするのだ、というのを。

自分でもそういったことが欠けてるように思いました。
考え改めます。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/08 23:32

人は(ヒト以外でも)何かを見て感情を持つというのは 脳内物質のせいです。


この分泌量によって同じ現象を見ても感情の持ち方は違ってきます。
たとえば。映画ドラマを見て大泣きする人と、そうでない人がいます。
人間は体の体格と同様、半分は先天的、半分は後天的なものです。
なので、先天的に脳内物質の出が少ない人は、さめているでしょう。

あるいは、相手の感情が読めないある特定の症候群かもしれません。

家庭を持つのは子供、相方にとっても難しいかと思います。
とくにこどもは両親の教育、しつけ、普段の態度が大きく影響します。
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この回答へのお礼

映画、ドラマを見て泣くことは割とありますが、
相手の感情に関しては、なかなか読めないというか、
どこか他人ごとのように冷めてしまうことがあります。

脳内物質に関しては、ネットで自分でも調べてみようと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/08 23:29

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