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どうして有名な芸術家は同じような作風の絵ばかり描くのですか?

世界的に評価されている日本人芸術家の村上隆や奈良美智の作品は私の目には、キャンバスに描かれている物は違えど、表現方法は同じに見えます。野球のピッチャーで言えば、投げるボールが全てフォークといった感じです。なぜ、彼らはカーブやスライダーなどの他の変化球で自分を表現しようと挑戦しないのか不思議でしかたありません。しかしながら、歴史的に見てもピカソやゴッホなどの成功した芸術家はみんな作風が同じです。

一目見て、この作者が誰であるか分かることがそれほど重要なのですか?

素人の意見ですが、私には、芸術家の作風が同じになった時点で、守りに入っているといった感じを受けます。

どうして有名な芸術家は同じような作風の絵ばかり描くのですか?教えてください

A 回答 (9件)

抽象表現主義以降、現代美術がお金になる、「前衛芸術」がお金になるようになったため、一度ヒットしたスタイルを作家が必要以上に長く続ける傾向はあります(特に合衆国で)。


経済的な理由もありますし、画商などの要望もあるのだと思います。
中にはそういう売れるスタイル、××先生と言えば○○というようなトレードマークのようなスタイルを発明して定着させるのが目標だと作家が考えるような現象も出てきています。それはおっしゃるように一種の倒錯ではないかと考えます。

そういう問題を意識して(肯定的にも否定的にも)考えている美術家は実際大勢居ますよ。

ピカソの場合何度か成功していると思われていたスタイルを捨てています。そこが逆にピカソを高く評価する人のポイントになっていると思います。
例えばゲルニカを描く時にはそれに見合った形をとろうとして試行錯誤しています。反戦だとかのメッセージを伝えるというような名目があるのに、今まで受け入れられて高い評価を得ているスタイルをとらないで、ギャグマンガのような絵を描いてしまっています。
ただピカソは長生きしましたので凡作や、売り絵、贋作も大量にあるのは事実と思います。

ゴッホは生きている間は一枚しか絵が売れなくて残りは弟が買っていたわけですから全く成功しなかった作家ですね。そもそも作品の数が少ないし、スタイルが変わって行くのは残っている作品からたどる事ができます。
同じと思っていらっしゃるという事は数少ない作品を繰り返し見ているからに過ぎないと思います。

村上隆の場合には「個性」のようなものからは離れようとしているように見えますのでむしろ「無作風」、工房作品、製品、と言えるのかもしれないと私は感じています。

いろいろやって行くと、古いといわれようが、今さらと言われようが、自分の好きだ、良い物はやはり良い、というスタイルに自然と行き着く場合はあって、そういう物もやはり大事にしなくてはいけないんではないかなと、若くない今となってはそういう事も考えています。
新しい“タイプ”の物を作るのだけが価値があるという一種の固定観念に固まっていると、逆にそういう事を見逃しがちになります。

どうしてもこれしかできないという一種の不器用な作家も大勢いますし、中にはその人には世界がこう見えるんだからしかたないというような生理的な理由の場合もあります。
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既にお話が出ていますが、



ピカソやゴッホは最初からああいう絵を描いていたわけではなく、画風が変化しています。
「青の時代」とか「馬鈴薯を食べる人々」で画像検索してみたら分かるかと。

今有名な人達がどうかは分かりませんが、もしかしたらあのスタイルにたどり着くまでに試行錯誤があったのかもしれませんし。

でも、文学でも音楽でもファッションデザインでも何でもそうですけど、同じ人が作ればどこか似るところがあるんじゃないでしょうか?「その人の特徴」ということで。そんなにコロコロ作風を変えられないのでは?
ある人の特徴を他の人が真似ると問題だと思いますが。

デ・キリコなんかは延々と同じような作品を描き続けたようですが・・・・
フリーダ・カーロも一貫してテーマがあったような。
こういう人たちは、自分が追求したいから追求していたんでしょう。
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人にはそれぞれ道があります。


絵に限らず、小説でも音楽でも建築でも、近年は特に一つ売れると固執する傾向があります。
TVCMでも作者が判るくらい会社が違うのに同じと言うものがあります。
これは売れ筋ばかりを追いかける儲け主義によるもので、ある意味怠惰ともいえます。これは日本人の「一所懸命」が悪い方向に働いている例だと私は思います。
これは作り手も問題ですが、見る方も特に日本人はなんでも型にはめたがりますよね。別の訳に挑戦すればアラを探して批判したり…。それが業者であれば、他の物を作っても受け入れて貰え無いでしょう。
作者だけではなく、受ける方の問題も小さくは無いと思います。

しかし中には本来の一所懸命で、一つのことに深く追求すると言う高尚なものもあります。昔の花火師が真円にこだわったお陰で、今の美しい円形の花火が出来あがったと言います。
また、自分の作風がどこまで表現できるかに挑戦する人も居ます。点描画にこだわれば、それでどこまで描けるかにも挑戦してみたいものです。また自分の心を一番表せる形にこだわると言う場合もあります。山下清は普通に絵を描かせても通用しますが、切り絵にこだわるのは、それが自分が一番表現出来たからでしょう。

もちろん死ぬまで新しい刺激に挑戦し続けた芸術家も多く居ますので調べてみてください。
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 固定化するまでがすんごく長くて、そこからもまだまだ追求しているんだよ、止まってるんじゃない。

一度描き終わったから完成なんて、我々浅い芸術家でも思わないんだ。描いたモノは、本人の中ではすぐ捨てるに等しい扱いになるしね。周りが保存しようとするけど。
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>素人の意見ですが、私には、芸術家の作風が同じになった時点で、守りに入っているといった感じを受けます。


>どうして有名な芸術家は同じような作風の絵ばかり描くのですか?教えてください

色々な作風にチャレンジする事が芸術家の目的では無いからです。
極論で言うと、芸術家は自分が求める美を洗練させるのが目的です。
絵が上手いだけの人なら沢山いるので、自分の世界観を極限まで洗練させた人が、後世まで残る芸術家として認められます。
様々な作風を持つ人は芸術家というよりも器用な人で、デザイナー向きですね。
質問者さんが求めるものは、芸術家に求める事ではなくて、デザイナーに求める能力ではないでしょうか?
デザイナーの場合は引き出しが多いほうが、クライアントの要求に対応できますからね。
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こんにちは、



大変に良い質問です。

私は某大学で西洋美術史を取っただけなので日本の美術事情は存じません。

いわゆる有名な画家たちが出てくるのは15ー16世紀からですが、その当時は主に教会の内装に聖書の物語を描くか、お金持ちの肖像画を描くかでした。これらは最初から注文主の希望どうりに描かなくては賃金がもらえませんから一度確立した画風を変えるのは明日のパンと引き換えでした。

ミケランジェロもシスティンチャペルの”最後の審判”を描くときに時のローマ教皇に文句をつけられて日記の中で愚痴っています。

大きな工房とたくさんの弟子を持って一世を風靡したレンブラントもまだ注文主の意向を受けて描いています。

その後18ー19世紀になると画家が自由にテーマを決め、画商が絵を取り扱うようになります。

芸術家の才能は器の中の水のようなもので、無尽蔵ではないようです。あるレベルの画家はひとつの作風を確立したところでお水が尽きてしまうように見えます。また、その作風のものを描いていれば売れるのならば、それはそれでいい、と割り切るのかもしれません。

でも、貴方が例に挙げたピカソとゴッホは巨大なプールのような芸術家でした。

伝記を読めばわかりますが、ピカソは五歳の時にはもう目の前にあるものをありのままに描くことができたといいます。その後、青の時代、薔薇色の時代、フォービズム、キュービズムとそのたびに素晴らしい絵を描きながらショベルカーのように進歩してゆきます。時代が彼に追いつくのを拒否していたようでした。彼が巨人といわれる所以です。

もし貴方が関東にお住まいなら、箱根の彫刻の森美術館のピカソのお部屋に行って見てください。ピカソが最後の何年かを過ごした家に残っていた陶器が全て展示されています。そこに”私は幼児のように絵が描きたいのだ。”という言葉が残されていたのを見て私はピカソの魂の美しさにしびれました。彼は最後の一日まで前進を続けていたのでしょう。

長くなってごめんなさい。

最後にゴッホですが、彼は三十過ぎですぐに自殺してしまいました。もし彼がピカソのように90過ぎまで生きていたとしたら、どんどん進化して行ったに違いないでしょう。私は彼の絵にピカソと同じ容積と力強さそして将来性を感じます。

以上、ご参考まで。 楽しい質問をありがとう。
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作家自身が好きな絵を描いている(創作活動をいている)から。



…でしょ?
それを評価されて一流と呼ばれているんです。


ちなみに野球のピッチャーは球種だけで評価されたりしませんよ。
防御率が高いとか奪三振数とか、ゲームに関わる数字で評価されます。
野球のピッチャーの球種を作家に例えるなら、使っている道具になるでしょう。
道具で作品の評価はしませんよね。
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作風が同じであるから作家として同一人なのです。


当たり前です。
あなたのお話は八百屋に向かって
「野菜ばかり売りやがって」
と言ってるのと同じ。
無意味な言いがかりですよ。
作風が変わる人はひじょうに珍しい例外であり、
あなたもそれはよく知っているはずです。
投げるボールがすべて球威ある直球でありそれで勝てるから
成り立っているのです。
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 絵描きは、自分の表現がいちばんストレートに技量に出る「自分の描きたい絵はこれだ」ってのを、探し続けてるんですよ。

それが固定化したということは、ある程度答えに近づきつつあるということです。自分の得意なことを追求するのがいちばん気持ちが良いですからね。

この回答への補足

芸術家は表現者として作風を固定してしまうと、それで成長意欲が止まってしまうように感じます。「もっと自分を表現できる方法は何か?」と探し続けるべきだと思います。

補足日時:2010/08/18 01:08
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