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なぜ 童話、昔話、子供の遊び、わらべ歌などその類の子供向けのものは「本当は怖い」のでしょうか。

例えば白雪姫、
姫を苦しめ続けた継母(グリム初版では実母だったのですが・・)は、真っ赤に焼けた鉄の靴を履かせられ、死ぬまで踊りつづけさせるといった残酷な結末。


花いちもんめという遊び、あれは人身売買など、

「♪ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」は嘘をついたら指を切り落とし、拳骨を一万回、さらに針を千本も飲ます、と

鬼ごっこやかくれんぼなどもそう考えると名前だけでも怪しい感じがしますよね。

桃太郎も「川から流れてきた桃を食べてお爺さんとお婆さんは若返り子供を作り、桃太郎と名付けた」など。

すべてがすべて残酷ではありませんがどれもこれも小さなお子様が知ると良い気分にはなりませんよね。

本当にこれらの話が本当か嘘かはわかりませんが、日本の昔話だけではなく、グリム童話、歌、遊びまで裏の話があるとなるとやはり何か理由があるのではないでしょうか。

なぜここまでみんな残酷な話なのでしょうか
なぜこんな話を改変して代々子供に伝えたりするのでしょうか
「本当は怖い童話、昔話、歌、遊び」の真意(?)はなんなのでしょうか

みなさん知恵をお貸しください。

A 回答 (8件)

子供を戒める役目があります。



危険な川の淵にいくと、河童がでるよ。
ウソをつくと、こんな恐い事になるんだよ。
悪い事をすると、恐ろしい報いがあるんだよ。

とんでもないこわーい事がおきる・・・だから、いい子でいるんだよってことです。
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昔話や童話・わらべ歌などは、その歴史を紐解くと実話と言う事実に


多く突き当たります、その事実はお話などでは想像もつかないほどの
残酷な物で、その残酷な事実を後の戒めとして残す為に、
作られた物が多く、他には事件や災害などのコトも含まれていると
専門に調べている方から聞いた事が有ります。

現代に伝わるモノは全て、時代と共に作り変えられたモノが
普及している物で、事実を裏として伝えるモノも確かに存在はしています。

現代の様に記録が年を積み重ねても消える事が無い時代とは違い、
積み重ねる毎に薄れ消えてしまう時代では、歌やお話で受け継がれて行くしか
有りませんでした、ですが 先にも言った様に時代の流れや風潮などでお話も、
歌も聞こえが良いモノや、幼い者にも聞かせられるモノに変化して行く事に何も
疑問も浮かんで来ないのは仕方がないと思えます。

本当の真実は恐いものと、学び直せる年代はやはり事実を受け取れる年を積み重ねるしか
現代ないと思えます。

因みに、
世界の童話やわらべ歌も同様と言う事実は万国共通だそうです。
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元々は子供に語りきかせる目的ではなく、単に事実や言い伝えとして地域or全国に根付いていた話なのでしょうね。


いずれにせよ、そういった残酷な話を後世に残そうとしていたことは確かです。

私もよくわかりませんが、ひとつは教訓的な意味合い、もうひとつは人間の本質として残酷な発想に惹かれるというものがあるんじゃないかと思います。
見てはいけないものを垣間見る恐怖、禁忌を犯すスリルは、同時に快感でもありますよね。

それを人から人へと語り伝えるうちに、語呂がよかったり物語的に面白い部分があったりして、だんだんに子供に聞かせる形に変わっていったのではないでしょうか。

私が一番怖いと思うのは「赤いべべ」の話です。
かちかち山のカニバリズムも怖いかな。
西洋のものも怖いですが、和物のほうがより近い感覚というか、生々しく陰湿な怖さを感じます。
もしかしたら、恐怖というのは一種の共感で、怖い怖いと言いながら心のどこかではそれを求めていたりするのかなと思います。
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宗教が根っこにあるのではないでしょうか。


博愛を解くキリスト教すら、聖書には
かなり残酷な記述があります。
日本仏教の地獄観も壮絶です。
ましてイスラム教、ユダヤ教など何をかいわんや。
死が不可解なものであった時代は、
誰も知らない死後、もしくはそれに類似した
終身刑的なものをモチーフにすることで、
人の心を動かそうとしていたのではないでしょうか。
現代の日本でも、先祖の祟り、水子の祟り云々、
新興宗教などの人を脅かす言い草は、
常に誰も知らない死後の世界の気配を漂わせています。
知らないことには、誰もNOとは言えない。
そんな弱さを突くことで、人を何らかの道に
誘導する下心が、いろんな話を生んで、
その中の、よくできた、面白いものが
残って来たのだと、私は考えています。
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推理小説では「事件は殺人でないといけない」と言われています。

犯罪のなかでも究極に危ないものでないと読む人の熱が入らないからという計算だそうです。ミステリーとしては平凡でも残虐な部分に力を入れた作品も目立ちます。

まずおとぎ話は「おとぎ話」だってことは見ておかなくてはいけないのではないでしょうか。
フィクションの世界で、フィクションの世界だからこそ残虐な想像を楽しむ、あるいは脅かすというのは今の子供用の話でもある事だと思うのです。

子供のころクラスの女の子が楳図かずおの「へび女」「おろち」などを読んでいたのを思い出します。男の子は何でわざわざそんなこわ気持ち悪いものをと思う子が多かった。

自分の子供の頃の気持ちを思い出すとなにかわかるかもしれません。
私はそれは自分が大人になる、体が変わって行く、肉体的に出口を持たない性欲などと関係あるんではないかと考えています。

残虐だったものが当たり障りの無いものに変わって行くのは、むしろそのお話が社会的に広く認知されすぎたためのなりゆきであって、子供向けの話というのは常にそういう変化の道筋をたどるのかもしれません。
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『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』河合隼雄


という本があります。
そこの受け売りと他の著作のもまぜこぜで(しかもかなりいい加減の読み飛ばし)書くと
現代の心理療法を受けている患者さんが昔話のようなものを書いたり、絵を描いたりするそうです。
当人はまったくそんな創作に興味が無かった人もいますがなんだかわからないが描きたくなったそうです。
昔話というのはそういう無意識のものを書き出したものだというのもたくさんあるだろうと言うことです。
そして昔話というのは典型があって同じような話が世界中のあちこちにあるそうです。
それはなぜかというと無意識の中にすべての人に共通した普遍的無意識があって、
昔話の中にはそういうすべての人に共通した内的真実に合致すると思われるものが生き残っていたりするわけです。


人間の心の中はまったく正しいといわれているものばかりだと受け付けないのです。
すべての人がいい人ばかりの話はウソだと知っているのです。
たとえばすごく立派なお父さんを持っている人が夢の中で
そのお父さんがどうしようもなくだらしなくしている夢を見てしまったりするわけです。
本当に正しいだけの人というのは人間の心の奥底では耐えられないんじゃないかな。
(この辺本に出てきたかあやふやです)。

子供というのは敏感ですから残酷な描写が一切無いような話は
ウソだと知っているのです。
反対に昔話というのは荒唐無稽の大嘘のように見えますが、
そこに見られる残酷描写とかも内的真実に合致するからこそ
今でも読み告がれているのではないかと思います。

反対にそういうのが教育に良くないからといって取っ払ったりすると、
こどもの精神発達のために良くないんじゃないかと思います。

ではでは。
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昔からの言い伝えである昔話、民謡、遊び、などの真意を、とやかく穿鑿することがそれらを理解することに


役立つのでしょうか。私は、そのまま素直に受け取れば良いものだと思っています。グリムのメルヒェンを読んで
ユングが、、なんて言い出すことは一寸ピンと外れと言うか、余計な話だと思います。
グリムは全てのものが”子供向け”とは限りません、童話ではありません。かなりの物語が古代/中世に有り得たものを基礎としているのではないでしょうか。
日本でも、子守唄 の多くは子守が自分の為に唄っているのではないでしょうか。
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今日、NHK「爆笑問題のニッポンの教養」で「白雪姫は死ぬのがお好き?」という題でこの問題を語っていました。

ゲスト小澤俊夫。
かなりおもしろかったのでご覧になっていなければNHKオンデマンドか再放送を観てはいかがでしょうか。再放送は10月12日(火)午後4:00~<BS2>の予定だそうです。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20101005.h …

まあいろいろ言っていましたけど、文字ではなくて耳から入って来る印象ではそう残酷という感じではなかったです。昔話は架空の話であるという前提が諒解されているものという説でした。
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