誕生日にもらった意外なもの

人間には共通の目的があるでしょうか?

もし人間に共通の目的があれば 世界はその目的の元 協力し合い助け合う事ができるのではないでしょうか?

人間共通言語も共通宗教も無いですが

共通の目的はあるでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

ただ、自分が高みにいるような勘違いをしなさんなよ、ってことがトコトンわからず


「攻撃をやめなさ~い」と言われたつもりになってしまったり、
「他者が庇われている」と受け止めたりする、
そのような他者関与の自己を中心に据えた思考形式を脱却するといいと思います。

その脱却とは、自分の行いは自分で決めるという基本的な姿勢のもと、
人にとって他者は、自己が他者に関与する心性を見つめる存在であるとする脅迫的関係観念を脱して、
自己が自己自身を見つめる心性を他者が見つめる、という関係構造に至ることです。
これは形而上的な他者なのですね。見つめる他者のほうの身になれば、その自己自身を見つめる者というわけで、このような他者とは無名なのです。

このことは、小学校の教室レベルから地域レベルや全人類レベルまで等しい事柄であるといえます。

隣組や中東戦争を思い浮かべると、具体的に相互監視的な他者をもって同胞とする自意識の構造がどのようなものかわかりやすいかもしれません。
地球にいる人類が、脅迫的関係にある他者(たとえば地球外生命)の存在によって
人類同士という他者の存在に初めて関与できるような自己となるのではいけません。
このような意味での同化される他者は、実体であり客観という束縛にある存在です。

地球の危機を、自己自身を見つめるという心性によって捉え、また、その心性を見つめる他者という関係構造によって共有とできる、
そのようなありかたで、地球を守ることができるとよいと思いますね。
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この回答へのお礼

私は存在を獲得する事 存続する事 未来の存在を実現する事を人間の目的と思っておりますが

その様な話が出ませんので なかでもなるほどと思える方をベストアンサーとしたいと思います

大変ありがとうございます(*^^)v

お礼日時:2010/08/21 17:10

7ですが、わかりにくいですか。



人間が地球の頂点だと思わないこと、そしてそれを、相対化によって捉えるのではなく、人間存在を理解するという内省によって気付くことだという話です。

自国が他国より勝ると思わないこと、
自分の属性が、他者の属性よりも勝ると思わないこと、
につながっているのです。
相対化の思考を脱して、自己の属性を理解するということなのです。
属性の最深部に、人間であること、があります。

ここはね、哲学カテでしょう。
アイデンティティとアトリビュートの深部での一致が、
地球に生きる人間の共通の目的だというのは、
哲学をとおしてしか言えないことなんですよ。
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自分はあると思いますね。


その一つのシンボルとしては
「国際連合」が上げられます!!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B% …

なかなか色々な思惑があって
一つではまとまりきれませんが
将来的には国境もなくなる日も
くればなあとは思いますが
自分たちが生きている間には
実現はしないでしょう。

ただまあ
地球温暖化、人口増加、貧富の差とか
色々な共通な問題は山積みですがね
、、、、、。
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 人は世界の創造を司ってもいるはずです。

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 生きることが目的、と言ってももう生きているしねえ。



 既に達成されている。

 とすれば、より長く生きる、究極まで行けば永遠に生きること、永遠性を獲得することでしょう。

 もう生きている人間に対して「何を目的に生きますか」と問うた時、なんと答えますかねえ。

 目的と言うのは未だ成していないことだからさ。

 子孫の中に自分を移して、その中で永遠に生きる というのが目標の人もいるでしょう。
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人口を増やすことでしょう。



その目的に大成功したので今や69億もの人口になって、地球の許容量に抵触する可能性が検証されるようになった。

問題は、人間は共通の目的を変更できるか、ですね。

共通の目的を変更せず、従来通り人口を増やすことに邁進していると、人類の危機が訪れる。合成の誤謬です。

人生に楽観的な拙者もこの問題だけは楽観できなくて心配しています。
なぜって、人類が69億もの個体になってしまったので、一斉に目的変更なんてできないでしょう?
そうすると、人類の目的が更新された個体群と更新されていない個体群が一時的にせよ共存することになる、というより共存できない者が併存するから、殺し合いが起こるんでしょうね。

期せずして殺し合いが起こることで人間の個体数が調整されて、再度、人口増加の余地が生まれてしまいます。
つまり、人口の爆発、大規模な殺戮による人口の減少、人口の爆発、大規模な殺戮による人口の減少、この2種類のイベントがくり返しやってくるのではないか。
幸運なことに、私はたちは、2種類の内の1種類だけしか経験していないので、大規模な殺戮による人口減少期には、人類はどのような哲学をし、どのような文学を下記、どのような愛の表現をするのか、全くわかりませんね。

楢山節考の姥捨て山伝説がもっと低年齢化してきて、「30歳まで生きれてよかったね、次の世代に生存環境を与えるために自分で心拍停止剤を服用してくださいね!」なんてことが起きるのか、それとも核兵器をつかって大規模に一括で殺戮する日がくるのか、私たちはには想像がつきません。
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この回答へのお礼

人間の目的が単に人口を増やすこととは思わないのですが

この人口問題は私も頭が痛いです

どうやったって食糧不足 仕事不足 住環境 色んな環境

人間が69億になったら 今でも守りきれてない人権がますます守れなくなります

温暖化で旱魃や台風などの大型化 集中豪雨などの自然災害 温暖に因る作物の減作

69億の人間の人権を守って平和な世界を実現するのは難しいです

私も微々たる寄付などしましたが コンドームでも配って計画的出産をしてもらわないと

むざむざ子供を死なすことになります

人間の目的を変更できるか ということ どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2010/08/09 21:11

他の方が仰ってる様に


唯一の共通の目的は"生きる事"だと考えます。
そのために,食事,水分補給,排泄など,共通の行動を行います。

しかし,その目的も一瞬で消え去ってしまいます。
"自殺"です。
自殺をする人の目的≠生きる事 です。
自殺をする人の目的=死ぬ事 になってしまいます。

要するに皆が希望を失わずに
"生きたい"という信念を持てば
助け合えるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

人間は基本的には現実の法則に基づく限り自由ですから 

自殺する自由もありますねえ

しかしそれを選んでほしくない それは目的とは反対です

共通の目的にも例外があるということですね

仰る通り共通の目的は 生きる事 存在することだと思います

大変ありがとうございます。

お礼日時:2010/08/08 22:52

 こんにちは。



 他の回答と重なるかどうかよくは分からないまま 投稿します。

 ★ もし人間に共通の目的があれば 世界はその目的の元 協力し合い助け合う事ができるのではないでしょうか?
 ☆ というように まづ何か人間に表象し得るものごとを決めてその記念において(もしくは その内容を祈念するかたちにおいて) 人間であるわれわれが世界にやっと何かが出来るようになり 共に生きてゆけるようになるというのは 一般に 《さかしら》と言われています。
 
 ただ問題は このような人事の介入――要するに 人間の限りのある経験行為をつうじて何かが分かるというその介入――としての《さかしら》は その《さかしら》が世界で第一位のとうといものではないという意味で《要らない》と分かるために 必要だった。

 繰り返します。
 さかしらなる人為性(人間の理性ないしコギトとかんたんに言ってもよい)が 要らないと分かるのは さかしらを通じてであった。

 言いかえると。
 人間に共通の目的は 非目的(何か観念としての目的ではないのだというそれ)であった。
 人間の共通の非目的は 何らかのかたちで共通の目的であるような《思惟(コギト・理性)》を通じて 分かるようになった。
 そして 《共通である》ことが分かるために 《さかしら》をつうじてという手段が用いられるのであって 《共通である》という以前にもすでに《非目的》は ひとりの人間のうちに存在したと考えられます。
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>共通の目的はあるでしょうか?



 認識を深めることだろうね。
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No.4の者です。


木ぐるみさんが述べたいたのは以下です。失礼しました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6088050.html
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