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唯物論、共産思想と死後の世界

オカルトチックなタイトルで申し訳ありません。

唯物論と、死後の生命「観」を調べています。

唯物論は、生まれる前の自己、死んだあとの自己をどうとらえるのか、

知りたいと思っていいます。



キリスト教だと人間は神によって創られ、死後は天国か地獄へ。

仏教だと、永遠の輪廻を繰り返す。


唯物論は生まれる前の自己、生まれてのちの自己をどうとらえるのでしょうか。

特にマルクスや現代共産主義の唯物論的発想を知りたく思いますが、

それ以外の唯物論でもかまいません。


よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

サーバーサイドアプリケーションと似た存在だ、と『生前・死後の状態』を例えられましょう。

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質問の意図を考えてみました。

唯物論には、死後のことは、さがしてもないと思っていました。
NHKの番組で、与論島の洗骨のはなしをみました。死後、数年たって、遺骨を掘り出して、きれいに洗って、お墓に入れる儀式でした。家族の絆を強く感じました。
同じく、NHKの番組で、無縁社会、孤立する高齢者、行方不明の高齢者の番組です。
現実の生活の不安、恐怖が、いろんな考えや組織を生み出します。
テレビ朝日の番組ですが、偶然みた、バリ島の番組に驚きました。
http://www.bs-asahi.co.jp/deep/asia.html

唯物論をせまく考えていたようです。平凡社の世界大百科事典を読んだものでした。人間に関することなら、すべて関心をもつ、柔軟なこころを忘れていました。

久しぶりに、雨が降り出しました。恵みの雨です。大気の温度を下げてくれます。

唯物論という、ものの見方、考え方、変え方を学んだら、あとは、ご自分で考えるのです。

NHK高校講座のすべての科目のなかに、唯物論と観念論の考えがでてきます。

お急ぎなら、現代社会、倫理、政治経済を視聴してみてください。

http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/index.html
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2009/radio …
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2009/radio …
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2009/radio …

http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssm2/index.html

参考URL:http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/index.html
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#1の者です。


ご質問の最後の方をよく見ずに回答してしまいました。
社会主義や共産主義は、唯物論を標榜していますが、人類の
意識の発生以来存在した唯物論(素朴唯物論)や共産主義
(原始共産制)の長い歴史からすれば異端児であり、
たとえば「使用価値がうんぬん>人は物欲よって生き、
楽したがる」や、「階級闘争がうんうん>労働者と経営者は
金を奪い合ってケンカになる」といった、物事をきわめて
単純化することで、それをロジカルに扱えるようにした上で
「科学的社会主義」と称しているだけで、方法論が科学を真似
ているだけで、そのベースは粗雑で、科学でも何でもない
「イズム」に過ぎません(=唯物論としても歪んでいる)。

むしろ唯物論的社会主義の正統派は、日本人の「素朴唯物論
=自分の周りの存在が先入的」による、日和見による他律的
集団主義にあり、バブル崩壊時のアメリカの景気刺激策の対極
ともいえる竹下の消費税導入と所得税減税(金持ち優遇)による
個人消費抑制によるデフレや、小泉による規制緩和という名の
派遣社会化による終身雇用崩壊での格差拡大といった計画経済
(by 日本人絶滅をねらったシネシネ団の)に従って、個を抑圧
してホームレスや自殺への道を唯唯諾諾と進む木偶人形のごとき
姿は、まさに社会主義の清華であろう!
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唯物論は、自然科学、社会科学の土台なので、「生まれる前の自己」という問いは、ないと思います。


あるとすれば、両親の体の生殖細胞が原因だと思います。
「生まれてのちの自己」は、生れ落ちた時代の制約で、どういう生き方を選択するのか?という問いがあると思います。
「生まれる前の自己」、「死んだあとの自己」どちらも、無機物に還元されます。
「生きている自己」=生物であり、社会を構成するヒトであり、生産、流通、消費の活動をする人間=有機物ですね。
ご質問は、唯物論のなかでも、史的唯物論(生身の人間の悩み)のことかと思います。
学生時代に、古典文献を読んだくらいで、お役に立てませんが、唯物論といっても、今、自分が生きているところで、精一杯生きる、ということくらいしか、わかりません。あの世に行けば、また、そこで精一杯生きるだけです。(あの世があれば、の話ですが。)
現代が、資本主義社会から、新しい社会への移行期に入っている、という感じはします。富の分配が、不公平だとも、思います。
唯物論の本を読んでも、よいのですが、生きているうちに、よりよい社会へ、政治を前進させることも、考えてみてください。政党のホームページで、どの政党が、唯物論を基礎にしているか、明確に公表している、科学的社会主義の政党が、日本にはあります。共産とか、コミューンという言葉は、共同体くらいの意味です。理論から接近するのも、ひとつの方法ですが、生身の人間を見て、話してみるのも、ひとつの方法だと思います。貧乏を楽しむのも、芸のうちでしょうか?今年の夏、クーラーを自室では、一度も使用しませんでした。水は浴びましたが。車のクーラーも使いません。今日は、涼しかった。一雨きそうです。
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物質と空間が消滅しない、という前提で考えられていた


唯物論は、無論アインシュタイン以降の現代では古典文学の
ようなものですが、それを前提としていた生命観に想いを
巡らせて見ると、命を「因果律というカラクリ仕掛けの人形」と
見てしまうのが普遍的な目線でしょうか。

だから、人形と言うものが持つ妖しい性、心を持たない空虚な、
(唯物論ですから)でも性行為などを目的とした動作や機構だけ存在する、
だから相手構わずやりまくって快楽に溺れよう、とか、
ニヒリズムとか、堂々巡りだから飽きることなく何回でも
同じ苦痛と快楽のメリーゴーラウンドを回し続けるとか、
そんな時代背景が見えてきますね。 デカダンとか。

でも、ハードウェアのみしか存在しない、という考え方は
その機能しかない、という仕組みに結論が行き着いてしまう。

そんな風潮の中で「愛は?悲しみは?存在しないとでも?」と
いうごく人間的な反論がシュールレアリズムだの自動筆記だの
黒魔術だのと様々なアングラちっくな「対をなすもの」も
沢山生んだように思うのです。

だから、唯物論は構造的にも運命的にも精神世界だの神だのという
相反するものを矛盾と言う形で最初から内包していた、とも言えます。

多分、生と死という根源的な謎を思考する過程で、偏った極論の
弁証法に挑んだが、結局のところ性欲や支配欲などの肉体的(唯物的)意志が
「知性」や「精神」など古典的な腹が膨れないものに圧勝した、という
身も蓋もない時代だった、と考えてみるのはどうでしょうか。
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天国だの前世だの、どこにも無いものに頼ってしか


生きられないほど、生きる意志を周りに依存していない、
というだけの話ではないでしょうか?
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