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No.12ベストアンサー
- 回答日時:
幸・不幸は脳が作り出すものであって、たとえ鼻クソを飛ばす
事であっても、それを本当に欲しているならば、それは100%
の喜びになるのです。
目的を真に信じられれば、欲の克服自体が新たな喜びを生む
事は、登山を例にすれば分かりやすいでしょう。
登山の目的は山頂ですが、それを楽に登る(たとえばヘリで)
事は充足感の増大にはつながりません。
むしろより高い山を、より大きな困難を克服する事で、より大き
な充足感が得られるのです(これが生命の本質)。
最初の「己の事を知りたくない」というのと、「苦悩からの解放」
という事の因果関係は、明白ではありません。
己の知り方が中途半端だから、肉体に由来する欲に振り回さ
れて苦悩する、というのが過去の覚者の教えではないですか?
無知によって救われる事はありません。
あなたの体の中には、生命40億年の進化によって蓄積された
“生きる衝動”が存在するからです。
つねれば痛い、その事でさえあなたの体が生きようとしている
証しなのです。
それを無視して、生きる事が苦痛だと考えるのは、真の「己」を
知らないからです。
既に個人の生は、社会全体の順調な営為に依存しており、
社会生命化しているのに、肉体に付属した感覚器官によって
発生する意識は、低認識において自己中心的=短絡的利己
に陥り、それを他律的にコントロールする“馬車馬の目の前の
ニンジン”として、お金や出世などが生まれたのです。
しかしその結果として、本質的に助け合っているはずの社会に
おいて、人の意識は競い合い奪い合う、弱肉強食のジャングル
と化してしまったのです。
そこにおいては、生命にとって本質的な喜びである生きる事
(社会生命としては助け合い=労働)が、お金をもらうために
イヤイヤ行うものになってしまったのです。
認識の深まりによって社会生命的自覚化に至り、その自己
存在の本質に根ざして自律的に生きるならば、その意志は
社会に共有され、またその成果も共有される事によって、
全ての人が平等にして最大限の成果(生きる真の目的で
ある精神的充足感において)を得る事ができるのです。
ご回答ありがとうございます。
遅れて申し訳ありませんでした。ここ数日色々自分なりに思い悩んで来ましたが、何となく方向性が出ましたので、また戻って参りました。
ご回答読ませていただきました。
確かに私は自分の感覚や感情を過信してしまう所があります。
そして無意識にもそれを認めたくないが故、物の見方や理屈に拘り、それによる葛藤が起こり、結局のところの自己認識不足ということかもしれません、これは、私にとって真の「己」を知る所の大きな壁だと感じました。
このようなところの認識を深めれば、欲望に生きるのではなく、生存するために生きないのでもなく、新たな、ここで言う山のようなものが見つかるのではないかと、やっと、やっと自分を納得させることができました。
本当に回答者の皆様には感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。
No.15
- 回答日時:
生きないことと死ぬことを区別したいのです
死ぬことにならないが生きないという人生のことですね。
言葉の使い方や観念区別は様々成り立つでしょう。
しかしそのどれをどう説明しても質問者は、それに対してまた論じるでしょう。
本当に仰せのように生きない人生をしていくなら、“こうしかない”という自己の決定と決断でやっていくでしょう。
質問のような人生の過去を去って(つまりそんな人生を生きないで)人生をしていくつもりなら、自己かある人に真っ向から怒鳴り飛ばされないといけませんね。
そういう自己他人に邂逅されるよういのりましょう。
実は76の自分も、中学の時に質問のような心境なりましたが、立身出世をめざす、優越こそめざそう。と結論しました。
高校で民衆の哲学者を考えている人に出会いました。
あぁこんな世界もあるなぁと、開眼(かいげん)しました。
そして更に人生をして、二十歳である生活を切り上げある大学に就職しました。図書館司書、専門図書館から発達してきた図書館ですが。
46年そこにいて、様々な人に出会えました。
30代までは指導者はありませんでしたが、30半ばでヒンドゥの哲理の指導者に出会いました。
あぁ肉身(にくみ)はとうに去られておられましたが、そのメッセージと導きに確信をもちました。
1948年頃、私が考えていたことと全く軌を一(いつ)にするものであったからでもあります。
ラージャのヨーガですが、Self-Realization Fellowshipという団体からのメッセージでした。
地上界も無限にさまざまですね、人もさまざまですね。
本当はそれはさまざまではなく、見かけのさまざまですが。
そんなことで、答えが本当に欲しいなら、それがなければいけないのなら、ご自分の課題の答えは質問者自身が必死に探し、求め、決定するでしょう。
様々なこの世界と人間のそれぞれのあり方でしかないでしょう。
アングロサクソンや何かの論理演繹は人生にはあまり意味性はないようですね。
でもそれは外見でかれらもどこまでも論理演繹をしているわけではありませんが。
遅れて申し訳ありませんでした。ご回答ありがとうございます。
>ご自分の課題の答えは質問者自身が必死に探し、求め、決定するでしょう。
おっしゃる通りです。人は誰も理解しあえないと暗に言いながら、人に答えを求めているこの浅はかさ。
それでも皆様からたくさんのヒントと気持ちをいただいて、何となく自分の言葉を見つけられた気がします。
ありがとうございました。
No.14
- 回答日時:
#9です。
お礼欄での補足ありがとうございます。
>「そこ」について。これは、人間や人生に対する理由(少し大きめな)です。
答を見つけているではないですか?
質問者さん独自の答えが「霞のような己」ということであれば、それは素晴らしい答の一つですよ。
>「この」について。(中略)表現しようともしきれない深さを感じて欲しかったのです。
これはダメです。
哲学を放棄しています。
哲学するという事は、(言語)で表現する努力をすることです。
「感じてほしい」という逃げに入ると哲学が成立しません。
>「それ」について。欲を捨てるという意味です。三大欲も含むイメージです。
欲を捨てる修行は、日本では仏教の修行がお勧めです。
宗派は問いませんが、肉食妻帯を禁じている本物の坊主に就いて修行されることをお勧めします。
哲学の領域ではありません。
日本では難しいですが、物価の安いインドネシアやインドに赴けば、イスラムやヒンディーの修行でも欲を捨てる修行は可能と思われます。
キリスト教とアングロサクソンの文化は欲を肯定しているので欲を捨てることは難しいでしょう。
一刻も早く、キリスト教的な呪縛から解放され、アングロサクソン文化の汚染を洗浄することをお勧めします。
遅れて申し訳ありませんでした。再度のご回答ありがとうございます。
私はどうやら本当に逃げているようです。
逃げという言葉に体が反応してしまいました。笑
>キリスト教とアングロサクソンの文化は欲を肯定しているので欲を捨てることは難しいでしょう。
キリスト教の把握しているわけではないのですが、私自身、他者から肯定されると照れたり、なぜか屈辱感を感じてしまう天の邪鬼な性格なので、あまり向いていないのかなと感じてしいます。
仏教というか私はブッダ自身の言葉(他者の主観が入らない)に興味があるのですが、そういった教えがあるのか調べてみようと思います。
ありがとうございました。
No.11
- 回答日時:
>己を知るというという落胆でした。
ご質問者さんの考えておられる「己」とはどのような存在でしょうか。わたしの知っている「自分」とはまず人間の素晴らしさの発見でした。人はかくも素晴らしい存在なのか、という感想が自分の本質にたどり着いたときの感想です。人間の素晴らしさは新聞記事や家庭や学校や職場でしばしば見られることです。見方を変えてみると社会にはそのような人によりささえられているということが解ります。
>しかし、人として生きている限り、それを実行するのは不可能だとも思います。
希望を持つとそれが欲望を増長させ、欲望を満たそうとすると、いつの間にか絶望の淵に立っている自分を発見し、希望が実は絶望の別名なのだと気づくのですが、この苦悩から逃れる方法は人間的には無いように思えます。そして最後の解決策は「死」となるというのがおおかたの真面目な方が歩む道だと思います。
>生きないことと死ぬことを区別したいのです。何か方法はありますか?
ご質問者さんは欲望を持つことなく、つまり生きないことで、今後生きて行こうとされていると思いますが、私どもの心は何も望まないでは生きてゆけないようで、そこに哲学やおそらく科学や文学が必要となったのではないかと思います。しかし哲学も文学も科学もご質問者さんが感じている虚しさや自己嫌悪に近い感情を払拭することはご記載のようにできません。
もしいま自分の為に生きるという事を、やめると決断することが出来るでしょうか。そうすると新しい世界が見えるのではないかと思います。回答者は実は自分のために生きるということの代わりに聖書に記載されているイエス・キリストのために生きるということに決めてしまいました。
すると世界が変わりました。自分も本来的には素晴らしいと思うことができるようになりました。死ぬことは肉体の終了であり、もしイエスキリストについての理解がなければ、永遠の死となります。
ここから先は聖書の話になりますので、ご関心がなければ先をお読みになる必要はございません。ここまで一般人と同じ用語を用いて一般人らしい回答を心がけてきましたが、聖書の言葉は数千年に渡り書かれた来た書物ですので、21世紀の人にはおとぎ話のように聞こえると思います。しかしその構造は極めて単純明快です。
つまり第一人は本来素晴らしい存在で、将来と希望と平安に溢れた生活が与えられています。
しかし第2に人には罪があり、幸いな生活が出来ずにおります。
つまり第3として、なぜなら素晴らしい人生が約束さているにも関わらず、私どもの罪が、与えようとされている素晴らしい人生を生きる妨げとなっていからです。
最後に第4として聖書では人の罪が神と人とを隔てている、しかしもしその罪を悔い改めるならば、私どもを作られた神は私どもの罪を赦して、私ども本来の生き方、つまり神との関係を修復された、幸いな人生を歩めると述べています。
比喩的に述べますが、ご質問者さんが述べられましたように人生とは何か、人間とは何かという問いに、回答がなく、そのこと自体が苦しみのもとになっています。それは虚空を落下しながら、どこに落ちてゆくのか判然としない恐怖のなかで、自分の釣り竿で自分を引き上げようとすることに似ています。つまり無駄な努力をしております。
一度聖書を読んでみてはいかがでしょうか。聖書にあります。「人にはできないが神には出来る」
回答者はプロテスタントのクリスチャンで統一教会、モルモン教、エホバの証人とは一切関係ございません。昔マルチンルターという方が「聖書に帰ろう」という運動を始めましたが、その流れの中におります。
ご回答ありがとうございます。
回答者様の文章を読ませていただくと、何か、こう、光?キラキラした何か?眼差し?のようなものを感じました。
しかし、その光は私には似合わないと感じました。それは、私の心の半分は闇で出来ているからだと感じています。
私が光の前に引きずり出されたとき、その心は言い知れぬ気恥ずかしさと、屈辱感で満たされると感じています。
そんな醜態は人にも、神と呼ばれているものですら見せたくはありません。
ずっと感覚で書いてしまいました。
読みにくくてすいません。
聖書は一度読んでみたいと思います。
ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
>人生というもの、人間というものを考えれば考える程そこに答えはなく、あるのはただ霞のような己を知るというという落胆でした。
要約ということがここであなたに適うことかどうかは分かりませんが、この文面で私が推測する限り、あなたは自分に絶望したということでしょうか。
>私は本当は己の事など何も知りたくはない、あるのはただ、この苦悩からの解放への欲求です。
誰もが真の自分を知ったあと、そういう気分に陥ります。
人生はそこから始まるといっていいと思います。
>しかし、人として生きている限り、それを実行するのは不可能だとも思います。
当然ながら生きるべき人間が死を志すのは不可能に近いことです。生命は生きるために生まれてきたのですから。だからこそ人間社会は増え続け、偽りの繁栄を続けてきました。
>人間は欲がなければ生きられません、しかし、その欲が私を苦しめます。
普通、欲は喜びを人間にもたらします。生きるということは基本的に快楽であり喜びなのです。それが苦しいとおっしゃるのは、よほどの特殊な事情があるのか、それとも概念に囚われているだけなのかと疑われます。
>生きないことと死ぬことを区別したいのです。
これも言葉の遊びでなければ何なのかと思われますが、あなたの特殊な事情があればそれもありうるのかもしれません。いずれそれを知るすべのない私達の立ち入るべき問題ではないように思えます。
死なないということは植物人間でもない限り、生きることです。あなたはこのような立派な行動ができるのですから生きられるのではないでしょうか。少なくとも生きないでいられることはできないと思います。
>生きないことと死ぬことを区別したいのです。
できません。両方の概念と決別した方がいいのではないでしょうか。
ご回答ありがとうございます。
>あなたは自分に絶望したということでしょうか。
人生や人間を考えることは、苦悩からの解放を目的とした行為だったので、目的を達成出来なかったことに対して落胆はしました。
無意味であるとの自覚が絶望であるならば、そうなのかもしれません。
私は他人よりも欲深い心を持っていると感じています。それは、成功や達成などでは満たされる事はなく、常に不可能な事を追い求めて飢え続け、途方にくれている印象です。
もたないのです。肉体も精神も気力も。
私の小さな器では、その欲を持て余してしまうのです。
おっしゃる通り、これは下らない言葉遊びなのかもしれません。しかし、他に自分を納得させる術を私はしらないのです。
欲は、その増長を抑えることはできても、できてしまった欲を完全に消すことは不可能だと感じています。
そんなことを踏まえつつ、私は、自分の欲を抑える呪文を開発するヒントを探すために、ご質問させていただいたのだと感じています。
すぐ話が脱線してしまいます。
ともかく、ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
>人間というものを考えれば考える程そこに答えはなく、
「そこ」というのがどこを指すのかよくわかりませんが、いずれにせよ答を選択することができます。
>この苦悩からの解放への欲求です。
「この」というのがどの苦悩を指しているのか良く分かりませんが、仮に落胆=苦悩とのお考えであれば、甘いですね。
落胆なんて苦悩でも何でもありません。人生の日常茶飯事であります。
したがって、落胆=苦悩とすれば、この苦悩がら解放される必要がないのは自明です。
>しかし、人として生きている限り、それを実行するのは不可能だとも思います。
思い違いをされていますね。
「それ」というのが解放を指すのか、欲求を指すのかよくわかりませんが、いずれにしても可能ですよ。
ちょっと修行すればよいだけのことです。
ご回答ありがとうございます。
「そこ」について
これは、人間や人生に対する理由(少し大きめな)です。
「この」について
ここについては、回答者様自身にイメージして欲しかったので、あえて具体的な表現はいたしませんでした。表現しようともしきれない深さを感じて欲しかったのです。
「落胆」は自分の欲していたものではなかったという気持ちであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
「それ」について
欲を捨てるという意味です。三大欲も含むイメージです。
稚拙な文章ですいません。なんだか恥ずかしくてモジモジしています。
そして修行とはどのようなものなのでしょうか?少し気になります。
ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
自分の為だけに生きる人生というのは空しいですよ。
誰か、大切な人、モノをつくり、その人、モノのために生きる。
そういうことをすれば、よいと思います。
”生きないことと死ぬことを区別したいのです”
↑
自分の為には生きない。
大切な人、モノのために死ね。
ご回答ありがとうございます。
なるほど、回答No5様とほぼ同意見とみて、差し支えないでしょうか?
考えさせられます。生きる事や死ぬ事を積極的に捉えれば、違う世界もあるのだと感じました。
そして私は、自分の心を自身で縛り付けていたのだということに今、少し気付きました。
動けないということは、人やモノに対して受動的になってしまうのでは?ということも感じています。
もしかしたらそうだったかもしれません。
もし、大切な人やモノに巡り会えたら、観念や覚悟で自らを縛り付ける事無く、ただ、それらの為に生きる事や死ぬ事ができるのでしょうか?
なんだか支離滅裂な文章になってしまいましたがご容赦ください。
とても考えさせられました。ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
・・・なんだか、ちょっと高度かもしれませんね?
(生きる!)捨てたら、?
・・・といえ、(死ぬ?)
ん、「生きない」と「死ぬ」の間には「捨てる」があるのかも
ご回答ありがとうございます。
なるほど、私がイメージしたのは、
生きる事を捨てれば生きない事になり、生きる事も生きない事も捨てれば、死ぬ事になる。
具体的に「捨てる」ものが何を指しているのかはじっくり考えてみたいと思います。
追伸 死ぬ事を捨てたとき(観念的な意味)何が残るのか、又は何が生まれるのか・・
大変面白かったです。ありがとうございました
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