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私たちはなぜ理由や原因を知りたがるのでしょうか。

科学者・・・この現象が起こるメカニズムが知りたい。
納税者・・・納得いく説明を求める。
サラリーマン・・・ミスをした原因、売り上げが上がらない原因を分析する。
被害者・・・なぜ私がこんな目に

もちろん日常的に行われていることなので、心情的にはよく分かることです。理由がわかると納得して気持ちが楽になるのはよく分かるのですが、ではなぜ理由がわかると納得してしまうのでしょうか。私たちの探究心の九割九分は理由、原因を調べることに当てられているのではないでしょうか。どうしてそこまでと思う次第です。

我思うゆえに我ありの”我”はなぜこれほどまでに理由にこだわると思いますか。

A 回答 (26件中1~10件)

こんばんは、shift-2007さん。





●さっぱり分かりません


Ψ(>_< )Ψ゛゛゛ うぎょ)))))



(Θ_Θ) う… … …ん



(*^^*) ニカッ=☆ 異議唱えてくれてあんがとさん~♪



したらば…参考資料を


http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/06-3/ta …



んでもって、併せて読み物ひとつ


「どうしたら學問で金がとれるだらうと云ふ質問程馬鹿氣た事はない。學問は學者になるものである。金になるものではない。學問をして金をとる工夫を考へるのは北極へ行って虎狩をする様なものである」

夏目漱石 『野 分』より
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この回答へのお礼

ゆっくり読ませていただきます。

お礼日時:2007/07/17 00:43

私も本能説に賛成です。



>この地球上で理由を知りたがる機能は人間ではなく人にのみ発現しています。故に私は本能、遺伝子説に?なのです。
とおっしゃっていますが、知能を持った多くの動物が「遊び」を通して因果関係を体得して生存に役立てています。その1つの在りようとして、人間の場合はより抽象的な概念による因果関係を体得(脳に覚えさせる)できるようになったというだけのような気がします。
>数が多いことを良しとするなら虫のほうが繁栄しているの
等の例を挙げられていますが、単なる生物の多様性の話で、ある生物がある能力を進化させたことと、他の生物がそれ以外の形態であることは進化と直接は結びつかないのではないでしょうか?(虫が生き残るか人間が生き残るかという環境しかこの地球上に無かったというなら話は別ですが)

ちなみに、哲学ぽく(?)も考えてみました。まず知りたがるといったときに、基本的になんかの性向を示す表現ですよね。これって、人の本能か、そもそも思考形態の普遍的な在りようがあって、それが理由を欲っするか、そのどちらかになると思います。なぜなら、「知りたがる」に登場する主体は人か、「知る」行為そのものが埋め込まれる体系かしかないからです。

前者はいろいろ意見がでている通りでしょう(質問者さんは納得いかないのでしょうが)、

後者はたとえば言語によって世界を表現しようとするとかならず理由が必要になるとかそういったたぐいのことかと思います。何人かの方が指摘しているように、これは思考(論理?)体系のなかに価値が埋め込まれているということです。でも、たとえば数学では、人は命題を自分で作って証明したりするのに対して、数学自体が知りたがることはない(というか、命題自体はトートロジー)ように思います。また、非常に一般的に考えた場合の思考(論理?)体系には知りたがる価値観は含まれていないように思います(つまり、宇宙のどっかに人とぜんぜん違う知性がいたときに、そのときに「知りたがる」思考体系をその宇宙人がもつ必然性はないように思います)。というわけで、思考形態の普遍的な在りようについては、「知りたがる」ことについて中立なのではないでしょうか?私が思うに、思考形態の在りようとして「知りたがる」傾向があるとすれば、その思考体系を人の内に取り込むために、人は理由を欲するということです。これは何か勉強したときに丸暗記だけでは限界がある、といった形でみなさん実感されていると思います。(たとえば、ソシュール的な意味で「言語体系」があるときに、実際のものとの異差をなくすためには、要素が理由で結ばれることを人間は強く欲する傾向があるように思います。 http://members.at.infoseek.co.jp/serpent_owl/arc …

でも、これって、結局、人間の本能と切り分けられるものでしょうか?
というわけで、私としては、思考形態の普遍的な在りようというよりは、本能説に一票です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
話が難しくて、多分私は5%くらいしか理解していません。

本能という便利な言葉で納得する人が多いんでしょうかね。
カテ間違えたかな。

お礼日時:2007/07/16 22:20

>再度のご回答ありがとうございます。

むかし、狼に育てられた少女が発見されたのを知っていますか。彼女は四つんばいで歩いて、ものを食べるときも手は使わなかったそうです。もし、本能や遺伝子レベルで、宇宙の成り立ちを思索するプログラムが組み込まれていたとするなら、どうして彼女にはそれが発現しなかったのでしょうか。人間は人として育てられなければ人にはならないのではないでしょうか。ゆえに人間ではなく、人はなぜ理由を求めるのだろうかと思います。

この少女のことは知っていますが、彼女もまたその能力が発現していると思います。思いますと書いたのは実際に見たわけではないからです。ですがこの能力の代表的事例は、火の獲得でしょうか。まさに知りたがるという能力が獲得に繋がったと言えます。しかし、質問者さんの例に出す、知りたがる内容はより哲学的で高度な内容です。
それはなぜか?
その時点での知識量、知性のレベルのなせる業です。
狼少女にもその能力は発現したが、その時点における知性レベルが低いため「なぜ自分は生まれてきたのだろう?」などの高度な思考に繋がらなかったのです。

そして前にも言いましたが人だけではありません。猿もまたこの能力を有しています。しかし狼少女と同じ理由で、質問者さんが例に出すような知りたがる内容にならないだけです。

人は生まれてから知識を獲得する環境がすでにあります。言語であり、あらゆる知識であり、その他もろもろ・・・。これにより語弊はあるかもしれませんが、他の生物とは一線を画した知性を獲得します。
これにより、
科学者・・・この現象が起こるメカニズムが知りたい。
納税者・・・納得いく説明を求める。
サラリーマン・・・ミスをした原因、売り上げが上がらない原因を分析する。
被害者・・・なぜ私がこんな目に

といった、探究心や悩みなどを持つ結果となります。

>猿が昼と夜が交互に訪れる現象の理由を知りたがるとは思えません。

知りたがるでしょう。人類の文明を享受する術と環境があれば・・・。
知りたがるという根本的能力は有してます。ただそこに行き着く知性獲得環境がない。(これも違う見方をすれば、あるとも言えますがそれは話がそれるので・・・。)

>何をもって種の繁栄とお考えでしょうか。人は危険や死をやたらと問題にしますが、数が多いことを良しとするなら虫のほうが繁栄しているのと考えることも出来るのではないでしょうか。もし虫が絶滅すれば人間もまた絶滅するのではないでしょうか。言い方を変えれば虫に依存しているといえないでしょうか。逆の見方をすると虫は人間に依存しているでしょうか。また、核戦争、自然破壊、等々で我々は常に絶滅の危機に瀕していないでしょうか。

種の繁栄とは生き残ることだと思います。
虫のほうが生き残りそう・・・
確かにそうですね。しかし知りたがる能力は間違いなく有利だから獲得したのです。ただ、その時点ではということです。
種の進化は永遠ともいえる長いレースです。もちろんいつかは生物すべての滅亡というゴールが競うですが(狭い世界での話し)
そのレースの途中、我々の祖先はこの能力を有利だと思い獲得しました。
(実際には思って獲得したのではなく、これを獲得した種が未だに生きていたってだけですがね)
ですのでまだこの能力が1番有利なのかの答えは出ていません。レースの最後まで答えはでませんから。ですので虫のほうが繁栄しているのかもしれません。しかしそれは結果論でしか答えは出せません。

>先に書きましたように、この地球上で理由を知りたがる機能は人間ではなく人にのみ発現しています。故に私は本能、遺伝子説に?なのです。

上記に書いたように、人だけではありません。

>我思うゆえに我ありの”我”はなぜこれほどまでに理由にこだわると思いますか。

我が高い知性を備えた結果です。知性+知りたがる=このこだわりになります。猿に知性を持たせられれば同じ結果になります。(これもある意味間違い、なぜなら猿がそのこだわりを持っていないと証明できない、人が常に最高レベルだという考えは、人の価値観でしかない。我々と猿に深いレベルでのコミュニケーション方法がない以上、人間側からも猿側からもなんともできません。漫画のようなテレパシーが使えればね。イルカとかもすごそうですが。)

人は人であるがゆえに悩みます。人を人とするものは知性でしょう。しかしここで言う人というものに、前述の狼少女を入れないとするならば・・・。
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この回答へのお礼

>しかし知りたがる能力は間違いなく有利だから獲得したのです。
>我が高い知性を備えた結果です。

ここです、どうしても私にはこれが腑に落ちないのです。この言葉で納得できてしまう人がうらやましい。
どうも私は生来のへそ曲がりのようです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/16 22:03

>>完全の実存によって、主観が消滅


>これは事実ですか?それとも宗教的な理論でしょうか。

当然の帰結です。完全、絶対の存在は、主観の存在を許しません。なぜならば、完全が存在するからです。この時空間が存在するのは、不完全だからこそであって、物質が空間を占有しているようにみえますし、時間が経過しているようにみえます。意識、主観は、空間こそ占有しませんが、時間から逃れるすべを知りません。認知できるあらゆる事柄が相対的で、事象的であるが故に、物質も意識も完全の実存によって消失する、あるいは、完全に帰することになります。

 唯一、特異点が完全や絶対を彷彿とさせますが、ビッグバン発生後は、主観側から見て今もなおどこかに特異点が存在するとは言えません。

 では、完全や絶対は何処へ行ったか言うと、この時空間よりも厳然と実存していると推定されます。しかし、そこには主観が入り込む隙がありません。少なくとも時間がない、あるいは、経過しない、あるいは、既に永遠を経過しているからです。
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この回答へのお礼

哲学において私たちは質問者であり、回答者であり、それが正しいのか見極める検閲者ですよね。
bananasandさんは自分の主張の正しさをどのように証明されるのでしょうか。

お礼日時:2007/07/16 21:31

どこからどこまで自分なのか>


ブッダに聞いたら「一切にわがものなし」と言われるんでしょうか でも確か 個別的自我を否定しているだけで自他不二とか一即一切としての自己存在はあるんでしたっけ。 あるいは空に住する自己。

人の意識には個性があるんだろうか?
朝起きて布団をはぐ自分。顔を洗う自分。歯ブラシをとる自分。いい天気だなと思う自分。ドアを閉める自分。
なんて個性がないんだろう!!無としての意識。これが 状況や動きに対応しているだけでは?意識に個性はあるんだろうか?少なくとも私の意識には個性も特異性もない
こんな風に考えていって生きていくのが嫌になっていたことがありますが まさかチェゲバラの意識に個性がないとは言えますまい。。
意識ってどこにあるのかわからない ということであれば
結局 魂は?ということになるのでしょうか
ご存知かも知れませんが 我「アートマン」はウパニシャッド哲学で重要な言葉ですが 自己の根本を意味してます で、アートマンとは本来呼吸の意味で ドイツでは呼吸することを今でもアートメンと言う 
生命のもとであり はたらきであり 生気という意味をもつことから 魂とか自己を表す言葉となった。
そうか 自己とは「呼吸」なんだと思って印象に残っていたのですが
魂がもしあるとすれば  息吹のイメージです 魂の息吹。
shiftさんは どこまでが自分だと思われます?

私も人間を人にしてるのは人間だと考えますが 
おおかみ少女は狼に育てられて動物と同レベルに因果関係が分からないかもしれませんが 調教次第で何とかなる(でも確か実際には人にはなれなかったんですよね)ことを考えると 人間は 虚無でありながら いつも自己の限界を越える という人間独特のものがありそうですが。
で理由原因をなぜ知りたがる?に関しては知能が発達してるからというつまらない答えですが。なぜ人間は。。ということになると 
なぜ人間は悪ばかり為す性質をもちながら こんなにも善を欲する心を持っているのですか とか なんで時間的存在なんですかとか どんどん広がります 私だって神がいるなら聞いてみたいです 納得いきませんから。

なので神は人じゃないでしょうか>私に信仰はないですが 信仰をもってる方の神は人じゃないと思いますよ 人間の地平を越えた把握できないものを想定しているでしょうから。
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この回答へのお礼

確かに教会で人は神なりなんていったらぶっ飛ばされますね。
本当にどこまでが自分なのか、或いはこの体の中に自分がいるのかさえ疑問になります。けど、いつか必ず見つけます。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/07/16 21:25

理想を求めるとは言っていません。



理想の存在と現実との乖離がその乖離した後の
次の行動の動機付けになると言っています。

その次の行動が、理由や原因の追及となる場合、その動機付けが理想と現実の乖離と言うことです。

動物、昆虫だけでなく物理現象においても、
例えば位置エネルギーの高いところにある石コロは解放状態で落下することも理想と現実の乖離がなせる技と言うこともできます。

で、理由を知りたがる理由ですが・・・
理由を知りたがる動機は極めて主観的なことなので、究極的には、主観の存在つまり、我思うがゆえに、理由を知りたがると結論されます。

何故ならば、究極的理想が、神、絶対者、悟り等に共通する概念であるいわゆる完全であるとすると、完全の実存によって、主観が消滅し理由を知りたがる主体も消え失せます。にもかかわらず我思う主観の存在は、究極的理想との乖離を埋めようとその理由を知りたがると言うことになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やっと哲学的になってきました。カテ違いだったのかと心配しました。

理想という言葉には色々な意味や思惑が含んでいるので、虫の行動や物理現象を言うのにこの言葉は適切かなーと思います。
それは置いておいて、

>完全の実存によって、主観が消滅
これは事実ですか?それとも宗教的な理論でしょうか。
また、神、絶対者、悟りとは無縁と思われる子供にも因果を知りたいという欲求があるということは、主観が乖離の原因と考えられますか?

お礼日時:2007/07/15 21:35

人はなぜ神になりたがると思いますか>カオスの一部であることに耐えられないからでしょうか


すべての因果を解明すれば神になれると思いますか?>すべての因果法則を説明するのは無理でしょうし 因果法則を説明できたところで死すべき運命を逃れられないという意味で 永遠に敗北的存在だと考えます。
なぜ人間が理由原因を知りたがるのかという前に そもそも 他の生き物と人間の間に 構造的な違いがあるのではないでしょうか?人間は自分を客観的にとらえ全体性にもとづいて行動してますが 他の生き物は前方にむかってまっしぐらで 時間や過去の観念もないですし 原因を考えようもないというか つきつめると 神様はなぜ人間を創造したんですか という問いになると思うのですが。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

子供の頃こんなことを考えたことないですか。
自分の体はどこからどこまでが自分なのか。
腕を切り落としたら自分はどっち側だろう、
足も切り落としらたどうだろう、
腰は、胸から下は・・・
そうか頭が自分か!
じゃあ頭をリンゴの皮をむくみたいにしていったらどの辺までじぶんなんだろう?
って。

最近知ったのですが、脳科学は未だに脳の中に意識を見つけられないそうです。脳と意識は密接な関係があるのは間違いないのですが、どこにもそれが見つからないそうです。我思う故に我ありの”我”はどこにいるのでしょうか?

#13のお礼にも書きましたが、人間ではなく”人”にのみこの現象が見られます。恐らく遺伝子を含むハードウェアをいくら研究してもこの問いの答えは見つからないと思います。

>神様はなぜ人間を創造したんですか 
人間を人にしているのは人だと思います。なので神は人じゃないでしょうか。

お礼日時:2007/07/15 20:40

最初の質問に戻りますが、法則にこだわる(それを知りたがる)理由はなんでしょうか?



法則を見出すことは、その見出した法則を使ってよりより多くの人を幸福にするからですね。法則を見出すには経験がいりますが、法則がわかった時点で多くの人が同じ経験をしないで利用できるということですね。数学などでは定理といいますが、定理を用いないと証明はえらいことになりますね。人生も同じですね、人生のいろいろな法則を知っていれば不幸なことは避けられるということでしょう。そのために優秀な人は人に先んじて法則を見出そうとするのかな。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
生きていくうえで、便利、有利であるからということですね。

お礼日時:2007/07/15 17:13

結局、法則にこだわる理由はなんでしょうか?


因果の理法はくらますことのできない法則ですから、法則が真理なんですね。法則が絶対真理ですから、法則外という考えや法則に当てはまらない理論そのものが間違いですね。
例えば、原因のないところには何の結果もないのが真ですから、「宇宙が膨張したとするならそのきっかけは因果の外にないと説明できません」は間違いですね。何にもないところに突然家や宇宙はできません。単純なことですね。当然企画して材料を集めて作らない限り何にもできないんですよね。どんな大きなもの、宇宙でも銀河でも、家でも1ミリの虫でさえ同じですよ。大きいからといって例外はないから法則なんですね。また、大きすぎて判らないから、あるいは小さすぎて見えないといって何にもないといってはいけないということですね。これも法則に反するからね。というように法則が真なんですね。人間の小さな認識力が真ではないといいたいだけですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
もちろん因果、法則を否定するつもりはありません。この宇宙の中ではそれは真でしょう。しかし、法則で全ては説明できません。
宇宙(または宇宙を含めた全ての世界)はなぜ存在するのでしょうか。これを法則(因果)を使って説明できますか?

法則が真理なのは理解できますが、それを求めるのは別の話じゃないでしょうか。

最初の質問に戻りますが、法則にこだわる(それを知りたがる)理由はなんでしょうか?

お礼日時:2007/07/15 16:09

理想というのは、物や心の最も十全で最高の形態なので、


客体が、あるいは、客体によって心が、最高の形態と乖離
すれば、次の行動の動機付けとなります。

雨が降れば傘をさす。
寒ければ着る。
知らなければ知る。

主体に理想が無ければ、現実とのギャップがなく
行動の動機もありません。

雨が降ってもぬれたまま。
寒くても平気。
知らなくても大丈夫。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうすると、人だけではなく動物も虫も理想を求めていることになりますよね。しかし、人の思索という手法で行われている理由の追求は虫のそれとは違います。”知らなければ知る”はほかの2つとは違いますね。これは人(人間)特有です。理想を求めるということは理想が何かを知っているということですが、宇宙或いはこの世の全てを知った先に、何があるのか知っているということでしょうか。それとも知ることが目的でしょうか。だとしたら、なぜ知ることが目的になったのでしょうか。やっぱり地球上で他の生物との生存競争で有利だからですか?

お礼日時:2007/07/15 15:56

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