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私は人間というものの限界を感じ,人間を脱し,人間を超えた存在に憧れ,自らもなりたいと考えています.人文系のサークルを作っているのですがその研究テーマの1つとして考えています.

ジョジョよりもDIOに賛同し,女神転生をやると極カオスの属性となりニュートラルルートオンリーのペルソナ4の人間の可能性を見せる結末には違和感を覚え,東方では人間よりも人外キャラの思想が理解できます.

このような考え方を何というのでしょうか.ニーチェの"超人思想"はこの世は無で宗教などに囚われず主体的に生きろというものと解してますし,トランスヒューマニズムだと科学の力によって人間の機能拡張を図るものなんで近いですが違うものと思っています.
神秘に縁のある者となり,自らが神秘となり,神秘と一体化したいと私は考えています.

A 回答 (9件)

漫画からニーチェくらいまで思索を広げていくのは、面白いと思います。



中二病と言う斬り捨て方では、真面目な質問の回答に、なっていないと、私は考えます。

日本的なアプローチの仕方と、西洋風のそういった方法論を、比べてみるのは、どうでしょう。

日本の場合は、依り代ろとか、憑依と言い、神のお告げ神託が、どういった形で現れるのか、調べてみると良いと思います。

狐つきのことから、大本教くらいまでは、理解してみて下さい。


西洋は、預言と言う考え方が、根底にあります。神があっての人間世界観は、絶対的な存在を前提として、そこから思想や概念を考えていきます。


山登りの経路が違うだけと、思っていただいても、良いです。

余り超自然的な研究に、のめり込むと、現実的な日常に、戻って来れる自信は、ありますか? そこだけは、心配しておいてあげます。

敢えて一言で答えていない理由。そこを慌てずに、ゆっくりと考えてみて下さい。
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この回答へのお礼

巫女さんやシャーマニズムっておもしろいと思いましたが詳しく調べてみればそこから私が求めていたものがでてきそうですね.そこに気づかせていただきありがとうございます.

お礼日時:2013/01/25 00:51

神秘的とされる神も試行錯誤して、経験値を上げただけのことで


人間も経験値を上げて昇華するしかないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました.

お礼日時:2013/01/25 01:01

「天神合一」ですかね?


私はこの言葉の深い意味はよくわかってません。

無矛盾で統一されている世界(大和)をゼロ次元とか1次元といいます。
生物種が認識しているのは2次元~4次元で、無知や矛盾ばかりで不安定なのです。

高い次元になると理解が早まります。
数千年かかって人類が築き理解した文明も、
今じゃ数分で理解することが出来るようになり、
人類は新たな次元(構築要素)を獲得したことになるでしょう。

けれどまだまだ上の次元があって、高次には簡単なことが
低次元は現象を創造してみたりその一端を投影して認識することだけで
全体の把握はできないのです。

宇宙は11次元と予測されてて、そこまで高次がニュートラルか?
ゼロとか1次の次元はカオスか?
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この回答へのお礼

老荘思想に近いですね.このような思想はわたしがちょうど気になっている思想の1つです.興味を増長することができました.ありがとうございました.

お礼日時:2013/01/25 01:01

>人間やめる・人間を超えるという思想



それは結果論であり、思想ではありません。
そのような結果を導くのは、宗教的観点かも知れず、
観念論かも知れません。
後半の断片的言辞からは、ルドルフ・シュタイナー的な
神秘主義、神智学、人智学に近いものに思えます。
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この回答へのお礼

私が考えていることとは的外れだとおもいますが,霊的な現象すら自然科学的な態度で望むという考え方があることを知り教養になりました.ありがとうございました.

お礼日時:2013/01/25 00:55

ニーチェ理解の如何はおいといて、神秘神秘と言っているので神秘主義的な感じもしますね。

「あなたと合体したい」ではなく「神秘と一体化したい」みたいな。もちろん神秘主義はたんに「人間を超える」といった考えに集約されませんけれど。とは言え、マルティン・ブーバーや井筒俊彦、プロティノスやバタイユなど、色んな哲学者が色んな観点から神秘主義を扱っていますので、「人間を超えたい」とかはおいとくなら神秘主義も哲学的な関心として不適切ではありません。もちろん哲学だけでなく民俗学や文化人類学とかでもそうですが。文学は昔から色んな思想を扱ってきましたが、その点に関してはゲームや漫画も負けず劣らずというか。
虹モノが好きで人文系サークルを作っているなら神秘主義は合ってるんじゃないかとも思いました。たしかレンタルマギカというラノベでもカバラとかが借用されていましたし。ローゼンメイデンではたしか真紅がユングの著作を読んでましたっけね。挙げるとキリがない。そんなわけで、カバラとかスーフィズムとかを知っておくと作品をちょっと違う仕方で楽しむこともできると思います。
質問者さんとは違う観点からでしょうけれど私も鬼や吸血鬼は好きです。人間の絵を描きその絵の額に一本の角を加えると、その絵の人物は鬼として見られる。身体の一部にすぎないはずの角という記号がその人物に対する見方を変えてしまう。吸血鬼なら長い犬歯とか、天使なら頭の上の輪っかとか。萃香や勇儀の鎖は、繋がりを失った者とか束縛から解き放たれた者とか、色んなことを意味する象徴として読み取れますが、この象徴というのもなかなか面白いものです。意味は言葉の専売特許ではなく角や服だって意味をもつわけではないと。
また、呪文の詠唱は行為としての言葉という側面からすると、たんに思考やコミュニケーションの道具として見なされがちな言葉について違った見方ができます。
ちょっと話がずれましたがあらためて、強いて言えばそれは神秘主義です。
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この回答へのお礼

人間を超えたいというのはやはり神秘の導きなのですね.
神秘ってやっぱりおもしろいですよね.
物によりますが虹作品もそこらへんの作りこみがしっかりしたものがあり,神話のように楽しめる.現代日本人好みのきれいな絵で.
ありがとうございました.自分の世界観が充実して来ましたし,アニメやゲームももっと楽しめるようになると思います.

お礼日時:2013/01/25 00:47

えーと。

フィクションの世界にどっぷりとはまっているようですね。「人間を脱し」とか簡単に言いますが、それができないから、「人間というものの限界」があるのでしょう。ぬー。矛盾しているなあ。

人間なんて簡単に越えられるさ、という発想はフィクションの世界だからこそ成立するものであって、「中二病」としか言いようがないのではないでしょうか。強いて言えば、フィクションと現実の厳密な区分を設けないという意味で、ジャン・ボードリヤールの「シュミラークル」などを思想として調べてみてもよいかもしれません。

脱人間という思想ではありませんが、あなたの言う脱人間がフィクションによって支えられている以上、虚構とリアルの関係性についての思想が重要に思いました。
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この回答へのお礼

期待していた答えではありませんが,フィクションと現実の関係について興味深いことを教えて下さいましてありがとうございます.

お礼日時:2013/01/25 00:38

悪役や敵役を魅力的に描くというのは大衆向けの作品の常套手段ですから、そちらに関心が向くというのは理解できますが


誰でも知っているような数々のエンタメ作品に神秘が隠されている、と信じられる無邪気さにため息が出ます。

>このような考え方を何というのでしょうか
自分は特別症候群とか厨二病とか青春のはしかとか若気の至りとかいろいろな呼び名があります。
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この回答へのお礼

お礼日時:2013/01/25 00:36

中二病です。

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この回答へのお礼

お礼日時:2013/01/25 00:36

では、質問者の言う「人間」とは「神秘」とは何か。

そこから考えましょう。
結局、ただの諦めから来る現実逃避に過ぎず、哲学ではなく思春期の妄想です。
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この回答へのお礼

お礼日時:2013/01/25 00:36

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