自分のセンスや笑いの好みに影響を受けた作品を教えて

筆力のあるライトノベルとは
私はライトノベルが好きで、結構読んでいるのですが、まだまだ素人で、疑問があります。
「とある魔術の禁書目録」といえば、かなり大人気を博した、僕も好きな話ですが、一般的には、その作者、鎌池和馬さんは大分世間的に「筆力が足りない」といった評価をされることが目立ちます。
私は素人なので、大して気にもならず、面白い話だから別にそんな批評を入れることはないのではないかとも思うのです。面白さが読者に伝われば筆力がないとは言わない気がします。だいたい、多くのレビューでは、「当たり外れが激しい」だの「ベースとなる筆力が無い」だのと言っておきながら、「話そのものは面白い」などと書いている人がいて、素人の自分には意味がよく分かりません。
一体そういった評価というのはどうやって下されているんでしょうか。
筆力の有る無しなんて、基準も曖昧だし、面白く読めれば考える必要は無いのでは?
実際に「筆力がある」と言われているような作品(「涼宮ハルヒの憂鬱」なども、やはり私は大好きですが、文体というか語り口そのものはあまり変わらない気もします)などとは、どう違うのでしょうか。
理解が追いつかないので、どなたか教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いします。素人なので、知らないうちに何だか分かったような口を聞いてしまっているかも知れませんが、ご容赦下さい・・・。

A 回答 (3件)

「筆力の有無」と言っても、「筆力」自体が仰るように曖昧なものであるのは確かなので、その基準も人それぞれになっている部分があると思います。


なので、難しいのですが……

『とある魔術の禁書目録』は1巻だけ読みましたが、私は、「筆力」というか、「文章力」はちょっと……という風に感じました。
私が考える文章力の有無は次の通りです。

1.文章そのものが読みやすいかどうか
文章の主語・述語がどこにあるって、その文章が何を意味しているのか? そういうものがしっかりしている作家の作品は、文章量自体が多くてもすらすらと頭に入ってきてどんどん読み進めることが出来ます。逆に、ここがしっかりしていない文章だと、それがどういう意味なのか、を理解するのに手間取り、なかなか読み進められません。

2・会話文などの整理が出来ているか
1に近いのですが、複数人が会話をしているシーンなどで、ある台詞を誰が発したのか? というようなことです。これも、上手く整理できていない文章ですと、誰の言葉なのか判らず混乱が生じたりします。


逆に「話が面白い」というのは、文章力に加えて話全体の構成・展開であるとか、アイデアであるとか、そういうものも総合して判断しています。

で、『とある魔術の禁書目録』に戻りますが、私は、読みづらさを感じてしまい、そのため、アイデアだとかは良いけど、魅力が十分に描ききれていないな、という風に思いました。
「面白さが伝われば良い」というのは確かです。ですので、質問者さんにとっては、鎌池さんの文章は十分に面白さを引き出しているもの、という風に言えるのでしょう。でも、私はそこまで引き出せなかった、という風に感じました。
この辺りは、人それぞれの感性や、読解力であるとかに委ねられる部分が多いので、やはり「こうだ」というのは難しいと思いますが。


あくまでも、私個人の考えですが。
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この回答へのお礼

なるほど・・・
とても為になりました。確かに、カッコが連続して誰の台詞なのか取りにくくなる場合は結構思い当たりました。
それに、文章の基本は、やはり主述関係が明白になった上での「伝わりやすさ」、ということでしょうか。
結局そこに帰着するんですね。近いうちに自分でもラノベらしきものを書く練習をしたい、と思っていたので、非常に参考になりました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/09/17 22:00

「筆力がある」と言われる人の作品を読めばわかると思いますが、全体に見て「ページが黒い」んじゃないかと。

要は1まとまりの文章が長く、「語り」を多用しないんです。これに対して「筆力がない」と評価される人は全体にページが白く、「語り」を多用する傾向にあります。

また、1人称で文章をまとめているのも「筆力が無い」人に多いです。1人称の作品は書いてみれば分かるのですが、案外「書きだし」は簡単で話を広げやすいんです。これに対して3人称で作品を書くと、視点の移動をどうやって自然に行うかが難しく、なかなか話が進みません。しかしながら1人称で書くと「主人公の目の前で起きてないことは言及できない」という大きな壁が立ちはだかります。3人称だとそう言う問題は無いので話の幅が広がるんですね。

あと、「普通の人のキャラ」が生き生きと存在するかどうか、という点もあります。エキセントリックなキャラは「立て」やすく話も作りやすいんですが、そればっかりになると話がとんでもない方向に飛んでいきます。ラノベのストーリーにいきなり唐突な設定が出てくることが多いのは、そういう「キャラを立てすぎた」弊害なんですが、筆力のある人は「普通の人」を上手く配することで、そういう「唐突感」を押さえるんです。

ラノベの世界で「筆力があるなぁ」と思うのは、文庫版ではなく「新書版」の人ですが、「茅田砂胡」さんの作品があります。特に「デルフィニア戦記」は非常に骨太な文章で読みごたえがありますので、一度読んで見られると良いかと思います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。失礼ながら初心者なもので、「語り」というのが何のことかよく分かりませんでした。1人称による主観的な地の文のことでしょうか。それとも台詞でしょうか。
どちらにせよ、なるほど3人称は構成する側は大変かもしれませんが、場面を切り替えても迅速に適応できて分かり易そうです。
それに、ラノベというのは基本z軸がある世界ではあまり現実的でないような、突出した個性や特技を持ったキャラクター達が織り成す話である、という認識ができあがっていたので、「普通のキャラ」というポジションの重要性にはなかなか目が向きませんでした。
きっとFEX2053様は小説文の隅々までしっかり目を通されているんですね。私にとっては背後をとられたような感じで、びっくりしています。
デルフィニア戦記、今からググッて探して読んでみます。ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/17 22:07

きっと人によりけり



あくまで私基準ですが
文書だけで頭に残るような言い回しが出来るとか
作品中のさりげない言葉遊びや語彙を使ったうまい例えや心境の表し方
そういう面での言葉だけでの表現力かな

禁書目録はノータッチなので
ハルヒで言うと
キョンのくだらない独り言自体は作品中に相当数出てきます
というか、作品の大半がキョンの独り言です
しかし、それだけしゃべらせておきながら
似たような表現や、前にやったような妄想といった
類似する独り言が極端に少ないこと
しかも、独り言はメインストーリーには関わってこないにも関わらず
多種多様なネタが使われ尚且つ読んでいて楽しい

涼宮ハルヒシリーズにはこのような特徴があります
具体的にこういう特徴は筆力がある作品だと思いますね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、言い回しですか・・・かなり重視されているようですね。確かに涼宮ハルヒのシリーズでは、地の文の大半はキョンの独り言ですが、「よくこんな言葉が結びつけられるなあ」などと、読みながら感心したり、軽く吹き出したりしながら読み進めていました。文体そのものに魅力がある文章は、読んでいて惹き付けられますよね。
やはり独特でありながらも受け入れやすい文体、口調にも「筆力」なるものの一端があるようです。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/09/17 22:11

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